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彷徨する自由帖

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方丈記、夏目漱石、テムズ川:都に暮らす

 

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 都に暮らす(2018年の記録)

 

   *

 

 寝台に横たわったまま耳を澄ました。雨の音も、風の音も聞こえない。それでいて休講日である。

 首だけを動かしてカーテンのわずかな隙間から外をうかがい、どうやらよく晴れているらしいと天候を把握した瞬間、嬉しさでにわかに働き出した心が身体に外出の支度を急がせた。部屋に座っていてもできる諸々は後回しにして、なにより先に太陽の光を浴びる必要がある、と有無をいわさず促してくる。

 しばらくイギリスに滞在して曇天に飽いた人間の多くは、快晴の日が訪れるたび、条件反射的にこうなってしまうらしい。周囲に尋ねれば、みんな口々にそう言う。

 

 当時はロンドンに渡ってから約1年と数ヵ月、そのフラットの一室を借りてから半年以上が経過していた。住民は私のほかに2人だ。とうにリタイアしたご年配の大家と、英国の政府機関に勤めている、30代前半の男性。

 自分の小さな部屋は、壁際に置かれたクローゼットの扉を開くと、わずかな空間が分断されて身動きが取れなくなるくらいに狭い。床面積に比例して採光窓も小さく、常に全体がうす暗い感じがする。だから夏場などは涼しくていい。そのわりにはセントラルヒーティング設備のおかげで冬もそれなりに温かく、不便や不快を感じる場面は少なかった。肝心な暖房のシステムに致命的な不具合が発生しない限りは。これに関しての話は、また別所ですることにしよう。

 水道光熱費、インターネット使用料含め、月におおよそ£450で借りている部屋。イギリスにいる間は、ここが書類に登録された住所であり私の家だ。けれど、実際にそうだという感じはほとんどしない。

 そもそも「家」というのは通常、かなり強い安心と安全とか、もっといえば侵されない居場所に等しい領域を提供してくれる存在とか、そういうものを暗に示している言葉ではなかったか。ここは、あくまでも仮の住まいでしかない。玄関から続く廊下、左に逸れて台所、壁を挟んだ洗面所……どこに立っていても、他人の家に上がり込んだ際に苛まれるよそよそしさは一向に抜けない。自分の家では、ないのだ。

 いまだに起床するたび、でこぼこして平滑さに欠ける淡い灰色の天井を視界に入れては驚く。コテか何かで表面を塗りこめて、そのままにしてある風の素朴な雰囲気の壁、あとは梁。全体的に部屋の輪郭が真っすぐではない。また、数日前に切れてしまった電球を替えたときは、その実家では馴染みのない形がなんとなく網膜に貼りついて、夜に消灯してからもしばらく瞼の裏から消えなかった。

 たまにあらわれる小さな黒い蜘蛛は、ここでの数少ないお友達。

 

 ともあれ、いま向かうのは外なのだ。

 玄関で古めかしく重たい鈍金色の鍵を回す。鍵穴か、あるいは扉の方が歪んでいるのか知らないが、開閉には少しばかりの力とコツが要る。ある日、何度試してもうまく回らなかったときなどは、すっかり立ち往生して冷や汗をかいたものだった。諦めず根気よく試していたらようやく開いた。

 その「家ではない家」を後にして、街路樹や手入れの行き届いた住宅街の生垣を横目に、20分程度歩き続けると地下鉄の駅に着く。改札の手前の道、定期的に振動する鉄道の高架下では、ボロの毛布にくるまり寝ている人たちを何人も見かけた。

 

   *

 

 地下鉄から降車後、押し出されるようにして上った細い階段の先から爽やかな青空がのぞき、やがて道路を行き交う車の音が耳に届く。暗がりから這い出て信号待ちをしていると、だいたい数十台に一台程度の割合で、ダブルデッカー(2階建て)の赤いバスが眼前を横切っていった。強く鮮明な色彩に再び目の覚めるような心地がする。

 確かにここはロンドンだ。

 セント・ポール大聖堂のドームを背後に前方へ進んで、しばらくすると巨大な生き物の脊椎じみた、針金細工を思わせる銀色のミレニアム・ブリッジに至る。その終着点の右手にあるのが近現代の作品を収蔵する美術館、テート・モダン。かつて稼働していたバンクサイド発電所の建物を改装し利用しているのが特徴で、四角く長い煙突は、対岸からでもよく目立つ。近代工業施設らしいレンガ積みの壁がまた魅力的なのだ。

 岸と岸を隔てるのはテムズ川の流れ。大きく蛇行しながら街を南北に二分しており、この地点の川幅は250メートルを超える。東京タワーの高さよりは短いが、思い切り小石を投げたとしても届かないくらいには遠い距離。

 私はそこで空と水とのあわいに立ち尽くした。いつも散歩に出たらそうするように。

 

 ゆく川の流れは絶えずして、 しかも、 もとの水にあらず。

 橋のたもとから眼下にテムズ川を認め、その一文を何度、広大な水面と脳裏に浮かべてみたかわからない。これが鎌倉時代に成立した鴨長明の作品で、日本三大随筆にも数えられている『方丈記』の書き出しであるということは、わざわざ説明するまでもなく明らかだ。文は、さらにこう続く。

 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

 なぜこの随筆を、日本からこんなにも遠く離れた西方の島国と結びつけられるのか。

 そう尋ねられれば、西暦1900年の9月、横浜港でプロイセン号に乗り、パリを経由して10月末にロンドンに降り立ったある人物のおかげだ、と答えるだろう。夏目漱石である。本名を夏目金之助といった彼は、1902年の冬までここにいた。

 33歳の折に国費留学を命じられた漱石は、東京帝国大学に在籍していた24歳のころ、英国人のディクソン教授からの依頼で『方丈記』を英訳していたのだった。まだ学生の時分に手掛けられたもので、一般のものとは異なる解釈や、誤訳と思われる箇所もいくつかあるが、いずれにせよ彼の軌跡を辿る貴重な資料のうちのひとつ。

 

 ミレニアム・ブリッジの中程まで進んで、高欄ごしにテムズ川を見てみる。

 水は定期的に橋脚にぶつかって裂けながら、休まずどうどうと、滔々と流れている。もっと遠くから眺めると表面は少しも動いていないようなのに。川は外観が穏やかでも、実際には非常に複雑な渦があちこちで発生しているのだと、過去になにかの本で読んだことがある。

 晴れの日は蒼穹の色を反射して青く仄黒く、雨の日か雨上がりには黄土色に濁った表情へと変わる、ロンドンにおける川の代名詞。漱石も、こんな風にテムズ川を視界いっぱいに収めて、かの『方丈記』の一節を胸に喚起したことがあっただろうか。もちろんあったかもしれないし、なかったかもしれない。想像するのは勝手だ。

 不意に名前の知らない鳥が、ドラム缶に似た浮きの上に止まって何事かを鳴いた。そばに係留されている曳船が波に身を任せて緩慢に揺れている。まるで平和に午睡を貪りながら、すやすやと寝息を立てているかのように。

 

   *

 

 長明は『方丈記』の中で、都市においては火災旋風や地震などの災害で家を失う危険ばかりでなく、巻き込まれて命も落とすおそれが常にあることや、人間同士のしがらみから逃れられない点を挙げて、きらびやかな都に住もうと躍起になり金銭を費やすのは実に無為だと述べている。

 注意しておきたいのは、だからといって田舎に居を構えさえすれば何もかも解決する、とは決して主張していないところ。

 結局どこに暮らしていても環境に応じた苦労の種は絶えないし、あまねく人間はそれに左右されてしまうものだと説いている。それを踏まえた上で長明は、60歳になってから京の郊外の日野山に庵を建設してそこに住んだ。掛け金つきの特別な建材を利用して、組み立てたり解体後に運搬したりするのを容易にした、興味深いプレハブ式の小屋に。

 

 都市災害の話に戻ると、ロンドンでもここに街が築かれて以降、数えきれないほど多くの被害に見舞われている。代表的な1091年に発生した大竜巻しかり、1666年の大火しかり。そのたび人々が苦労して建てた家のほとんどがあっというまに瓦礫の山と化した。建造物の密集する都市部では風により、火の元から周囲へとすぐに炎が燃え移る。

 加えて、それらに限らずとも暮らしにまつわる問題は尽きない。

 現在もそうだし、漱石の渡航した当時ですら東京に比べてロンドンの物価は高く、支給される金額ではとても足りないと文部省に報告書が送られている。近年では異様に上がり続ける家賃が容赦なく住民を苦しめていて、特に一般の留学生や独身者などは、街の中心部から離れた場所にある狭くてできるだけ安い部屋(他人と一緒に暮らすシェアフラットやシェアハウスの一室)を借り、限られた資金をやりくりするしかない。

 しかしながら人々がこぞってロンドンに住みたがるのは、やはりそれを補って余りある恩恵を感じているからなのだろう。まあ、なかには単に見栄を張るためだけにわざわざ都市暮らしをする人もいるが、それはそれで当人の生き方の自由としかいいようがない。

 私はこの街が好きだ。愛する物語の舞台になった場所、無料の美術館、博物館、いつもどこかで優れた展示物に触れられる環境もさることながら、それ以外の生活の面でも魅力があって。たとえままならないことの方が多くても、また英国政府の側が制度上、積極的に外国人留学生を歓迎していなくても、いましばらく首都ロンドンに滞在していたいと考える程度には愛着をもって暮らしている。

 

 それはおそらく、私が終始一貫して「よそ者」であることを許されている特殊な状況に起因するものなのだろう。

 ここは自分の生まれた国ではなく、もとより国籍や戸籍はない。さらに、永住権を得て完全にイギリスへ移り住んだわけでもなく、学校に通うために期限付きのビザを付与されているだけだ。もちろん選挙に参加する権利も持たない。あるのはパスポートに紐づけられた、失効時期が来たらあとを濁さず、さっさと飛んで自国に帰れ、という厳密な条件付きの査証だけで。

 だが、そんな立場であるからこそ感じられるものがある。もちろんその逆も。

 

   *

 

 身軽なのだ、とにかく。

 鴨長明は、方丈の庵に用いた建材の量を「車2台分」だったと表現している。一方、現地で部屋を借りるだけなので、新しく家を建てる必要などない私が、成田空港を発ってヒースロー空港に到着したとき抱えていた荷物はスーツケースひとつだった。それから調理器具など日用品を買い足して、帰国する際にはそれらをチャリティーショップへ譲渡するなどし、きれいに処分するつもりでいた。

 名実ともに異国。このロンドンの地において、真実の意味での「家」も、心の拠り所も自分は持てない。

 けれどそういう、安心できる場所を持たないことと引き換えに得た、かりそめの自由がある。

 

 よそ者にとっては、現地にいれば必ず発生するしがらみでさえも、興味深い経験と観察の対象になる。留学とまではいかずとも、その感覚を求めて国内外で旅行を楽しむ人の数は世界に少なくない。特定の土地に永住すれば向き合わなくてはならなくなる事柄を、旅行者や期限つきの滞在者は都合よく避けられる代わりに、深く根も張れない。いずれにしろ利点と欠点がある。

 どちらの方がより良いのかではなく、その気になればどちらかを己の意思で選べる環境に身を置けるのが、最も幸福なことだと思う。

 

 季節を通してうす暗い現在の仮住まい、古いフラットの小さな部屋を思い出す。

 それから周囲を見渡して、テムズ川の両岸に軒を連ねる建物と、セント・ポール大聖堂のドーム、少し離れた場所に建って天を貫く氷柱のようなビル「シャード」を瞳に映した。穏やかに吹く風は水の匂いを含んでいる。霧の深い日と比べると肌に触れる感触がぜんぜん違った。油断すると快哉を叫びたくなるほどに、真昼の空が晴れている。点々と浮かぶ白い雲はひつじの形をして。

 雑然とした都市部を歩いていて、突然大きな川のある場所に出ると、視界が一気に開けるので毎回うろたえてしまう。ほんの数本通りを挟めばたちまち路地が入り組んで、建物が視界を遮り、すべてを嘘のように隠してしまうから。

 何度も角を曲がって、明るいところから暗いところ、そしてまた頭上から陽の光が射す場所へと。ロンドンを頻繁に歩き回っているのにもかかわらず、一向にその目まぐるしい切り替わりには慣れない。

 常に、迷うようにして地上や地下をさまよっている。よそ者の軽い足取りで。

 

 橋を渡った先ではテート・モダンを見学し、それから大学のアトリエに寄った。用が済んだらまたこの都市の片隅、狭い土地に民家がぎゅうぎゅうと立ち並ぶ住宅街へ、私の借りている「家ではない家」へと帰る。

 そういえばあと何日かすると、フラットの下の階には新しい住民が来るようだった。

 

   *

 

 大都市に住む人々が毎日、毎時間、絶えず入れ替わり続けているように、川の水もけっして同じ場所にはとどまらず流れ続ける。

 ロンドン滞在中に何度か引っ越しをしていた夏目漱石も、きっと暮らしの中でその姿を、ときおりどこかの橋から見下ろしていたことだろう。彼のいた1900年代の頃から変わらない名前を冠し、地理的にも同じ場所に存在しているけれど、当時とはまるっきり違う水の流れているはずのテムズ川を。

 

 

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