毎日のように思い出す瞬間がある。
文字通りに毎日。いつどこにいても、何をしていても、その決定的な日のことが頭に浮かんでしばらく離れない。
今まではそれを誰かと語ることも、文字にして発信することも一切できず、自分の記憶の中で「最悪の状態」に分類されていた出来事だった。
要するにどんな状態かというと、その出来事の存在自体を精神が無意識のうちに消そうとして避け、心を凪いだままにしておくよう反応しているせいで、表向きには何も起こらなかった風に繕われているような。
しかしそんな覆いは偽装でしかないから、隙間から徐々に滲み出て、自分に色々な影響を及ぼしていたわけ。つらいのも当然。けれど、正面から向き合う勇気は最近になるまで持てなかった。
最近は少しずつ触れるようになったので、言葉にして動かしてみたい。
「あなたはこの世界に必要な人だと思う」と言われたことがある。
次の瞬間、思考も感覚もすべてが真っ白になった。
固く握りしめた拳……いや、そんなに生やさしいものじゃない。まるで鉄製のハンマーによって、薄く透明なガラスに覆われた時計の文字盤を、一息でたたき壊されたかのような衝撃だった。秒針が見事にひしゃげ、長針も短針も無残に折れた。
方々に飛び散ったガラスは今に至るまで拾えていない。
相手が自分に一体何を言っているのか、きちんと理解するまでに、驚くほどの時間を要したのを憶えている。
あなたはこの世界に必要な人だと思う。
それは地球上で、ある人間が他の人間に対して贈ることのできる、至高の賛辞。
最上級の言葉だ。それ以上のものは、ない。
幸運にも栄誉に浴した者として、私はその場で天にも昇るほどの気分に包まれ、全力で喜ぶべきだったのに、できなかった。みじめで最悪の惨憺たる心持ちでいた。いっそ生まれてこなければよかったと魂の底から念じたのは、人生を通してこの時が初めてだ。
なぜなら私はこの世界などというものではなく、ただ、目の前にいるその人に必要とされたかったから。
叶わなかったけれど。
当時は忘我の淵で、一滴の涙も出なかったと記憶している。
それ以来、網膜から飛び込んでくる景色はすっかり精彩を欠くようになった。
何を見ていてもどこかぼんやりとしている。毎日。言うまでもなく、視力に問題があるわけではない。これは精神的な問題だ。また、全身を慢性的な倦怠感が覆っている。抑うつの症状とも、他の体調不良の症状とも異なる、もっと根本的な原因から来るもの。
厭世としか表現しようがない。
私をほんとうの意味で価値ある存在と認識してくれるものが既になく、それゆえ私もこの世界を価値あるものだと捉えることはできなくなったと感じた。物心つく以前のようには、人生がよいものであるとは思えない。
考えてみれば昔は、漠然とでも信じられるものがあった。現在とは違って。
これから先も生き続けたとして、あの賛辞以上に尊く価値あるものを個人として受け取れる機会など、もう二度と訪れないだろうとの確かな諦念がある。
記憶の中に刻まれてしまった瞬間は、人生を貫いた一閃である。何よりも悲しかったけれど、あまりに美しかった。その前に跪きたいと自分に思わせるだけの価値があったのだ。耳ざわりのよい言葉を発するだけの、他の有象無象とは違って。
当時のことを少しでも考えるだけで、一気に周囲の時間を滞らせるような出来事がある。あまりにも鮮烈な。それが心に焼きつけられた、何にも代替不可能なものなら、一瞬は保存されて永遠へと変わる。強さも儚さも関係なく。
そういうものに出会った経験があるかないかで、目の前の相手と交わす言葉の文脈を共有できるかが、大きく変わってくるんだろう。
その永遠の実態は、仮に、客観的に見てどんなに素晴らしいものだったとしても、烙印や呪いに等しい。
一度でも知ってしまうと、それを凌駕する何かに出会えないかぎり、全てが色褪せて映るから。要するにいつかの一瞬が永遠となり、ずっと魂に取り憑いているということ。影のようにぴたりと寄り添って。
もう、人生における最上の瞬間に邂逅してしまったのだから、ある意味でそれは終わりだ。すごろくでいう「あがり」。前を見据えたとき指標となるはずの場所へすでに辿り着いてしまっている状況に似ている。
まあ、例えるならどちらかというと迷路の袋小路だろう。高い壁のおかげで、陽が傾くとにわかに視界が閉ざされる、暗く湿った場所だ。落ち着く感じがしないでもない。そこに留まるか人生を降りるかの二つが、提示された賢い選択肢だ。
けれど私は愚かだから、前に道がないならと来た道を戻って、今でもすべてを覆せる何かをずっと探している。
まだ「本当に美しいもの」を見つけられていないだけだ、って。
そうやって、もうこの世界にあるはずのないものを求めている。
おそらく自分は無意識に、この世界には光があると最後まで頑なに信じていたいのだ。一体どうしてなのだろう。理由が分からない。だけど、かつて間近で眺めていた光の片鱗をもう一度見たい。私自身に生きている価値も、存在する価値もないと理解してはいるけれど、どうしても諦められなくて。
これに出会うために何かをやってきたのかもしれない、と錯覚させてくれる存在、ほんとうに価値あるもの、まぎれもなく尊い存在に遭遇したい、ただそれだけ。
偽物や代替品ではだめなのだ。
こうして書き出してみると、背後を振り返ることは、行動を起こすのに非常に有効な手段だと感じる。
私は、無条件に前を向けと促す声にはいつだって警戒を怠らない。そこに内包されている、未来、現実、希望といった言葉の意味は、はたして自分の中の定義とどれほど重なるのだろう、と一度深く考えてみることが必要だから。
過去にしかないものも、あるわけ。その事実を認められない意見は、とても相手にできない。
今日も書きながら答えを考えている。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」