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彷徨する自由帖

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人を喰う城郭

 

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 音を吸う存在としてよく話題に上るのは雪だが、実際のところ、石も似たようなものだと思う。特に、柔らかいもの。

 表面が磨かれておらず微細な穴が開いていたり、経年による風化で、少なからず傷が付いていたりするものが。

 それに気付かされたのが多分この場所だった。

 地面だけならまだしも、左右も十メートルに匹敵する高さの石壁に挟まれて歩く経験は、今までになく自分を高揚させ、不安にもさせた。

 空が細く、狭い。太陽の位置が分からないから現在時刻が曖昧になる。

 けれど市街地で、近代的な大都市のビル群に圧迫されて道を行く際には、まずこんな気持ちにはならないだろう。単純な高さだけでいえばずっと上のはずなのに。

 ここは例えるなら、水の中にいるのに何故か息ができているような……そんな、不思議でおさまりの悪い感じを心に抱かせる。

 だが奇妙なことに、それが嫌だと思えない。

 大気の振動によって音は鼓膜に届く。この町の空気は張り詰めていて、響きによって撓(たわ)むことを許さない。石壁が音を吸うから。立てたそばからフッと掻き消えて、僅かな余韻しか残さないのだ。

 郭内に足を踏み入れた瞬間から、耳殻のまわりには紗の覆いがかかっている。

 

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 この道の先はどこにも続いていない、という感覚が消えない。そもそも実際に終着点などない。張り巡らされた路地を辿るほどに、ただ教会と聖堂と、他は無数の扉と窓と行き止まりに遭遇するばかり。

 城郭都市だからだ。

 万が一、分厚い壁が越えられた時に侵入した敵を攪乱し、迷わせる造りの。手の届きそうな位置にある窓には、必ず格子がはまっている。足を掛けて登れそうな場所もとんと見当たらない。

 およそ生活感など伺えないものの、今でも三百人に満たない人達が、まだ壁内に暮らしていると聞く。大半は先祖代々ここに住んでいる「高貴な血筋の方々」らしいと小耳に挟んだが、真偽のほどは知らない。

 ……遡ること千年以上もの昔、島の中心より少しばかり西に位置する丘の上に、石がうず高く積まれた。柔らかな質感と色が特徴の石灰岩だ。厚い壁が台形の敷地を形成し、さらに郭内にも、住居を兼ねた壁が迷路のように配置される。

 それらを包括する外周に設けられた深い堀の断崖は、町を地理だけでなく、流れる時間からも切り離した。現在も変わらず、もう存在しない何かを、敵の勢力から頑なに守るかのように立つ。

 侵入を試みる人間は徹底的に拒む。

 しかし、一度入ってしまったら、今度は町の中から外へ逃がさない。

 あるいは城郭自身が、その内に取り込む人間の数が無尽蔵にならないよう、制限を設けているのかもしれなかった。獲物は間を置かずに狩り続ければいなくなる。

 それに町だって、長きにわたり同じものを食べていては、きっと飽きるし食傷もするだろう……。

 

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 道はだいたい十数メートル程度まっすぐ進めば必ず一度は折れ、頻繁に左右へ蛇行し、向かう先が見通せないようになっている。

 私は普段から曲がり角が恐ろしくてたまらない。ましてやこんな風に、音の吸われる石に挟まれていればなおさらだ。

 耳を澄ましても、誰かが向こう側から近付いてきているかどうか、判然としない。だから「次の角を曲がったら、何か得体の知れない存在が待ち構えている可能性がある」という感覚が拭えない。

 僅かに振り返ると、いつかの折に迷い込んだ敵兵の幽霊が横をすり抜け、残像を残して路地を駆けていった。

 その風で近くの扉にぶら下がった看板が揺れる。じっと眺めていると、書かれた文字がチカチカとまたたく。この国の言葉で料亭を意味する単語だ。文字は少しずつ形を変え、やがて意味の認識できない記号の羅列になって、何事もなかったかのように動きを止めた。

 つまりここは料亭ではなく、町の罠だったのだ。

 他の宿屋や土産物屋の看板もしかり、一体どれが本物なのだか分からない。完全に人間の眼をあざむいて擬態している。点在する照明だってそうだ。道を照らす電燈の中に、電燈にそっくりな「何か」が混じっている。

 その黄色い光をあまり長い間眺めていてはいけないのだが、真贋の見分けがつかないのでどうしようもない。考えているうちに視界の端で一つ、また一つと街路燈が灯っていく。

 ……さて、陽も傾いて空はだいぶ暗くなってきたようだが、私が町から出られるようになるまで、あとどの位かかるのだろう。

 

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 冒頭の写真はマルタ共和国内の古都、イムディーナを散策中に撮影しました。

 

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