以下の記事の続きです。
そういえば、生まれて初めてカプセルホテルに泊まった。
もともと鍵のかかる部屋でないと安心して眠れない性質なので、果たして大丈夫だろうかと心配しつつも、ちょっとした好奇心に勝てず......だって、見た目が宇宙船の個室っぽくて格好いい。
結論、一泊する程度なら何も問題ないし、思ったよりも快適だった。
利用したのは新地中華街にほど近い、銅座エリアにある《ファーストキャビン長崎》。
陽が落ちると、近未来的な青い光と飛行機のアイコンが目印になるので歩いていて探しやすい。
蛇腹の硬いカーテンで仕切られたそれぞれの部屋。
内部にはコンセントと貴重品ロッカー、テレビがあって、フロントに言えばヘッドホンを借りられる。音を出せないためだ。今回は疲れてすぐ寝てしまったので見なかったが、長崎のローカルなチャンネルには一体どんなものがあるのだろう。
また、良かったのは大浴場で、脱衣所や洗い場はシンプルかつ清潔な印象。早めの時間に利用したので他に人もおらず、久しぶりにゆっくりお湯に浸かるのは至福の時間だった。タオルも借りられる。
施設の仕様上、どうしても廊下の小さな物音や足音は響くしよく聞こえるので、もしも連泊なら通常のビジネスホテルを選ぶだろう。夜間にこちらが鞄を開ける際にもすごく気を使って疲れてしまうから。でも、綺麗な布団で一日寝たいだけなら十分すぎる設備だと感じた。とても満足。
当日は、ここから観光を始めた。
参考サイト:
長崎電気軌道株式会社(公式サイト)
あっ!とながさき(長崎市公式観光サイト)
長崎の街を歩く
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電気軌道
長崎を歩き回る際、電気軌道という乗り物にはとてもお世話になった。
私はこの呼称が好きだ。路面電車や、トラム、という響きにも惹かれるけれど、いずれも土地に根差した呼ばれ方であることが重要なのだと思う。街に張り巡らされた線路を辿る車両、その軌道が100年以上変わらずにあることに、どこまでも深い感慨を抱く。時間を越えて同じ場所に立っている。
長崎電気軌道は、大正4年から現在に至るまで人々の足として働き続けている存在で、まさに生きた近代化産業遺産だと言えるだろう。
道の真ん中に、浮き島のように設けられた駅。ゴトゴトと音を立てて進入する車両は少し軋みながらゆっくりと止まる。
乗車料金(2019年4月時点)は一律130円、一日乗車券は500円と手頃で、降りるときに払う方式だ。
長崎電気軌道では種類や製造年月の違う車両が沢山走っているから、次に自分が乗るのはどれになるだろうか……と毎回わくわくしながら待っていた。私が見た限り、上下が緑とクリームの二色で塗り分けられたものが多かったように思う。
窓の一部がステンドグラス風になっている、レトロで可愛いタイプにも出会った。
ほか、特別な行事の際にのみ走る「160形」がある。これはもともと旧九州電気軌道の一員として働いていた車両で、なんと製造は明治44年。
普段はほとんど表に出てこないとはいえ、未だに実際の線路を走行できるという事実に驚きを隠せない。
木の飾りを使った温かみのある内装。車両が動くと吊り革も小刻みに揺れる。座って窓の外を眺めながら、私の意識は現代と大正期の長崎を交互に横断していた。
過去に見た沢山の写真や絵葉書には、当時の建物や人々を含む街の様子が描き出されていて、ほんの少し息を吹き込めばまるで生きているように動き出す。電気軌道の沿線上に、人目に付くよう工夫された色鮮やかな商店の看板が並んでいたのも、華やかで趣があった。
そうやって頭の中で映像を再生するひとときが今は何よりの楽しみだ。
しばらく揺られたら、新地中華街から乗った1系統(青色の路線)を宝町駅で降りて、橋を渡ってロープウェイ乗り場へ向かう。稲佐山に登りたかったから。
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稲佐山
夜景が美しいので評判らしいが、夜は早めに休みたかったので陽の高いうちに訪れた。
個人的には緑と長崎湾の望める昼間の眺望も好きだ。
山の稜線が光と空気に霞んで、良い感じにその奥行きを演出している。
苔むした岩か、タオル地の布のように見える山の表面は近付いてみれば小さな葉や枝の集積だと分かるが、離れていると大きな一つの塊にしか見えない。
空気でできた透明な巨人になったら、無数の凹凸の上に手を乗せてそっと触れたいような気がする。きっと温かいけれどひんやりしていて、柔らかくて少し固いんだろう。
日本の巨人と言えば、だいだらぼっちを思い浮かべる。歩いたり手をついたりすれば地形を変化させてしまうほどの体躯の持ち主で、様々な時代・地域で目撃された記録が残っている、伝承の生き物だ。
あるいは、先人たちが地殻変動や天災を擬人化して語った際に作られた姿が彼なのかもしれない。
遠い昔にこの地を闊歩していた存在の、その痕跡の上に自分たちが暮らしていると考えるのは、面白い。
眼下の長崎湾が青い鏡のように光っている。短い首を頑張って伸ばせば、遠くの方に女神大橋が微かに見えた。
稲佐山の麓にひしめくのは白い箱のような建物の群れ。日本の国土の約7割は山だといわれているが、こうして上から眺めてみると、改めて人間の居住区の狭さを思い知る。
そもそも山という場所は神聖で、ちょっと恐ろしくもある場所だ。ロープウェイやケーブルカーで気軽に上って帰ってこれるものの数は思っているよりも少ない。
その昔、乗用車の通る道やトンネル等も存在しなかった頃、山越えは命がけのイベントだった。備えるべきは地形や天候、動物など自然の脅威に加えて、旅人を狙う賊の存在。そして……人の認識では測れない不思議な出来事の数々。
山男、天狗、鬼、人食い山姥、化けて出る鼬(いたち)や狐。一歩踏み入れればそこには異なる世界が広がっていて、私達が市街地での生活で則しているルールの大半は適用されない。山には山の決まりがある。こんな風に気軽には登れないような、険しく深い場所に行けば。
私はそれが興味深くも怖いから、短い時間を過ごした後はすぐ人間の世界に引き返す。
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坂の織りなす街
長崎の街には坂が多い。
むしろ坂で構成されている、といっても過言ではない。
起伏のある道が多く入り組んでいて、地図を眺めながらでも歩くのが結構難しいが、特にあてどない散歩が好きな人にはもってこいの土地だろう。私の住む港町・横浜にも坂は多いものの、調べてみると長崎の比ではないことが分かった。
しばらく高台の適当な場所に立って、視界に入るものを観察してみる。
たまに地元のお年寄りがサクサクと階段を上ったり下りたりしているのを見かけた。買い物袋など、荷物を両手に持っている方も多い。それでも足取りは本当にしっかりしていて、やはり普段から斜面に建つ家で暮らしているため、慣れているのだろうと感心する。
歩行や運動が、習慣になれば苦ではなくなる証拠を目の当たりにした気がした。
私はと言えば、横浜山手や根岸エリアを半日散歩しただけで結構疲れてしまう。文字通りの惰弱である。坂を上り切った先で、息を切らしながら見下ろす風景や、ときおり遭遇する洋館群が美しいのだけが疲労への薬になる。
これは東山手洋風住宅群のようす。
上の赤煉瓦の建物は、旧大浦東山手居留区にほど近い《大浦オランダ坂》の下で見つけた。地図上には林たばこ店とある。佇まいが独特な感じで面白い。
目の前の通りは日栄湯という銭湯に面しているからか、銭湯赤レンガ通りと分かりやすい名称がつけられていた。
ここからは電気軌道の石橋駅へ向かい、蛍茶屋行きに飛び乗って諏訪神社まで。下車後すぐの場所から伸びる長い参道では、鳥居が五つ連なって参拝客を迎えてくれる。さらに拝殿へと辿り着くためには階段の先、大門をくぐらなければならないが、その内側から注連縄越しに眺める街の姿も圧巻だ。
諏訪神社の境内には願掛け、銭洗い、トゲ抜き、果てはカッパ(!)に至るまで様々な種類の狛犬がいた。
なかでも気になったのは、変わった風貌の《止め事成就の狛犬》。2匹が向かい合っていて、双方とも並々ならぬ迫力を放っていた。
前足に巻き付いた大量の糸。
止め事成就の狛犬は名のごとく、禁酒・禁煙や受験の滑り止めなど、なにかとどめたい事柄に対して効力を発揮するようだ。その説明を読んでやっと納得したが、正直なところ初見ではSM緊縛狛犬かと思った。訪れる機会があればぜひ近くで見てみて欲しい。
他にも《逆立ち狛犬》などの興味深い像がある。
ところで、今回の旅行をした春の手前の時期は花粉の飛散量が多いようでマスクが手放せなかった。
花粉避け神社や狛犬がもしもあれば、私は喜んで足を運び、境内で脇目も降らずにちょっと高いお守りを買うだろう。
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