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彷徨する自由帖

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イギリスの美大を中退しようと決めたときのこと

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 昨年のいまごろ自分が考えていたことを、細部まではっきりと思い出すのは意外と難しい。けれど、私が大学を辞めるという重大な決断をするにあたって、心に生じた多くの「迷い」からひとつずつ答えを引き出そうと試み、奮闘していたことは確かだ。

 人が中途退学をする理由は、経済的なもの・健康上の問題や人間関係によるもの・または専攻する学問への関心の薄れなどと多様で、文字通りに生徒の数だけ事情がある。

 それらを通して浮き彫りになるのは、本人と学校との関係・家庭の状況だけではなく、自分を取り巻いている問題が一体何に起因するもので、どうすれば解決できるのかを考えるための糸口なのかもしれない。

 実際に私は、退学の決断そのものよりも、そこに至るまでに悩んだこととその内容こそが、当時本当に向き合うべき事柄だったのだと感じている。

 現在の自分の生活や考え方は、間違いなくその延長線上にあるからだ。

 

  • 「一人では何もできないお荷物」だった

 イギリスの大学、しかも美術大学に行きたいと言い出した娘に対して、母や義父が将来に期待していたことなど何もなかったと思う。

 学費と現地(ロンドン)での生活費だけで膨大な金額が飛んでいくのに、そのうえ美大、専攻はファインアートとくれば、それは「卒業後まともに食べていける保証が全くない世界」の代名詞だ。

 絵を描くことが好きで専門コースのある高校に入学した後、作品づくりに限らず、美術という学問そのものを深く愛するようになった私は、この勉強を続ける場所に、自分の最も興味ある芸術家たちの出身国・イギリスを選んだ。そこにまず行き、彼らに強く興味を惹かれる理由を探りたいと思ったのだ。とにかく知りたい。多くのことを学びたい。当時は、それ以外の願望が無かった。

 他人に、卒業した後はどうやって生きていくのかと嘲笑される中でも、両親だけは一度もそんなことを言わなかったのが印象的だ。うちは富裕層の家庭ではないし大した余裕もない家なのに、二つ返事で進学を支援してくれたのは、本当にありがたいという他ない。

 出してもらったお金をこれから返すことができるか全く分からないのに、彼らはただ静かに、惜しみなくこの背中を押してくれたのだ。

 だからこそ、ずっとそれを負い目に感じていた。

 私の存在を保障していたのは、いつだって自分以外の何か――この場合は家族の寛容さと財力――であって、私の力ではない。雑事に煩わされず全力で勉学に励めたのは彼らのおかげだ。こうして沢山の苦労をかけている両親が、突然倒れるようなことがあれば終わる生活。ただ、誰かに庇護されているだけの存在。

 それなのに、日々学んだことをさも「自分が一人で成し遂げたこと」のように思えてしまう瞬間があるのが恥ずかしく、情けなかった。

 他人の稼いだお金で毎日ご飯を食べて、学ぶことに没頭している私は、一体何なのだろう? この私の行いによって支えられている人や、救われている人は誰もいない。結果的に、自分勝手に好きなことをしている状態の自分に、何の価値があるのだろう。

 この問いが、はじめに心の中に生まれた迷いだった。

 

  • ここに存在するだけの価値を示せない

 そのまま大学生活を続ければ、誰かから与えられたものと、自分が誰かに与えられるものの総量の差はどんどん開いていく。私は学習を通して、両親や周囲の環境から享受するものに値するだけの何かを、きちんと示さなければならなかった。

 けれど、初めの方でも述べたように、ファインアートといえば「まともに食べていける保証がないもの」の代名詞。どういうことかというと、一般的な人間の、毎日の生活に関わる要素を見出すのが本当に難しいのだ。それが無くても困る人があまりいない。だから「これが成果物です。あなた方が私に投資した多額の金銭は、こんな風に形になりました」と示せるようなものが非常に少ない(仮にあったとしても、大衆を納得させられるような分かりやすさがない)。

 そもそも当時の私が心から望んでいたのは「学ぶこと」それ自体だったので、学問を何か他のもののために役立てることには全く興味がなかった。だから、どんなに真面目に取り組んでいても、単なる道楽だと罵られるのは仕方のないことだったのだ。 

 私にとって大きな意味を持つものが、社会の中でもそうであるとは限らない。それは、至極当たり前のことだ。

 もしも自分が必要なお金をきちんと稼ぎ、衣食住を自身で保障して、その上で好きな研究をしていたのなら何も問題ない。誰にも迷惑をかけていないし、咎められる理由など何処にもないはずだ。だが、当時の私は違った。

 他者から多大な援助を受けているのにもかかわらず、それに値するだけの成果物を示すことも、恩義を返すこともできないのなら、この身は社会に存在する一種の汚点にすぎない。どうすればいい? 何をすれば、私は自分の行為を正当な理由を持つものにし、存在を認められることができるのだろうか?

 学業の合間や週末にアルバイトを探して働いてみても、両親から借りている学費や、ロンドンの高い物価で圧迫される生活費を賄うには遠く及ばないので、あまり意味がなかった。むしろ、せっかく与えられた時間を無為に費やすことになってしまう。

 そのことをより深刻に考え始めた頃、私の心身には、やがていろいろな不調が現れるようになってくる。

 

 

 

 

  • 抑うつ状態と、浮き彫りになった自分の問題

 渡航してから2年目の夏、私は普段の食事の量や回数を減らした。そして極端に安い食材以外のものを買わなくなった。

 理由は単純で、他人の金銭で飲食をすることに、強い嫌悪感をおぼえるようになったからだ。これは食事だけではなく、他の物を買う際にも同じことがいえた。洋服がどうしても必要になったときなどは店へと行ったが、品物を選んで会計するときだけ異様に楽しく、部屋に帰ってから妙な吐き気に襲われた。

 どこにいても、何をしていても、私の脳裏にあったのは「人に頼りきって生活をしている」という事実。そして、その現状をひたすらに嘆き責め続ける声だった。このとき自分は倦怠感と虚無感の中でひたすらに息をしていて、突然身体が動かなくなったり、ある日は記憶が一部飛んだりするようなことも経験するハメになる。

 もともと双極ぎみ(気分循環症)の性質ではあったのだが、人生を通してこの頃の抑うつ症状が最もひどかった。あんなに大好きだった勉強にも、何の役にも立っていない以上続けても仕方がないじゃないか、と投げやりな態度で臨むことが増えていた。

 親しい友人達にこのことを話すと、そこまで気負ったり思い詰めたりする必要は無かったのではないか、と言われることがある。両親は納得したうえで資金の援助をしているのだし、たとえ社会の中で分かりやすく大きな役に立っていなくても、彼らにとって私が重要で、応援するに足る存在だからこそ、黙って背中を押してくれているのでは......と。

 確かにそうかもしれない。だが、私はその実感を全く得られなかった。

 恵まれた環境でどんなに努力しても、結果的に何もできていない自分が本当に情けなくて、家族に限らず多くの人から疎まれることも仕方がないと覚悟した。そして、ある日気付いたのだ。私の根底には、「人間はありのままでは存在を許されず、愛されることもない」という、強い認識があるのだということに。全く自覚していなかったが、これが、私自身を構成する軸のひとつになっていた価値観だった。

 ――社会の中で生きている以上、何か役に立つことをしなければいけない。自然に息をして、心が望むように行動するだけではいけない。何かをしなければ存在を認められない。許されないし、愛されもしない。分かりやすい「何か」がなければ。全ての人を納得させられるだけの、何かが――。

 無意識からくる脅迫的なその考えが、自分の自己肯定感の値を大幅に下げ、心身に不調をもたらしていたのだ。だからこの状況を変えるためには、それときちんと向かい合わなければならなかった。

 それに気付くことができたのは、遠い留学先の地で悩み、迷い続けたことで得られた、ある種の収穫のようなものかもしれない。

 

  • 決断と実行

 ではそんな自分の現状を改善するために、何ができるだろうか? 答えはすぐには出なかった。しばらくしてから私は、まずは大学を辞めて、働いてみるのがよさそうだという決断を下すことになる。

 他人からの支援を受けることに負い目を感じるのならば、必要なだけのお金を自分で稼ぐほかない。もちろん多額の学費は払えなくなるので、今の大学は辞めることになる。けれど、本当はそれが身の丈に合った処遇なのだということを、心のどこかで感じていた。現状に違和感を抱いたまま、それを見て見ぬ振りして過ごすことは、私にはできない。

 それに、その頃の体調不良は主に精神状態からくるものだったので、根本的な原因を取り除けば症状は徐々に良くなっていくはずだった。

 頑張って勉強し入学した大学だが、このまま変わらず「大学生」を続けていたら、また同じことのために立ち止まってしまうだろうと強く感じる。それに、中退するとしても、現地で学んだことの全ては自分の中にしっかりと残っている。

 もともと高校卒業後に浪人していたこともあり、周りの同級生に比べて少々時間はかかったが、自立への第一歩を踏み出したいと強く思った。経済的・精神的に。そして、両親にも恩返しをしたい。もちろん大学を離れても、好きな勉強はずっと続けていく。そのための環境づくりも自分の力で行うのだ。そうすると決めたから。

 やがて、どうにか仕事を見つけてから半年が経とうとしているが、いま私は私自身の存在をきちんと認められているし、必要以上に激しい自己嫌悪に陥ることもなく、日々を過ごすことができている。当時は辛かったが、ひたすら悩みぬいたことで自分の根底にあった認識に気付けたし、それに対してどう行動するのが最善なのかを考えることができた。

 この一連の迷いと決断は間違いなく、私の人生に必要なものだったのだ。

 

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