前回の記事の続きです。
参考サイト・書籍:
Visit Gozo(ゴゾ島観光情報サイト)
Gozo Tourism Association(ゴゾ観光協会のサイト)
ゴゾ島(Gozo)
マルタの本島からフェリーで渡ったゴゾ島は、総面積がおよそ67平方キロメートルとかなり小さい島だ。
これは日本・神奈川県内に位置する平塚市の面積とほぼ同じ......なのだが、近辺に住んでいない人には絶対に実感として伝わらないので、全く役に立たない例えなのだった。こんなところで同県民としてのアイデンティティーを前面に押し出してもしょうがないと思う。……話を元に戻そう。
民家も少ないジュガンティーヤ神殿周辺(前回の記事後半)や郊外の丘は特に、眼前に広大な畑や地平線がみられるような、牧歌的で静かな雰囲気の場所だった。だからこそ、毎日訪れては去っていく沢山の観光客の動きが目立つ。
ゴゾ島はマルタ島の住人と比べても敬虔なカトリック教徒の割合が多く、比例して沢山の教会と聖人の像が土地の上に佇んでいる。それゆえ、路地を歩きながら、街全体に散らばるキリスト教関連のモチーフを探すのがとても楽しかった。
今回は島の中心部、ヴィクトリアへと向かう途中でご飯を食べる。
焼いた白身魚と、ゴゾチーズ(ジュベイナやイルコッタ)を使ったキッシュ、地元のビールだと言われたものを口にした。どれも夏の気候によく合う味で、お腹が膨れた途端すぐにホテルに帰って寝たくなった。
そういえばこの旅行中は、いつにも増して怠惰な気分に支配されていたのを思い出す。リゾート地の無駄にゆっくりと流れる時間にあてられてしまったのだろうか。
ともあれ、ご飯が美味しいのは本当に良いこと。
最近気が付いたのは、私は日常的な食事の中で好きなものを意識して食べないと、どんどん元気がなくなっていくということ。食べ物に対する執着はそこまで強くない......と昔から思い込んでいたが、実際はその真逆であったらしい。意外と分からないものだ。閑話休題。
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ヴィクトリア(Victoria)
この辺りに差し掛かると、バスの窓から見える風景に交じって、人間や車の数がぐっと増える。かなりの賑わいだ。お昼時だったこともあって、カフェやレストランがひしめく広場には大勢の人々が集い、憩っていた。
最初はどこへ行けばいいのか分からなかったから、少し細い路地へ入って、閑静な住宅が立ち並んでいるところをゆっくりと歩いてみる。
植物の鉢を表に出しているところが多く、個人的にとても癒されるので嬉しい。
マリア様とキリストの像がよく道の分岐に立っている。
他にも、この通りは近くに聖ゲオルギウス(ジョージ)の名を冠した教会があるためか、家々の玄関横には彼を象った像やタイル、絵などがあちこちで見られた。
馬に跨った男。彼が手に持った槍で突き刺すのは、長い体をくねらせ、のたうち回るドラゴン。
ゲオルギウスは怪物退治のエピソードで知られる、兵士や農民の守護聖人だ。
いままで数多の芸術家が画布の上に表してきた彼の姿と物語には、ギリシア神話に登場するペルセウスとの関連性も少なくないように思う。ひとりの騎士が、怪物の手に落ちた高貴な女性を救う――という構図の面でも。
ちなみに英国・イングランドの国旗は白地に赤線がクロスする図案だが、これは聖ゲオルギウス十字といい、彼の殉教によって流された血を象徴している。
個人的に、血液は流されればすべからく「布に染み込むもの」だという図式が頭の中にあるので、旗のデザインの中に血があしらわれているのは必然的な感じがして面白かった。
坂を下っていくと、やがて教会(バシリカ)が左手の方角に現れる。
17世紀頃に建物の基礎が築かれたという、大理石で覆われた教会。
内部に一歩足を踏み入れると、まず優美な色彩と筆致で描かれた天井画に心を奪われる。これはローマ出身のジョヴァンニ・バティスタ・コンティの手によるもので、軽やかな感じが好きだった。施された金の装飾も豪華ながら、主張が激しくないので目に心地よい。
人の姿はほとんどなく、揺れる蝋燭の灯りを眺めながら、しばらく中の椅子に腰かけて休憩させてもらった。外はかなり日差しが強くなってきていたから、屋根の下にいるととても涼しいのだ。
静寂に包まれた教会内とその周辺も、何らかの催しが開かれるときはがらりと様相を変える。4月23日の祭日に加えて、7月の第2週目には盛大なフェスティバル。
教会の外装は電飾で彩られ、内装は赤い布で包まれ、聖ゲオルギウスの精巧な人形が登場するのを人々が見届けに来る。
群衆に囲まれて前方を静かに見据える彼の足は、しっかりと怪物の竜を踏みつけている。
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城塞(Ċittadella)
まるで装甲のように幾重もの壁で構成された、城と軍基地と大聖堂、それから牢獄の集合体。上空から撮影された写真に収まるのは、どこか海上の戦艦を連想させる雄姿。
フィルフラ島を見た時も同じ感想を抱いたのを思い出す。ヴィクトリアの中心部を占める「もうひとつの街」――この建造物こそが、ゴゾの城塞(チッタデッラ)だった。
現在は、僅か2~3世帯の家族のみが実際に壁の中で生活を営んでいるらしい。
マルタ共和国は長い間、周囲から支配の手を伸ばしてくる諸外国の勢力や海賊の脅威に晒されてきた。特に17世紀当時、ヨハネ騎士団の時代にはオスマン帝国との長い争いが続いており、ここもゴゾ島民の避難場所として機能した。
背の高い壁に囲まれて、随分と狭められた青い空を見上げる。
強固な要塞は私一人がいくら力を込めたところで崩れることはない。だが、仮に対峙していたのが何百、何千という兵の軍勢だったとしたら、壁の中のどこに居たところで不安に際限は無かっただろう。思いがけない場所から密偵が忍び込んでいるかもしれないし、いつ前線が突破されるのかも分からないのだから。
史跡を歩いていて誰ともすれ違わないと、今が一体いつなのかを忘れてしまいそうになる。
首をうんと伸ばし、壁越しに街を俯瞰した私の目に飛び込んできたのは敵兵の影ではなくて、穏やかに民家の立ち並ぶ風景だったのでほっとした。頬に当たる風が涼しい。
こうしていると、自分があと数日もしないうちに飛行機に乗り込んで帰宅の途につくことが、どうしてか信じられないような気分になった。
一つでも通りを間違えるとさっき居た場所に戻ってきてしまう。
まるで、迷路のようだ。かつての人々の居住区は廃墟化するままの状態となっており、揺れる植物の枝葉だけが何事かを訪問者の耳にささやいたかと思えば、素知らぬ顔で黙ってしまうから心細い。
ぐるぐると徘徊しながら、半ば迷い始めている私のことなど一顧だにせず、柔らかな仔猫が城塞の壁に背を預けてまどろんでいた。くたっと力を抜いていて、非常に可愛いと思う。
細い尻尾とか。
また、牢獄・監獄に多少の興味を持っている人間として、この場所でもオールド・プリズンを訪問せずにはいられなかった(国内では以前、名古屋市市政資料館の地下にある監獄跡を少し覗いている。いずれ北海道の網走監獄にも行きたい)。
自分がどうして牢屋という存在に惹かれるのかは分からないが、その薄暗さと怪しげな雰囲気に加えて、何らかの物語の中で重要な位置を占めることが多いからかもしれない。収監される人間、脱獄する人間、無実の囚人や明日の執行を待つ死刑囚など、罪と罰をめぐる人物やそれぞれが抱えた事情は物語として面白いのだ。
欲を言うならば現代ではなく、時代を大きく隔てた昔に起こったことがより良い。軽率に手が出しやすくて。
実際にオールド・プリズンの中に入ってみて、その狭さに圧迫される感覚を体験する。ほんの数分だけなら何ということはないが、太陽の光が直接差し込まない房で毎日過ごすのはなかなかに堪えるだろう。言うまでもなく娯楽も存在しない。
ただ、この監獄は石鹸の配布や定期的な入浴がきちんと義務付けられているなど、衛生面に特に配慮した空間ではあったらしい。
石鹸の話だが、人口密度の高い場所では感染症が蔓延するリスクも高くなるので、その影響を受けないような工夫が閉じられた場所では特に必要だったのだろう。しかし涼しくて居心地が良かったのを憶えている。
日常生活の中で、罪悪感にかられた魂を心の中の牢獄に放り込む際も、定期的な掃除と入浴が必要なのかもしれない。……書いていて意味が分からなくなってきた。
この、中世の城塞が経験してきた歴史の一端を覗いた後、向かったのは数々の奇跡が観測された聖なる場所。それがゴゾの荒野にぽつんと佇む、タ・ピーヌ教会の聖堂だった。
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タ・ピーヌ教会(Ta' Pinu)
聖堂の正確な起源に関しては不明。
しかし、ローマ教皇・グレゴリオ13世によって派遣された使者がゴゾ島を訪問した16世紀には、既に小さなチャペルがこの場所に存在していたということだけが知られている。
グレゴリオ13世の使者は、半ば廃墟と化していた教会の劣悪な状態を目にして、解体を命じた。ところが、いざ工事を開始しようと作業員が工具を振り下ろすと、教会の柱ではなく人間の腕の方がポキリと折れてしまったというのだ。
その現象は何らかの天啓として解釈され、解体は中止される運びとなる。やがて17世紀初頭、資金調達と建て直しが行われ、新しい祭壇画もアマデオ・ペルギーノに依頼された。
見渡すかぎり何もない土地に立つ教会を眺めるのは、どこか不思議な気分だった。季節によっては周囲に紫の花が咲き乱れるようだが、6月の頭ではそんな気配もない。この風景も昔はもっと閑散としていたのだろう。なんだか暮らすのには厳しそうだという印象を与えられた。
上に引き続き、1853年に二度目の不思議な現象を観測したのは、教会を横切ろうとしたとある女性だったそうだ。
彼女が神秘の声を聴いた後、他にも絵の聖母が語り掛けてくるという人間が現れた。評判が広まるにつれて参拝者の数は増加し、タ・ピーヌ教会を訪問したことで何らかの恩恵を受けた、という報告も絶えなくなる。
かくして著名な信仰の拠点となったこの場所は、20世紀末に法王ヨハネ・パウロ2世を迎えて、ミサを執り行った。
教会の内外を飾るモザイク画も、ステンドグラスも美しい。
私はよく、俗世から距離を置いて神やそれに匹敵する存在に仕え、粛々と残りの人生を送りたいと夢想することがある。別に宗教でなくとも構わない、何か軸になる信仰を心の底で欲しているのだ。生まれてこの方、それは常に暫定的で、移り変わっていて定まることがない。
けれど自らの本当の望みを叶えるには、それでは不十分なのだということも分かっている。
自分は自分なりの巡礼を続けるしかなく、その過程で遭遇するいかなる悲しみや苦しみも受け入れなくてはならない。どんな風に世界と接続したら良いのか未だに分からない私は今日、こうしてカタカタとキーボードを叩き、教会の写真に魅入られながら24歳の誕生日を迎えた。
何を探しているのかわからずに彷徨うとき、指先に触れるロザリオの十字の冷たさは心の拠り所になってくれる。
教会は信仰を持たない人間でも拒まず、常にその門戸を開いているから。
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次回、マルタ旅行記(4)の内容は古都・イムディーナ散策と、そこでの魅力的な中世の邸宅見学です。
関心のある方はぜひ: