突然、ここではない別の世界、いわゆる異世界に迷い込む。
そこでは誰も自分を知らず、特に誰かから呼び出されたわけでもない身の上は、周囲の何にとっても些細な存在として扱われる。何かの「役割」もなければ、特殊な「能力」もない。
近現代(と想定される)イギリスから、言葉も文化も奇妙に異なる国へ入り込んでしまったエミリーは、不運にも「貴族の女性の身代わり」にされ収監されてしまうのだった。
彼女は囚人となり、獄中で与えられたペンを使い、様々な事柄を紙に書き綴る……。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「牢の中の貴婦人 (The True State of Affairs)」はかなり面白かった。事前に後味が悪いとか、不完全燃焼だとかいう評判を耳にしてから臨んだけれど、別にそんなことはなく、独立した物語として楽しんで読めた。
私達の目に見えるものや、周囲に展開している光景の裏側、事情、また去来する人々の内実。
これらの全てを自分の感覚だけで把握し、捉えることは不可能だ。
でも知覚できる要素の他に判断材料が与えられない以上、エミリーはそれに基づき「予想」をするしかない。
考えれば考えるほど、わたしはただ、あの人の牢獄の近くにいて、ほかにはけ口のない感情をそそぎこむ対象にすぎなかった、ということがありありと見えてくるからだ。
いつでもそういうものなんだろうか。
それ以上深く人を知ることは、誰にもできないんだろうか。神々にしかわからないことだ。
(D・W・ジョーンズ「牢の中の貴婦人」訳:原島文世 (2008) 創元推理文庫 p.226)
牢の鉄格子越しに世界を観測する彼女の姿は、実のところ人間の普遍的な状態をも表している。私達だってみな、自分という檻の中から、必死に外側の情報をかき集めて生きているようなものだと思わされる。
結局、真実とは一体何なのかも、誰かの心に秘められた本音も、手にとってじっくり矯めつ眇めつする……というわけにはいかないのだ。
引用部分を除いて約500文字
以下のマストドン(Masodon)に掲載した文章です。