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彷徨する自由帖

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蜘蛛がだんだん大きくなる(ような気がする)/ 26歳の誕生日

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 2021年、今年も誕生日を迎えた。

 

 

 

 

 何かに没頭すること、またはその様子を指して、慣用的に「時間を忘れる」と表現する場合がある。

「集中していたら、いつの間にか時計の針が文字盤を半周していた。すっかり時間を忘れていたようだ」……のような具合に。

 けれどもしもほんとうに時間を忘れるなんてことができたら、それは実際、自分が外の世界から忘れ去られることとほとんど同義なのだ、と複雑な気分になって考えていたある日、部屋にちいさな蜘蛛が出た。

 ハンガーにかけた薄水色のバッグの上。たまに視界をちらつく、特に何の害にもならない静かな生き物であるのだが、その日以降、だんだんと体が大きくなっているような気がする。

 

 もちろん、私の錯覚にすぎない。

 

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 個人情報として、誕生日の日付はきちんと覚えていた。しかし、今年その日を迎えたら自分が何歳になるのかを、忘れていた。

 幼いころは誕生日といえば一大事だったけれど。随分と変わったものだ。

 

 現在の西暦から生まれた年を引くと「26」という数字が弾き出されて、改めて己の年齢を認識できたものの、あまり意味のない行為であった。それがたとえ24歳でも、30歳であったとしても、別に気にしていなかっただろう。

 現在、年齢が生活を大きく左右するような環境には身を置いていない。これは職種や趣味によって違ってくるのかもしれない。

 外部とのかかわりに関しても、老若男女の知り合いと交流する中では、いわゆる実年齢より内面の感覚がどのようなものかが重要になっている。

 何事においても、特定の年齢だからどうこう、という単純な話にはまずならないから。

 

 どうでもいいと言い放ってしまえば語弊が生まれる。それでも普段の生活の中で、すっかり失念してしまえるほど年齢の数字に関心を持っていないのは事実であり、どちらかというと「年を重ねるということはそもそも何なのか」について考えたいのかもしれない。

 私がそうやって色々な物事に思いを巡らせている間に、窓や扉の外では文字通りに日進月歩、把握しきれないほどの出来事が大小を問わず起こっているらしい。

 対してこの静かな部屋はさながら、人里離れたところに建つ古い家のようだった。ほんとうは住宅街のど真ん中にあるのにもかかわらず。外の世界と距離を置いている分だけ、きっと外の世界からも忘れられていて、蜘蛛の巣が張る。

 

 あるいは旅行を終えて家の外側から帰宅したとき、何も変わっていないはずなのに皮膚の感覚が変化の片鱗をとらえる瞬間、ちいさなかわいい蜘蛛が出る。やっぱり、最後に見たときよりも一回り、大きくなっているような気がするのだ。

 もちろんそれも私の単なる錯覚にすぎない。忘れられた時間を餌にして徐々に成長していく蜘蛛は、些細な空想でしかない。

 部屋にかけてある、細く白い糸で編まれたレースのボレロは、彼らの巣のようだった。

 

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 いつも寝起きの視界が白くにじむのはこれのせいかもしれない。赤でもなく、黒でもなく、白。

 美しい紋様だ、と思う。起きている人を眠りへと誘い、また瞼を閉じた後は、長く眠ったままの状態にとどめようとする意匠である。蜘蛛の巣に絡めとられた意識は浮上を拒絶する。

 その細い糸を全身から振り払うために、夢から醒めて何度もまばたきをするのだ。

 でも、起きたくは、ない。ずっと。

 

 どこまでも複雑に綾なされた編み目の隙間には、いつかの自分たちが巻き取られている。1歳の自分とか、6歳の自分とか、14歳の自分とか、重ねた年の数だけ。どれもが損なわれずに保存され、指先で触れれば、当時の出来事を鮮やかに蘇らせることができる。

 まるで昨日のことのように。

 そういえばこれも、時間感覚に関する慣用句だった。

 

 

 私の部屋には小さなかわいい蜘蛛が出る。巣を作る。

 家の、どこかに住んでいるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 自分への誕生日プレゼントにはこれを贈りました。数年前に設定した目標を達成できて嬉しいです。