chinorandom

彷徨する自由帖

MENU

伊能忠敬の旧宅がある千葉県・佐原 - 川沿いの町並み保存地区と裏路地|小江戸散策(2)

 

埼玉県の「小江戸」散策記事はこちら:

佐原は、下利根附第一繁昌の地なり、村の中程に川ありて、新宿 本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚さげ、旅人の船、川口より此処まで、先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし……

利根川図志(1855)著・赤松宗旦 より

f:id:chinohirose:20201215214525j:plainf:id:chinohirose:20201215214555j:plain

 岐阜の大垣しかり、この佐原もしかり。自分が歩いていて楽しいと思うのは、やっぱり水のある町なのだ。

 水路や運河はもう一つの通り道。飛脚、馬、自動車が行き交う地上の路から直角に逸れて、雁木を下りると細い曳舟が待っている。たとえ道路に沿い、全く同じ方向へ流れる川であっても、船べりからの景色はきっと大きく異なっていて……さらに視線を水面へと向ければ、川底に広がる別の世界と、反射する周囲の情景が美しく重なって見えるかもしれない。

 そんな風に視界から得られる情報に限らず、耳に流れ込んでくるかすかな音も魅力的に感じられて、水郷を訪問するたびにこうした散策の良さを全身で味わうことになる。

 千葉県香取市、佐原の町では南北に細く伸びる一級河川・小野川の沿岸に、蔵造りの商店が数多く並んでいた。なかには洋風の煉瓦造りの建築まで。ここは特に、江戸時代の頃から利根川の恩恵を受けて発展してきた地区であり、今でもその面影は色濃い。まるで血管のような川が人や物を運び、そうして町を成長させてきた。

参考サイト・書籍:

香取市ウェブサイト

佐原観光協会

建築デザインの解剖図鑑(著・スタジオワークス)

たのしい佐原の建物群

 まずは千葉県指定の有形文化財から。なお、大正3年竣工の旧三菱銀行佐原支店(通称三菱館)は2020年11月19日時点で工事を行っており、外観が幕で覆われていたため見学はまた今度。

f:id:chinohirose:20201215220945j:plainf:id:chinohirose:20201215214634j:plain

 町並み保存地区の中心部に立ってみる。すると伊能忠敬にちなんで忠敬(ちゅうけい)と名付けられた橋、それが小野川と交差する地点から、信号の向こうに中村屋商店の屋号が目に入った。雑貨や畳を扱ってきたお店で、二階の高欄、欄干部分に掲げられた金文字の並びがとても良い。旧吉原遊廓前の天ぷら店・伊勢屋さんを思い出す。

 ちなみに、この中村屋商店のように軒下に天井板を張ってあるものを「せがい造り」と呼ぶそうで、それが建物の格調高さをさらに際立たせていた。目立った装飾はないものの端正な佇まいが老舗の商店らしい。

 また、これは地図などで上から確認しないと分かりにくいのだが、斜めになった交差点に面している関係で、建物は四角ではなく、五角形の形をしているのだ。Google Mapの衛星写真などで屋根の面がどうなっているのか見られる。

 その店舗は安政2年、横にある3階建ての土蔵は明治25年に建てられたもので、後者の白い壁が陽光を反射して輝いていた。ふたつを前にするとあぁ佐原に来たんだな、という気分になる。観音開きの扉が心を躍らせる蔵は町の至る所にあった。

f:id:chinohirose:20201215214852j:plain   f:id:chinohirose:20201215214906j:plain

 中村屋さんと道路を挟んで向かいに位置するのは、東京は新橋にある堀商店を模した洋館。形は元になった建物とほとんど同じで、辻に曲線を描いて入り口が面し、塔屋が存在を主張する隅丸建築の特徴をそのまま反映している。

 まだ大分真新しい雰囲気を纏っているけれど、このまま年月を重ねれば、すっかり佐原の地に溶け込む日が来るのかもしれない。今も、瀟洒な外観は町の空気によく合っていると思う。

 川沿いには他にも洋風の個人宅が時折あらわれ、特に私が個人的に好む光景が展開されていて、楽しかった。やはり建築でも、生活雑貨や食生活においても、近代の和洋入り交じるさまに心惹かれる。それを面白いと感じるのだ。

f:id:chinohirose:20201215214932j:plainf:id:chinohirose:20201215221021j:plain

 実際、佐原が大きく発展し隆盛を誇っていたのは江戸時代から昭和初期にかけて。残っている建物の中でも明治大正期のものが多く、自分の嗜好にかなりよく合致する場所なのである。

 佐原に鉄道が開通したのは明治31年のことだった。もともと水路により運搬の利を得ていた町は、さらなる交通手段を経て、それぞれの長所を生かして人や物資を動かした。聞いただけでも当時の賑わいが目に浮かぶよう。しかし川越などと同じく、商家が密集する地のならいか、火災はたびたび発生した。

 現在残っている建物の多くは明治以降に建てられたものだ。例えば正文堂(明治13年)や小堀屋本店(明治23年)、中村屋乾物店(明治25年)などが忠敬通りに軒を連ね、訪問客は通り過ぎるごとに足を止めざるを得ず……とても素通りすることなどできない。

f:id:chinohirose:20201215221111j:plainf:id:chinohirose:20201215221129j:plainf:id:chinohirose:20201215215109j:plain

 いずれも屋根部分の鬼瓦、その影盛や箱棟が見事で、今ではなかなかお目にかかれないものだと思う。特に小堀屋本店(写真2枚目)の硝子戸は、明治35年の頃に旧佐原市で初めて使用されたものであり、資料として長く残ってほしいもののうちのひとつ。

 歴史的建造物の命は、単に保存されたり博物館として公開されるだけでなく、実際に店舗として利用することでも保たれる。この町にもそうした施設が少なからず存在していて、今回は町家を利用したレストラン、夢時庵でお昼ご飯を食べた。

 平日の昼間でも常に席が一杯で、場合によっては待たなければならないくらいの人気店。そんなわけだから、土曜や日曜などの休日にはより混みあうだろうことが伺える。行くと決めたら予約をしておくのが安心なのだろう。

f:id:chinohirose:20201215215302j:plainf:id:chinohirose:20201215215316j:plain

 とても美味しいステーキにシャーベットでございました。また食べたい。建物である蔵の外壁には、未だに昔の家印が残っている。

f:id:chinohirose:20201215221210j:plain

 

f:id:chinohirose:20201215220111j:plain

 レストランを出てからそのまま川岸通りを北へ進むと、さらにときめきを宿した建物の細部に迎えられ、目や首がいくつあっても足りなくなる。

 その筆頭が「戸袋」だった。商店の正面から見える戸袋はまさに第二の看板のようなもので、その四角く平たい面に店名を書いて利用したり、あるいは装飾として外観に彩りを添えたりと色々な可能性を宿している。看板建築などでも鏝絵が施されるなど独特な使い方がされているのをよく見る。

 佐原でこの日見つけたものの中で、特に好きだったのはこれだ。青緑色の銅板、その波の図柄で葺かれた表面に惹きつけられた。一文字葺き以外の銅板に私はあまり遭遇したことがない。二階の両脇ではなく、片側にひとつだけ設けられているのも良い感じ。

f:id:chinohirose:20201215215345j:plain

 それから付近の建築物にあった、一階部分のタイル装飾。なんとも味わい深い。

f:id:chinohirose:20201215215410j:plainf:id:chinohirose:20201215215423j:plain

 木造建築物の外にタイルが添えられるだけで、なぜこれほどまでに魅力を感じるのだろうか。また、建物内部の話になるが、特に大正時代の民家(実業家など裕福な家族)の浴室・厠にある類のタイルは本当に趣ある輝きを放っていて良い。過去に訪れた中では旧井元為三郎邸や、厚木市古民家岸邸のものが印象に残っている。

 そういえば谷崎潤一郎は著作《陰翳礼賛》の中で、日本家屋の水回り部分をタイル張りにする場合、慎重に判断するべきだという趣旨の意見を述べている。彼曰く……

天井、柱、羽目板等に結構な日本材を使った場合、一部分をあのケバケバしいタイルにしては、いかにも全体との映りが悪い。出来たてのうちはまだいいが、追い追い年数が経って、板や柱に木目の味が出てきた時分、タイルばかりが白くつるつるに光っていられたら、それこそ木に竹を接いだようである

 とのことだ。著者のこだわりが伝わってきて面白い。こちらはパブリックドメイン作品なので青空文庫でも読むことができる。

 

f:id:chinohirose:20201215221236j:plain

 このあたりで伊能忠敬旧宅の存在に触れておく。これは現在、国指定史跡として登録されている建物で、母屋の書院は寛政5年頃に作られたといわれている。内部は自由に見学可能だった。

 伊能忠敬といえば、測量と地図の製作によってひろく知られている人物だ。

 彼は伊能家に婿入りした後、家業(醸造や米穀・薪炭の販売)に従事し、傾きかけていた家の再興に力を尽くしたとされている。息子が成人してからは特に隠居を志す様子を見せており、天文学への関心から、熱心に書物を紐解き勉学に励んでいた。本格的な測量に取り組んだのは55歳から71歳の間と、晩年に至るまで奮闘していたようだ。

 旧宅から樋橋を挟んだ向かいには伊能忠敬記念館があって、そこで測量用具や当時の走り書きなど、貴重な資料の数々を眺めた。特に当時の地図製作の過程がよく分かる。妙な道具を背負って諸国を回り、その場にとどまって観測作業を行うため、現地の住民と衝突することもあったらしい……無理もない。

f:id:chinohirose:20201215215727j:plainf:id:chinohirose:20201215215747j:plain

 そんな伊能忠敬の軌跡を辿る記念館、樋橋の辺りから忠敬橋まで戻って、東に向かえば素晴らしい看板建築も残っている。

 とりわけ蜷川家具店は横に建つ商家との並びもかなり良い。石柱風のモルタルに重なる軒蛇腹、上部の中央を飾るアーチと家印、並ぶ縦長の窓……どの部分をとってもときめきが湧き上がる。いわゆる「ラス下地」の製造が本格化された大正初期の頃から、このようなモルタル仕上げの看板建築は大きく普及したそうだ。

 商業によって発展した佐原の町、今も昔も通りを飾るのはこうした店。廃業して空き家になっているものも少なくないようだが、建物愛好家としては、何か活用法を見つけてできるだけ長く残ってほしいと願うばかり。

 次は活気のある表通りから逸れて、少し薄暗い路地裏へと入り込んでみる。

f:id:chinohirose:20201215215819j:plainf:id:chinohirose:20201215215831j:plain

 明かりの灯らない昼間、未だ眠っている一角はとても静かで、なかでも特徴的な意匠の柱に近付くと例のものが残っていた。そう、風俗営業料理店の鑑札である。掠れているが上部には千葉県公安の文字も。

 建物の奥まった位置にある玄関や、天井に並ぶ四つの照明など、それらしい佇まいが魅力的だった。既に廃墟になっており、この感じだときっと数年後には取り壊されてしまうだろう、という雰囲気が漂う。一帯を取り巻く時代と界隈の空気。他にもそれらしい遺構が点在していて、控えめに存在を主張する。

 保存されている町屋などの建造物のほか、あまり一般的ではないけれども独特の文化と歴史を持つ遊郭・カフェー建築にも注目すると、佐原を歩くのがより楽しくなる。

 

f:id:chinohirose:20201215215914j:plainf:id:chinohirose:20201215215927j:plainf:id:chinohirose:20201215215946j:plain

 現地での散策にかかった所要時間は半日程度でした。

 最後に、とても自分のツボに入った川沿いの美容室を。

f:id:chinohirose:20201215220013j:plainf:id:chinohirose:20201215220031j:plain

 角ばった「パーマ」の文字が良い。それから扉に設けられた取手を見てください、優美な曲線を描いてる。入口上部に嵌め込まれた横長の硝子にはかすかに屋号の文字があります。別の側から眺めたときの九つ並ぶ窓、左にある空間……最高。以上です。