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彷徨する自由帖

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鎌田共済会 郷土博物館 - 大正時代に建てられた旧図書館|香川県・坂出市の近代建築

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公式サイト:

公益財団法人鎌田共済会郷土博物館|公益財団法人鎌田共済会郷土博物館|香川県の古文書・絵図・化石資料などを展示

 

 電車の窓からこの建物が見え、それで気になったのがきっかけで、わざわざ足を運ぶ人の数も多いのだと職員さんが言っていた。

 私達も岡山から快速マリンライナーに乗って来た。

 方角からすると、坂出駅に停車する直前で気が付く機会があったはずで、けれども白い外壁がまったく視界に入らなかったのは反対側の座席に座っていたからだ。土地全体から見たある場所、位置、という点では変わりがないのに、その一点が線路と車両によって分断されると、片側がすっかり見えなくなる瞬間というのが存在する。

 そして、時には進行方向の右側と左側とで、同じ場所とはとても思えないほど違いのある光景がガラス越しに映し出されるもの。山や海のそばを走っていると特にそうだし、でなくとも市街地などで、線路を挟むと建物の数が大きく異なったり、早朝や日没直前に利用すれば、太陽の光線がどう差し込むかの差異も生じたりする。

 坂出駅の南側にある出口を出て、西に少し向かったところにあるのが、鎌田共済会 郷土博物館だった。

 

 

 白い壁が常よりもいっそう白くまばゆく光っていた。7月上旬でこの日の陽射しも強かった。そのせいで当時、どれほどの日焼け止め(スプレータイプ)を手足や頭の露出部分に振りかけたか思い出せない。料理の下ごしらえで粉や液体をまぶされる食材はたぶん似た気持ちのはず。では日光で焼かれて、人間は一体何に変わるのだろう……。

 ジリジリ、という擬音語をはじめに用いた人だって、きっとそういう疑問を脳裏に浮かべていたに違いない。

 郷土博物館2階に整列する窓の上部はアーチ状。さらにその上、建物自体のふちのコーニスには、帯状の幾何学的なレリーフが並んでいる。丸と半円と波型の曲線。面積は限られるが奥に3階部分もあり、手前は2階だけのわりにずいぶん高さがある——と感じたのは間違いではなかったようで、例えば玄関ホールの高さは床から天井までが4.5メートル程度あるようだった。

 パンフレットの説明文を参考にするなら、郷土博物館2階の高さは一般的なマンションの3階よりも高い位置にあることになる。

 帰宅してから調べると、古い時代の写真にはかなり年季の入った茶色い外壁が見られたので、今の建物はきれいに塗り直された状態なのだと伺えた。内装の漆喰もかっちりとしている。ショートケーキの表面を覆う薄いクリーム。階段の石は磨かれて、以前から残るガラスも味わい深い歪みを残したまま、違う時代の陽の光を透かしている。

 

 

 踊り場から玄関を振り返っていた。これより先は通常勝手に立ち入ることのできないエリアで、けれど今回は職員さんが同伴と案内をしてくれたので、最終的に3階部分まで覗けたのだった。

 玄関ホールに吊るされた照明器具の金属部分は開館当時のもの。覆い(傘)のガラス部分は取り換えらえて形を保ち存続している。郷土博物館の竣工は戦前の大正11(1922)年……淡翁荘(現四谷シモン人形館)の持ち主、鎌田勝太郎が設立した鎌田共済会の図書館として、ここに鉄筋コンクリート造の施設が完成した。監修を務めたのは香川出身の技師、富士精一。

 平成4(1992)年に郷土博物館となり、やがて国の有形文化財に登録された。改修工事も行われている。

 第二次世界大戦の折には辛くも空襲被害を逃れ、建物は著しく損なわれずに残ったという。もしも3階、ペントハウスの方へ続く階段を上っていくときに機会があれば、いちど立ち止まってその側面を観察してみてほしい。昔はもっと急だった階段の勾配をゆるやかに調整した跡が確認できる。細長い、三角形の領域。そこから進むほどに、通路も階段の幅自体もだんだん細くなっていく。

 建物の内部に用いられた石というのは周辺の空気も冷やすようで、実際触ったわけでもないのに、その表面がひんやりしていると(視覚からではなく、実のところ)肌から分かるのは不思議。距離は離れている。なのに伝わる。

 

 

 このあたりは曰く、ふたつの半円の窓が笑った目に見えると評判らしい。ぽつんとひとつある壁の照明が可愛らしいのも見逃せなかった。おでこにつけた印だ、あれは。

 そして、地上階の展示室には久米通賢(名は「みちかた」もしくは「つうけん」とも読む)に関連する資料がある。展示ケース内に陳列された、気難しさと利発さを兼ね備えたぼやぼやの肖像画と、測量、また天体観測に関係する器具の数々。彼の自作と伝えられる天体望遠鏡が「星眼鏡」と称されているのに心惹かれた。ほし、めがね。語感が夢枕と少し似ている(?)

 展示ケース自体もまた大正時代のキャビネットとして、鑑賞に値する品物である。近代建築の中に収容された古いキャビネット、さらにその内部に収められた古い道具、書物……。

 平賀源内や伊能忠敬の名前は全国でよく耳にするが、同様に彼らと道の交わる分野で多くの功績を残した久米通賢は、まだあまり広く知られてはいないようだ。でも、ここで覚えたからもう大丈夫。

 展示室にも旧図書館時代の意匠が残っているので、壁や天井にも目を配ると、外観のレリーフと同じように廻り縁がリズムを刻む。箱のような部屋に装飾の凹凸が見られるとゼリーやクッキーの型を思わせる。まっさらにした部屋の中に、液体や生地を流し込んで固めたいと思う想像で。

 退館する際にはカードをもらった。スタンプラリーのカード、どうやら「鎌田ミュージアム」の3館を巡ると最後に何かがもらえるらしい。せっかくなのできっちりいただいてから高松へと向かうことにして、それから所在地がすぐ近くなので、秋に休館が予定されている郷土資料館の方にも赴こうと決めた。洋風の木造建築がある。

 外を歩いていたら、博物館の外壁とおなじくらい明るい白色に毛を輝かせた1匹の猫がいた。