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《うたかたの記》森鴎外 - ドイツ|近代日本の小説家による、外国を舞台にした短編のお気に入り(1)

 

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 が好きだ。なかでも、小説を手に取ってよく読む。 けれど「読書家である」と胸を張って言えるほどに冊数を重ねているわけではない。この世の中には"本の虫"としか表現のできない類の人達が沢山いて、一日に一冊以上の本を、まるで息をするように読んでいる。書の大海を泳ぐサメのごとき彼らに比べれば私などは、たぶん、庭に出したビニールプールで遊んでいる子供みたいなものだ。

 自分は多読な方ではなく、どちらかといえば、気に入った作品を何度でも繰り返し読みたいと思う。そうすることで初見では分からなかった事実や要素に気が付いたり、文章そのものの良さをひたすら噛み締めたりして、物語の世界を楽しんでいる。

 特に、高校時代から現在に至るまで夢中になって味わっているのは、近代日本の作家の小説。明治から大正にかけての時代に、文化的な激動を経験しながら生きた彼らの作品は、それが直接の主題ではなくても、紡がれた文章の端々から当時の空気を微かに伝えてくる。

 これから四記事に分けて紹介したい短編は森鴎外・夏目漱石・夢野久作・中島敦の手によるもので、面白いことに、全て外国の土地や出来事から着想を得ているものだった。どれも青空文庫に掲載されており、すぐに読み終わることのできる長さのお話なので、もしも好みに合いそうな未読の作品があればこれを機に触れてみてほしい。少し古い作品は難しそう、取っつきにくい……と感じている人も、試しにぜひ。

 作者の生まれた年が早い順にということで、今回は森鴎外の著作《うたかたの記》から紹介しようと思う。

参考・引用元:

青空文庫(電子図書館)

※物語の内容やその詳細に言及しています。ネタバレ注意。

※また、この記事中で紹介しているのはパブリックドメインの作品です。

《うたかたの記》森鴎外(1862~1922)

 作家だけではなく、官僚や軍医としての顔を持つ当時のエリート、森鴎外。本名を森林太郎という。非常に博学だったことに加えて、異様な「まんじゅう茶漬け」なるものを好んで食していた......という衝撃的な事実もよく話題になる、興味深い人物だ。

 二十代の頃にドイツ留学の経験がある彼は、同国を舞台にした作品を幾つか残している。中でもとりわけ有名な《舞姫》、そして《文づかい》と、今回紹介する《うたかたの記》は併せてドイツ三部作と呼ばれることも。どれも、彼の著作の中では比較的初期に生み出されたもので、後期のものに比べるとロマン主義的な特徴が強く出ているといえるだろう。

 美しい言葉によって紡がれる、まるで映像のような動きと色彩のある異国の情景には、初めてその頁をめくった時から強く心を打たれた。

  • 《うたかたの記》あらすじ

幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢いよく突立ちたる、女神バワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門に据ゑさせしなりといふ。その下よりルウドヰヒ町を左に折れたる処に、トリエント産の大理石にて築きおこしたるおほいへあり。これバワリアの首府に名高き見ものなる美術学校なり。

 バワリア(Bavaria)という呼称はバイエルン(Bayern)の英語(もしくはラテン語)表記に相当しており、今ではドイツ共和国を形成する州のうちのひとつだが、当時は独立した王国だった。

 そんなバイエルン王国の首都ミュンヘンに、極東の島国・日本からはるばるやって来た画学生が、この物語の主人公。名前を巨勢(こせ)という。巨勢は、同じように美術を学ぶ青年・エキステルと縁あってドレスデンの地で出会い、しばらく彼が通う美術学校に滞在して絵画の制作をすることになったのだ。

 エキステルの計らいで、放課後に学生たちが集い談笑するカフェ《ミネルワ》に連れてこられた巨勢は、皆に対する自己紹介の代わりに、とある出来事を語り始める。それは六年前の冬の日にこの地で出逢った、美しい菫売りの少女に関する物語だった。彼が過去に施しを与えた少女の瞳に魅了されて以来、どんなに優れた絵画の女神や天使たちを目の前にしても、その面影が脳裏に浮かんで離れないのだという。

そのおもての美しさ、濃き藍いろの目には、そこひ知らぬ憂いありて、一たび顧みるときは人の腸を断たむとす。嚢中の『マルク』七つ八つありしを、から籠の木の葉の上に置きて与へ、驚きて何ともいはぬひまに、立去りしが、その面、その目、いつまでも目に付きて消えず。

 しばらくはその幻影に囚われて制作も何も手につかなかったが、どうにかならないものかと悩んだ末、ついに記憶の中の少女を絵描きとして画布に刻み込もう――と決意する。そこで滞在することを選んだのが、他でもない藍の目の少女と邂逅した地、ミュンヘンだったのだ。

 長々と感傷的なトーンで(半ば涙ぐみながら)話す彼に対し、エキステルすらも若干の冷めた視線を向けるなか、皆からマリイと呼ばれている若い女性だけは驚きを隠せない表情で彼のことを見ていた。彼女は美術学校でモデルを務めており、容姿端麗だが突飛で奇妙な言動をするため、周囲からは狂人と称されることもある。

 実は、六年前の冬の日にかじかむ手で菫を売っていた美しい少女は、いま目の前にいるマリイその人に他ならなかったのだ。彼女と巨勢の「再会」から、物語は大きく動き始める。

 

  • 物語のここが好き

 文庫にしておよそ25ページ程度という短さの《うたかたの記》だが、読後はまるで壮大な映画を観た後のような感覚に包まれる。それは、おそらく主人公の巨勢も、読者すらも置き去りにしかねない勢いで颯爽と頁のうえを駆け抜けていった、マリイという女性の強さと儚さによるものだろうと私は感じた。そもそもこの短編の題にある「泡沫(うたかた)」とは、水に浮かんだ泡のようにすぐ消えてしまうものを表している。

 常に肝の据わった堂々とした態度で振る舞い、歯に衣着せぬ物言いもする反面、ふとした時に悲しみの表情を覗かせる彼女。しかもそれが聡明さゆえに生じる憂いであるのだから、存在に心惹かれない理由が見当たらない。

 ある日、「今は名を偽っているが、かつては宮廷画家の一人娘であった」と語るマリイの出自の真実を聞かされた巨勢。話を聞くあいだ、彼の胸にはこんな想いたちが渦巻いていたという。

或ときはむかし別れし妹に逢ひたる兄の心となり、或ときは廃園に僵れ伏したるヱヌスの像に、独り悩める彫工の心となり、或るときはまた艶女に心動かされ、われは堕ちじと戒むる沙門の心ともなりしが、聞きをはりし時は、胸騒ぎ肉顫ひて、われにもあらで、少女が前に跪かむとしつ。

 私も、巨勢とほとんど同じ感情を抱いた。マリイという女性には、その前に立つ人間に「膝をつきたい」と思わせるだけの何かがあるのだ。

 気晴らしにアトリエを離れて、その所縁ある土地・シュタルンベルクに建つベルク城を訪れようとマリイが提案した時も、巨勢はただ幼子が母に手を引かれるごとく従う他に術がなかった。まるで、そうするのが最も自然な行為であるかのように。

 街から城へと向かう道中、二人は馬車に乗る。湖畔の道には俄かに霧が立ち込め、空からは雨も降ってきたので、御者が母衣(ほろ)で車体を覆うべきか尋ねると彼女は拒否した。心地よさそうに水滴を受け、かつて菫売りをしていた自分を気にかけてくれた巨勢との再会を喜びながら、彼女は笑う。ここで、物語の中で最も美しく、最も自分の心を打った場面が登場した。

被りし帽を脱棄てて、こなたへふり向きたる顔は、大理石脈に熱血跳る如くにて、風に吹かるる金髪は、首打振りて長く嘶ゆる駿馬の鬣に似たりけり。

(中略)

「御者、酒手は取らすべし。疾く駆れ。一策(ひとむち)加へよ、今一策。」と叫びて、右手に巨勢が頸を抱き、己は項をそらせて仰視たり。巨勢は絮の如き少女が肩に、我頭を持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼の凱旋門上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。

 気分が高揚して色づいた、血管の透ける色白の肌が「大理石」に例えられているという時点で、もう胸の高鳴りが抑えられない。そこだけ読むと、マリイはまるで優れた彫刻家が手掛けた傑作のようにも思われるが、動かざる石像とは違い、首を振るたびに美しい髪が風を受けてうねっていた。

 雨足が強くなるに従って、彼女は馬車を速めるよう御者に命じる。その姿に気圧されて、空を仰ぐ勇壮な横顔を眺めることしかできない巨勢は、霞む視界の中で、ミュンヘンの街に佇んでいた女神の像とマリイをただ重ねるばかりであった――。

 この後に二人を待ち受けているのは、史実にも存在したバイエルン王国の王・ルートヴィヒ二世の死に関係する、数奇で切ない運命。ひとり残された巨勢はアトリエに籠り、一体何を思ったのだろうか? 行方と結末を見届けたいと少しでも思ったのなら、ぜひこの短編を紐解いてみてほしい。

 以下のリンクから全文が読めます。

森鴎外 - うたかたの記 全文|青空文庫

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 他に、関連する鴎外の短編では《普請中》がおすすめ。いつか皆さんの好きな物語についても教えてくださると嬉しいです。

 次回は、夏目漱石の《倫敦塔》を紹介したいと思います: