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彷徨する自由帖

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人を喰う城郭

 

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 ◇      ◇      ◇

 音を吸う存在としてよく話題に上るのは雪だが、実際のところ、石も似たようなものだと思う。特に、柔らかい種類の石。表面が磨かれておらず微細な穴が開いていたり、経年による風化で、少なからず傷が付いていたりするもの。

 そう気付かされたのが多分この場所だった。

 かつて国の首都として隆盛を誇ったが、ヤドカリが家を変えるように、機能と人がそっくり他へと移された後の町。いうなれば、抜け殻だ。それでも形だけは当時から変わらずに残っている古い都。現在は知る人ぞ知る観光地として、秘かに旅行客の人気を集めていた。

 門扉をくぐると、不自然なほど早く外界の喧騒が遠ざかるが、足を先に進める。

 ……地面を覆う石畳だけならまだしも、左右も十メートルに匹敵する高さの石壁に挟まれて歩く経験は、今までになく自分を高揚させ、不安にもさせた。普段の生活の中にある風景とは全く異なる世界だからだ。

 仰ぐ空は細く、狭い。太陽の位置が分からないから現在時刻が曖昧になる。

 けれど市街地で、近代的な大都市のビル群に圧迫されて道を行く際には、まずこんな気持ちにはならないだろう。単純な高さだけで言えば、その方がずっと上のはずなのに。

 この場所は例えるなら、水の中にいるのに、何故か呼吸ができる夢を見ているような……どこか、不思議でおさまりの悪い感じを心に抱かせる。

 だが奇妙なことに、それが嫌だとは思えなかった。

 通常、大気の振動によって音は鼓膜に届く。しかし、この町の空気はしんと張り詰めていて、響きによって撓むことを許さない。石壁が音を吸うからだ。どんなに大きな靴音も、立てたそばからフッと掻き消えて、僅かな余韻しか残さない。

 そのせいか、郭内に足を踏み入れた瞬間から、耳殻のまわりには目に見えないほど薄い紗の覆いがかかっている。

 ◇      ◇      ◇

 この道の先はどこにも続いていない、という感覚が消えない。

 ひたすらに、乱立する聖母子像の冷たい視線を一心に受けながら町の中を泳いだ。

 そもそも終着点などは無いのだ。複雑に入り組んだ路地を辿るほどに、ただ教会と聖堂と、無数の扉と窓と、後は行き止まりに遭遇するばかり。

 今いる町が城郭都市であるがゆえに。

 万が一、分厚い壁が越えられた時には侵入した敵を攪乱し、迷わせる造り。手の届きそうな位置にある窓には、必ず格子がはまっている。足を掛けて登れそうな場所もとんと見当たらない。

 およそ生活感など伺えないものの、今でも三百人に満たない人達が、まだ壁の内側に暮らしていると聞いた。大半は、先祖代々ここに住んでいる「高貴な血筋の方々」だと小耳に挟んだが、真偽のほどは知らない。

 ……遡ること千年以上もの昔、島の中心より少しばかり西に位置する丘の上に、土と泥、そして石がうず高く積まれた。柔らかな質感と色が特徴の石灰岩だ。厚い壁が台形の敷地を形成し、さらに郭内にも、住居を兼ねた壁が迷路のように配置される。

 それらを包括する、外周に設けられた深い堀による断崖は、町を地理だけでなく流れる時間からも切り離した。現在も変わらず、もう存在しない何かを、敵の勢力から頑なに守るかのように立つ。

 侵入を試みる人間は徹底的に拒む。

 しかし、一度入ってしまったら、今度は町の中から外へ逃がさない。

 喰うのだ。

 とはいえ、郭内を訪れて忽然と消えてしまう人間の数は、そこまで多くない。せいぜい数年に一人といった所だろうか。もしかしたら城郭自身が、その内に取り込む人間の数が無尽蔵にならないよう、ある種の制限を設けているのかもしれなかった。獲物は、間を置かずに狩り続ければ絶滅してしまうから。

 それに町だって、長きにわたり同じものを食べていては、きっと飽きるし食傷もするだろう。

 ◇      ◇      ◇

 路地は、ある程度まっすぐ進めば必ず一度は折れ、頻繁に左右へ蛇行し、向かう先がはっきりと見通せないようになっている。 

 私は昔から、曲がり角が恐ろしくてたまらない。ましてやこんな風に、音の吸われる石に挟まれていれば、なおさらのこと。……身の危険を感じるのだ。母国には辻斬りなんて言葉もあるから、一層怖い。

 耳を澄ましても、誰かが向こう側から近付いて来ているのかどうか、判然としない。だから「次の角を曲がったら、何か得体の知れない存在が自分を待ち構えている可能性がある」という懸念が拭えない。

 一抹の不安を感じて僅かに振り返ると、いつかの折に迷い込んだらしい兵士の幽霊が突然あらわれて横をすり抜け、甲冑と旗の残像を残して勢いよく路地を駆けていった。全く、心臓に悪いこと甚だしい。

 その風を受け、近くの壁から生えた吊り看板が無音で揺れる。表面には、この国の言葉で「料亭」を意味する単語が書かれていた。
じっと眺めていると、書かれた文字がチカチカと瞬き、不気味にうごめく。文字は少しずつ形を変え、やがて意味の認識できない記号の羅列になって、何事も無かったかのようにその動きを止めた。

 私は息を吐く。つまりここは料亭ではなく、町の仕掛けた罠だったのだ。

 他に見かける宿屋や土産物屋の看板もしかり、一体どれが本物なのだかさっぱり分からない。完全に人間の眼をあざむいて擬態している。路地に点在する照明だってそうだ。道を照らす電燈の中に、外観も機能も電燈にそっくりだが別の「何か」が、しれっとした顔で紛れ込んでいる。もしかしたら、その辺の花壇に植わっている赤や白の花々も、かぐわしい偽物なのかもしれなかった。そもそも色彩からして生き物の内臓じみている。

 本当はそれらに近付きすぎたり、あまり長い間眺めていたりしては駄目なのだが、真贋の見分けがつかないのでどうしようもない。考えているうちに視界の端で一つ、また一つと街路燈が灯っていく。周辺の空いた窓からは、晩餐の準備中らしき煙が細くゆらめきながら棚引いていた。

◇      ◇      ◇

 さて、陽も傾いてだいぶ暗くなってきたようだが、私が町から出られるようになるまで、一体あとどの位かかるのだろう?

 途方に暮れて角をひとつ曲がると、目の前にはさっき通り過ぎたはずの、看板と扉があった。

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