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彷徨する自由帖

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丘をふたつ越えて鉄道駅まで

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はてなブログ 今週のお題「今月の目標」

 

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牛もてくてくと丘を越えるか

 

 一歩ずつ坂を上りながら、まるで深皿の底にあるような場所だな、と思う。普段自分の暮らしているところは。

 まあまあ高さのある丘に、四方を囲まれている。

 外へ出るにはそれを越えなくてはならない。

 

 

 丘のてっぺん、皿のふちに立って内側を見下ろすと、ちょうど町の中心に位置する地点で幅の広い道路が交差しているのが見えて、かつてどんな風に人々が集い生活を始めたのかを自然と考えさせられた。

 往来の多いその道路の歴史は古い。

 街道が血管となり、人間や荷物を運んで、交わる点が色々なものの拠点となる。そう、この平凡で小さな町も、一応は宿場として数十年前ならばもっと栄えていた。

 道路沿いの建物のつくりや店の並び方を観察してみるとよく分かる。

 

 むかし最初にこの土地を訪れた誰かは、何を決め手にしてここに住もうと決めたのだろう。

 ぐるりと丘に囲まれて、外から守られているようにも思える場所に。

 

 

 先日からなんとなく、仕事のある日はバスを使わないで、徒歩で最寄り駅まで向かうことにしている。

 片道約1時間。

 そもそもバスの本数が少なかったので、出勤に間に合う便を拾おうとするとかなり早く準備をしなければならず、歩くようになった今と起床時間はあまり変わらない。

 

 継続できるのかわりと不安だったけれど、とりあえず今月中は特別な理由がないかぎりこれの習慣化を目標として、無理がなければ来月も継続してみようとゆるく考えている。

 もとより強制ではなく、勝手に思い立って始めたことだ。

 実のところ以前より外出する頻度が減り、運動不足の度合いが著しかったのが主な動機のひとつ。旅行や散策に行けないとなると、結局、おとなしく家で本を読むよりほかになかったから。

 

 

 前述したとおり、私の住んでいる町は四方を丘に囲まれている地形で、場所によってはかなり坂の傾斜がきついところが何カ所かある。

 鉄道駅まで行くには大きな丘と小さな丘、ふたつを越える必要があるのだが、そのせいかバスの利用客が多く、歩道を歩いている人間をあまり見かけない。

 実際に徒歩で通勤してみるとかなり脚を使う感覚が残るので、疲れやすかったり、足腰を痛めやすかったりする人には特に向かないのだろう。

 

 坂からの眺めはとても目に心地よく、猛暑の夏でなければ風も涼しくて気持ちのいい道だと思っていたから、散歩やジョギングをしている人の少なさを以前から疑問に思っていた。

 それにはきちんと理由があったようだ。

 単純に、坂道が過酷だという。

 

 

 駅まで歩くようになって、私はやはり、一人でいるときは黙々と歩くのが好きな性質だと自覚する。どこか癒されるのだと表現しても大きな間違いはないが、それだけというわけでもない。

 家にいるのと、外で軽く体を動かしているのとでは、思考の際の頭の働き方がわずかに変化する感じがある。これらを交互にやっていたいと思う。

 落ち着いて心の中を整理する時間が設けられるからか、バスで通勤していた頃よりも、書いてみたいことや書けそうなことが増えた。

 

 そうして到着した駅から電車に乗り、会社の最寄りに到着するまでの15分足らずを使って、車内で本を読んでいる。

 今まではバスと電車の双方でずっと文字を追っていたため、通勤時の読書量はほんの少しだけ減るが、それで困ることなど別にない。仕事でも義務でもない娯楽だ。

 飽きるまでは、この生活を続けてみるつもりでいる。

 

 歩いて丘を越え、町の外に行き、また帰ってくるだけで、はるばる小旅行か行商でもしてきたような気分になれるのは得な感じがした。

 きっと坂のある地形がそう思わせてくれているのだろう。