chinorandom

彷徨する自由帖

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目標を追わない。決意をしない。そして、少し駄目になりたい

 

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 最近は無気力で色々なことがどうでもいい。

 可能ならば、気の済むまで延々と眠っていたいとすら思う。

 ……では、本当の本当に何もしたくないのか? と訊かれれば、いや実はそういう訳でもないんだと否定したくなる程度には興味関心が潰えていないから、厄介だ。沢山の物語を読んで心を動かされたいし、もっと知りたいことがあって、行きたい場所もある。しかし、そこに入り込んでくる僅かな使命感が全てを、言葉では表せないくらいに面倒にする。

 何かをするのに理由を必要としたくない。発作的な衝動行動の間に「こうするべきだ」とか「このために」とかいう言葉が介在した途端に、全ての楽しみが色をなくす。ただ、やりたいからやる。それだけで十全なのに。

 私はいつのまにか有りもしない幻の義務や規範に従っていて、息が切れていて、気付いたときには骨までぽっきりと折れている。

 だがそれが嫌だからと言って役割や思考を完全に放棄し「自由」になれば、自分が自分自身を好きになれず、生きる動機がなくなるので、その狭間で動けなくなる。おまけに物心ついた頃から、無駄に敏感な神経があらゆる雑事を拾い上げてしまっているのにはうんざりだ。存在しているだけでもかなり疲れる。

 なぜ、毎日をただ安らかに過ごせないのだろうか。

 その原因は自分が一番よく分かっている。過不足なく、波風の立たない穏やかな時間の中にずっといると、心の奥底にある何かが拒否反応を示し始めて鬱々としてくるからだ。上位の存在と対峙して不安になれ、頑張れ、追い込まれろ、そして最終的に「成長」をしろ、と私に命じてくるが、本当にうるさくて仕方がない。

 抱負――すなわち、目標や決意。これらにはできれば触りたくない。こつこつ努力を重ねても、基本的に理想のような成果は出ず、残念ながら愛されもしないから。昔からずっとそうだった。

 明確な目的地を設定してそこへと邁進するのは、確かに気分がいい。けれど、果たしてそれは自分の本当の望みなのだろうか。いや。たぶん違う。というか絶対に違う。

 適度に働き、好きなことをして、取り留めのないことを考える余裕を持って、たまに人と話す。そういう行為だけしていたいんだ、私は。本当は何も頑張りたくない。具体的な目標を掲げたくないし決意もしたくない。それなのに、我を捨てて誰かや何かのために懸命になれる人の横顔や背中を眺めては、あっち側に行けたら良かったのかな、と思っている。人間ってすごいなあ、と他人事のように感じてもいる。

 一般に、愛されるのはきっとそういう類の人種なのだろう。

 確かに彼らの存在は美しいけれど、安易に近付こうと思うのはやめた方がいい。私にはそういうの、本当に向いていないんだから。理想はいつだって実現不可能な物語の世界にしかなくて、この手で境界を越えて触れようと試みるたびに、あまりに鮮明な幻を見ていたのだと気付かされて疲れるだけ。それを考えたくないのに、考えるのをやめられない。

 怠惰と無気力の側に針が振り切れると、今度はなぜか何かを異様に頑張りたくなってしまう。どこまでも矛盾している。

 ただ、その繰り返しが終わらない人生。これが生まれ持った性質なのだから仕方がないと思う。今年は「ちょっと駄目」になりたい。物事に熱を上げて取り組むまではいいが、間違っても目標を設定したり、執拗に追ったりしない。極限まで突き詰めてみよう、などと心に決めない。その時本当に気が向いたことしかやらない。だってただでさえ、生存にはやりたくない面倒な諸事がつきものなんだから。

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はてなブログ 今週のお題「2020年の抱負」