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彷徨する自由帖

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エジプト・カイロ周辺旅行(5) ギザ平原の大ピラミッドと悠久の時を超えて佇むスフィンクス

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ギザの平原から市街地を望む

 

 続きです。

 前回の記事はこちら:

 

 いよいよ著名な三大ピラミッドと、スフィンクスのある平原へと歩を進めます。

 

参考サイト・書籍:

古代エジプト 失われた世界の解読(著・笈川 博一 / 講談社学術文庫)

早稲田大学エジプト学研究所(早稲田大学のサイト)

Egyptian Tourism Authority(エジプト観光局)

Ask Araddin(エジプト旅行情報サイト)

 

 

 

ギザ(Giza)の平原

 カイロからおよそ20キロ、ナイル川を挟んで西側に位置するネクロポリスが、今回の旅行で最後に訪れた都市ギザ(ギーザ)だ。古代エジプトの王族や神官たちが多く眠るこの場所は、今ではエジプトの代表的な観光地。

 遺跡の残る位置から少し離れた市街地に立っていても、近代的なビルの隙間からピラミッドが覗く様子に、月並みな言い方しか選べないがとてもわくわくしたのをはっきりと思い出せる。昔から訪れたいと願い、時には夢にまで見た遺跡が、自分の目の前にあった。

 遥か4000年以上もの時を超えて、風化に耐えながら、砂漠の平原に聳え立つ金字塔。眉唾な伝説から興味深い考古学的発見に至るまで、その石の集積からは、幾億もの物語が尽きることなく紡がれ続けている。その一端を覗いてみよう。

 

  • クフ王のピラミッドと太陽の船

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画面に収まらない巨大さ

 ギザにある三つのピラミッドの中で、最も巨大なのがクフ王のピラミッド。建てられたのが丘陵地の上である影響で、後述するカフラー王のピラミッドの方が一見すると高く見えるものの、実際にはこちらの方が数メートル上回っている。

 事前に本などを読んで抱いていた印象と比べて、その膝元に立ってみたときのスケールは想像以上に大きく感じられた。

 まず、積まれた石の一つ一つが自分の身体の何倍にもなるのだ。その数およそ130万個。石を運搬するのに採用された方法が何なのかについては諸説あるが、それがどのようなものであれ、ピラミッドの建設にかかった年月と労働者の苦労が偲ばれる。

 完成当時は146.5メートル程度あった、といわれる高さが現在137メートルになっているのは、15世紀にオスマン帝国の人間によって、頂上や表面の飾り石が持ち去られたからなのだそう。

 それでもなお、クフ王のピラミッドの存在感は全く損なわれていなかった。

 盛りあるものは衰退し、形あるものは必ず崩れるという世界の理に対して、聳え立つ四角錘は静かな反抗を表明しているようにも思える。不朽、そして永遠という概念は、古代エジプト人の死生観について考察する際になくてはならない要素のうちのひとつ。

 彼らは当時、「死」というものが生命、その存在の終焉であるとはみなさなかった。

 

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積まれた石

 1954年、クフ王のピラミッドの近辺で発見された物品の中に、太陽の船と呼ばれるものがある。正確にはその船を解体してできた木片やロープの数々で、接続部に記載されていた古代神官文字(ヒエラティック)を解読することで復元に成功し、今ではピラミッド横の博物館に収められているので一般人の見学が可能になった。

 固く閉ざされた石の下で盗掘に遭うこともなく、安らかに眠っていた船は、クフ王の埋葬に深く関わりがあったのではないかと推測されている。

 古代エジプト人にとって、日々の太陽の運行と、季節ごとに増減するナイル川が世界のほぼ全てを構成していたといっても過言ではない。特に、上下エジプト間の移動や物資の運搬に使われる船は書の記録や各種の儀式でも象徴的な役割を担う。

 亡くなった王の遺体を乗せて進むのも、来世での復活を目指して長い長い旅を行うのも、この船という乗り物の仕事だったのだ。

 死後の世界で王のは太陽神とともに船に乗り、現世の空と冥界を永久に巡り続けると考えられていた。

 そのため、墓には棺や他の副葬品と一緒に船のミニチュア模型が収められることが多く、時には壁画にもその姿が描かれている。私が太陽の船博物館で見た復元後の木片、大型の船の姿からは、彼らの祈りの断片のようなものを読み取らずにはいられなかった。

 カメラチケットを買っていないので写真はないが、ここにカイロの考古学博物館で鑑賞した小~中型の船(埋葬品)の写真を載せておく。

 

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人形の乗った船

 現在復元・展示されているもの(第一の船)に加えて、日本の早稲田大学が携わっている第二の船の発掘も進められている。

 そこから得られる情報を解析することで、また新しい情報の数々が得られるときが待ち遠しい。

 

第二の船の発掘:クフ王の第2の太陽の船|早稲田大学エジプト学研究所

 

 さて、今回はクフ王の大ピラミッドを外から眺めるだけではなく、その内部に実際に入ることができた。

 中で写真を撮ることはできないので、ここには図解だけを貼って説明してみる。

 

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Wikipediaより(パブリックドメインの画像)

 一般人が辿り着けるのは便宜上「王の間」と呼ばれている空間(図11)までだが、ピラミッドの入口から約25メートルほど進むと、未完の地下室へと続く通路の坂の一端(図3の位置)が少し垣間見える。

 正直かなり興奮した。一介の観光客である自分も、ここではまるで盗掘者になったような気分だ。実際、現在の訪問者たちが利用している入口(図2)は9世紀に、とあるカリフが宝物を求めてピラミッドの腹に明けた穴なのであながち間違いでもない。

 その地点から30メートル余りの距離は、腰を低くかがめた状態でずっと進まなくてはならない仕様だ。ひどく蒸す石の胃袋の中で、前の人に蹴られないよう、また後ろの人を蹴らないように注意深く坂道を這っていく。

 やがて大回廊(図9)にたどり着いた私達を待っているのは、先程までの狭苦しい通路とはうって変わった、10メートルもの高さの天井を持つ空間だった。三方向を黒くひんやりとした石壁に囲まれた、文字どおりの廊下である。

 

 

 

 

 上の動画はBBCによる360度ヴァーチャルツアーの映像になる。再生中に画面上でドラッグかスワイプをすると視点を変えられるので、試してみてほしい。

 回廊の突き当りにある王の間は閑散としており、ただ石棺らしきものだけがぽつりと横たわっていた。中には何もない。部屋全体は、ここから遠く離れたアスワンの地で産出される花崗岩を用いて作られており、天井に使われている9枚の石板はそれぞれが50トンにもなるという。この空間の上部にさらに設けられた層状の機構により、石材の重量で部屋がつぶれてしまうのを防いでいるのだそうだ。

 中にいた時はあまり考えなかったが、何らかの原因でピラミッドの崩壊に巻き込まれたら......と思うと震えが止まらない。

 このピラミッドの王の間に、実際にクフ王が葬られていたのかどうかはまだ不明瞭だ。彼が存命だった期間のことや治世の様子もあまり詳細が分かっていない。だが前回の記事で言及した、階段ピラミッドを建てたスネフェルから王位を継承したという説が今のところ有力になっている。

 そして、ギザ平原にある三大ピラミッドのうち、クフ王のものに次ぐ大きさを誇るのが、彼の息子(と考えられている)カフラー王のピラミッド。

 天辺に未だ残る白い飾り石から、遠目からでもすぐに外観で判別できるのが特徴だ。こちらは外から眺めるのみにとどまった。

 

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ラクダの後ろに見える

 彼のピラミッドは約136メートルの高さで、クフ王のものと同じく、入口が北側に面している。側には神殿や参道も併設され、ジェセル王の墓所で見たようなひとつの複合体が形成されていた。

 カフラーのピラミッドの内部に複雑な構造は無く、主に玄室のみのつくりとなっている。

 後述するスフィンクスもおそらく彼の時代に造られたのではないかと言われているが、まだ分からないことの方が多い。

 

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メンカウラー王のピラミッド

 

  • スフィンクス

 この生き物の名前を聞いて、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足......」というなぞなぞを思い浮かべる人の数はとても多いと思う。他でもない私もそのうちの一人だ。

 ギリシア神話に登場するこの生き物は女性の顔と胸、鳥の翼、獅子の四肢と蛇の尾を持つ怪物で、上記の問いに答えられない人間をぺろりと平らげてしまっていた。やがて、対峙した英雄オイディプスに見事謎を解かれ、怪物は谷から身を投げる――。

 そんなスフィンクスの物語だが、古代エジプトでの姿と扱いは、ギリシアのものとは大きく異なっている。

 

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大きな前足の聖獣

 エジプトにおけるスフィンクスは主に神殿や墓所に配置され、その姿はファラオの顔(時に山羊やヒツジの頭)と獅子の体躯を組み合わせた、王家の象徴もしくは守護となる神聖なシンボルだった。王名を刻むカルトゥーシュに加えて、特徴的なあごひげと頭巾(ネメスという)を伴っているものが多い。

 ギザの平原に佇む像の大きさは全長60メートル、高さ20メートルという巨大さで、死者の領域であるナイルの西岸から生者の街をじっと見据えている。これはピラミッドとは違い、この場所にもともとあった岩盤をくり抜き形を整えて作られた像だ。

 その性質から、かなり長い間砂の中に埋もれており、全体の様子が明らかになったのはつい最近のことである。

 風化が進んでいる部分とそうでない部分の差が激しいが、これはギザの地がかつて海に沈んでいたことから、地層によって性質が異なっているために起きている現象のよう。

 落ちてしまったあごひげの破片のひとつは現在大英博物館にて保存されている。

 

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考古学博物館のスフィンクス

 言い伝えによれば、第18王朝のトトメス4世がまだ王子だった頃に狩りへ赴き、埋没したスフィンクスの頭の陰でうたた寝をしていたのだという。

 彼はその夢の中でスフィンクスを通し、太陽神ラー・ホルアクティ(ホルス)のお告げを聴いた。いわく、押し寄せる砂でスフィンクスが埋もれ、窒息し苦しがっている。この砂を取り除いてほしい。さすれば、汝はこのエジプトを統べる王となるであろう――と。

 彼は言われたとおりに全ての砂を払った。そしてその二年後、神は彼の働きを評価したのか、トトメス4世として新しいファラオとなったらしい。ギザの大スフィンクスの前足、その間に設置された石碑にこの物語が刻まれている。

 現在、地下水脈や岩にしみ込んだ水分の関係で、スフィンクスの像は常に崩壊の可能性を孕んでいるという説明が現地であった。この姿を私たちが拝める期間もそう長くないかもしれない。情勢の安定しないエジプトの地で、何らかの紛争によって破壊されてしまうことも考えられる。

 気になるところには行けるときに行っておくに限る、との念が一層強くなった。

 

  • 食事

 ご飯の話だが、今回はピラミッド近くのレストランで鶏肉を食べた。

 

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三角錐型のライス

 右上に見える真っ赤な飲み物は苺ジュース。冷えていてとても美味だったのを覚えている。他にも、鶏肉の裏側に隠れていた羊肉の串焼きや新鮮な野菜、焼いた玉ねぎも猛暑を耐え抜いた体にしみわたる感じがしてありがたい。

 デザートには何が出てくるのだろうと首を長くして待っていたら、おもむろにバナナ一本(皮つきそのまま)が目の前に運ばれてきたので持ち帰り、ホテルの部屋に到着してから寝る前に頂いた。

 帰国後には階段ピラミッド付近の砂漠で採ってきた砂をお土産として配り、今回の旅行は終了です。

 ここまでお付き合いありがとうございました。また何か書いたら読んでやってくださいね。

 

エジプト旅行過去記事: