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彷徨する自由帖

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旧新橋ステンション(国鉄汐留駅)跡の再建駅舎と遺構 - 鉄道歴史博物館

 

 

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参考サイト・書籍:

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(公式サイト)

明治日本散策 東京・日光(著:エミール・ギメ / 訳:岡村嘉子 / 角川ソフィア文庫)

明治生まれの日本語(著:飛田良文 / 角川ソフィア文庫)

蒸気機関車 カラーブックス152(著:広田尚敬 / 保育社)

 

 著名なところでは、三代目歌川広重や小林清親。そして、他にも同じ明治を生きた多くの浮世絵師たちが残した、旧新橋停車場のようす。

 新橋停車場は明治5(1872)年に開業し、1914(大正3年)に東京駅が開業した折、汐留駅と改称することになった。

 その跡地に立てられている駅舎は、紙面上に描かれた鮮やかな外観を大いに参考にして、2003(平成15)年に再建されたものだ。今は小規模な鉄道歴史博物館となっており、内部の写真撮影はできないが、興味深い遺構や出土した品々が見られるようになっている。

 

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 文明開化の象徴のひとつであった蒸気機関車(SL)。

 かつては陸蒸気(おかじょうき)とも称されていたこの乗り物が、貨物や旅客を乗せたり降ろしたりする場所は、実は当初から「駅」という風に呼ばれていたわけではない。

 鉄道館、鉄道寮、ステーション(ステンション)、それから停車場など。

 外来語であるstationやrailroadという言葉を翻訳し、あるいは既存の日本語をどうにかその概念に当てはめて最適な表現を探りつつ、明治37年から使われた尋常小学校の教科書「イエスシ読本」にようやく「駅」の名が登場するに至る。

 それ以前のというのは、もっぱら「宿場」の意味で用いられていた語だった。

 

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 現在の新橋駅か、汐留駅か、どちらでもいい。そこからこの旧ステーションまで歩いてみる。脳裏には、浮世絵などに描かれた当時の風景を浮かべながら。

 高速道路に高層ビル群、劇場と、かつては存在しなかった大きな建物に囲まれて、以前はそこに汽車の停車場があったのだ、と示すためだけに建っている碑としての建物を前にすれば、森の中で古い神社でも見つけたかのような気分になった。

 休日でもお昼時でもないオフィス街は、周辺のカフェもレストランも人間の気配に乏しい。

 すでに駅ではなくなり随分と静かになったこの場所だが、明治5年9月12日、開業式が行われた際の賑わいは、文字通りにお祭りのようだったのだろう。広重の画や、日本を旅行したフランス人実業家エミール・ギメの紀行文に、その一端が描写されている。

 

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 開業式の目玉は、なんといっても明治天皇自らが横浜から汽車に乗り、東京の皇居へ帰還するという催しだった。主に海沿いの線路を走る車体に揺られ、窓からの景色を視界に収めて、彼はいったいどんなことを考えていただろうか。

 再現されたプラットフォームを眺めていると、その場にいたわけでもないのに、往時の空気を感じられるような気分になれるのは不思議だ。

 説明によれば、そこは盛土式石積みという、石垣のように組んだ切石の中に土を詰める工法で作られたのだそう。

 

 

 

 掲示してあった白黒写真と、再現された駅舎玄関を見比べる。

 正面から伸びる車寄せの屋根がないことが大きな違いだが、それ以外はそっくり。窓のファンライトの感じや、中央の平屋で連結された洋風二階建ての棟も、石積み風の角の意匠も。

 当時の外壁に使われていたのは、今はもう産出されていない、伊豆斑石(いずまだらいし)という石材だったらしい。

 もとの設計を手掛けたのは、英国系アメリカ人のリチャード・ブリジェンス

 

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 当時のまま残されている石段に目をやれば否応なしに胸が高鳴る。これを、今までどれほどの数の人々が踏んでいったのだろう。汽車に乗るため、見送りをするため、そして単純に駅舎を見るため……。

 一口に移動といっても、それが旅行なのか仕事なのか、また法事といった用なのかどうかで、乗客の装備も表情も千差万別になる。けれど、機械である列車の方はそんなことに頓着などしない。ただ、人や貨物を運ぶだけだ。時間通りに。

 大正3年になると、東京駅の開業にともなって新橋からの旅客の扱いは停止された。再開されたのは昭和60年の頃。

 

 もう一度再現駅舎の裏手に回って、最後に創業時の線路と、0哩(ゼロマイル)標識を写真に収めて帰る。

 

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 レールは双頭レールで、19世紀に英国のダーリントンで製造された鋼鉄のもの。なんだか枕木を押さえている金具が鼻ひげのような形状でおもしろい。

 その先端にある0哩標識は、明治3年に測量の起点として打ち込まれた一本の杭だ。金属の光沢を放つゼロ、の楕円が眼のようで、しかもそれが杭の四面それぞれに付いているものだから、さながら小さな監視塔だった。

 もう実際の蒸気機関車がここを走行することはないが、その軌跡を辿り、文明開化期の東京に思いを馳せる際の起点として、きっと旧新橋停車場跡の鉄道歴史博物館はふさわしい。

 

 

 

 最近では、大正時代を舞台にした漫画およびアニメーション作品「鬼滅の刃」のエピソードのうち、無限列車編が劇場版として上映されていた。

 作中の時代は明治から幾分か進んでいるものの、当時の駅舎の雰囲気や列車自体の構造などを考える際、各種資料を調べるのとあわせて再現駅舎に立ち寄ってみれば、少なからず理解の補助になると思う。

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蒸気機関車 カラーブックス152(著:広田尚敬 / 保育社)より

 登場する「無限列車」に外観が似ているとされる8620形の蒸気機関車、通称「ハチロク」は急行用機関車で、明治の末にドイツから輸入した8800形(シュワルツコッフ製)を参考にして作られたものだった。

 先輪が一軸式である理由には、線路に勾配や曲線が多く、車体が小さな方が適していたこと、そして性能のよい一軸先台車が開発されたことなどが挙げられる。

 大正3年から15年間にわたって、全部で687両ものハチロクが製造されるに至った。現在ではJR九州が実際に運転できる状態でこれを保存しており、2020年11月には鬼滅の刃とのコラボレーションイベントも行われていたようす。

 

 ちなみに私は同作品の読者として、原作漫画の最終回を無事に見届けられた。これをきっかけに、文明開化期のおもしろさが詰まった明治大正期に興味を持つ人たちが少し増えたら嬉しいと思ったり、思わなかったりしている。