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彷徨する自由帖

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緑色の袖の君に焦がれて - 電話の保留音 グリーンスリーヴス

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 勤務中、一日に一度は必ず、言い知れぬ切なさと正体不明の愛情で心をきつく締め付けられる羽目になる。自分には全く関係のない時代、関係のない場所の風景、そして関係のない「はず」の、誰かの姿がぼんやり浮かんで。

 これもすべて、ある歌のせいだ。

 緑色の袖の君。

 

 

 電話の保留音のメロディーは、想像以上に耳に残りやすい。

 元の楽曲を構成する中から選ばれた一定のフレーズの繰り返し。単純に平坦なようでいて、実は奇妙な味わい深さも兼ね備えた、郷愁を誘う電子音もその一因なのかもしれない。

 今の会社で働くようになり、各種連絡や取材で電話をよく使うようになってから、いくつかの印象的な曲が——既に曲名を知っている耳慣れたものであっても、受話器からだとずいぶん異なるように聞こえる音が——私の日常に新しく刻まれた。

 

 そんな保留音によく使われる(と、最近知ったのだが)グリーンスリーヴスという歌がある。英語の綴りは "Greensleeves" で、そのまま「緑の袖(そで)」を意味している。

 これはイギリス、特にイングランドの地方が発祥だと言われている民謡だ。

 面白いことに、私は現地にいたときよりも、日本に帰って来てから聴く機会がぐっと増えた。電話が保留になると頻繁に流れてくるため、出社する日であれば必ず一度は触れることになるが故に。

 

 伝統的な民謡の例に漏れず、グリーンスリーヴスの歌詞やメロディーにはいくつかのパターンがあって、その意味の解釈も多岐にわたる。だが旋律に関しては細部こそ違えど、保留音になっているのが最も代表的なもののはずだ。

 これがまた、非常に癖になる……。奇妙な中毒性があるともいえる。

 そして、歌詞に関しては以下が一般的なものになる。

 

Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you so long,
Delighting in your company.

 

Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.

 

 かつては側にいて深く愛した女性が、あるとき己の好意を無下にし、残酷にも離れていってしまったことを嘆くような気持ちが歌われている。それ以外にも深読みの余地が多くある、興味深い詩だ。

 

 ちなみにBlackmore’s Night(ブラックモアズ・ナイト)というフォークロックのアーティストがグリーンスリーヴスをアレンジして歌っているので、よかったら聞いてみてほしい。個人的にこのバージョンはとても好き。

 あぁ、あの特徴的な曲だ、と納得する人も多いはず。

 

 

 

 問題は、これが電話の保留音に使われていることで、自分にどんな影響がもたらされるのか、だ。

 

 電話口の「しばらくお待ちください~」の言葉を境にして、唐突に流れてくる平たい電子音。

 前奏も何もなく、Alas, my love...... に相当する部分から曲は始まる。もちろん保留音に歌声は収録されていないが、私は歌詞を知っているので、餌としてメロディーを与えられると頭の方が勝手にそれを再生してしまうのである。

 左耳に当てた受話器から、自分の周囲に展開しているオフィスの風景がどんどん遠ざかっていく。デスクもパソコンも観葉植物も、はるか彼方に消えて。

 代わりに浮かぶのは、歌詞の中で、それはもう愛おしそうに誰かが歌う "My lady greensleeves"(緑の袖の君)のこと。

 

 この民謡が成立した正確な年代は明らかになっていないが、17世紀の頃にはイギリスで良く知られるものとなっていたそうで、ならば歌の彼らは今から400年ほど前に生きていた二人なのだろうかと推測することができる。

 まあ、本当はもっと古いのかもしれないし、そもそもの題材だってひょっとしたら何かの風刺か比喩で、現在ひろく受け入れられている解釈とは全く違っていたのかもしれないが。これは空想だから。

 

 かつて「私」と「グリーンスリーヴス」が共に過ごした時間を思う。その明るさや湿度、色彩、それから柔らかさを。

 交わした言葉、触れた温もり、あらゆるものが過去のものとなってしまった。追憶の中だけに残る影。そのひとを己の魂とも呼び、一緒にいるだけで幸せだったと語る様子を間近で見ているようで、こちらまで胸が苦しくなってくる。

 緑の布地、翠の芝生、碧の小川。

 そのうちに自分まで「緑の袖の誰か」に焦がれているような気分になってきて、錯覚がにわかに現実味を帯びる。あるのは圧倒的な切なさと寂しさ。通常、会社のオフィスの一室で抱くような状況など、とても考えられない感情ばかり。

 

 手が滑りそうになり、はっとして握りなおした受話器からはまだ、石柱に這う蔦のように絡みつく旋律が流れている。

 あるいは電話を切って、受話器を耳から離してもなお。