chinorandom

彷徨する自由帖

MENU

「誰かそこにいますか?」

 

f:id:chinohirose:20210605155822p:plain

 

 

 私の声が聞こえる?

 

 いったい何を言っているのか、分かる?

 

 

 そう虚空に向かって尋ねている。もしも誰かがそこにいるなら、正しくこの言葉を受け取ってくれたのならば、どうか答えてほしい。

 いつも、同じ思いでいる。

 

 

 おそらく接触する人間の9割には「こいつが何を言っているのかも、何を言いたいのかもぜんぜん分からない」と思われているだろう。けっしてあからさまではなくても、相手から言外にそう示されればきちんと伝わってくるし、その実感は年齢を重ねるごとにますます顕著になる。

 私の方でも、あ、目の前のこれとは波長が合わないな、と判断した際に意識を切り替える作業にすっかり慣れてしまった。

 社会に属する利点を享受しておきながら、まともに「人畜無害」の皮もかぶれないほど愚かではない。一応は、きちんと綺麗にできる。たまにボロが出るだけで。

 

 それでも死ぬまでに、地球上に70億以上いる人間のうちのひとりくらいは、私の存在に目を留めてくれたら。いくらでも変えられる外殻ではなく、魂とも呼べる精神の核から共鳴することができたら。そんな、偽物ではない真実の邂逅があったらいい、と考えながら過ごしている。

 発した言葉が、本当の意味で誰かに届いたら嬉しい。

 もちろん、いろいろと試みた後はすべて運次第。結局届かなくても仕方ないのだけれど。

 

 虚空に信号を飛ばし続けると意外な時に反応が返ってくるのが面白くて、まぎれもない救いで、だから何か書いたものを公開して置いておくんだと思う。

 反対に、誰かがいつか発したものを受け止める喜びがあるから、手当たり次第、むやみやたらに人の著作や日記なんかを読んでしまう。まるで、不意に暗闇に射した光を貪るようにして。

 いずれにせよ私は、私の言語が通じる存在を探している。

 

 地上に地下、水中や天上、次元を問わず、この人になら私の言語が通じると感じられる存在に出会えたら、本当に幸福なことだ。至上の喜びだと想像する。たとえ、それが外野の人間からすれば、単なる錯覚にしか見えないのだとしても。

 

 ふだん本を読んでいて、よく似た感覚を持つときがある。

 

 そこでいてもたってもいられず「きちんと聞こえました、届きました」と伝えたくても、著者はまず自分に近い場所にはいないし、そもそも同じ時代にすら存在していない場合が多い。

 だから、彼らが遺したものに触れ、手紙の返事を綴るように自分も何かを遺しておくのは、宛先もないのに行う無謀で無意味な通信みたいなものだ。あるいは、遠吠え。

 ごくまれに、かすかな声の片鱗がまったく関係のない誰かの鼓膜を震わせたり、特に震わせなかったりする。

 

 思い浮かべるのは小さな宇宙船。

 その内部から、きちんと受信されているのかも、返信があるのかすらも分からないのに、特定の信号を虚空に向かって打ち続けること。同時に丸い窓から外の観測をする。永劫の静寂と沈黙のなかで起きて、一連の作業をして、また眠るのを繰り返す。

 

 そういった行為はたぶん、本来は人間のすることではないのだと思う。行うことで、どんどん人の形成する世界の枠から離れていく感じがするから。

 けれど続けられるうちはやめたくない。いつか眺めた彗星のような輝きに、また、どこかで出会えるような気がする。たとえ気がするだけでも、私にとっては大きな意味がある。

 

 ときおり投げかけられる「一体どんな意味があるの? どうしてそれをするの?」に対しては、仮にそう思われるのであればあなたには関係ないのです、の一言を用意すれば十分に事足りる。探しているのは別の人間や別のものだから。

 自分は今まで、これに出会うためにこそ何かをやってきたのかもしれない、と錯覚させてくれる存在。上辺の性質が私と似ていようがいまいが関係ない。ただ、波長さえ合えば。

 本物に会いたい。

 

 

 私の声が聞こえる?

 いったい何を言っているのか、分かる?

 そう虚空に向かって尋ねている。

 

 

 もしも誰かがそこにいるなら、正しくこの言葉を受け取ってくれたのならば、どうか答えてほしい、と願って。

 もうほとんどの感情が死んでいるはずなのに、どうしてだか泣きたいような気分になって。