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彷徨する自由帖

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辿ってきた紆余曲折は、自分の強みになり得るだろうか? - 人生を振り返る24歳児

 

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大昔の油彩画

 Twitter上で #10年を振り返る タグが流行っていたのが、今から約数か月前のこと。

 その頃、私は24歳の誕生日を迎えた。とはいえその実感は全く湧かないけれど。

 世間ではまだ若い、の部類に入るこの年齢を思うと、何かをコツコツ積み重ねるのが苦手な自分が辿ってきた、これまでの紆余曲折が頭に浮かんでくる。そして「継続は力なり」を体現するような同年代、もっと言えば年下の世代の輝かしい活躍が視界に入るたび、羨望と畏怖の目を向けずにはいられない。私は、彼らのようには絶対になれないからだ。

 小さい頃から好奇心旺盛で、何事にも興味を持って取り組むタイプだったけれど、同時にひどい飽き性でもあった。熱を上げて夢中になっても、目に見える結果が出なかったり評価が与えられなかったりすると、すぐ嫌になって脇に放り出す。褒められたかった。1番になりたかった。逆に言えば、そうなれないものは続けたくなかった。

 習い事なら教材や道具への投資にも決して安くないお金がかかっているのに、もったいないと思うよりも継続する苦痛の方が勝るから、最終的にはやめてしまう。

 今までの人生の中で、大抵はその繰り返し。

 絵を描くことと美術を学ぶことだけは、意識的に長く続けられた唯一のものだった。頑張った結果、ずっと通いたかった欧州の美術大学にも入学でき、そこに2年半のあいだ在籍していたものの、自分を限界まで追い込んで鬱になり、お金も無くなり、結果的に中退してしまうことになる。

 やがて、あることに気が付いた。

 それは、好きだと思って始めたものが課題成績、人気、ノルマ、売り上げのような言葉と結びついた途端に、自分の心はひどい拒否反応を起こす――ということ。気が向いたときに、気の向くままにできなければ、それは「好きなこと」の枠から外れてしまうのだ。毎週決まった時間に、決められた枠の中でやらなければいけなかったり、生活がかかった状態で取り組んだりするものは、ただの義務でしかなかった。

 その証拠に、読書や散歩など、小さい頃から気ままに続けている趣味をやめようと思ったことなどない。仕事でも義務でも目標でもない、ただ心のままに楽しんでいられる類のものたち。私の中で「絵」は、ひとつの垣根を越えてしまったのだ。

 美大在籍中も、「大学まで進んだからには卒業後もこれを本業にし、絵で稼ぎながら生きていかなくてはならない。でなければ意味がない」という強迫観念がいつの間にか生まれており、毎朝起きるたび吐きそうになっていたことを思い出す。そんなことは、死んでもしたくない。

 だから最近頻繁に聞くようになった、好きなことを仕事にして稼いで生きる、なんていうのは、どう考えても無理なのだった。仕事になった瞬間、それは自分にとっての「義務」になってしまうから。とはいえ、嫌いなことはもっともっとやりたくない。なんてわがままな性質なんだろう。我ながら少し気持ち悪いとすら思う。

 でも、これがだった。

 この身と心を抱えて生きていかなくちゃならない。

 周囲で活躍しているのは、昔から好きだったことを地道にやり続けて、10代後半から20歳を超える頃にはどんどん結果を出してきている人達ばかり。一方、もうすぐ24歳にもなる私は、一体何を具体的な形にできているだろう……。当時は眩しさに目がつぶれそうで、情けなくて、彼らを直視できなかった。こんな有様だから、もう周囲に対してコンプレックスを感じるどころの話ではない。あるのは圧倒的な敗北感。そして、無能感だ。

 大学中退後に仕事を探しながら、本当に悩んだ。そもそも、私が本当にしたいことは、この人生を通して実現したいこととは、一体全体何なのか。

 今までの私が途中でやめてしまったものの数々は、本当に実を結ばず、何にもならなかったのだろうか?

 ――いや、決してそんなことは、ない。今まで触れてきたこと、学んできたことの全ては、常に私の生活をより豊かにしていた。ずっと続けることができなくても。それを「本業」にできなくても。

 何かを一度もやったことがない人より、少しでもかじったことがある人の方が、引き出しの数(だけ)(無駄に)多い。鬱や大学中退といった、一般的にネガティブとされる経験も、考え方によってはネタにできる。不本意ながら、それは紛れもない自分の強みだったし、存分に使いたいと思った。

 あわよくば、これまでの人生を通して出会った悲しみも苦しみも、積極的に話題として利用したい。世界中の大半の人間は感傷的な気分になったとき、ただそれに浸るだけ。だが、こうして文章などの形にして晒しておけば、どこかの誰かが読んでくれる。

 いつか、自叙伝か何かでも出そうか――課題にも、生活のための仕事にも、全く関係のないところで書いたものを。事実とフィクションを織り交ぜて。1年前、ふと頭に浮かんだ面白そうなアイデアは、職探しと自分への失望ですっかり憔悴していた心に射した、一筋の光のように感じられたのを憶えている。とりあえず目標があれば、生きる理由になる。本や冊子が作りたい。

 昔は画家や作家みたいに、物語の始まりをその手で紡げる人に憧れていたし、なりたかったけど、私にはびっくりするくらい向いていないみたいだ。なら、それでもいい。

 これだけ飽き性で、気まぐれで、意志薄弱なのに、この人生で何も形にできず死んでいくのだけは、何故か絶対に嫌だと感じている。昔から。意味が分からない。

 こんな自分のことだから、きっとこの先もやりたいことはころころ変わるだろう。でも、それでいい。人生に起こる全てを創作のネタとして昇華する、くらいの気概があった方が、毎日が楽しくなるかもしれないじゃないか。

 まあ、本当に心からそう思えるのかどうかは、全く分からないんだけどね。