胸に強烈なノスタルジアを喚起するものとして、各種ソーダ水とか、駄菓子屋によく置いてあった四角いくだものグミとか、そういった色とりどりの飲み物やお菓子が挙げられる。
まず目を引くのは彼らの外見だろう。
思い浮かべるのは、よく喫茶店のガラス棚の隅っこに置いてある、メロンソーダのサンプル。
はっとするほど明るいのに不思議な深みを持つ緑色が、その柔らかく透けた感じが、プラスチック製の玩具や子供向けのアクセサリーにあしらわれた模造石にそっくりで。重厚さとは無縁の軽やかな印象が視界に飛び込んでくる。
そう、模造石じみている姿と、在り方そのものだ。私が惹かれるのは。
石英に似た、細かな氷の集積にシロップを垂らす食べ物、かき氷。
イチゴ味と本物のイチゴの味はぜんぜん違う。メロン味と本物のメロンの味も空と海ほど違うし、みぞれ、だって言わずもがな。ブルーハワイなどは色と地名が組み合わされただけの名称で、味に至っては完全に空想の産物だ。なんと製造会社によって、ラムネの風味であったり、桃の風味であったりもするらしい。
何ともでたらめ。でも、このおかしさが良い。
儚さと、奇妙な図々しさ。
たまに、シロップの味はどれも同じだと主張する人がいるけれど、決してそんなことはない。偽物のほうも偽物なりに、きちんと名称に応じたアイデンティティーを持っている。注意深く食べ比べてみるとわかるだろう。
メロン味のシロップはまったくメロンの味ではないが、確実にイチゴ味のシロップとは異なる。
……しかしこんなことを言っている私も、駄菓子屋で見かけるあの「ミックス餅」(明光製菓)や「フルーツの森」(共親製菓)などの味をそれぞれ区別できる自身は、正直ない。
たとえば、目隠しをされたままでパイナップル味とチェリー味の欠片を交互に口に運ばれたら、たぶん間違える。
だって、そもそも小さいんだもの。
そういえば幼いころ、家にいた人間がよくゼリーやシャーベットを作ってくれたのを憶えている。
用意した液を型に流し込み、冷蔵庫で冷やし固める過程は理科の実験のようで楽しかったが、それ以上に早く胃袋へ入れたい気持ちが大きかったため常にジリジリしていた。おやつが欲しくて何度も台所へ侵入しては、冷蔵庫の前を、映画に出てくるゾンビよろしく緩慢に彷徨って。
今も昔も私は落ち着きがない。
その際に使われていたのが、ハウス食品から発売されている「ゼリエース」と「シャービック」という商品。知っている人も多いのではないだろうか。
いろいろ種類があって、カラフルなパッケージにはかき氷のシロップと同じように「メロン味」とか「イチゴ味」などの記載がある。
ここで注目したいのが、パッケージの下部に小さく書かれた文字だ。
漢字三文字で、無果汁、とある。
上で名前を挙げた駄菓子のフルーツの森も、このゼリエースやシャービックも、特定の果物をイメージした味付けと色味になっているにもかかわらず、実際の果汁は一滴たりとも含まれていない。まさに、模造品なのだ。
私はそれを意識するほどにもっとこれらの存在が好きになるし、だんだん興奮すらしてくる。人工的なフルーツの味と色とを口に入れる至福は筆舌に尽くしがたい。
どこか玩具みたいな食べ物が、この心をにわかに存在しなかったはずの過去へと連れて行く感覚。
愛おしい、あまりに強烈なまがい物のノスタルジア。
ある日、気になっていた映画のため足を運んだTOHOシネマズで、これまたすばらしいものを見つけた。
鮮やかな七色に彩られたチュロス。商品名を、レインボーチュリトスというらしい。
完成されていると思った。クレヨンの胴を切って繋げたみたいな、明らかに昨今の写真映えを意識した安っぽい見た目も、それぞれの味のセレクトも。定番の青いソーダ味や黄色のレモン味のほか、特に白い部分がバニラ味というのは、類似の食べ物のなかではけっこう珍しい気がする。
ああ、気になるな……。
チケットを片手に開場ぎりぎりまで逡巡したが、その時は買うのをやめておいた。口に入れたら結局すぐに本当の味が分かってしまうのがつまらない。画像を眺めながら、あれこれと想像をめぐらす時間がいちばん楽しいのだ。
これは、一体どんな「根も葉もない郷愁」を私の胸にもたらしてくれるだろう、と。