連日の強風と時折降る冷たい雨が、小指の爪ほどの花びらを樹から根こそぎにしていく。
上着の肩に張りついた一枚をつまんだら、遠い記憶に残るものよりずっとうすくて、柔らかかった。水にさらされず、日にも焼けていない肌に似ている。
これほど繊細な手触りで、いとも簡単に破けてしまう布があったらさぞ面白いだろう。あるいは花びらをできるだけ沢山集めて一着の服を作り、どこかの高貴な人へと差し出す、ただそのためだけに花はこうして散らされるのかもしれない。
ならば、風も雨も異界から来るのだ。
もう十数日を数えたら4月に入る。
芳春が過ぎ行くと、徐々に桜の枝先から萌す新しい青い芽。それは、この時期に見られる中でも「あまい」ものの筆頭である。
確かな光沢があるのに、どこかしっとりとした風貌。ごく細かい産毛でも生えているかのような表面。ある程度面積が増えると葉の表と裏でも質感、色が変化してくる。指で折り曲げてみても離せばすぐ元の形に戻る姿は、単純に伸びようとする意志を感じさせるから好ましい。
新芽を前にして「おいしそうだねぇ」と、いつか誰かに言われたことを思い出す。
その人は、幼虫たちがこの葉を好んで食む……と言った。どの虫の幼虫なのかは聞かなかった。彼らが繊毛よりもちいさな歯で若い芽を端からかじり、じっくりと味わい、飲み込む様子を事細かに説明されて、私は魅入られた。
何に? 想像上の緑のあまさに。
「虫さん」たちが咀嚼すると言われたものは、まるで世界で一番おいしいもののように思えた。
桜の新芽はどれほどあまいだろう。そのあまさは砂糖の甘さに非ず、噛むほど舌に沁みる樹の、半透明の血液が持つまろやかな滋味。葉をぷちりと噛み切るときに顎へと伝わる、わずかな抵抗。
不思議なことに、和菓子の落雁を連想させる練白とうす紅の花びらよりも、顔を出したばかりの葉の鮮やかな、頭上で陽を透かす浅い若草色こそが、仰ぐたび視覚から味覚の意識へと迫ってくる。
おいしそうだねぇ。
ええ、本当においしそうで。
でも、私が食んでも駄目なのだ。ちいさなちいさな歯と、樹の血を飲める喉を持つ、彼らでないと。人の身のまま新芽を摘んだところで、舌に感じられるのはきっと、何とも言えない渋みと苦みだけだろう。
ならお茶を飲みたい、と思った。人間でいる特権として。
緑のお茶がいい。あの雫は実に甘い。
たとえ最後に残った一滴であっても、細身の幼虫には、とても飲み干せる量ではあるまい。
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