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彷徨する自由帖

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画面越しに眺めているだけの人を、まるで友達のように感じてしまう心理

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 いわゆるブログ記事でも、他のウェブ上の呟きでもなんでも構わない。

 

 書かれていること自体や、文面から滲み出る発信者の考えに惹かれたり共感したりして、あるいは単純に興味をそそられて、けっして短くはない期間その動向を追っている人というのが幾人もいる。有名であるか無名であるかにかかわらず。

 

 いつもの休憩時間や就寝前に、彼らの書くものに定期的に触れていると、やがてその存在を不思議なほど身近に感じられる瞬間が訪れる。得られる情報の量が現実以上に多いからだ。

 ある程度体裁の整った文章や独白に近い日記に加え、家族や友人にいちいち報告するまでもない類の些事だとか本音の一言だとかが、玉石混交に放り込まれていて。どこに行って何を食べ、どんなものを見たか、何を感じたのかなど、共有して楽しめる面白さがそこにはある。

 時折流れてくる意見にはもっともだと頷いてみたり、反対に自分の考えとはぜんぜん異なるな、と受け止めてみたり。

 

 なんだか本を読んでいる時の感覚と似ているけれど、書かれてから推敲や校正・校閲を何度も経ている書籍に比べて、ウェブ上に公開される文章や画像は(一部の例外を除いて)どちらかというと即席な印象がある。個人の運営するメディアならなおさら。

 本の著者や登場人物と自分が対話をしている気分になる時があるように、発信者と直接、画面越しに言葉を交わしているような感覚に陥ることも。

 

 ごく個人的に気を付けた方がいいと思ったのは、それは錯覚に過ぎないのだという自覚を、より強く持つ必要があることだった。

 もちろん一概にすべての要素が悪いとは言い切れないけれど、少し疲れているとすぐに失念してしまう。視界に飛び込んでくるものが、物理的・心理的双方の意味で、自分のすぐそばで展開されているわけではない事実を。

 画面越しによく見かける「だけ」のその人は、どう考えても私の友達ではないのだから。

 

 ふとした瞬間、実態を一切把握していない誰かを友達のように思ってしまう心理は不思議なものだ。相手が自分をきちんと認識しているかどうか、何らかの考えを持ってリアクションを返してきたのかすら確かめる術はないのに、なぜか自分の頭の中ではきれいに完結してしまう場合がある。

 単なる思い込みの関係性。

 文字通りの虚像。

 

 誰かとの関係は結局、一対一のやり取りを通してしか育まれなくて、声でも文章でもいいから実際に相手と交わした言葉や、会って視界に収めた挙動からしか何かを窺い知ることはできないんだと思う。

 私にはインターネット上の交流をきっかけにして知り合い、親しくしている人間がありがたいことに何人もいる。彼らと幸運にも友人になれたのは、ひとえに何度もコミュニケーションの場を設けて、最終的に気が合うと判断できたからだ。

 きちんと「意思の疎通」をし、言葉を交わしている。だから、その人が虚空に向かって投げた思考の片鱗や日記的な呟きに共感するだけで、勝手に仲良くなれるわけではない。

 

 当たり前のことなのに、たまに忘れてしまう。

 「いつも見ているから」「いつも読んでいるから」と、何も知らない誰かのことを少しは知った気になってしまう。


 思えば自分は、中学から大学にかけて美術の畑に首まで植わっていたこともあってか、「創作物を通して相手とかかわる」のが普通だった。人を知るのに、なんて明快で理に適った方法なのだと感心すらしていた。要するに、こういう作品を作る人なのだから気が合うかもしれない、という幻想にはいつも近い場所にいたのだ。

 でもそれが通用するのは、本当に限定的な範囲の世界の中だけ。

 

 この「よく言動や作品を目にする人のことを、勝手に自分の友達のように感じてしまう現象」、きちんと名前がついていたはずなんだけれど忘れてしまった。いずれにせよ、あまり良くないものであるのは確かだ。

 とにかく、何らかのやり取りという実績を積み上げないかぎり人と仲良くはなれない。

 間接的なものではなくて「相手に直接宛てた言葉」と「自分に直接向けられた言葉」から色々な判断をすることと、そこから見えてくるものに意識の大半を割くだけでいいし、本来はそれが当たり前のはずなのだけれど……。

 

 誰かと親しくなりたければ、単なる傍観者でいるのではなくて、きちんと礼儀にかなった接触を持つ。基本的にはそれしかないのだ。

 結果的に、もしかしたら噛み合わずに気まずくなったり疎遠になってしまったりするかもしれないが、コミュニケーションとはそういうもの。その場合は、もっとうまくやれば仲良くなれたかもしれない、の幻想にしがみつくのをやめて、相手とは合わなかった事実をきちんと受け入れる。

 頑なに意思の疎通を避けていては、それすら分からない。

 

 加えて、これはウェブ上の関係性に限った話ではなく、友達でもなければ恩師でもない誰かの言うことに逐一反応してたら疲れるし無駄、と昔の自分に教えてあげたい。

 ひとを無視するのって失礼でいけない事なんじゃないかとずっと思っていたけれど、考えてみたら全然そんなことはなくて。人生、自己同一性、精神的課題など、個人的な話題に言及・介入してくる権利はごく近しい存在にのみ与えればいい。

 それと社会的な意見の交換とは、まったく別物なのだから。

 

2023/08/29 追記:

 検索していたら「パラソーシャル相互作用」「パラソーシャル関係」という言葉を見つけた。

 まさにこれのことだ、今記事で言及しているのは。

 

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