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彷徨する自由帖

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6年ぶりに絵を描き始めた2024年上半期

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 もう絵を描く機会などあるまい。

 全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。

 決して短い期間ではないと思う。これだけ離れていたのだから、私が再びまっさらな支持体(紙やキャンバスをこう呼ぶ)に向き合う瞬間など訪れない、という予感が真実だと「錯覚」する程度には長い。ある子供が小学校に入学してから、卒業して学舎を去るまでに等しい年数……。

 けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。

 つまりはまた、絵を描き始めたということだ。

 長らく使っていなかった筋肉をもう一度動かすように、かつて学んだが錆びついた言語を思い出しながらたどたどしく用いるように、ときおり右往左往しながら。それは、とても面白いことだった。本当はもっと前からこうしていたかったのだと、頭ではなく指先から理解した。

 苦しく、しかしそれよりも、楽しい。そう感じられることは幸運かつ幸福で、今のような心境に到達するには、いくつかの関門を通過する必要があった。と、振り返って思う。

 

少年でも少女でもない

 

 こうして再び筆をとることができた要因は、大きくふたつ。

 ひとつは、私は現在会社で勤務しており、毎月一定額の給与が支払われているため、衣食住の維持に創作意欲を減退させられていないこと。

 もうひとつは(これは上の要因とも直接関係してくるが)以前よりも失敗を恐れなくなり、完璧主義の悪しき側面から、せめて片足は出せているということ……。

 

 生活と絵があまりにも直結していた頃は、常に「何か良いものを生み出さないといけない」強迫観念に支配されていて、疲れていた。自分の描きたいものよりも一般に受け入れてもらえそうな題材を選んだり、期待に応えよう、と好かれそうな雰囲気を模索したりするのに、辟易していた気がする。

 つまりは趣味を仕事にするのにとことん向いていない、と自覚するのに時間がかかったのだ。

 仕事になると、生存のための行為になって、やがてやりたかったはずのあらゆる物事が義務に変わる。他の人はどうあれ、私はそれが駄目だった。

 今は仕事が別にあるので、趣味でどんなものを描いても、たとえそれが万人に忌避されようとも、生活の基盤は揺らがない。だから好きなものを好きなだけ、気楽に描ける。おいしいものを食べたり、好きな紅茶を飲んだりしながら。もちろん依頼主もいないので、途中でやめても誰にも迷惑がかからないのだ。

 なんて、素晴らしいんだろう。義務ではないという状態は。

 

 そして二つ目の理由。

「中途半端な完璧主義」で苦しんでいる点では以前の自分とさほど変わらないけれど、そこに上の状態が加味された結果、どれだけ失敗しても暮らしに影響がなくなり駄作を生むこと自体が全く恐ろしくなくなった。

 うまくできないと落ち込むけれど、言ってしまえばそれだけだ。上手でなければいけない、できるだけ認めてもらえるようなものを描かなければならない、という思いから脱却しているので、完成品の巧拙はさておきただ無心で過程を楽しめる。

 例えば紙をいじること、線を引き絵の具をいじること、画面に好きな色を広げることのわくわく。それらが潤沢にある。

 結果的に、一枚に割く時間が良い意味で減り、次の新しい一枚に取り掛かる頻度が上がった。思いついたものを何でも描いて、遊んでばかりいる。

 

水彩習作の石膏像

 

 こうしてあらゆる義務感から解放されているので、いわゆる「ファンアート」として好きになった作品に登場するキャラクターを描いたり、物語の一場面を自分なりに想像して形にしたりしていても、他のことをやらなければいけないのではないかという精神的な重圧がないのは新鮮だった。

 外部からの評価は全く関係ない。

 描きたいときに描きたいものを描く、幼稚園児のような自由な気分。

 とりわけファンアートはさながらイコンだ。ある意味では愚かに、元の作品の素晴らしさには到底及ばないと知りながらも、そうせずにはいられなくて偶像を生み出す。そして敬虔な気持ちで崇めるために、好きな登場人物たちを描き、自分の世界で愛でる。

 

 たとえ思うように描けない時期でも、それは自分の価値を一切、損なわない。仕事と収入があり、生活ができて、友人がおり、夢中になれる作品がある。これらはどんな駄作を生み出してしまっても失われない。だから失敗を忌避する必要がない。

 あるとするならば、どうしても理想を形にできないもどかしさと苦しみだけ。

 もっと描きたい、と思う衝動だけ。

 

「まほやく」の好きなキャラを描いたイラスト

 

 嬉しかったことといえば、この6年間、親しい人達から「もう絵は描かないの?」と一度も聞かれなかったことかもしれない。もちろん気を遣われていたはずだ。あれだけお絵描きが好きだった子なのに、大学を辞めてからは何か描いている様子が一切ないし、話題にもしない……。余計なことを聞いたら可哀想かもしれないと。

 でも、咎められなかった。再開してからも、特に大仰な反応をされなかった。高校で所属していたのが美術系のコースだったので、普段から創作活動をしている友人が多く、なんだか置いて行かれたような気分でいた日もあったけれど心配はいらなかった。

 今後も描きたくなったら描き、旅に出て、本を読んで、飽きたら休む、毎日はその繰り返しになるはず。良かった。もう絵は、私にとってただの手段ではなく、それ自体が大きな楽しみになったのだ……ようやく。もう、自分の価値を証明するためだけに、何かに依存しなくてもいい。

 絵に限らず、それこそが問題だったのだから。

 

 そんな心境で、怖くて見返せなかった学生時代の絵を引っ張り出してきた。

 眺めるほどに欠点だらけだけれど、当時よりもずっと、愛おしい。

 そう思えた。

 

昔の絵

 

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はてなブログ 今週のお題「上半期ふりかえり」