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彷徨する自由帖

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生命に優先順位をつけるのは「愛」その差別的側面を浮き彫りにした社会契約制度|吟鳥子《きみを死なせないための物語》

 

 

 

 

「きょう すること なんにもない
 あしたも すること なんにもない
 誰もジジが必要じゃない

(中略)

 これは 死んでるのと
 どうちがうの」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第5巻 epi.22『The Cold Logistic Equations』より ジジの台詞)

 

 

 元日に漫画「きみを死なせないための物語(ストーリア)」を読んでいた。

 

 作者は吟鳥子氏で、作画協力は中澤泉汰氏、また宇宙考証協力に首都大学東京の佐原宏典氏が迎えられているSF作品。表面上の分類は少女漫画になる。

 秋田書店のサイトSouffleにて、2023年1月31日まで開催されているキャンペーンの一環で1~2巻の内容が無料公開されており、実際に読んでみてから全9巻の電子版を買った。

 それもあってか、冒頭から「電子化されていないご本は秘密のご本なの」という台詞を目にしてなんだか落ち着かなくなった。作中社会の設定では禁忌とされた、紙の書籍で買ってもよかったかもしれない。

 

 

 私は外見が若いのに長い時間を生きている不老長寿の存在と孤独論が大好きなので、場合によっては数百年も生きることがある人間の突然変異……ネオテニイ(幼形成熟)と呼ばれる新人類が登場するこの作品も、そのあたりの萌えをはじめに期待して手に取った。長命種の孤独萌え。好き。

 けれど実際に読んでみると「きみを死なせないための物語」の本当の面白さは、そことはわりと異なる場所にあったのが以外だった。

 宇宙から見た人類そのものの存在と、愛の概念、また関係の話を味わった。

 作中では、人と人との間にある関係に徹底した名付けを強制される社会が描かれたことで、そこから零れ落ちるものの顕在化が可能になり、時に歓喜し時に苦悩する作中人物たちを通して固定観念の解体が試みられている。

 

 地球にいられなくなった人類の宇宙居住施設「コクーン」。

 内部ではその特殊な環境、容積と資源の限られた閉鎖空間に多くの人間が暮らす点への対策から、一般市民は特殊な社会道徳を遵守することになっていた。とりわけ人間関係に適用されるルールは物語中でもかなり重要な要素で、例えばある者とパートナー契約を結んでいない者との、契約に含まれていない範囲での接触は禁忌だった。

 代表的なのは成長の段階に応じて作られる第一(キッズ)パートナー、第二(キッシング)パートナー、第三(サード)パートナー。それらの社会パートナーとはまた別に、生殖パートナー、またワーキング・パートナーやシティ・フレンドといった社会契約もある。とにかく何でもある。

 要するに、相互の同意のもとで「私はこの人とこのような関係を構築します」とあらかじめ定めて他者とかかわり、場合によってはふたたび同意のもと、契約を解消する……。

 

 子孫を残せるのは生殖パートナーと契約を結び申請を行って、ゲノムの審査後に許可が下りた者たちのみで、誰でもできるわけではない。なぜなら厳しく人口の管理を行わなければ、狭いコクーンはすぐに人間で溢れかえり、破綻してしまうから。

 ゆえに「生存に値する基準を満たさず、社会への貢献度が低い」と上層部から判断された者は「リストイン」され、次に生まれてくる生命へと席を譲り渡すための、安楽死の通知が行われる。

 そんな世界で生きる者たちの話が描かれるのだった。

 

 詳細なあらすじは色々なところに掲載されているので、割愛して感想の方を書こう。

 

 

※以下で作品の内容、登場人物や、物語の核心などに言及しています。

 

 

 

「それじゃ ターラは寿命の長さや
 肉体の欠点で 愛する人を替えるの
 そんなことで気持ちを変えられるの!?」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第1巻 epi.4より ルイの台詞)

 

 コクーン社会の一般常識では「愛」や「恋」が猥雑でいかがわしいものだとされている。

 この認識が幅を利かせる環境で育った主人公「アラタ」たち4人のネオテニイは、奇病のダフネー症を患った祇園という女性や、彼女と同じ症状に侵されている少女ジジとの出会いを経て、それまでとは違った課題に遭遇し、傷を負いながら思考する。

 読みながらずっと、作品のタイトルがぐるぐると頭の中を巡り、消えなかった。いったい誰が誰を死なせないための物語、なのかが。

 あらゆる登場人物が誰かを大切に思い、死なせたくないと思っている。そして、何かを特別に大切だと思う感情は「ある対象とそれ以外の生命に差異を見出し、優先順位に基づいて選別すること」に他ならないのだった。

 多くの人々がこの残酷な事実から目を逸らしている。

 

「…………かつて人類は……
 人間関係のもつれで殺人すら
 犯したと聞くわ…」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第1巻 epi.15『自己中心的な世界で愛を叫んだけだもの』より ターラの台詞)

 

 愛は残酷だ。

 人間も、それ以外の対象も、選ぶ。

 すなわち愛した対象を、明確に他と区別する。

 

 "私は、あなたが一番好き。

 つまり、私は『他の誰かよりもあなたが好き』だということ。

 だから私にとって『あなたの優先順位は、その他の存在よりも上』になる。

 あなたは特別なの。"

 

 深く何かを愛したとき、いとも簡単に行われる選別。個々の認識の中で、命は決して価値を等しくしない、残酷な事実。想像してみよう。有事の際、大抵の人間は真っ先に大切な人を助けるだろう。大切な人以外の人間よりも。

 この感情が差別的でなくて、何だろうか?

 そう問いかけられている気がする。

 さらに第7巻では、デリーコクーンの内部にあるタージ・マハルのモニュメントを前にした幼いアラタとターラが会話し、かつてあったムガル帝国の王の逸話を例に挙げ「不平等の権化としての愛」に言及する場面があった。

 

「他にも妃がいたのに
 王様はそのお妃だけを特別扱いしたんでしょ
 シャー・ジャハーンは そのあとも
 長男だけを溺『愛』して戦争になったりするし

(中略)

『愛』は本質的に不平等な感情で
 人類の平等をめざすなら
 じゃまなものだし」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第7巻 epi.34『Let sleeping dragons lie.』より アラタの台詞)

 

 とても面白い。これら「愛」という主題以外にも、印象的な問いは沢山投げかけられた。

 なかでも気になったのは「意味」という言葉や「価値」などの概念。ひとつの社会、ごく狭い共同体が定義するものから離れた、種としての人類を俯瞰する視点をもってしても(だからこそ?)そこから逃れることはできないのかもしれない。

 とある意味と価値の支配から逃れようとすると、結局のところ自由ではなく、また別の意味と価値の支配する領域に辿り着いてしまう。完全に枷を外すのが不可能だと理解して、しかし抗い続けるしかないのか……読んでいてそういう閉塞感がずっと残っていた。

 答えの存在しない問いであるからこそ。

 

 また、大きく感情を揺さぶられた場面のひとつに、ダフネー症のマリィとラリック教授との面会がある。

 ここは本当につらかった。あまりにも「キツい」と感じた。

 

「マリィね 先生といる時だけが
 生きてるって気がするの……
 先生といる時だけは
 生きててもいいんだって……
 マリィが生きてても怒られないんだなって
 そう思うの……」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第3巻 epi.13『愛は種のさだめ』より マリィの台詞)

 

 キャラクター萌え的な話をすると、アラタの叔父であり優秀な研究者だった倣麒麟(ファン・チーリン)博士、通称ジラフが非常に可愛いと思った。レオーネ・サヴィ教授、通称ライオンと彼との関係も味わい深くて大好き。

 彼らのなんでもない一日をまとめた分厚い本が欲しい、と念じたほんの一部が第9巻で叶えられたのは、かなり僥倖だったといえる。

 ちなみに第9巻は「番外編」の位置づけとなっているようだけれど、本編の一部として考え、そこまできちんと読んでから各キャラごとの視点でもう一度読み返すのが個人的には楽しかった。

 

 

※以下で第9巻の内容を踏まえた登場人物や、物語の核心、描写などに言及しています。
 ネタバレ等。

 

 

 

「……あの 猥雑な恋の記憶
 なぜこの社会が恋愛を猥雑としながらも
 必須システムとしてパートナー制度を導入したのか
 いまは理解しているような気がする」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第9巻 Extra.4『ここがキリンヤガなら、きみは』より キュヴィエのモノローグ)

 

 本多大地が嘘つきだと表現されているのを受けて、第1巻の時点からぼんやり彼へ抱いていた印象にすっかり納得してしまった。ほらっやっぱり「こういう奴」だったじゃん……っ!

 やたらと兄への距離が近いのはいったい何なのか、と思っていたら、第二パートナーとの接触に慣れすぎたか、やばい、などと番外編で述懐しており。この話には本物の生魚も登場し、人口抑制を目的にして普段の食事に生殖本能を抑える何かが混ぜられているのでは、と示唆される部分もあって、いろいろドキドキさせられた。

 もちろん、ふたりの触れ合いにもだ。

 大地の言葉に赤面したキュヴィエの表情と、ターラが顔を赤くした時の表情、とてもよく似ていた。血筋を感じた。

 

 あと、うまく言えないのだけれど、ネオテニイの始祖ソウイチロウに関しては「少女革命ウテナ」に登場する鳳暁生を強く想起させる部分があって、けれども彼が人類という種のくくりで「皆」を死なせないようにしている以上、性質はディオス寄りなのかもしれないと勝手に考えていた。

 ウテナをご存じない方には全然通じない例え話で申し訳ない……と思いつつ……。

 

「……生命がただ遺伝子の歴史の一片をあずかるだけの
 宇宙の大いなる変化のごく一片を一時的に
 管理するだけの存在なのだとしても

 俺は 愛してる」

 

(吟鳥子「きみを死なせないための物語」第9巻 Extra.5『明日も、今日もまた満ち足りた日を』より ソウイチロウの台詞)

 

 長命ゆえに短命の個人への執着を忌避するが、何かを愛さずにはいられない。だから人類という種そのものを溺愛している……ソウイチロウをそう表現したジラフの評を咀嚼する。

 決して愛がない心ではなく、むしろそれを抱ける心を持ってしまったから、苦しみもあるのだった。かつての妻、海果の面影を胸に抱き続け「人類ってのは卵子や精子のことじゃないって身に染みてわかる」彼だから。

 ここで最終話の夜が投げかけた「じゃあ きみの守りたい『人類』ってなに?」の問いが効いてくる。

 

 プロキシマ・ケンタウリへ向かうアラタたちは今、宇宙のどのあたりを航行しているのだろうか。