参考サイト・資料:
明治生まれの日本語(著・飛田 良文 / 角川ソフィア文庫)
TIME&SPACE|スマホや通信に関する情報(KDDIのサイト)
下町風俗資料館|明治~昭和の下町の資料を展示(公式サイト)
および、上の館内で配布されている解説紙
伝声
売り言葉に買い言葉、勢い余って「家」を飛び出すことなど頻繁にある。それ自体は別に珍しくも何ともないし、大抵の場合しばらくすれば原因すら忘れてしまうものだが、今回は内容が内容なだけに簡単にはいかなかった。
そういう心のまま「こちら側」に来るのは決して良くないと分かっていても、ただ行き場のない強い思いが、自分をはるかな川のはて……賽(さい)の岸辺へと運んでしまう。そこは気ままに歩いていても、絶対に知り合いと鉢合わせしないことが保証された、唯一の場所だから。
流行病で死んで、何十年も経ってから故郷の街に戻っても、当然ながら見慣れた顔など一つもない。
◇ ◇ ◇
先刻から周囲をぐるぐる廻って様子を伺うのは、六角錘形をした、縦長の白い木箱。上に "PUBLIC AUTOMATIC TELEPHONE" と書かれている。少年は設けられた扉をおそるおそる開けた。それでも足は踏み入れず、頭を突き入れて覗くだけなのだが。木箱の内部には、透明な硝子窓越しの陽光が、枠から溢れて津々と静かに注ぐ。
遠くにいる人間と、直接言葉を交わすことができるらしい機械。
聞くところによれば電話というそうだ。肝心の使い方を知らない。上部に細い喇叭(らっぱ)が二つ付いていて、片方の先から、裏側へと何やら管が伸びていた。むかし読んだ図鑑に載っていた、外国に生息する甲殻類のようだ。
「……失礼するよ」
唐突に背後から声を掛けられ、肩を震わせる。——利用者だろうか。
「すみません」
さっと振り返り身を引くと、少し怪訝そうに細められていた男の目元が和らぐ。小綺麗な少年の服装からして、おそらくスリや物乞いの類ではない、と判断されたのだろう。箱の中、電話横の棚に鞄を置き、懐に手をやりながら柔らかな声音で話しかけてきた。
「自働電話が気になるのかな。ご両親はどちらに?」
「えっと……。僕はお遣いの帰りなのですが、この近くを通りかかったから、ちょっと見てみたかっただけなんです。どうやって使うのか、分からなくて」
聞いて男は微笑む。
確かに、このごろ随分と身近になった便利な設備ではあるが、まだ誰もが必要としているようなものではない。尋常小学校で書き方を教える電報とは違って、実際に使う機会が無ければ詳しくは知らないだろうと合点がいった。大人の自分だって頻繁には触らないのだ。
「なら、そこで見ていくと良いよ。別に聞かれて困る話でもなし」
「本当に?」
「ああ。姪っ子のところに無事赤ん坊が生まれたから、元気な声を聞きたくてね
「ご自宅に電話があるんですか。驚きました」
一般家庭にすべからく置いてあるようなものではない、と思う。男の家は裕福なのだろうか。
「ははは。それが、そうでもないんだ。近所の大きな商屋に一日限りで借りているだけなんだよ。ちょっと買い物をする代わりにね。——もうすぐ約束の時間になるから、皆で待機しているだろう」
ああなるほど、そういうこともできるのかと少年は言外に感心して、硬貨を片手に持った相手の動きを追う。一歩近付いて、開け放したままだった扉を閉めた。
「僕がこれからするのは、まず呼び鈴を鳴らして、電話の交換手に繋ぐことさ」
「こうかんしゅ……」
「そこで掛けたい番号を告げてお金を入れれば、今度は姪っ子の居るところの電話が鳴る。最後に相手が受話器を取ると、やっとお互いの声を聞きながら話ができる、というわけだ」
「ううん、なんだか難しそうです」
「改めて説明してみると確かにそう感じるね。まあ、見ていてくれ」
男は電話右横の取手を軽く複数回まわして、管に繋がった方の喇叭を耳に当てた。しばらくして、誰かと——それがさっき言っていた交換手という者だろうか、数字の羅列のような言葉を二言三言交わしてから、五銭を一枚木箱に入れる。
硬貨が下に落ちるとき、小さな鐘にも似た高く澄んだ音が狭い空間に響いた。まるで何かの合図みたいに。
次の瞬間に目の前の人間から発された声は、先刻までとはその色を全く異にしていた。すぐに分かる。間違いなく、気心の知れた友人や家族と話す時のものだ。少年の立っている場所から向こう側の声は聴こえないが、返答からその内容は察せられる。出産後の体調はどうか、皆の様子や向こうの暮らしは変わりないか、など。優しく相手を案ずる言葉ばかりだった。
——叶うならば、自分もここから家族にそう伝えたかった。
もう詳細は思い出せないけれど、どうしても譲れないことがあって、諍いになった。冥界の魂にだって喧嘩はあるのだ。その折、考えうる限りの言葉を用いて目の前の相手を責めた気がする。でも、それを反省したって後悔は先に立たない。
「……ああ、ありがとう。夏には帰るからね。それまで元気で……」
喇叭が元の場所に戻されて、男の話は終わったようだった。明るい顔をしている。少年が最後に見た家族の表情とは天と地ほどに異なっていて、想像以上に気が滅入った。
「こういうものが自働電話だよ。どうだい? 面白かったかね」
「うん、とっても。ありがとうございます。ところで、もしもこれを使ったら……、海の向こうに居る人たちとも話せますか?」
うみのむこう。
それを聞いてこの世にあらざる場所、すなわち彼岸に言及している、と思い至る人間などここにはいない。それでも訊ねてみたかった。
「ええと——そうだね、例えば電信(テレガラフ)だったら露西亜とか支那にも文字を送れるけれど、電話はできないよ」
「ふふ、まあそうですよね」
「外国に知り合いがいるのかい」
わずかに迷ったが、首を横に振った。
「おじさんを見ていたら、僕も家族と話したくなりました。だから早く帰ります。お邪魔してどうもすみませんでした」
男は笑って頷く。
「では道中、お気を付けて」
そう少年に告げて再び鞄を手に取り、顔を上げると周囲には誰も居なかった。走り去る足音など少しも耳に届かなかったのにもかかわらず。本当に、風のように少年は消えた。できるだけ早く、本来の住処に戻るために。
明治40年の頃。
明治に登場した公衆電話
明治2年、東京・横浜間に電信線を引く工事が開始され、初めて公衆電話というものが設置されたのは明治33年のこと。当時の電話機は米国製で、その名称を日本語に訳して呼ばれたものが、電話ボックスに書かれている「自働電話」の文字なのだった。オートマティック・テレフォン。
当時の通話料金は5分間で15銭。現代(2021年)の日本円に換算すると、約2,250円にもなり、なかなか一般には利用しにくい価格帯だったことが伺える。やがて明治35年の夏ごろに5銭へと大幅な値下げが行われ、庶民にも手が伸ばしやすくなった。
きちんと所定の金額が払われたかどうかは、受話器の先にいる交換手が10銭硬貨なら低く鈍い音、5銭なら高く鋭い音を聴き分けて判断していたらしい。
電話ボックスは白色で六角形のものが最初に登場し、後の明治43年ごろから赤いものも多く普及し始めたという。そして大正15年にはダイヤル式、すなわち交換手を介さずに自ら番号を打つタイプが登場した。自働電話が今のように公衆電話と称されるようになったのも、この頃だ。
つやつやと黒く光る卓上電話機の台頭には、昭和の訪れを待たなければならない。
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