冬毛のオコジョはまっ白で、しなやかで、あんなにも凛としていながら漆黒の深くつぶらな目とかわいらしい鼻を持っているのに、けっこう気性が荒くて凶暴なのが本当に好き。さっき改めてそう思った。
噛まれたり引っ掻かれたり、鋭い牙や爪で皮膚を破られたりしたら、ぎざぎざの傷口から赤く血が滲んで相当に痛いだろう。攻撃的なのだ。
しかも彼らは群れを作らない。ゆえに、孤高でもある。
あぁそんなのすばらしい。
正直かなり気分が高揚するし、そんな生態を知ってしまったらもうなりふり構わず、この世すべての恵みを捧げるみたいにして、全力で愛したくなる……。
愛さないけど。
人間にとって危険なもの、害をなすもの、また完全には扱えないものが視覚的に美しい姿をしていると、心の芯からゾクゾクしてしまう。
魅惑的な色彩と輝きを持つのに毒性の強い宝石しかり、伝承にあらわれる凶悪な魔物しかり。あるいは単純に、燃えさかる炎とか。
それが何らかの罠、いわば世界の側が私たちに対して仕掛けた、巧妙な策略のように感じられるからかもしれない。だって危険なものならもっとわかりやすく、側に寄ろうなんて絶対に思わないような、おどろおどろしく醜悪な姿をしていてほしい。でないと虜にされてしまうではないか。
彼らに手を伸ばしてはいけない、近付いてもいけない、だから実際に触れたい衝動に蓋をしなければ命がないのに、惹かれるのを止めることができない。
自分の世界にその存在が必要だと乞う。
まさに、恋とおんなじだ。
ひょんなことからマーセル・セローの小説「極北」を手に取って、低体温症に陥った人間がいったい何に苛まれ、どんな挙動に身をやつすのか気になって調べた。そういうものなのだろうと理解はしていたつもりだったが、実際、やはり目を覆いたくなるものであった。
症状の説明を読むに、高熱に浮かされているときとは反対の現象が起きるらしい。
つまり、身体は完全に冷え切っているはずなのに、脳がそれを錯覚して「暑い」と感じるのだという。
私は以前、高熱を出して何日も寝込んだ際の感覚を回想した。幾枚も毛布を重ね、肩まですっぽり被っているのに寒いのだ。とにかく寒くて仕方がなくて、小さく唸りながらガタガタ震えているのにもかかわらず、体温計に視線をやると40℃なんかを指している。
低体温症の場合はそれの、反対。氷の破片が刺さったような身体で幻の暑さに苛まれる。
もう想像するだけでも苦しそうで、嫌なもの。
一面の雪の野に放り出されたとしても都合よく感覚を失えず、結果的に美しくは死ねない事実。
それはなんだか、非常に残念なことのように思われた。
雪原は本当に綺麗。たとえ安全で暖かい堅牢な小屋の中にいても、ふと窓の外を眺めたら、ろくな装備も伴わず飛び出して果てまで行ってしまいたいという念が一瞬胸をよぎるくらいには。
あれほど恐ろしいのに人を惹きつける様相を見せるからいけない。しきりに誘惑されている、と感じる。
昔から、よく考えていた。雪に埋まって眠りにつくことを。疲れた足を永劫に休める場所として雪原を選ぶことを。なにしろ、かの雪の女王がおわすのはスヴァールバルのスピッツベルゲン島なのだから、私が憧憬を抱かない方がおかしいといえる。
けれどやっぱりそれは巧妙に仕掛けられた罠だった。
美しい姿に陥落してしまったが最後、綺麗には死ねない。そもそもいったい、何のために人間を罠にはめようとするのだろう。この世界は。向こうからすれば、こんな無数にいるうちの一人の葛藤すら、茶番以外の何にもならないのだろう。
だからかすかな喜びでゾクゾクするのかもしれないが。
今日も明日もどこかで、とても美しいのに危険な存在を目にするたび、世界が私達に対して何らかの策略を巡らせているのだと考えて、警戒し身構える。
それでその緊張を、奇妙にも、心地よく思う。