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彷徨する自由帖

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オーレ・ルゲイエ兄弟との戯れ

 

 

 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

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 いつしかむやみに抵抗するのをやめた。

 その柔らかい、見えざる空気の手のような、ふとした瞬間に眉間と側頭部を撫でまわしてくる強い眠気に対して。

 特に休みの日は少しも抗わない。ただ、従順に身を任せる。

 首筋にそっと睡魔の息が吹きかけられると、食べたいもの、読みたい本、他にも余暇にしたかったこと、それらの全てを優先順位の一段下に押しやって、ピラミッドの頂上に「眠り」を据える。

 嫌々、ではなく、そうしたいから進んでそうする。

 ずいぶんと眠ることが好きになった。

 

 

 これが10年前であれば、私はもっと「起きていたい」と思っていたはずだ。目を覚ましていたいと。高校に入学して初めての秋を迎えた頃、寝ている暇なんて一時たりともない、と、突き動かされるようにして生き急ぎ毎日を過ごしていた頃。

 そもそも昔から眠ることが好きではなかった。子供にとっては、睡眠ほど退屈なこともなかったから。目を開いて視界に入れたいものが他に無限にあったのだ。

 起きて(生きて)いることはとても面白かった。

 けれど今はどうだろう。

 当時は理解することのできなかった、眠りのほんとうの価値。ある程度の年月を費やしたことで、それをようやく明確に認識できるようになった……気も、する。

 この世界において、穏やかな睡眠以上に素晴らしいものの数は、考えていた以上に少ないのだという事実について。

 

 

 そんなことを思っていると、いつも脳裏にちらつく影がある。

 私はそれの正体が何なのか、果たして「どちら」なのか、見極めようとしている。

 

 

 壁に床。

 布団と枕。

 あるいは、長椅子。

 状況に応じてどこでもいいから頭を預けてみて、次に眼球がまぶたに覆われれば、立派な装いをした人物の影が見えた。男性で、身にまとう服は何とも言えない不思議な色を帯び、眠気とともに音も立てずにやってくる。

 彼は——

 いつも両手に一本ずつ、こうもり傘を持っている「兄」の方だろうか?

 それとも、天鵞絨のマントを羽織って馬に乗っている「弟」の方?

 どんどん鈍く、昏くなっていく意識で問いかけるが、判断はできないのが常だ。見分けのつかないままに、深く沈みゆく感覚のなかでその影と戯れる。とても起き上がりたいなどとは望めないほど心地の良い時間。

 彼が兄の方でも、弟の方でも変わらず、眠りの底に辿り着きさえすれば、現実世界の何よりずっと面白いおはなしを私に聞かせてくれるのだと知っている。

 

 

 彼ら兄弟の名前は「オーレ・ルゲイエ」という。二人とも同じ名前を持っている。

 デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが著した短編のひとつ(リンク先は青空文庫)に登場する存在で、この物語に出会ってからというもの、本のなかだけでなく自分の頭のなかにも棲みつくようになった。

 オーレ・ルゲイエの兄は眠りの精で、私が眠くなると姿をあらわすのだ。

 まだ高校生だった10年前なら、鬱陶しくて仕方がなかっただろうその存在を、今なら快く受け入れられる。眠りたくないなんて欠片も思わない。好きなだけ、眠りたい。

 

 

 睡眠には安息がある。

 覚醒した状態で意識をはっきり持っていると考える、地球規模の解決しない問題や、会ったこともない誰かの苦しみ、また、自分だけが不当な方法で幸福を享受しているのではないか——という強迫観念、そして過去や未来の悲しい出来事が無限に心を悩ませる地獄から、ある程度は遠ざかることができる。

 眠っていると。

 そう、眠ってさえいれば。

 

 

 もしかしたら私の見ている影はオーレ・ルゲイエの兄ではなく、弟なのかもしれない。眠りの精である兄の方によく似ていて、今日もどこかの誰かの元を訪れているその姿を、寝ながら、遠くからぼんやりと幻視しているだけなのかもしれない。

 オーレ・ルゲイエの弟は、誰のところにも一生に一度しかやってこないのだ。

 人々からは死神、と呼ばれている。

「死」と「眠り」の本質が非常に似通っていることを描いたアンデルセンの着眼点に納得すると同時に、自分自身が遠回しに求めている事柄が一体何なのかへと、思いを巡らせずにはいられない。

 眠りの安息を渇望するときに、この意識は、現実のあらゆる苦しみからの解放を願ってはいないだろうか、と。

 

 

 想像する。

 コトンと音を立てて丸い箱に入れられた私の脳に、目のごく細かな純銀の網でふるわれた、白い粉が振りかけられている。それは、眠りの精であるオーレ・ルゲイエの兄の普段使う甘いミルクが、雪のように姿を変えたもの。

 これが眼に入ると人がたちまち眠くなってしまう代物を、脳に直接まぶしている。そんな光景。

 白いふわふわはどんどん積もっていく。頭はもう働けない。しびれるような陶酔をともなう睡眠へ、刻一刻と導かれて、全ての活動が停止する。これでもう、苦悩も苦痛も感じなくなった。だがめでたし、めでたし、と寿ぐにはまだ早い。

 今度は死神であるオーレ・ルゲイエの弟が、脳をそっと持ち上げて、彼の馬の上に乗せる。実をいうと人はそこで、二種類存在するうちの、どちらかのおはなしを聞かされることになるのだ。

 良い行いを沢山してきた人は、この上なく美しく面白いおはなしを。

 悪い行いを沢山してきた人は、この上なく恐ろしくて、ぞっとするようなおはなしを。

 

 さて、私が聞くことになるのは果たしてどちらだろうか。

 基準が明確にはわからないので、最終的な判断は死神に委ねるほかない。

 

 

 

 10年前に比べて眠ることがだいぶ好きになった。

 けれど、空想趣味だけはまったく健在のままで、きっとこれからも変わることはないような気がする。