【注意】
※誤って毒性の強い花やその蜜を口にすると深刻な症状が出る場合があるので、絶対に真似をしないでください。
この記事は花の蜜を吸う行為を特に推奨するものではありません。ひとりの人間の、幼少期の思い出の話をしています。
昨年の12月末、横浜にあるホテルで美味しいものを食べていたとき、ある皿の上の料理に花が添えられていた。
上の写真だとわかりにくいのだが、下から1段目にも2段目にもちょこんと載っている。いかにもパンジーのような顔をしているけれどこれはビオラだろう。似ている両者を見分けるためには、花自体の大きさと、花弁の数を見ればよいのだとつい最近知った。
ポットの紅茶を何度もおかわりして時間が過ぎるにつれ、並んでいた料理は少しずつ減っていく。
フォークの描く軌道が最上段のブッシュドノエル、ケーキやマカロンに差し掛かるところで、まるで忘れられた風に皿を飾り続けている花に気が付いた。
友達に聞いてみる。
「お花も食べようよ」
そうしたら、おもしろがられた。
「これ、普通の花だよ。お砂糖菓子じゃないよ」
「多分エディブルフラワーだよね? 料理の飾りだし、食べても良いやつだって」
「花を……食べる……?」
「うん」
「怖……」
最終的にこれは食べられる花か、食べられない花かの意見は割れたままになったので、私が相手のぶんもすべて胃に収めることにした。文字通りにムシャムシャと食べ、紅茶で流し込んだ。
花弁の食感と味って妙に好きだ。なんだか、幼い頃を思い出す。
昔は花を食べる機会こそ無かったが、その蜜は幾度となく吸っていた。
人間でも花の蜜を吸えるのだと教えてくれたのは祖母だった気がする。
私は基本的にずっと預けられていて、たまにその後ろについて散歩に出掛けた。ちなみに、住んでいたのは「住所だけが都会」の結構な田舎である。かなり深い森があり、山があり、なんなら大きな池もあった。
はじめに覚えたのは確か、ツツジ。
彩度の高いマゼンタの花を萼から取って白い根元をさらすと、そこから蜜が吸えた。
ひとつの場所に沢山咲いてはいるのだが、当たりと外れの差が大きく、運が悪いとまったく甘さのない花を引いてしまって、とても残念に感じた。これが最も身近な花だった。
次に覚えたのは、サルビアだった気がする。
公立小学校の第2校舎の裏、用務員さんでさえも手をかけていなさそうな荒れ放題の花壇にいくつか生えていて、時期が来ると神楽鈴のように連なる、鮮やかな緋色の花を咲かせていた。
個人的にサルビアはかなり潤沢な量の蜜を花弁の内に抱いている印象で、なおかつツツジのように頻繁に吸える花ではないため、いつも楽しみに機を伺っていた。
赤く、そして甘い、粒と筒の中間の佇まい。
それから他に思い出せるのは、ホトケノザだろうか。
友達と広い野原(田舎だからこういう場所がある)で遊んでいてよく見かけた。その名の示す通り、仏像の蓮華座を彷彿とさせる葉の中心を、1本の茎が貫いている。うす紫の花が複数咲くのは上部の先端から。
引き抜いて根元に口を寄せると、舌がほんの微かな甘さを拾った。そもそもの量が少なかったので、吸うというよりかは舐めるように。
近所でご年配の夫婦が売っていた駄菓子よりもずっと儚い味だった。
昔は連れられて行った散歩の道中で、あるいは登下校中にお腹が空いて、数えきれないくらい花の蜜を吸った。
今はそうしようとは欠片も考えなくなったけれど、たまに食べられる花を口に入れると思い出す。あの種類の甘さを忘れるのはどうしてだか難しい。
ところで、友達と食事をした際に私が食べた花が「本当にただの飾り」だったのか、それとも料理と一緒に食べるのを想定して添えられていたのかどうかは、結局分からないままだった。
街の中で育った人に花や蜜を貪る話をすると、ちょっとおもしろい。
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写真の食事をしたのはここです。