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彷徨する自由帖

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百 "貨" 繚乱の時代:大正初期の三越本店と日比翁助、英国ロンドンのハロッズ

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現在(令和二年)の三越本店

 大正3年竣工の三越新館に着想を得た、筆者の単なる妄想です。

 

参考サイト:

本の万華鏡(国立国会図書館)

 

 

三越百貨店とハロッズ

 白亜の城か、大邸宅を思わせる5階建て。地下もある。眼前に現れた荘厳な百貨店の玄関脇には、まるで神社の狛犬のように鎮座する、一対のブロンズ製の獅子がいた。

 それを横目に建物の内部へ足を踏み入れつつ、一歩先を行く連れに他愛もないことを問いかける。彼らは四六時中、姿勢や表情を全く変えずにじっと前を見つめて、一体何を考えているのだろうか――と。店の敷居を跨いで頭上を仰いだ瞬間、想像以上に高い天井に圧倒されて、私は思わず息を吐いた。すると安藤が質問をひろう。

「もちろん、番人としての本分を果たそうとしているのではないかな。怪しい者や不届き者がみだりに暴れ出さないよう、常に目を光らせている。ああ、いつ何時ここに来ても威厳のある風体だね、例え生きておらずとも獅子は獅子というわけだ」

「しかし座っているだけでは余りに退屈だろう。もしかしたら、日中は人々の目があるから自由に動けないのかもしれないよ。

 ……実は、二匹の獅子は夜な夜なこの帝都を徘徊して、治安の維持に貢献しているんだ。東京にはいろんな思惑が跋扈しているからさ。普段はああして動かぬ青銅像の姿を採っていて、一定の条件が揃えば活動を始める。そういえば、さっき通った日本橋の上には麒麟も眠っていたが、大都会には守り神や瑞祥の化身が幾ら居ても足りないようだね」

「最近傾倒している小説の話かい、澤田君は相変わらずのご様子だ。元気そうで何より」

 思わず空想に熱が入ってしまった私に呆れるでもなく、ただ楽しそうに安藤は笑う。

 私の古い友人である彼は、かの『デパートメントストア宣言』を打ち出した日比翁助氏の欧州諸国視察に縁あって同行、帰国後もこの三越百貨店の構想に少なからず携わっていた。今日は久方ぶりに膝を突き合わせて話すついで、晴れて数か月前に完成したばかりの店舗を関係者直々に見せてもらおうと、こうして案内を頼んでいる。

 別に豪華絢爛で派手、かつ高級なものを好むわけではないが、やはり世間でよく噂されているものだから、出不精な自分も一度はこの目で確かめておきたいような気になったのだ。

 従来の呉服店とは全く異なる、商品の陳列形態。越後屋の頃からすっかり定着した現金掛け値なし。

 多くの人々で賑わい、大半が和装の女性と洋装の男性が入り混じって各階層を行き来する光景は、単に物を売る店というよりは一種の娯楽施設のような印象を抱かせる。昇降機(エレベートル)や動く階段の存在、時折聴こえてくる楽団の演奏、そして華やかな造花に彩られた柱や壁もそれに一層拍車をかけていた。

 ひとまず私達は4階の食堂の片隅に腰を下ろす。柔らかく立つ珈琲の湯気が、師走の外気に削られた鼻先をじわり修繕してくれるように感じられた。

 安藤の思い出話はどれも興味深かったが、とりわけ心を惹かれたのは、この三越百貨店と取締役の日比翁助氏に大きな影響を与えた国であるイギリスの見聞録。またその首都・倫敦にある高級百貨店、「はろっず」への言及だった。

 

 

 

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平成末期のハロッズ

「先刻も玄関で話をしたがね、澤田君。日比先生は獅子という動物に大層ご執心なのだ。

 倫敦の美術館前広場で四頭の獅子像を眺めていた時、少年のように瞳が輝いていたのを僕は横から見ていたよ。この三越の玄関にいるのもそれを模して造られている。ちなみに、彼らが守っていたのはネルソンという海軍提督の像で、広場の中心にある高い柱の天辺にいるんだ」

「いつかは訪れてみたい場所の一つだなあ。時に、氏がご次男に雷音(らいおん)さんと名付けられたのはその影響もあるのだろうかね。英語で獅子のことを Lion と云うが」

「無論、そうだろう。そういえば何かの折に、三男が生まれたら今度はタイガー、すなわち虎と名付けると仰っていたよ」

 それは面白い、男児向きの勇ましくて良い名前ではないか――としきりに頷き合いながら私は安藤に、この三越は一種の娯楽施設のようだと感じたことを話した。

 挙げられる要素は、今座っている食堂のような憩いの場だけでなく、屋上の空中庭園や盆栽のある温室、果ては夜間に電気を用いて飾られる建物の外観。なんと、近いうちに館内での美術展も企画されているらしい。

 そもそも店というのは本来物を売る場所ではなかったか。周囲を見渡せば、熱心に商品を選ぶ客に交じって、ただ楽団の演奏に耳を傾けたり店内を散策したりして時間をつぶす一行も見られる。何かを購入する明確な意図があるようには思えない。この帝都の真ん中で、まるで三越自体がひとつの観光名所のような存在感を持って佇んでいる。

 それこそが日比先生の意図なのだと目の前の男が首肯した。

「僕たちは視察中、ドイツやフランス、アメリカのデパートメントにも足を運んだんだ。しかし最も先生の心を掴んだのは倫敦の一地区にある百貨店で、名前をハロッズ(Harrods)という。三越はその理念と店舗の在り方を大いに参考にした。

 多種多様な商品を一度に取り扱う利便性は勿論のこと、顧客をどのようにもてなすか、どんな体験をこの場所で得てもらうかを重視したんだね。展覧会や博覧会、音楽会の開催もそうだが、先生は単なる物品の売買だけではなく、より総合的に生活の向上に貢献できる施設を作りたかったんだ。

 それに三越のように無料で入れる場所で文化的な催しがあれば、教育にも役立つだろう」

「成程なア、それを聞くとこの施設の様相にも納得できる。商品を流通させて利益を生む従来の商店の枠組みを超えて、様々な角度から市民に働きかけ、社会をより良い方へ向かわせようという理念を感じるね。翁助氏は噂に違わず立派な御仁だ。商才だけでのし上がってきたのではないと分かる」

「だからこそ師事したいと思ったし、僕なんかあまり外国語もできないのに、勢いで視察にまで同行してしまったんだよ。熱意を買ってくれたのは幸いだった。来たる新しい時代を牽引するのは、先生のような人を除いてはありえない」

 そう宣う誇らしげな表情が眩しい。

 彼は他にも「はろっず」の店内の様子や従業員に施される教育と、あまりに足繁く通いすぎたせいで、ついに翁助氏がドアマンに警戒されてしまった経緯を語ってくれた。私もこれから空想の種を得るため、幾度となく三越に顔を出す予感がするが、そのうち玄関の獅子像に呼び止められてしまうかもしれない。今日は一体何をしに来たのだ、と。

 

 

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三越本店外の銘文

 やがて陽も傾いてきたから、また帝都散策でもしながら話そう、そのうち手紙も送るよと約束を取り付けて帰宅の途につく。

 安藤と別れて日本橋を渡る私の頭の中を占めていたのは、彼が語った倫敦での体験の中にあった、地下鐡道の存在だ。何でも地面の下を列車が走っているらしい。日本が文久の頃にそんな物ができたというから恐れ入る。構内の空気は悪いが、とにかく早く市内を移動したい際には便利だそうだ。

 今日は寝る前に、遥か海の向こうにある、そんな異国の街を想おう。暇つぶしに書いている些細な物語の題材になる。ある程度完成したら、たまに家へ(菓子目当てで)遊びに来る近所の子供にも一端を読み聞かせてやろうかな。

 ――もしくは彼らを連れて三越へ足を運び、食堂で甘味の一つでも馳走してやるのが良いのかもしれない。そうしたらきっと、いつも以上に喜ばれるだろう。