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彷徨する自由帖

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定期的に過去を清算したくなる理由

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 きっと「あの頃の経験のおかげで今がある」みたいな、汚れた安っぽい文脈へと、自己の存在が吸収されていくのに耐えられないからだ。

 

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 定期的に人間関係をリセットする癖。あるいは「人間関係リセット症候群」……とでも表現するべきか。

 今までかかわりのあった人達との連絡手段をとつぜん絶ったり、次の移動先を告げずに所属していた組織を去ったりして、その都度違う場所でまったく新しい関係性を築こうとする性質のことだ。

 意図的にそうした覚えはあまりないのだが、振り返れば結果的にそうなっていたな、と気が付く瞬間がたまにある。

 おそらくその理由は、昔のみにくい思い出と決別したいから、なのだろう。

 

 つまり……他ならぬ自分自身の「過去から卒業すること」を事あるごとに願っているから、そういう行為をする。

 こんな風に表現してみると結構分かりやすいのではないだろうか。

 

 初めにことわっておきたいのだが、仮に過去の人間関係を清算したからといって、その当時交流を持っていた人たちをみんな嫌いになったというわけでは別にない。いや、むしろ逆だ。素敵な楽しい人たちだったからこそ、これ以上一緒に過ごすことで彼らの時間を汚したくないと思うから、離れる。

 どちらかというと、問題は相手の方ではなく自分の側にある。

 

 過去にしでかしたことは無かったことにできず、一度犯してしまった過ちも決して償えない、という事実は、人として生きる上での大きな重圧だ。

 たとえば、何か問題を起こされて迷惑をこうむった側は、被害の程度によっては謝罪を受け入れて相手をゆるすだろう。ただしそれは気持ちの上での問題であって、確かに何かをされた過去は絶対に消えない。地球上のすべての人間の記憶から出来事が消え去っても、それがかつて「あった」という事実だけは変えられない。

 個人的な失敗に関してもまったく同じことがいえる。一人でいても誰かといても、完璧な人間にはなれない以上、必ずどこかで何かを間違える。取り返しのつくものならまだいいが、それでも周囲に未熟な自分の姿や行為を覚えられているのは苦痛でしかない。

 そして、それらは既存の人間関係を持続させるかぎり延々と終わらず、幻影としてつきまとってくる。

 これが実に厄介なのだ。

 

 仲のよい誰かの前で失敗をしたとする。特に深刻でも重大でもないのだが、自分の心には確実に羞恥が刻まれたとしよう。その失敗の光景は、ちょうど一緒にいた「誰か」の顔を見るたびに、鮮明に蘇る。どこかですれ違ったときも、単純に会話をしたり連絡を取ったりしているときも。

 やがて潮時が訪れる。これ以上嫌な記憶を呼び起こしたくないから、対象の人間との距離を置く。

 そうすると過去が遠ざかり、自分はまた同じ過ちを繰り返さないように気を付けて、成長した状態で誰かと接することができる。まさに、昔の未熟だった自分からの卒業、とういうわけ。

 私にとって人間関係のリセットは、上のような動機で行われる行為にほかならない。

 

 人生の中でとてもつらい状況を経験する期間があり、仮にそこから抜け出すことができたとしても、当時のことを知っている人間が目の前に出現するとまたつらい思い出が胸に満ちる。彼らと変わらず接しようとすると、以前の自分の姿が亡霊のように浮かぶ。

 だからかつては存在した関係を綺麗に切ることで、何かを学ぶ前の、汚れていた私自身との縁もすっぱりと切りたいのだ。

 駄目だった頃の姿を、今も知られたままでいたくないから。

 憶えられていたくない。

 

 ……とはいえ、散々いろいろな失敗や目も当てられない振る舞いを目撃されてきたのに、どういうわけか付き合いを続けられている友人も決して少なくないのが不思議だ。

 彼らに対してはもう、こんなにも駄目な自分だけれど、これからも頑張るのでどうか受け入れてほしいと願う気持ちの方が大きいのかもしれない。そっと引いた一線の内側にいる人たち、というか。限られた領域の中なら、ゆるされている実感と安心が存在している気がする。

 そこを踏み越えた先の外界では、また常に「きちんとした自分」でいなければならないのだから。

 無様な姿を晒してしまったらしっかり掃除と清算をして、枷となる周囲との関係の痕跡を消し、今よりも価値のなかった過去の自分を闇に葬る。失敗から学んだ事柄だけを手に持って、未熟な状態から卒業する。

 

 そうしてふたたび安心できる線の内側に戻ってきて、もう一度大切なものをおずおずと積み上げ始めるのだ。恐ろしい世界と社会の片隅でほんのわずか、信頼できるものに囲まれた、聖域のような場所で。

 

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はてなブログ 今週のお題「〇〇からの卒業」