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彷徨する自由帖

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閉館後のホテルニューアカオを徘徊する体験(4) プール|熱海のアートイベント《ATAMI ART GRANT》のACAO会場

 

 

 

 

 壁をなめるように火の玉が飛んでいる。

 そう直感して意気揚々と近付いたら、ただの明かりだった。けれど心を惑わされたことには変わらない。金属製の花の萼に乗るふっくらとした白いガラス。

 インペリアルスイートルームの上層から退出した先、ホテルニューアカオ14階の廊下、やはり他に人間はいない。

 

 

 カパルア・プールに辿り着けばこの徘徊も、そして展示《Standing Ovation / 四肢の向かう先》も、じきに終わる。

 手元のパンフレットは既に3分の2を超えるページがめくられていた。

 

 前回の記事 ↑ の続きです。

 

目次(4):

 

客室(和室)

 これより前に足を踏み入れた和室(3077号室)とグレードは同じだが、幾分か広い面積を持つ1475号室。

 旅館に特有の広縁があり、まるで誰か二人が並んで海を眺めているように椅子が配置してあるものの、その正面はカーテンで覆われている。透明な彼らの後ろでは、前々回の記事でも言及した太田光海がまた別の映像作品を展開していた。

 部屋には明るいとも暗いともいえない光量が満ちている。

 

 

《縁々》と題された作品は、その漢字をどう読んでも構わないという。以下にそのキャプションから一部を引用する。

 

私は日本人であるが、熱海についてアマゾンの熱帯雨林よりも知らない。
それほど国境や文化に対する感覚が「バグって」しまっている私にとって、熱海で目撃したものは驚きの連続だった。見たこともない巨大なアロエ、見たこともないパーソナリティーを持つ岩石、見たこともない手捌きで行われるイノシシ猟。私は熱海、それもホテルニューアカオ周辺の極小世界で織りなされ、確かに存在している「縁々」について、カメラと自分の肉体を通してとらえようと試みた。

 

《Standing Ovation / 四肢の向かう先》パンフレット(2021)より

 

 彼はこの作品において、ここでは海から山を繋ぐように、あるいは貫くようにしてそびえるニューアカオからロイヤルウイングまでを歩くことにより、雨が土地に染み込み川となって河口に流れ着く……そんな一連のサイクルを疑似体験できると語る。

 

 

 作者の、「アカオの土地では自然物と人工物が凄まじい形で合流している」という言葉を実感として受け取りたければ、試しにニューアカオの建物の裏に回って、欄干からホテルに隣接する崖を覗いてみるといい。

 そこには上の写真のような光景が広がっている。

 なるほど、見方によってはかなり無理やりこの場所にホテルを建てたとも考えられるような形、その建築物が岩肌に食い込み半ば侵食するような形で存在していることを改めて認識すると、この展示で幾度となくエレベーター移動を経験した際の動きがさらに興味深いものになる。

 

カパルア・プール

 亀の甲羅を思わせる六角形の敷き詰められたパターン、クリームと臙脂のタイルの壁が、訪問者を階下へ導く。本当に亀ならばやはりここは竜宮城みたいなところに違いない。

 2階の通路から1階へ降り、窓の向こうの遠くから海の気配を感じると、改めて水平線すれすれの位置を歩いている己の身体に意識が向く。四方が鏡張りになった柱に姿が映り、どこかで私を混乱させるように置物の犬が鳴いた。

 

 

 通路の先ではまた現れた別の階段によってカパルア・プールのあるフロアへと導かれた。カパルアとは米国ハワイの一地区の名であり、そこに面した湾の名でもある。

 だがそもそも水着を持ってきていない。加えて、ゴーグルなしに私は水中で目を開けたくない。何の準備も整わないうちにプールへ赴けとパンフレットに指示される、さらにその先には「ゆっくりとお時間お過ごしください」なる一文まで添えられていて、参ってしまった。

 そんな自分の背中を後押ししたのは間違いなく、施錠された扉の向こうの看板だ。本日の営業は終了致しました。そう言い切る文字の並びに、今だけ己の存在は閉館後のホテルを彷徨い歩く、暇を持て余した幽霊なのだと定義しなおすことが可能になった。

 だからロッカーにしまうものは何もない。あるとすれば心臓くらいだ。

 

 

 室内ではメインダイニング錦で流れていたものとはまた違った種類の重低音が空間を支配していた。タイルが震え、プールの水槽では、もう張られていないはずの水が小刻みに揺れる。

 中央に配置されたスクリーンと点在する植木鉢、椅子、そして伸びるツタの配置は、渡邊慎二郎の作品《靡く植物》として展開されているもののようだ。説明によると、どうやら絶えず発されているサウンドは、大気のうねりの中で植物が発する音を可聴化した一種の音楽らしい。

 空気に関係する音なのだと知って意外に感じたのは、思考には既に、この場所が持つあまりにも強い水のイメージが入り込んできているから。ゴボゴボと沈む何かと対照的に浮かび上がる泡のような情景が。

 作者は人間の中にある植物性を引き出し、さらに植物との交信を通して人間本位の考え方から脱却し、「生き物になる」ことを目指している芸術家。この《靡く植物》も、彼が試みた植物との接触から生まれた。

 

 

 

 

 多湿になりやすいプールの空間は温室によく似ている。多種多様な植物のひしめく檻で、時には肩に葉を触れさせながら、花の香りにむせ、聞き取れない囁きに耳を傾けている際の感覚をここでも抱く。一部で露出した岩肌も大きな温室の設備にそっくりで。

 おもむろに手洗い場の鏡で自分の容姿を確認し、その容貌に驚く。まだ、人だった。

 天井のガラスに濾過されて降り注ぐ光はプール全体を包み込む。後で調べると、この施設はプールはプールでも温水専門であったと知り、名前の示すカパルアを空間内に再現しようとした意図を察することができた。

 ニューアカオ自体は、長い休業を挟みながらも今年の8月末まで営業していたのだが、カパルアプールに関してはそれより数年早い平成30年の9月に利用が停止されている。理由は施設の老朽化。

 

 

 閉ざされた疑似ハワイの浜で椅子に乗せられた植木鉢の植物は、映画館でじっと辛抱強く、銀幕に真剣な視線を向けている人物の姿と何ら変わりない。

 

ロビーより

 こうして最後のエレベーター搭乗を経て、一介の見学客(また展示の鑑賞者、同時に閉館後の建物への侵入者でもある)として徘徊を終えた私の足跡は、螺旋階段を経由して上階、そして紛れもなく現代の時間の流れる外界へと至る。

 途中、多田恋一郎の絵画《Sea》が鏡の横に展示されていた。絵の具の質感が特徴的なのでぜひ実物を見てほしい。

 

 

 ロビーの、何となく宇宙船を連想させる、角に丸みを帯びた枠にはめられた窓ガラス。このままニューアカオの建物が空ではなく、山でもなく、休みなく波の打ち寄せる海の方へ漕ぎ出していったらどんなにかわくわくすることだろう。

 建築物はそれ自体が動くわけではないが、そこに存在することで確かに「時間」という長い道程を旅してきているに等しい。歩き疲れたなら休むことも必要で、その間、しばらく人間が踏み入ってこなくなった空間を体内に抱きながら、奇妙な海や山の夢でも見ていてくれたらと思う。

 もしかしたら、一連の《Standing Ovation / 四肢の向かう先》の展示がその夢の体現なのかもしれなかった。

 さて、帰りはより注意深く周囲を眺めたり、小さな小屋の中を覗いてみたりするのも忘れずに。《ATAMI ART GRANT》の作品はまだところどころに隠されている。 

 

 

 ホテルとしての役割は終えたが、今後ニューアカオの建物が改修や再利用をされるのか、現在のような形で公開が続くのか、取り壊しになるのかはまだ分からない。

 今回の訪問の最後には、第一に「48年間、お疲れさまでした」の言葉を残された面影に捧げて。

 私はこれからも覚えておく。終戦から数年が経過した、1954(昭和29)年のこと。幼い頃に訪れた錦ヶ浦の海岸風景を長く胸に抱き、この熱海に、小さな2階建ての旅館を開業した人物がいたことを。

 そして創業当時は全12客室しかなかっ旅館を増築し、7年後にホテルとしての営業を開始、そしてついに思い出の錦ヶ浦の地を購入するに至り——1973(昭和48)年に満を持して、赤尾蔵之助が「ホテルニューアカオ」を誕生させたことを。

 

 

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