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彷徨する自由帖

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閉館後のホテルニューアカオ本館を徘徊する体験(2) ダイニング|熱海のアートイベント《ATAMI ART GRANT》のACAO会場

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 常に耳の端で海の音を聞きながら、質量すら感じる空気をかき分け、泳ぐようにして進む。無人の廊下を。

 閉ざされたどの扉の向こうにも誰かがいる気がした。

 そして下階、無数のテーブルがひしめく広大なダイニングから響く重低音が、エレベーターのワイヤーを伝い、閉館したこのホテルの末端にまで届く。

 

 

 ダンスホールから、この写真の場所へ向かう道程。

 

 前回の記事 ↑ の続きです。

 

目次(2):

 

客室(和室)

 

 客室の扉が肩を並べる、廊下の天井も折り上げ構造になっていた。

 こういった装飾というのは、それがあってもなくても機能的に支障のない部分に、あえて施すことで豊かな印象が与えられる。もちろん逆の結果がもたらされる場合もあるから、絶妙なバランス感覚が重視されることに頷けた。

 

 サロン・ド・錦鱗のある15階からエレベーターに乗り、何も分からないままに指示通りのボタンを押す。すると、眠っているのか起きているのか不明瞭なニューアカオの体内で、私の身体は縦の方向に大きく動かされる。

 どういう仕様になっているのか伺い知れないが、何も押さなくても勝手に昇降機の箱は動き出してしまったし、意図していない(ボタンを押していない)フロアに何度も到着することがあったので、降りる際はきちんとパンフレットの写真と目の前の空間を見比べる必要があった。

 3階、廊下の先で開いた扉は客室3077号室。他にもグレードの異なる部屋がある中で、最もリーズナブルな和室のものだ。ここにも《Standing Ovation / 四肢の向かう先》の現代美術作品が展示されている。

 

 

 太田光海による、《Wakan/Soul is Film》と題された映像作品。

 タイトルに組み込まれている「Wakan(ワカン)」とは、エクアドルの熱帯雨林に住む先住民、シュアール族の言葉で「魂」と「映像」の両方を意味するのだという。かなり興味深いことだ。その、私達の言語感覚からは相当遠く隔たった場所にある彼らの視点、観念の一端に触れる、あるいは何らかの新しい感覚を呼び起こそうとする試みが作品上で行われている。

 作者の太田光海は映像作家であり、文化人類学者。今回の《Wakan/Soul is Film》は、以前に制作されたドキュメンタリーフィルム《カナルタ 螺旋状の夢》で使われなかった場面をベースに、いわゆる「映画」という作品の形態とはまた違ったやり方で私達の意識と接続するのだった。

 魂と向き合うことと映像を鑑賞する行為が、まったく同じ音で表現される場所が地球上のどこかにある——。

 それを知ったとき、閉業したニューアカオの往時を偲ぶ映像を別所でぼんやり眺めている自分もまた、この建物の魂と呼べる何かに肉薄しているのかもしれない。

 

錦松・羽衣の間(宴会場)

 

 再びエレベーターに乗った。指示に従って次に降ろされたのは12階のよう。はじめ15階、それから3階、今度は12階……と、文字通りに「行ったり来たり」させられているのは明らかに意図的な誘導なのだと改めて理解する。

 上の写真、電気サインの妖しさに、宿泊施設ではなく、何か別の世界を連想してしまうのは私だけではないはずだ。パンフレットを見ると、ここに入れとある。畳の間では靴を脱ぐようにとも。

 戸の隙間からざらついた音が漏れていて、踏み入る勇気が出ずに躊躇していた。左右に伸びる廊下をもう一度見回す。誰もいない。だから、害もなければ助けもない。

 ついに息を止めて取手に手をかけ、部屋の敷居を跨いでから後ろ手に隙間を閉ざすと、そこは市松模様のパターンに緑色が施された天井のある空間だった。

 

 

 とはいえ、暗く照明が落とされているから、しばらく目を慣らさないと部屋の全貌は伺えない。中央のスクリーンで何かが展開している。周囲を歩いてみると、裏と表で異なる二つの映像が流れている、デュアルスクリーンなのだと分かった。

 ここに展示されている作品は、中村壮志による《回帰》。以下にその「あらすじ」を引用する。

 

1973年のある日、父に一通の手紙が届いた。
「ローリング・ストーンズが日本に来るから、日本に遊びにこないか」
差出人は、父が学生だった当時友達になった日本人留学生のトシであった。兼ねてからトシの故郷の話を聞いていた父は、その冗談まじりの便りを実行に移すことを決意する。
しかし、ローリング・ストーンズの来日公演が急遽中止になり、父はバンドの来ない日本で一週間過ごすこととなる。

 

《Standing Ovation / 四肢の向かう先》パンフレット(2021)より

 

 

 

 ローリング・ストーンズは英国のロックバンドである。彼らの来日中止がどのようにニューアカオと関連付けられているのかというと、その年によってだった。

 前記事の概要で述べたとおり、赤尾蔵之助が創業した赤尾旅館はホテルになり、やがて錦ヶ浦で、より規模を拡大したホテルニューアカオと進化していったわけだが……折しもニューアカオの営業開始は昭和48年。すなわち、ローリング・ストーンズの来日中止と同じ1973年の頃だった。

 中村壮志はその事実から架空の物語を紡いでいる。最終的には赤尾旅館の創業時、高度経済成長期の急激な社会変化と現代の状況を並列して、何らかの類似点を見出しているようだ。

 そしてもう一つの画面に映す対比には、熱海が登場する1953年の映画「東京物語」に描かれているような、緩やかな時間の流れと生活環境を挙げ、タイトルが示すようにどこかへ感覚を「回帰」させる必要性を鑑賞者に示そうとする。

 

メインダイニング錦

 

 また、エレベーターに乗せられた。ホールに降り立つと窓の外から外側が見えて、さらに柱の階層表示を確認し、今度は随分と下に来たのだなと思う。

 海が近い。本当にすぐ、そこにある。

 青黒い波に乗ってやってくるのは流木と風と、それから魚と……あとは何だろう。どこかから休みなく、ショーを観てさんざめく観衆の声のような、あるいは口の中で呟かれる呪文のような、低い音色がカーペットに覆われた床を這って来ている。それに呼応して建物もきっと歌っている。

 パンフレットに指示された通路は「メインダイニング錦」に通じていた。

 ニューアカオの営業開始から5年後、1978年に完成したシアター風のレストラン。地域で最大の規模を誇った全450席の空間では、かつて毎日のようにディナーショーが開催され、独創的な料理が提供されていた。

 

 

 小さなステンドグラスのある入口をくぐると身体全体に振動が伝わる。例の音だ。海鳴りに交じる重低音、ときどき歌声、これは小松千倫による作品《Endless Summer》の一部なのである。

 ほぼ半円形のレストランを縁取るような通路の側から席全体を見渡すと、正面に位置する透明なガラス窓、その向こうの岩肌と海面が背景となって、沈みゆく船を連想せずにはいられなかった。波が窓のすぐ下まで迫っている。

 ローマの宮殿を模した虚飾の城。レプリカだが、かつてそこに溢れていた宿泊客の笑顔はきっと本物であっただろう。

 誰一人として支持者も追随者もいない、空っぽの宮殿を王様として闊歩する喜びには、人を惹きつけて離さないものがあると感じる。だから多くが後戻りできなくなってもその冠を手放せない。

 

 

 頭上のシャンデリアばかりに気を取られていると足元をすくわれる。さらに地下へと続く階段があるが、先へ進むことはできない。

 視界にあるのに立ち入りのできない場所は、地図上に存在してはいても辿り着く道が存在しない地点に似ていて、いつかゲームで未実装のエリアに侵入してみたいと主人公を操作した記憶が蘇る。幾度となく、不可視の壁に阻まれた経験。

 思えば、そもそもニューアカオの建物自体が、やがて「見えているのに入れない場所」と性質を同じにするのだという気がする。

 展示の会期が終わり、すべての作品が撤収されてからはふたたび、一般の人間では中を覗くことのできない場所になるのだ……と考えてみれば。

 

 

 人々が熱海サンビーチから、遠くにかすむ「ニューアカオ」の赤い文字を認めて口々に噂する。昔、あそこでは毎夜のようにレストランで音楽が奏でられ、定期的にダンスパーティーも開かれ、栄耀のかぎりを尽くしていたのだと。

 けれど、もうその場所に立つことはできないのだ。少なくとも私達人間には。

 あるいは、海辺で例の場面を毎日毎日再現し続けるのに疲れた貫一とお宮(尾崎紅葉「金色夜叉」より)の銅像が、皆が寝静まった頃にビーチからニューアカオまで散歩し、サロン・ド・錦鱗で穏やかにダンスでもしているのかもしれない。

 

 

 ……次の記事(3)に続く。

 

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