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彷徨する自由帖

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公園に出現した《ロンドン・マスタバ》クリスト&ジャンヌ=クロードのアートプロジェクト:街の中の現代美術

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川の畔から

 2018年の6月中旬から9月末まで、英国・ロンドンの中心部にあるハイド・パーク内では、ある巨大な現代美術作品を見ることができた。

 作品タイトルは《The London Mastaba(ロンドン・マスタバ)》といい、二つの側面が等脚台形になるよう大量のドラム缶を平行に積み上げ、池の上に浮かべた作品だ。付近に架かる橋の上から望めば、茂る木々の緑と水面の色に囲まれて、作品の存在は際立っているのに不思議と風景になじんで見える。

 これは、クリスト&ジャンヌ=クロードというアーティストによって手掛けられたオブジェ。また、世界各国で活動する彼らにとって初めて、イギリス国内で実施された大規模なプロジェクトとなった。

 公共の場所で行われるアート・プロジェクトは、現代美術に興味がある人や造詣の深い人に限らず、たまたまその場に居合わせた人々の視線を集めたり議論を呼んだりすることが少なくない。周囲の環境のみならず、公園を訪れる人々をも巻き込んで展開された《ロンドン・マスタバ》は、どのような意図によりこの場所に設置されたのだろうか。そして、クリスト&ジャンヌ=クロードの歴代の作品群が置かれている美術史上の立ち位置とは、一体どの周辺なのだろうか。

参考サイト・書籍:

christojeanneclaude.net(アーティストのサイト)

serpentinegalleries.org(サーペンタイン・ギャラリーのページ)

Christo. Big Air Package(出版社:Klartexit Verlag)

カラー版 20世紀の美術(美術出版社)

現代アート辞典(美術手帖編集部)

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ハイド・パークの鳥たち
  • アーティストと作品の特徴

 ロンドン・マスタバを発案し設置したクリスト&ジャンヌ=クロードは、1935年ブルガリア生まれのクリストと、同じ年(しかも同じ日!)にモロッコで生まれたジャンヌ=クロード、この二人の芸術家夫婦によるユニットだった。ここで過去形を用いたのは、2009年にニューヨークでジャンヌの方が亡くなり、現在ではクリストが一人で活動を続けているからである。

 彼らの今までの作品は国や地域を問わず世界中で展開されており、1991年には日本の茨城県と米国の二か所で同時に実現された、《The Umbrellas(アンブレラ)》というプロジェクトもあった。

 クリスト&ジャンヌ=クロードの作品の多くに共通してみられる特徴のうちのひとつに、設置されてから一定の期間が経過した後は、そこから跡形もなく撤去される――というものがある(全てではなく、例外も存在する)。特に1960年代以降に制作されたものたちは規模が大きく、素材も繊細な薄手の布などを用いたものが増えたことから、恒常的に状態を保つことが難しい。周囲の環境や生態系、周辺住民や自治体に与える影響も少なからずある。それゆえ、写真や文書により作品が辿った経過を記録しておくこと(ドキュメンテーション)が非常に需要となるのだ。

 今までに実現した代表的なプロジェクトの中には、巨大なオブジェクトを布ですっぽりと包んでしまう形式のものがしばしば見られ、「梱包」という言葉はクリスト&ジャンヌ=クロードの代名詞として使われることがある。包む対象となったのはオーストラリア・シドニーの海岸やドイツの国会議事堂ライヒスターク、果てはスイスの公園に生えている木々など、多岐にわたった。

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作品集"Christo Big Air Package"より:《Wrapped Trees》のスケッチ

 彼らはその作品群により、見慣れた景観を大きく変貌させ、意外な視点からそれらを見ることを促す。

 だが、制作を通して試みられているのは、ただ単に人々の目を驚かせることだけではない。アイデアを実現するために必要なあらゆる行為が、クリスト&ジャンヌ=クロードのアートプロジェクトには「不可欠な要素」として組み込まれている。

 例えば、材料の調達や工事をはじめとした作品づくりにかかる費用は、全てアーティストが自腹で用意しており、どこからも支援金は受け取っていない。

 それらはプロジェクトの完成予想図ドローイングや他の作品を制作・販売することで賄われており、コミッション(外部からの依頼)に基づいた活動も行わないという徹底ぶり。巨大な作品を設置するうえで必要な、国や自治体との交渉も他団体を介さずに自分たち自身で行う。それゆえ、プロジェクトが実現されるまでに長い年月を要したり、途中で計画が頓挫したりすることもある。

 発案から制作の準備、場所の確保、作品そのもの、オーディエンスの反応――そして、その一部始終を記録した文書や写真。クリスト&ジャンヌ=クロードの作品は、この一連の要素が揃って初めて成立するものであるといっても過言ではないのだ。

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ロンドン・マスタバのためのスケッチ

 そんな彼らの活動や作品は、美術史上ではランド・アート(アース・ワーク)の項目で言及されることが多い。これは1960年代後半~70年代にかけて出現した芸術作品のなかで、屋外――特に平原や海などの自然の場を舞台にして展開されたものを指す呼称だ。

 代表的な芸術家とその作品には、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》やリチャード・ロングの《ローデン・クレーター》などが挙げられる。また、瀬戸内にある地中美術館にはウォルター・デ・マリアの手による球体が展示されているが、彼もまた《稲妻の原野》など多くのランド・アート作品を手掛けた。

 制約が多く形も似通っている、四角い部屋としての美術館やギャラリーという空間からの解放――。

 ランド・アートを制作した芸術家たちは、従来のように作品と展示空間の境界をはっきりと区別し対立させるのではなく、作品と場を強く結びつけ、それらが時間とともに移り変わっていく過程や「そこでしか見ることができない」という性質(サイト・スペシフィシティー)も重要視していた。

 昇っては沈む太陽の光、荒野に吹く風、降る雨、寄せては返す海の波など、自然が私たちに向ける表情はその時ごとに異なり、ランド・アートは常にそれらの環境と共にあるのだ。

 現代美術にあまり馴染みがなくても、これらを念頭に置くことで、クリスト&ジャンヌ=クロードの作品を眺めるのが少し面白くなるかもしれない。もちろん、事前知識なしで作品を目の当たりにした時の、素直な感想・印象も非常に大切なものであるということも、できれば忘れないでいてほしい。

  • ロンドン・マスタバ(The London Mastaba)

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青空の下で

 さて、上の写真に写っているのは英国ロンドンにある公園ハイド・パーク内の池で、奥の方に見えるのが《ロンドン・マスタバ》になる。2018年に現地で、私が実際に目にしたクリスト&ジャンヌ=クロードのプロジェクトだった。

 これは池に7,506個ものドラム缶を浮かべ、縦横20 x 30メートル、奥行きは40メートルの、二つの側面が等脚台形になるように積み上げられたオブジェ。作品の底面の面積は、池全体の面積のおよそ1%ほどになるという。彩色が施されており、紫系のモザイク模様のように見える面もあれば、赤と白のストライプの集積に見える面もある。付近の岸へと近づいたり周囲を歩き回ってみたりすることで違いに気づいた。

 周囲には、ボートを楽しむ人間たち以外にも、鳥や魚などの野生生物の姿を確認することができる。クリスト&ジャンヌ=クロードは公園を管理する団体と交渉・協力し、池を中心に存在している生態系への配慮のもと、作品の設置を行った。展示期間中だけではなく、オブジェが撤去されてからも彼らは公園への出資を行い、その環境をより良いものにするために貢献している。

 ロンドン・マスタバに限らず、クリスト&ジャンヌ=クロードの一連のプロジェクトとそれが展開される「場」の間には、こうした関係が築かれる。

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周囲にはボートに乗った人々も

 木々の隙間から見た作品の姿は、まるで空から降りてきた別の星の存在であるかのように思えたし、同時に遥か昔からそこに存在しているようにも思えた。水面に反射する形態と色彩は、光や風の影響を受けて一定ではない。たとえ動画であっても記録に残すことのできないそれらの情景は、実際に足を運んだ人間の中にだけ刻まれ、残る。

 ところで、作品タイトルに含まれている《マスタバ》という言葉が何を意味しているのか、ご存じだろうか。 古代史や文明の誕生を専攻としていた、またはそれに興味があるという人ならすぐに分かるかもしれない。マスタバは、古代エジプトの時代に建てられた「墳墓」を指す言葉だ。泥(石)でできたベンチを示すアラビア語から来ており、今も残る有名なジェセル王の階段ピラミッドの基礎には、このマスタバの形態がある。

 さらに、クリスト&ジャンヌ=クロードの現在進行形のプロジェクトの中には、実現すれば今回よりもずっと巨大なスケールになる《The Mastaba(マスタバ)》という作品がある。設置予定地はUAE(アラブ首長国連邦)の砂漠だ。以下の項で紹介する特別展では、それに関連する資料や模型も多く見ることができた。古代から幾多の年月を経て現代に蘇る墳墓を眼前にすることができたら、どんなにか胸が躍ることだろう。

 余談だが、今月の末にエジプト・カイロの地を訪ねることになった。予定の中にはマスタバ墳の見学も組み込んだので、これを何らかの縁だと自分の中で位置づけて、楽しんで来ようと思う。

作品の詳細:The London Mastaba | Serpentine Galleries

  • サーペンタイン・ギャラリーでの展示

 上で紹介した作品と並行して、湖畔から少し歩いた場所にあるサーペンタイン・ギャラリーでは特別展が行われていた。クリスト&ジャンヌ=クロードの歴代の作品の中でも、今回のプロジェクトと共通する素材である「ドラム缶」や「樽」を用いたものに焦点を当てたものだ。

 特に1960年代ごろの作品からは、現在の作品にも見られる特徴、その萌芽や片鱗が確認できる。また、ドイツのケルン湾で2週間にわたって行われた展示《埠頭のパッケージ》の資料もあったが、これは彼ら二人が初めてアーティストとしてコラボレーションした際の記念碑といえる存在かもしれない。

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ドラム缶や樽(Barrels)を用いた初期の作品

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ドローイング

 小規模な展示ながら、1958年から2018年に至るまでのクリスト&ジャンヌ=クロードの軌跡を俯瞰して眺めることができる。特にジャンヌ=クロード亡き今、彼女が存命だったころに発案したアイデアを、これからクリスト一人がどのように成長させていくのかは気になるところだ。

展示の詳細:Barrels and The Mastaba 1958–2018 | Serpentine Galleries

 そして2019年。UAEで進行しているプロジェクト《The Mastaba》に加えてもう一つ、2020年の春に、パリの凱旋門を梱包するという作品の計画が最近発表された。

 パリでの大規模な作品の展開は、かつて行われた《ポン・ヌフ(橋)》の梱包以来、つまり35年ぶりのものとなる。数年前にこの都市で起きたテロの記憶は未だに鮮明に残っているが、街のシンボルであるこの門を用いた作品がどんな影響をその場と人々にもたらすのか、続報が待たれる。