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彷徨する自由帖

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閉館後のホテルニューアカオを徘徊する体験(3) スイートルーム|熱海のアートイベント《ATAMI ART GRANT》のACAO会場

 

 

 

 

 もう、何度エレベーターに乗り込み銀色のボタンを押したか分からない。

 無人のエレベーターホールで照明は煌々と灯り、飾りに施された半魚人(ポセイドン)のアイコンが、一人黙々と徘徊を続ける人間のことを見下ろしている。三叉の槍を片手に。その表情には階ごとに差異があるが、どれも妙にひょうきんな表情をしていた。

 

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 ダイニングから、下の写真の部屋へ向かう道程。

 

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 前回の記事 ↑ の続きです。

 

目次(3):

 

中庭

 仮にこのニューアカオを沈みゆく船に見立てるなら、きっと中庭は甲板に対応する部分だろう。

 ダイニング錦の脇にはそこへ上る小さな階段がある。レンガ風の壁に挟まれた踊り場に立って背後を振り返ってみたら、半円のアーチに飾られて伸びる通路は、船は船でも宇宙船みたいだった。

 

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 途中に設置された白い柵は、舞踏会の会場を見下ろすためにあるバルコニーに似ている。それか、オペラ座の特等席。

 うす暗い照明の光を受け、やがて花柄のカーペットに覆われた床が石畳に切り替わり、長い潜水のあとで海面から顔を出すようにして外の空気を吸った。クジラの体内から脱出したピノキオとゼペット爺さんさながらに。

 潮風によって腐食し半ば朽ちた欄干の背後には、錦ヶ浦の北岸・錦崎の崖が波を受け止めてまどろんでいた。その前景にあるのが宮原嵩広による作品《Your name here》である。また、頭上を仰げば光岡幸一の《poetry taping》が空中にひるがえっていた。

 これらは《Standing Ovation / 四肢の向かう先》としてキュレーションされたものではないが、《ATAMI ART GRANT》の展示の一部である。

 

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 こちらの作品は下からだとうまく写らなかったので別角度より(写真の中央、窓の向こうに浮いている)。15階の連絡通路を戻り、ロイヤルウイング側に立つのが最も見やすかった。

《poetry taping》の旗に書かれている「えらばなかった道」とは、ニューアカオを生み出した創業者・赤尾蔵之助の理念「人の通りにくい道を進む」を体現している言葉だ。

 他の誰かが選ばなかった道を行く。その思いが、かつてはあまり関心を持たれていなかった錦ヶ浦の地に魅了され、土地を買ってまでそこにホテルを建設した彼を後押ししていたのではないだろうか。

 

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 一方、閉ざされた門に続く石畳。いうなればこれは「もう誰も通らなくなった道」なのかもしれない。意図せずとも、結果的に。

 私は同じ階段と通ってニューアカオの建物に戻る。外の風を頬に受けているときだけ、周囲の時間が動いているように感じられた。

 

廊下(6F, 7F)

 パンフレットの指示は、またしてもエレベーターへの乗り込みを鑑賞者に要求する。

 今度は6階でいちどフロアに降り立ち、窓の外を見るように、と書かれていた。そして直後に再びもう一つ上の階へ移動させられ、今度は廊下をくまなく歩き回る行為を促される。すると、よく似た構造の6階と7階だが、何か決定的な差異が人の手によって加えられていると気付くのだ。

 その、違和感。

 

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 6階では窓の外に「いた」はずの物体が、7階に移動すると屋内に忽然と出現していて、しかも別の廊下にも増殖して立っていた。これにはぎょっとさせられる。

 謎のオブジェに思える多田恋一朗の作品《pharmacon》は、木製のフレームに綿キャンバスを張り、アクリル絵の具で彩色したもの。タイトルのPharmaconは「薬」や「ドラッグ」、そして古い表現では「毒」も意味していた英単語だ。

 作者は展示のパンフレット上で、ゾンビキャンバスという造語を用いてこの作品の説明をしている。

 なるほど、確かに「木枠に貼られたキャンバスに絵の具が乗っている」時点で、これは絵画に違いない。だが何らのイメージもそこに描かれず、単に物質として存在している(いわば『媒体』としては死を迎えている)それらは現実世界に引きずり込まれ、生き物を思わせる佇まいになるよう固定されている。

 

 

 

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 そもそも画廊ではなく、閉館後には一般客が訪れなくなったニューアカオの建物内にこれらが立っていることで、不気味さの後には不思議と哀愁のような感情が浮かんできた。ゾンビキャンバスたちは動かないし、動けない。

 

インペリアルスイートルーム

 このホテル内に存在する客室タイプのうち、和室、和洋室、ツインルーム、ロイヤルルーム……ときて、自分が足を踏み入れる可能性の最も低いのが「インペリアルスイートルーム」である。当然、一介の市民に縁があるわけがない。

 今回、アートイベントの一環としてスイートルームの全貌が公開されていることで、おそらくもう体験することはないであろう僥倖に見舞われてしまった。

 その扉に手をかけた時の感触こそ、建物好きとして歓喜を感じるほかない瞬間だった。

 

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 2種類あるスイートルームのうち、見学させていただいたのはタイプⅠの1253号室。 2階層のメゾネット構造を採用していて、吹き抜けの空間に面した巨大な窓からは伊豆半島が一望できる。

 こちらは洋室の面積が広く、室内に枯山水を配した和風寄りのタイプⅡとは大きく雰囲気が異なる。ちなみに、タイプⅡの1418号室は、将棋において羽生名人と森下八段の王将戦の会場としても使われていたとか。

 今回の展示期間中は部屋全体に松田将英の作品《Final Answer》が展開されていて、説明を読むかぎり、かなりオープンな解釈が許されているのだと判断できた。室内に施された各種の仕掛けには、思わず笑ってしまうものもある。

 

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 大窓に貼られたShutterstock(シャッターストック。素材としての写真販売サイトとして有名)のステッカーなどはその最たるものだ。

「問題解決を要求する現代社会へのアンチテーゼ」という一節がパンフレットにあるように、はじめは面食らうけれども徐々に納得させられてしまうような作品、その構造そのものを、私自身はかなり素直に受け取った。ブラックジョークのような雰囲気だ。

 しなやかな曲線を描く階段はどこか細長い貝殻の螺旋を連想させられ、そこから窓ごしに海を眺めつつ、1階部分に置かれたソファの光沢に眼を細めた。うねるバルコニーの縁も合わせて、本来は四角いものである部屋に別の動きが与えられている。

 2階の床を覆うのは黒い石。洋風の空間から一転、瀟洒な茶室を擁した和の空間が展開する。

 

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 興味深かったのは、この部屋には出入り口がふたつ存在していることだった。メゾネット構造の下層には12階の廊下へと続く扉、そして上層には14階の廊下へと続く扉。なんだか推理小説にでも出てきそうな仕様で、単純ながらも大喜びしてしまった。わくわくする。

 今回は展示の指示上、私達は必ず下の扉からスイートルームに入室し、上の扉から出ていく。文字通りにこの部屋自体が通過点になるのだ。終着点ではなく。

 出ていくとき、扉を閉めた瞬間にもう一つの扉から自分の影が追ってくるような気がする。うっかり12階の廊下に残してきてしまったかもしれないのだ。けれど、同時に私は知っている。仮に追ってくるのが私自身の影なら、おそらくこのスイートルームに入り込んだ時点で、外に出ようとはしないだろう。

 いつかまたニューアカオの建物に変化がもたらされる瞬間まで、飽かずつややかなソファに寝そべり、惰眠を貪っているに違いない。

 

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 そして、美しい緑の石の電話はいつまでも鳴らない。

 

 

 ……次の記事(4)に続く。

 

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