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泰明小学校、数寄屋橋公園に隣接する校舎 - 近代建築|大正~昭和初期に建てられた「復興小学校」とは

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参考サイト・書籍

泰明小学校(公式サイト)

ふしぎ地名巡り(著・今尾恵介 / ちくま文庫)

建築デザインの解剖図鑑(著・スタジオワーク / エクスナレッジ)

 

 

 市街地を歩いていると、流れる水の音はなく、気配すら感じられないアスファルトの海上にも「橋」の文字を冠した地名が散見される。

 その多くは、かつて存在した河川を埋め立てて整備した痕跡。

 周囲を散策すれば橋のたもとを飾った親柱や、江戸時代の火事防止策に端を発する小公園(橋詰広場)、また付近には交番に稲荷神社などを発見することができ、江戸・東京という都市が「水路の街」とも呼ばれていた往時の様子が偲ばれる。

 銀座の数寄屋橋公園もそれらのうちの一つ。

 地図で上から眺めてみると、中央区立泰明小学校が公園の一角に食い込むようにして建っている。細長く片方の先端が丸い、特徴的な校舎の形が目を引いた。実際に現地へ足を運べばさらに興味深い印象は強くなる。

 

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 小学校正門(こちらはとても美しい佇まいだが撮影不可)のある、数寄屋通りに面した壁に連続して並ぶアーチ。植えられた植物がその輪郭に彩りを添えていた。

 泰明小学校は明治11年に設立された学校で、今の校舎は東京市の設計で昭和4年に建てられ、日本経産省の近代化産業遺産に指定されている。過去の卒業生には島崎藤村や金子光晴などがいた。

 そして「復興小学校」と呼ばれる建物の中でも、現在に至るまで実際に生徒が通う学校として使われている貴重な存在であった。

 復興小学校とは、大正12(1923)年に発生した関東大震災を受けて、その後の災害に備えられる仕様を採用し建てられた学校。具体的には鉄筋コンクリート造りであったり、壁を平均よりも厚くしてあったりと、耐震や防火に強い構造となっている。

 

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 東京市(現・東京都東部の15区)内の復興小学校は117校にのぼった。

 近代建築愛好者として見逃せないのは、復興小学校の多くに特徴的な建築様式がみられる部分。機能性を重視したものや、装飾性を重視したものなど多岐に渡っているが、泰明小学校は後者だ。表現主義的で、同じ中央区のものだと常盤小学校や明石小学校も類似の例として挙げられる。

 校舎の周囲を歩いて確認した、半円形に湾曲する壁面。

 そして、ところどころに見られる繰形(モールディング)やアーチ状の意匠。いずれも諸外国の建築様式を参考にしながら独自に発展しているおもしろいもので、近代建築でも明治期の擬洋風建築校舎とはまた異なり、眺めていて飽きなかった。

 段になっている多角形の柱は気になるし、校名の金属板を照らす照明器具にも風情がある。

 

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 今回は泰明小学校を訪問したくてわざわざ足を運んだけれど、何も知らず銀座を散策していて突然ここを通りかかったら驚いたと思う。大都市の真ん中に小学校、しかもこんなにモダンな印象を残す校舎があるなんて。

 東京大空襲をも乗り越えてこの地に根を張る丈夫な建物が、今後も長く利用され、また保存されて残ることを願う。

 

 

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