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《死後の恋》夢野久作 - ロシア|近代日本の小説家による、外国を舞台にした短編のお気に入り(3)

 

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 前回は、イギリスを舞台にした夏目漱石の作品《倫敦塔》を紹介しました。

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 王朝文化が栄華を極めた帝国から、ソヴィエト連邦への変遷をたどったロシア......二月革命が勃発しロマノフ朝が潰えて、最後の皇帝ニコライ2世の一家全員と飼い犬、従者が処刑された20世紀初頭。彼らはみな銃で撃たれたり、剣で刺されたり殴打されたりした後に火をかけられ、最後には無造作に森に埋められた――。

 事件そのものの凄惨さが話題を呼んだのに加えて、まだ不明瞭だった殺害状況と死体の判別の難しさから、ある噂がまことしやかに囁かれるようになる。それは当時、皇帝の末娘だったアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァが逃げ延び、今もどこかで生きているのではないかという一種の伝説。これに乗じて遺産をねらう偽物が何人もあらわれて、一部の人々は熱狂し、謎めいた状況は混乱を極めたそうだ。

 このアナスタシア伝説を題材にした作品は多い。私の愛するミュージカルアニメ映画《Anastasia(1997)》や英国ロイヤル・バレエの演目のほか、最近ではスマートフォンゲーム《Fate/Grand Order》のサーヴァントとして、アナスタシアがキャラクター化され登場している。

 今回の記事で紹介する短編小説《死後の恋》も、そんな伝説に着想を得た物語のうちのひとつだった。

参考・引用元:

青空文庫(電子図書館)

※物語の内容やその詳細に言及しています。ネタバレ注意。

※また、この記事中で紹介しているのはパブリックドメインの作品です。

夢野久作(1889~1936)

 いま私の手元には夢野久作の短編集《瓶詰の地獄(角川文庫)》があるが、カバーの折り返しに記載されている著者の経歴は、一言でいうと混沌としている。

日本右翼の大物、杉山茂丸の長男として生まれる。(中略)慶應義塾大学文学部中退。禅僧、農園主、能の教授、新聞記者と、種々の経歴を持ち、1926年「あやかしの鼓」を雑誌発表して作家生活に入る。

 これを2回、3回くらい読んでも文字が頭に入ってくるだけで、彼の人生の全貌は全くつかめた気にならない。種々の経歴、という言葉では到底片付けることのできない何かを強く感じる。47年の短い生涯を通して著された物語も幻想的・狂気的な雰囲気を纏った怪しいものが多く、特に難解な《ドグラ・マグラ》は日本三大奇書の一つとしてよく話題に上るため、未読でもその名前だけを知っている人は少なくないのではないだろうか。

 だが、彼の作品群はそれらの目立つ要素を抜きにしても、文句なく面白い。文章表現も美しく魅力的だ。個人的には、おそらく新聞記者として勤めた経験から培われたと推察できる表現や場面が、とても良いと思う(例えば短編《けむりを吐かぬ煙突》などにそれが出てくる)。単に変わっているだけの小説だ、という先入観で夢野久作を敬遠している人がいるならば本当にもったいない。もちろん、好みの分かれる作風であるのはわかる。

 手軽に読める長さの物語も多いので、まずは一度手に取ってから、その面白さを判断してほしいと願わずにはいられない。

  • 《死後の恋》あらすじ

 物語は、みすぼらしい服を着たロシア人の男ワーシカ・コルニコフの回想と独白の形式で進む。舞台はロシアの浦塩(ウラジオストク)。

 コルニコフに突然「私の運命を決定(きめ)てください」謎の言葉で呼び止められ、レストランへと引っ張り込まれた一人の日本兵は、成り行きでその話を最後まで聞くことになるのだが......彼曰く、今まで数多の人間にある秘密を打ち明けてきたものの、誰一人としてそれを信じなかったのだという。

ですから誰でもいい……この広い世界中にタッタ一人でいいから、現在私を支配している世にも不可思議な「死後の恋」の話を肯定して下さるお方があったら、……そうして、私の運命を決定して下さるお方があったら、その方に私の全財産である「死後の恋」の遺品をソックリそのままお譲りして、自分はお酒を飲んで飲んで飲み死にしようと決心したのです。

 白髪交じりの中年に見えるコルニコフの相貌だが、実際はまだ24歳の若者で、帝国時代の貴族の血を受け継いでいると語った。周囲からは戦争体験により精神病を患った狂人だと思われており、かつて所属していた白軍からも追い出されてしまったらしい。

 記事の冒頭で述べたロシア革命の折に両親を喪い、半ば自暴自棄になって軍隊にいた彼は、流れ着いた部隊でリヤトニコフという兵士と出会う。コルニコフと同じモスクワの出身らしく、革命以前の王朝とその文化――美術や音楽を愛好している共通点から、二人は兄弟同様に親しくなり、しばしば話し込んだ。

 周囲に分かり合える人間がいない中、無二の友人を見つけた彼らの喜びは想像に難くない。

起居動作が思い切って無邪気で活溌な、一種の躁ぎ屋と見えるうちに、どことなく気品が備わっているように思われる十七、八歳の少年兵士で、真黒く日に焼けてはいましたけれども、たしかに貴族の血を享けていることが、その清らかな眼鼻立ちを見ただけでもわかるのでした。

 リヤトニコフはちょっと不思議な雰囲気を持つ少年だった。

 ある日、コルニコフが斥候に向かうことが決まり、分隊の仲間に別れの挨拶をしようと部屋に戻ると、酷く浮かない顔で座り込むリヤトニコフによって外へと連れ出される。そして人気のない場所まで来たとき、彼が革のポーチから取り出して見せたのは眩く輝く、何十粒もの大きな宝石だったのだ。貴族の家に生まれ育ち、宝石を愛好していた人間として、それが偽物でないことはすぐコルニコフに分かった。

 状況が全く把握できない彼に対して、リヤトニコフは語り始める。かつて革命の機運を察した両親が、折を見て家を再興させて欲しいとの願いを込め、彼に血統の証明と結婚費用に使える宝石を託してこっそり逃がしたこと。生家を出てからは、モスクワで大学生に変装して音楽教師をしていたこと。そして――軍に徴用されてから、自分の家族が過激派に殺された、という噂を聞いてしまったことを。

……私はリヤトニコフが貴族の出であることを前からチャンと察しているにはいましたが、まさかに、それ程の身分であろうとは夢にも想像していないのでした。

 目の前にいる人間が打ち明けた事の内容に慄きながらも、コルニコフはいくつかの疑念を捨てきれない。仮にこの少年がニコライ2世の血縁だとすると、三女マリアと末息子アレクセイの間の年齢でなければならないが、皇帝には他に男の子どもがいなかったはずだ。また、なぜリヤトニコフが、これらの宝石を彼に見せたのか......コルニコフにはその理由がさっぱり分からなかった。

 果たしてリヤトニコフは誰なのか。そして、「死後の恋」とは一体何なのか。薄々勘づいている人も沢山いることと思うので、この先はぜひ本編で。

 次の項にはたくさんのネタバレがあります。

 

  • 好きな要素

 夢野久作の文体の中では三点リーダーがよく使われているのだが、これが彼の作品に大きな魅力を添えていると私は思う。決して無駄には多用されておらず的確で、一人称の語りに独特のリズムを与えており、読んでいると思わず引き込まれてしまうのだ。

……ところでウオツカを一杯いかがですか……ではウイスキーは……コニャックも……皆お嫌い……日本の兵士はナゼそんなに、お酒を召し上らないのでしょう……では紅茶。乾菓子(コンフェートム)。野菜……アッ。この店には自慢の腸詰がありますよ。召し上りますか……ハラショ……。

 静かに話を聞いている日本兵の目の前で、コルニコフが胡散臭く、忙しなく喋る様子がはっきりと思い浮かぶ。「野菜......アッ。」という部分などは特にたまらないものがあるが、皆さんはどう感じるだろうか。

 加えて、ところどころに登場するカタカナの表記。

チットモ御存じなかったのですね。ハハア。ナルホド。

ゼヒトモ一度ゆっくりとお話ししたいと思っておりましたのです。

・不意にケタタマシイ機関銃の音が起って、私たちの一隊の前後の青草の葉を虚空に吹き散らしました。

 通常は漢字とひらがなにする表記をカタカナに変えただけでどこまでも怪しい。これらの文体を、私は勝手に夢Q節(ゆめきゅうぶし)と呼んで愛好している。

 《死後の恋》の中で物語が大きく動くのは、ウスリからニコリスク(双方とも地名)へと向かう彼らの軍の部隊が、道中の小さな森付近で敵に襲撃されるところ。この部分には前述したような三点リーダーが殆ど使われておらず、漂う緊迫した雰囲気を強調しているようだった。文中の表現を借りれば「小鳥の群れのように」頭上を飛び交う弾丸、負傷し身を伏せて辺りを見回すコルニコフと、森へと逃げていく仲間たち――そこには、リヤトニコフの姿もある。

 やがて、コルニコフ以外の全員が森の中に消えた後、激烈な銃声が聞こえて数十秒の後に止んだ。何事かと皆を追った彼が緑に分け入り、そこで目にしたのは、あまりにも凄惨な光景だった......。

三十幾粒の宝石は、赤軍がよく持っている口径の大きい猟銃を使ったらしく、空砲に籠めて、その下腹部に撃ち込んであるのでした。私が草原を匐っているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったのでしょう……そこの処の皮と肉が破れ開いて、内部から掌ほどの青白い臓腑がダラリと垂れ下っているその表面に血にまみれたダイヤ、ルビー、サファイヤ、トパーズの数々がキラキラと光りながら粘り付いておりました。

 リヤトニコフの少年......ではなく、実は少女だったその身体は敵兵(赤軍)に蹂躙され、引き裂かれ、しまいには樹の幹から吊り下げられ宝石を撃ち込まれていた。

 ここで断っておくが、私は血液や内臓が出てくる小説や映画などの作品があまり得意ではない。どちらかというと苦手な方だ。だが、《死後の恋》のこの部分で展開する風景のことは恐ろしいだけでなく、心から美しいと思った。

 もちろんこの短編は一人称なので、語り手が本当のことを話しているのか、嘘を言っているのか、読者には結局分からないのだが。

エッ……エエッ……私の話が本当らしくないって……。
……あ……貴下もですか。……ああ……どうしよう……ま……待って下さい。逃げないで……ま……まだお話しすることが……ま、待って下さいッ……。
ああッ……
アナスタシヤ内親王殿下……。

 私のブログをここまで読んで下さった方々はぜひ、小説の全文を読んで、コルニコフの話を最後まで聞いてあげて欲しい。

夢野久作 - 死後の恋 全文|青空文庫

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 次回、この連載の最後では中島敦の《文字禍》を紹介したいと思います。