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純喫茶あぐり
駅の前にある喫茶店は、ときどき安心の象徴みたいに思える。
バスや電車が来るまでの暇つぶしに、あるいは不意に降ってくる雨の冷たさを避けるのに便利な場所というのは当然なのだが、もっと、それ以上の恩恵を与えてくれる「何か」が確実にあると感じずにはいられない。
内部に満ちている雰囲気によるものなのか、素朴なメニューに宿った力なのかは、わからないけれど。
静岡県、伊豆市の修善寺で営業している、純喫茶あぐり。
某所に向かう途中で立ち寄ったこのお店は、土産物を扱う宮内名産店の2階にあった。駅の南口を出て道路を渡ると、㈱寺山タクシーの乗り場、右横に佇んでいるのが見える。緑色のオーニングの廂。
細い階段を上がっていくときに気が付いた、まるで葡萄の房のような照明に目を奪われ、破顔した。よく観察すれば、電灯の粒の中にひとつだけ異なる形のものがある。きっと交換する際に全く同じものがなかったのだろう。角が丸い。
ドアを開けると、想像していた以上に魅力的で落ち着く空間が待っていた。
彩度を抑えた赤い革張りの椅子。どこかの山小屋のような木の壁、床、そして面積を大きめに取った窓。
外が曇っているのにもかかわらず明るく、冬でも内部は暖かかった。清潔でありながら少しの古さも感じさせるレトロな内装に嬉しくなる。さっき上がってきた、階段のある空間がガラス越しに眺められて、例の照明もすぐ近くから観察できるのが良い。
メニューの品数は多く、何十とある飲み物の中からどれを頼もうか、かなり迷った。
そしてなんとなくストロベリージュースを選択。
一口にフルーツジュースと言っても色々な種類があるけれど、これはミルキーなタイプだった。ストロベリー牛乳的な。机に運ばれてきたものを実際に飲んでみると、想像通りのなめらかさがあり、甘すぎず酸っぱすぎずで、氷の冷たさも相まってとても美味しい。
ちなみに注文してしばらくすると、厨房の方からガーッという音が聞こえてくる。この感じが好きだなぁと思った。ついさっきミキサーで作られたばかりの、新鮮なジュース。
実に喫茶店らしい良さ。
次に来る機会があればコーヒーや、セットにできるサンドイッチを頼んでみたい。もしもお腹が空いていたらカレーライスも気になるような。
橙色のお花の照明に照らされ、窓際のアロエに目を向けると、何か光るものが眼に入る。どういうわけか鉢の上にたくさんの1円玉や10円玉が置かれていた。
きっとお客さんによるものなのだろう。験担ぎか、それとも支払いの端数に困ったときに使う用なのか。謎は解けない。
あまり好きではない冬の雨も、喫茶店の窓越しにであれば結構楽しめる。
伊豆極楽苑
ところで、この修善寺までわざわざ足を延ばしたわけについてまだ書いていなかった。変わったスポットの好きな友達が、ある資料館を紹介してくれたのがその理由。
名前を「伊豆極楽苑」という。
外壁に地獄極楽めぐりと書かれている……。
修善寺駅前から、20分ほどバスに揺られて辿り着いた。
ここは一体どんな場所なのか。聞けば1986年から開館している施設らしく、仏教における地獄について解説してくれる場所……らしい。入館すると最初に、その世界観に関するレクチャーがある。
人間の魂が死後、7日ごとに7度の裁判を受ける49日の期間。
輪廻転生の際に枝分かれする六道。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、そして地獄道と罪の重さに応じて行き先が変わり、地獄に落ちた魂はそこでさまざまな責め苦を受ける。
極楽苑は手作りのジオラマによって、魂が「三途の川」を渡ってから、仮に地獄の最下層まで辿り着くとすれば、一体どんな光景を見ることになるのかが表現されているのだった。
とても丁寧に時間をかけて作られた、並々ならぬ熱意を感じる展示。
極楽苑のもとになったという参考文献「往生要集」も、最後の部屋で実際に触ることができる。もとの本が著されたのは985年だが、 極楽苑の蔵書の中で最も古いのは寛永17(1604)年の往生要集で、漢文で書かれたもの。
もうひとつ展示されているのは天保14(1843)年のもので、こちらは八田華堂金彦による挿絵がついていた。
他にも曲亭馬琴の「新塁解脱物語」に葛飾北斎の絵を加えた1807年の本などが参考資料として並べてある。
実際に自分の手で撫でたりめくったりしてみて、手すきの紙という素材の強靭さを実感する思いだった。興味のある方は極楽苑を訪れたらぜひ触ってみてほしい。
2022年2月現在、入館料は大人700円。ちなみに秘宝展というあやしい展示(男根を模した彫刻などが並んでいるやつ)もあって、そちらとのセット券は900円となっている。せっかくなので両方とも見ていくのが面白いのでは……。
私達は一連の展示物をそれなりに楽しんだ。
たまにジオラマの様子は変化するみたいなので、時間を置いてまた尋ねてみるのもきっと悪くない。