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元町公園・ジェラールの瓦工場と水屋敷跡、静かな近代産業の史跡|横浜山手の丘散歩Ⅰ

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 横浜元町は、明治・大正期の雰囲気や史跡が好きな人にはうってつけのお散歩スポット。

 西洋館をはじめとした異人達の暮らしの痕跡や、歩道の傍らに自働電話ボックスの復元などがあり、どのエリアを歩いていても当時の雰囲気を偲ばせる何かに出会える。文化的な激動の時代に、日本にもたらされ輝いていたもの、あるいは人知れず静かに花開いていたものの一端に触れることができる。

 なかでも、夏に市営プールの利用者で賑わう元町公園は、それ以外の季節(特に秋冬)だとひっそりとしている穴場。敷地内にはフランス人実業家アルフレッド・ジェラールが所有していた瓦工場と水屋敷の跡が残っているので、近代産業系の遺産に興味を持っているならそっと訪問をおすすめしたい。

 地味ではあるけれど、本当に素敵なところなので。

 

参考サイト:

元町公園公式サイト|公益財団法人 横浜市緑の協会

横浜市 - 市役所トップページ(旧サイトのアーカイブ)

 

 

元町公園

 

 入り組み曲がりくねった道や、険しい坂と階段に翻弄されながら山手の洋館群をめぐるのは、人気のお散歩コース。ただし歩きやすい靴でなければ、この巡礼に長時間耐えるのは難しいだろう。空模様の優れない日なら尚更のこと。

 私が最後に元町散策をしたのは雨上がりの後だったことを憶えている。緑色の苔が、コンクリートに刻まれた無数の丸い溝に詰まっていて、さもここで足を滑らしなさいと語りかけてくるかのようだった。

 公園の敷地内、ベーリック・ホールとエリスマン邸のある丘をてっぺんから下っていくと、やがて眼前にプールが見えてくる。その入り口となる建物は赤錆色のフランス積み煉瓦造りで、屋根には瓦が葺かれていた。ここは元町公園プール。

 かつてフランス人実業家アルフレッド・ジェラールが営んでいた、瓦・煉瓦工場の跡地に建てられた公共の施設だ。

 

 

 写真に写っている水泳場事務局の屋根の一部には、当時製造されたがそのまま使用されていた。確認されている一番古いものは明治6年製のもの。

 19世紀半ば――横浜に居を構えた外国人たちが家を建てるのに必要な、西洋瓦(単に洋瓦とも)の需要に目を付けたのがジェラールだった。彼は、日本で初めて洋瓦の製造を工場で行った人物になる。

 その品質は高く、後に「ジェラールの瓦」を騙る偽物も登場してきたため、類似品に注意するよう勧告をしなければならないほどだったらしい。ここでは他にも煉瓦やタイル、土管など、蒸気機関を利用してつくる様々な製品が生み出された。

 

 ほんの僅かながら、ジェラール瓦が実際に残っている洋館が今も根岸にある:

 

 

 私は近代の産業遺産が好きで、現地に足を運びながら所縁ある人物のことをよく調べているのだが、当時名をあげた実業家の先見の明や探求心、行動力にはいつも驚かされるばかりだ。

 彼らはこれから何が必要とされるのかを的確に見極めて、研究し、ビジネスにしてきた。時には個人的な興味で行った実験が国の産業の発展に繋がったこともある。

 元のジェラールの工場は関東大震災の際に倒壊してしまったが、元町水泳場事務局の佇まいはその歴史の一端を確かに受け継いでいた。

 

詳細:45.ジェラールの瓦とレンガ|横浜市中区役所

 

 

 花型の盆とライトアップが綺麗な元町公園の泉。

 ジェラールは瓦工場設立以前にも、この地の谷戸で産出される良質な湧き水を利用して、飲料水の事業を立ち上げていた。近隣の外国人居住地や、横浜に寄港する船舶への給水は土管を経由して行われていたが、その一部は地面に埋まったままで未だ発掘されていない。

 その事実を思いながら周辺を歩くと何だかどきどきしてくる。

 貯水のため建てられた施設は人々から水屋敷と呼ばれ、現在その痕跡は国の有形文化財に登録されている。跡地に満ちる澄んだ水をのぞき込むと、鮮やかな色の鯉が何匹か優雅に泳いでいた。

 

詳細:47.ジェラールの水屋敷|横浜市中区役所

 

 元町公園の北側で展開されているのは、湧き水と石段を使った瀟洒な雰囲気の広場だ。素敵なキャスケード。

 プール利用客の方々で賑わう夏以外に訪れる人は少ないので、ゆったりとした雰囲気と、ところどころに残る近代産業の痕跡を楽しむのには最適な場所。

 

 

 そんな園内ではの姿を多く確認することができる。訪れる人々に可愛がられているのか、少し太り気味で、とても人に慣れている様子だった。

 特にこの一匹は近付いても全く逃げようとしないので、思う存分眺めた後に写真を撮らせていただいたのだが、君、随分と大人しいねぇ......。これから寒さが厳しくなるので温かくしていて欲しい。

 また、この時は公園を訪れた時間帯が良かったと思う。日の入りの前後、決して真っ暗闇ではないけれど、徐々に街灯なしでは歩きにくくなる頃。気が付いたら点いていた幾つかの電燈が水面にオレンジ色の光を落とし、それが微かに風で揺らめいていた。どこか提灯を持った人間の行列を連想させられる。

 木々に囲まれた薄暗さも相まって、まさに逢魔が時という感が強い。

 

 

 そこに在る空気の色が美しい。

 

 

 設置されたこの電燈も、訪問者がこの土地から受ける印象に合致するような、お洒落な造形のものだった。

 まるで灯台のてっぺんの部分みたいな。あるいは......何だろう。光を囲う棒は、ヨーロッパの庭園によく置かれている、四阿の柱のようにも見える。上の丸い部分は、紳士のかぶるハイカラな山高帽。

 石段を下って、流れる水を横目に出口へと向かうと、しばらくして右手に水屋敷の跡が近づいてくる。もう少し行くと元町商店街が広がっていて、食べ物と珈琲のいい匂いが周囲に漂うはずだ。散歩を終えた私はこれから自分の住まう家に帰る。

 元町・中華街駅から電車に乗って。

 

 

 ジブリアニメ版「コクリコ坂から」に登場する少女・のように、いつか山手や元町地区の高台に住まい、近代と現代の空気を肺一杯に吸い込みながら毎日坂を上り、そして下ってみたいと時折思う。

 私は同じ横浜で生まれ今も変わらず市内に住んでいるけれど、自宅の周辺は見渡すかぎり丘と森、そして田畑が広がっているような場所で、大好きな近代日本の風情を感じさせる史跡はほとんど無いからだ。こんな風にしてわざわざ出向かなければ。

 ......と、ぼやいてはみたものの、別に今の町も暮らしも決して悪くないと思っている。

 緑が多く閑静な場所で、電車やバスに乗る必要はあるが、その気になれば元町方面にだってすぐに出ていけるので。

 

 現在の居住地にも、好きな史跡のある町にも同じくらいの思い入れがある。

 これからもたくさん旅行や散歩をして、日本だけではなく世界中のどこかで、一度は住んでみたいと思えるほど心に残る土地に出会いたいもの。

 何か所でも、そんな場所を作ることができたらいい。

 

 

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