chinorandom

彷徨する自由帖

MENU

蒼穹の大山阿夫利神社へ雨乞いに - 神奈川県・伊勢原探訪|日帰り一人旅

※当ブログに投稿された一部の記事には、Amazonアソシエイトのリンクやアフィリエイト広告などのプロモーションが含まれています。

 

 

 

 

 どこか標高の高い場所へ行こう、と思い立ったのに、さしたる理由はなかった。

 強いて言うなら、空気がひどく乾燥していたからかもしれない。昨年の1月末から2月にかけて、かなり長いあいだ、雨の降らない時期があったことを覚えている。あまりにも湿気が足りず喉が痛かった。それでだ。

 雨乞いをしに出掛けた。神奈川県は伊勢原市、その後ろに丹沢山を背負った大山の、山腹にある著名な御宮まで。大山阿夫利神社、あふり とも、あぶり とも読む。

 体力・筋力と装備ともに貧弱なため、残雪の道では足を滑らして死にかねない。心もとなかったので、山頂の本社までは行かず、下社拝殿を詣でるにとどめておいた。特に強いこだわりのない身には、それで十分だったように思う。

 実際、明治以前は下社以上の女人の立ち入りは禁止されていたそうだし、その頃の気分でも味わってみるとする。

 

参考サイト:

大山阿夫利神社(公式サイト)

いせはら文化財サイト(伊勢原市)

丹沢・大山 歴史街道ものがたり(産業能率大学)

 

大山の女坂と阿夫利神社

 

 伊勢原駅から阿夫利神社の膝元、すなわち大山ケーブルカーの駅まではバスでも30分ほどかかる。

 昔の人がそうしたように、徒歩で三の大鳥居をくぐるなどして旧道を辿るのが正当な参拝である気がしたが、あいにくそこまで頑張る気にはなれなかった。かわりにケーブルカーは使わず、女坂を通って下社へと赴くつもりだ。

 時は遡って大正12年、関東大震災の折に、阿夫利神社の参道は大きな被害をこうむった。崩れてしまった道の脇に改めて設けられたのが、現在の「こま参道」になる。土産物店や料理店が並び、休日には参拝客で通りが埋め尽くされるのだろうが、あいにく今日は平日。ただ閑散としている。

 どこか抑え気味の呼び込みの声には応えず、私は僅かにうつむいて階段を上った。人だかりによる逃げ場が無いので少し気まずい。

 

 

 

 


 

 しかし、何という晴れ間なのだろう。雨乞いに来たというのに雲一つないではないか……。

 大山は古く、雨降山とも呼ばれていたと《新編相模国風土記稿》にある。水分神(みくまりのかみ)のおわす場所として広く知られ、人々の信仰を集めてきた。また、神社の祭神の関係から、富士山と合わせた両詣りも盛んに行われていたそうだ。

 特に参拝が市民の間で流行した江戸時代、大山を訪れた者の数は年間約20万人にも上った。

 そんな当時の情景を思い浮かべつつ、早速足を踏み入れたのは女坂。男坂よりも勾配の緩い選択肢とはいえ、普段ろくに運動をしない身としては結構厳しいものがある。膝のあたりまで高さのあるような石段を、ぜいぜい言いながら這い上がり、数歩進むごとに息をつく。

 聞くところによれば、この女坂には七不思議なるものが存在するらしい。道を辿れば数々の立て看板に遭遇する。例えば、爪だけを用いて一晩のうちに彫られた地蔵だとか、話をしながら渡ると失くしものをする「無明橋」だとか。

 

 

 七不思議自体はそこまで恐ろしいものではないが、すれ違う人も動物もなく、黙々と坂を上り続けていると、ふと一抹の不安が心に兆すのも確かだ。それが何に起因するものなのか、私には知る由がない。

 ケーブルカーでの一駅分、雨降山(あぶりさん)大山寺のある地点まで到達すると、いよいよ標高は高くなって空気の冷たさもひとしお。かなり疲れてきた。貧弱の極みである。空だけがどこまでも美しく、日差しを浴びながら一刻ほど寝てしまいたいと感じた。階段脇にずらりと並ぶ同じ顔の地蔵が、もはや催眠術じみているとすら思えて。

 首を上げて堂に目を向けると、柔らかな風に五色幕がたわんでいた。

 現在の位置にある大山寺は明治18年に再建されたものだという。同時代初期の廃仏毀釈の影響を大きく受けており、かつて山腹にあった不動堂は今の阿夫利神社下社となった。その際に失われた宝物類は多いが、運よく残ったものも少なくない。

 付近には大山最古といわれる倶利伽羅堂がある。

 



 あとは、瓦を崖下に投げて輪にくぐらせると厄が落ちる「かわらけ投げ」のできる場所が用意されていた。

 寺の横をすり抜けて、前述した七不思議の無明橋を渡り、眼病を癒すという眼形石を過ぎたら長い階段を上り切るだけだ。すっかり満身創痍の私に一切頓着せず、視界の端にゆっくりとケーブルカーがよぎる。

 その稼働音が谷間に響いて、地表からずいぶん遠いところまで来てしまったのだなと改めて感慨を覚えた。

 距離にすれば大したことはないが、やはり山というのは樵などの杣人や修験者、妖魔、ならびに神仙の住まう場所。何となく足を踏み入れたようでいて、どこかで決定的な境界線を跨いでいるはずだ。

 そんなとりとめのない思考の全ては、堂々たる神明系の鳥居に切り取られた嘘のような蒼穹を前にして、霧散した。単なる風景にここまで心を動かされたのは、いつぶりだろうか。

 

 

 

 

 

 

 海に建つものをはじめとして、世の中には色々な鳥居が存在するが、これはきっと山だけでなく空に向かっても開かれているのだ。まぎれもない神の通り路。

 ここが大山阿夫利神社、下社。社殿によれば、今から2千年以上もの昔に創建されたのだという。また、山頂から土器の類が多数出土していることから、それ以前より人々はこの山との関わりを持っていたと推測できる。もちろん山そのものへの信仰も存在しただろう。

 現在の御祭神は大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)、そして大雷神(おおいかずちのかみ)となっている。特に大山祗大神は海運と産業の守り神とされる場合もあり、廃墟で著名な「軍艦島」に残る端島神社に祀られているのもうなずける。

 とりあえず、今回は雨乞いをしに来たのだ。

 口上を知らないので、近いうちに雲を呼んでくださいとだけお願いしておく。別に雨が好きなわけではない。とはいえ、当時は少し空気が乾燥しすぎていた。こんなにも長く晴天に恵まれた期間は、珍しい。

 

 

 石灯籠や剣を持つ彫像、樹木が記号のようにそこにある。

 何も大したことはしていない。ただ山に(しかも山頂ではなく中腹どまり)に登って、お参りをして、ボサっと青い空を眺めてきただけ。それしきで満たされたような気分になれる自分の精神は全くお手軽にできている。幸せなものだ。

 ご利益などあっても無くても構わない。そもそも、雨乞いなどせずともそのうち雨は降るもの。この場合、大山に詣でようと思い立ち、実際に行動に起こした時点で、全ては完結している。問題なのは私が満足できるかどうか、それだけ。

 あまりにも景色が素晴らしいので名残惜しいとは思ったが、疲れていたのもあって早々に境内を辞す。もちろん、帰り道はケーブルカーを使って、すいすいと。