考えたことやいつか知ったことなど
1. 帰省というもの
高校時代にいわゆる満員電車で通学していた記憶はかなりの悪夢として若年期の記憶に刻まれており、その影響もあるのか、ラッシュという言葉(もちろん、入浴剤や化粧品を販売している会社の名前ではない)を聞くと反射的に神経の糸が張り詰める。糸が弦になり、なんともいえない不安を煽る感じの音が鳴る。
だから年末年始に「帰省ラッシュ」と世間の混雑状況が話題にのぼるとき、まっさきに考えるのはそれをいかにして回避するか、だった。だから縁遠い。
単純に駅でも空港でも、混んでいるところや混みそうなところには基本的に行かない。まぁ大きな楽しみとか……何らかの見返りがない限りは。
ちなみに大学退学後、意図せず不定休の会社に勤めることとなったため、土日祝に出勤するかわりに平日に外出する機会が多く、平日だと大抵の施設が空いているのですっかり人間の少ない場所で安心をおぼえる体質となってしまっている。
人ごみへの耐性が、もうあまりない。
そもそも、人はどうして休暇になると一斉に帰省をするのだろう。世間の人々の意見を調べていて、興味深く思った。まず、他人と予定を合わせるのに都合がいい時期だとか。
家族、血縁者の安否確認や、故郷で離れて暮らしている友人と久しぶりに会ったり、お墓参りをしたりと、その他にも色々な理由があって面白い。あとは単純に習慣になっている、というのもあるらしい。そう、習慣か。それは例えば、中秋節や十五夜を知らなくても、菓子を傍らにして同じ時期に空の丸い月を見上げるような行為と似ている気がした。
明確な理由などない、なんとなくだと言う人々も多いだろう。
おそらく年末の帰省に関しても。
昔、ロンドンの学生寮にいた時のことを思い出す。長期休暇でも帰省しない学生は、私の予想に反してそれなりの数がいたのだった。
特に遠方から来ていて航空券代を節約したい留学生とは違い、現地イギリス在住の人間は軒並み実家に帰るものだろうと最初は判断していた。なので、聖誕祭(クリスマス)にも残留する組に属するのは随分珍しい奴らだ、と思っていたけれど、だんだん人の気配が減っていく建物の中で各々自由に過ごしたり、たまになんとなく共用スペースに集まったりするのは楽しかった。
振り返ればパーティーなんかもしていた。
パーティーだって! あるいは帰省よりも自分と縁遠い、その響きに笑えてくる。これといって騒ぎもしない、各々が作れる自国の料理を披露して夜通し喋るだけの、ものすごく地味なやつ。あれは結構良かった。当時、その場にいなければ、生涯会話の機会もなかったであろう人間たちとどうでもいい話を沢山した。
とはいえ帰省する者の方が全体に占める割合としては多く、おかげで寮内にあまり人がいなくて幸運だったと感じた瞬間は、冬季休暇に入ってすぐ謎の風邪(病院に行かないので病名は知らないが、インフルエンザかそれに匹敵する症状)をキャッチしてしまいしばらく苦しんだとき。
他人にうつしてしまうのが申し訳ないからうかつに共用キッチンにも行けず、買い込んだ食料を少しずつ消費し、たまに真夜中にもぞもぞ起きて、卵スープを作るなどして食べていた。
同じフラットの住民たちがドアの外に色々置いてくれて、扉を開けた瞬間の印象がどこか「妖精の贈り物」みたいだな、としばしば思ったものだった。ブリテン島やアイルランド島には現代の、たとえ都市部であっても妖精たちがきちんと息づいているのだが、その話はいつかまたする。
2. 大晦日の挨拶
「良いお年を」。
または省略せず「良いお年をお迎えください」。
いずれも年の瀬、12月中旬以降になると頻繁に耳にする挨拶である。しかしこれらは年の瀬とはいっても大晦日、12月31日にのみ使わないものであるとは、会社に勤めるようになってから知った。幼い頃は気にしたこともなかった。
相手に対して「お迎えください」、と言う場合に想定されている「良いお年」とはすなわち新年、1月1日のこと。その準備とくれば通常30日中に整っているはずだとの考えから、31日に至っては言及を避け、単純に「来年もよろしくお願いします」とするのが無難であるらしかった。
正直なところ、聞いたときはいまいち腑に落ちないと思った。言葉の正しい用法には敏感でありたいと日頃から考えているけれど、これほど何かが引っかかると感じた説明も近頃あまりなく。
調べてもその「出典」に辿り着けないし。
それが一番の不安な要素であった。どこの誰がはじめに言い出したことやら、さっぱり分からない。
適切ではないとされているなら一応「良いお年をお迎えください」を大晦日に使うのは避けるが、これはもはや別の意味の挨拶として定着している気がする。
私も、私の周囲で使っていた人も多く、どちらかというと「大晦日と元旦の間の日付を跨ぐ」程度の意味で用いていたような言葉。
良いお年を……の背景にあるとされる要素はあまり人口に膾炙していない、あるいはもうほとんど忘れ去られているであろうことから、言葉の用法も今後変化していくのではないだろうか。
3. 年賀状の歴史
近代の遺産や文化に興味を持っているので、郵便制度と結びついた「年賀状」はこの季節になると無視できない。
とはいえ出さなければ、と焦る意味ではない。個人的に節目の挨拶を手紙で交わす習慣は素敵だと思うし、好きでもあるが、伝統である故に必須の礼儀であるなどと述べられれば戸惑う。年賀状は人間社会の歴史の中でもかなり新しく生まれた文化だ。
調べると、明治時代前半までその源流を辿ることができる。
地域差はあるが当時、例えば東京や大阪などでは年賀はがきを送る風習の前に「廻礼(かいれい)」といい、自分の住む家がある自治体でふさわしい服装に身を包み、1件ずつ挨拶回りをするしきたりが存在していた。
近代以降、形骸化した廻礼はもはや虚礼だとして廃止する機運が高まり、それに成り代わるようにして「年始状のはがき」や「年賀名刺」を各家庭に送る風習が生まれた(年始状、という言葉自体は江戸時代からあった)。
大蔵省印刷局(現在の国立印刷局)が明治18(1885)年1月より「種々の模様を附けて彩色せし年始郵便端書を発行すると云ふ」とした旨を時事新報が報じている。
これがおそらく、現在もある年賀はがきの源流。
年始状がかつての挨拶回りよりも増加して一般化し、年賀状郵便物と呼ばれるようになった頃、明治33(1900)年12月から東京郵便電信局はその特別扱いを開始すると宣言した。
私達が本格的に「年賀状」を交換するようになってからの期間は、わずか百数十年くらいのもの。
廻礼に続き、今では年賀状ももはや虚礼ではないか、と言われ始めて久しい。この次に生まれる新年の挨拶文化、風習がどのようになるのかは、未来を生きてみないと分からない。