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彷徨する自由帖

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英国が舞台の児童文学《小公女》より - 飢餓に苛まれながら、他人にパンを与えることができるか|F・H・バーネットの小説

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板の上の林檎

参考・引用元:

小公女|A Little Princess(青空文庫)(著・バーネット / 訳・菊池寛)

 

 

  • あらすじ

「うれしいわ。ね、私、ひもじい苦しみは身に沁みて味わっているでしょう。ひもじい時には、何か『つもり』になったって、ひもじさを忘れることは出来ないのよ」
「そうとも。うむ、そうだろうな。でも、もうそのことは忘れる方がいいよ。私の膝のそばに来て坐っておくれ。そして、嬢やはプリンセスだということだけ考えている方がいい」
「そうね。」と、セエラはほほえみました。「私、人の子達に、パンや、甘パンを恵んでやることが出来るのですものね」

 

 これは、言わずと知れた名作児童文学《小公女》の終盤にある場面。

 孤児になったと思われていたが身元の引受人が現れ、ミンチン女子学院を去ることが決まった少女・セーラと、紆余曲折の末にようやく彼女を見つけた資産家・カリスフォード氏の間で交わされた会話だ。

 

 イギリス人の父とフランス人の母(出産後すぐに亡くなっている)を持ち、英国植民地時代のインドの豪邸で大勢の使用人に囲まれ、何不自由なく育ったセーラ・クルー。

 親元を離れ、ロンドンの寄宿学校で生活をすることになった彼女は、いうなれば空想の達人だ。目の前にあるものや自身を何かに見立て、現実にそうであるかのように振る舞うことで、その行動を律したり、心を鼓舞し慰めたりする。

 なかでもセーラが大切にしていたのは、自分が「王女さま(プリンセス)」になったつもりでいること。一国を治める王女さまのような矜持を持ち、しかし決して驕らず、人民に惜しみなく施しを与える。それが彼女にとっての理想の姿、こうありたい、と願う態度だった。

 

 ある日、そんなセーラの父親が急逝したという報せが入り、少女を取り巻く環境は大きく変化することになる。

 寄宿先である学院の長・ミンチン女史は、一切の財産と後ろ盾を失いお荷物となった彼女を冷遇し、食べ物や休息を十分に与えず、奴隷のようにこき使うことを決めた。かつて開かれた誕生日会で、意地悪な同級生のラビニアがセーラに投げつけた言葉――その中にあった、

 

「あなたは何でも持っているから、何を空想しようと御勝手よ。でも、万一あなたが乞食になって屋根裏に住むようになるとしたら、それでもあなたは、空想したり、つもりになったりしていられるでしょうかね

 

 という仮定が、ここで図らずも現実のものとなる。

 

 セーラが「持つ者」から「持たざる者」へと突然転落してから、何を考え、どのように行動したのか? そして状況や環境が変わることで、当事者や周囲の人間の態度は、一体どのように変貌するのか?

 私は幼少期から幾度となくこの本を手に取り、繰り返し読んだが、その度に彼女の緑の双眸に問われ、試されているような気分になる。

 今この手の中にあるものや、自分を支え保障するものを全て失ってなお、私は「自分の望む姿であろう」という意思を持ち続けて生きることができるのだろうか。飢餓に苛まれるなかで、同じように苦しんでいる目の前の人間に、手の中のパンを黙って差し出すことができるのだろうか、と。

 

  • 生まれ落ちた瞬間に与えられるもの

 人間は自分が出生する場所、環境を選べない。そして、ヒトが成長していく過程で、環境は人格の形成に多大な影響を及ぼす。

 世界というものをどのように感じとり、そこから何を考え、どんな答えを導き出すのか。それをはじめに決定する要素は、私達の意思の及ばない領域で割り振られ、それぞれに与えられている。出生の瞬間どころか、むしろ受精が行われた時点でほとんど確定していると言ってもいいかもしれない。

 生まれ落ちるその場所は、穏やかな優しさに包まれた世界か? それとも暴力に支配された世界か? あるいは、望まれて生まれてきたのか? その存在を疎まれながら生まれたのか? そんな分岐の可能性が、無限に存在しているのだ。

 私自身が出生から年を重ね、今こうして自由に生きることができているのも、ひとえに「運が良かったから」というだけのこと。それはハッキリしている。私は確かに、物心ついた時から何らかの努力をし続けてきた。

 だが、個人の努力が運へと与えられる影響など、本当に微々たるものなのだから。

 

《小公女》の主人公セーラは、どんな時でも他人を慈しむ優しい心を持つだけではなく、鋭い洞察力や幅広い知識までも備えた聡明な少女だ。けれど、その性格や思考、振る舞いなどを身に着けるに至った過程と、育った家庭や境遇を完全に切り離して考えることはできない。

 彼女の父親であるクルー大尉は、インドにいた頃も娘がロンドンに移ってからも、セーラに好奇心や空想の糧となる書物や人形などを多く買い与えた。もちろん、寄宿学校の学費や生活費も彼が用意している。彼女が語学のクラスを取らずともフランス語を理解し流暢に話せるのは、幼いころから、周囲の人間がその言語で話すのを聴いていたから。

 また、常に娘を一人の人間として尊重し接していた父の態度・物腰から、日々の中で彼女は多くを学んでいたと推測できる。

 

 このように、父親の寵愛を受けているという実感に包まれ、飢えや欠乏から遠く離れた世界、その創造力を十分に養い発揮できる環境でのびのびと育ったのが、セーラ・クルーという少女なのだ。母を亡くしたという喪失の悲しみを除けば、物語の序盤で彼女はあらゆるものを持っている。

 もしもこのまま何事もなく話が進んだならば、セーラはただの「空想が得意で思いやり深い、とても恵まれた幸せな女の子」としてしか私の眼には映らなかっただろう。

 彼女自身もそれを自覚していると読み取れる台詞がある。

 

「人はふとしたはずみで、いろいろになるものね。私はふとしたはずみから、あんないいお父様の子に生れたのね。ほんとうは私、ちっともいい気質じゃアないのでしょうけど、お父様は何でも下さるし、皆さんは親切にして下さるんですもの、気質がよくなるより他ないじゃアありませんか。私がほんとうによい子なのか、いやな子なのか、どうしたらわかるでしょうね」

 

 そんな中、事態はクルー大尉の代理人・バロー氏が学院へともたらした知らせによって一変する。――セーラの父親が病で死んだ。遠いインドで。

 おまけに、共同でダイヤモンド鉱山運営の事業を画策していた友人に、財産の持ち逃げまでされて。彼女は他に身寄りもなく、「王女さま」どころか、もはや乞食同然の身分になり下がった――と。

 これを聞いたミンチン女史は怒り動揺し、クルー大尉の支払いをあてにして自腹でセーラに与えていた数々のものを全て取り上げた。その後すぐに追い出してしまうことも考えたが、学院の評判に傷がつくかもしれないというバロー氏の助言を受け、彼女をここで働かせることに決める。

 

 こうしてセーラは屋根裏の狭い部屋をあてがわれ、今までのように特別な扱いをされることなく、一介の使用人として学院でこき使われることになったというわけなのだ。

 

 

 

  • 変わらない心と意思を持つこと

 セーラを取り巻く世界はがらりと変わった。今まで彼女を金銭面・精神面で支えてくれた父親は、もういないのだ。

 まず、新しく暮らすことになった陰気な屋根裏部屋が彼女の心に影を落とす。斜めに傾いた天井、塗装の禿げた壁、固く汚い寝台。見慣れた調度品など一つもない。すきま風がひどくネズミも出る部屋で毎夜寝なければならず、雨の日も風の日も関係なく外へとおつかいに出され、十分な食事を与えられないことなどはザラだった。

 加えて、彼女が周囲の人間から受ける待遇も「お金持ちの令嬢」から「雑用係の少女」らしいものへと変化する。

 ミンチン女史だけではなく、厨房の使用人たちや街行く人々も、みすぼらしい格好ですっかりと痩せてしまったセーラを、まるで乞食娘のように粗雑に扱い始めた。それらは確実に、いつも前向きで誇り高くあろうと努めていた彼女の心を蝕む。

 やがて、セーラという少女にはあまり縁が無かった類の苛立ちや、微かな妬みの描写さえも、独白から読み取れるような部分が出てきた。

 特に印象的なのは、ミンチン女子学院に入学する少し前にセーラが父親から買ってもらった人形、エミリーに関するくだり。持ち前の「想像力」で彼女を生きた友のように扱い、心を慰めていたセーラだが、いよいよ疲れ切って屋根裏部屋へと帰ってきたある夜、ついにその糸がぷつりと切れる場面がある。

 

エミリイの硝子玉の眼や、不服もなさそうな顔付を見ると、セエラは急にむかむかして来ました。彼女は小さい手を荒々しく振り上げて、エミリイを椅子から叩き落しますと、急にすすりなきはじめました。セエラが泣くなどとは、今までにないことでした。

「お前はやはり、ただの人形なのね。人形よ、人形よ。鋸屑のつまってる人形に、何が感じられるものか」

 

 このあたりは読んでいて本当につらい。

 だが、それとは対照的に、変わらなかったものも幾つかある。例えばかつての級友であったアーメンガード・セント・ジョン。

 彼女は小間使いとして働く姿を恥じたセーラに冷たい態度をとられたり避けられたりしても、昔と変わらず友人でいたいと部屋を訪れて告げた。加えて、以前よく面倒を見てやっていたロッティや、同じ屋根裏に暮らす使用人のベッキーとの会話もセーラの心を支える。

 彼女たちはセーラの見てくれや財産ではなく、誰に対しても分け隔てなく接する態度や、その口から語られる興味深い物語の数々――それらを生むセーラ・クルーという存在そのものを愛していた。だからこそ、あらゆることが変わってしまってからも、ずっと彼女の友人であり続けた。

 セーラ自身、辛く厳しい境遇の中でもそれらの「変わらないもの」を前にし、改めて心を強く持つのだと決め、自身を鼓舞する。

 

「どんなことがあっても変わらないことが、一つあるわ。いくら私が襤褸や、古着を着ていても、私の心だけは、いつでもプリンセスだわ。ぴかぴかする衣裳を着て宮様になっているのは容易いけど、どんなことがあっても、見ている人がなくても、プリンセスになりすましていることが出来れば、なお偉いと思うわ」

 

 たとえ酷く追い詰められ、苦しんでいて余裕がなくても、その挙動を律する衆人の監視がなくても、気高い心をもって行動し続けることは可能だろうか。セーラはその一例を、物語の終盤にある象徴的な出来事によって私たちに示してくれる。

 本当に何かの「つもり」になるということは、決して単なる空想には留まらず、自身の望む姿に近付くための大きな力を与えてくれるという事実を。

 

 

 

 

  • 路傍の少女へと差し出す手

 時は流れ、ロンドンは冬。

 私もしばらく英国で暮らしていたので、この季節の薄暗さや晴れ間の少なさ、冷え込む日に暖房が壊れる恐ろしさは身をもって経験したつもりだ。それでも、外套も靴下も、傘すらもなく雪の下をお使いに出るセーラの感じていた寒さには、遠く及ばないだろう。

 おまけにミンチン女史は理由をつけて彼女に食事を与えなかった。かわいそうなセーラは顔から指先、足の先に至るまですっかり肌の色が変わってしまっていた。

 

 空想で気持ちを紛らわせながらぬかるむ道を歩いていると、セーラは目の端に何か光るものを認める。

 それは四ペンス銀貨だった。大勢の人に踏まれた形跡があり、いつ誰が落としたのかすらも分からない代物。おまけに、ちょうど道の向かいにはパン屋があって、焼き立ての香りが空腹にあえぐセーラの胃を締め上げた。これがあれば甘パンを幾つか買える――彼女はためらいながらも硬貨を拾うが、そこで、自分の他にも飢えた人間がひとり蹲っていることに気が付いたのだ。

 セーラはその子供(乞食の少女)に「お腹が空いているの?」と尋ねる。答えはもちろん是だった。とにかく今日は朝から何も食べていない、という子供はやせ細り、飢えているセーラ自身よりももっと飢えているように見え、ついに彼女はこう思う。

 

もし、私がプリンセスなら――位を失って困っている時でも――自分より貧しい、ひもじい人民にあったら、きっと施しをするわ。私は、そんな話をたくさん知っているわ。甘パンは二十銭で六つ――と、六つばかり一人で食べたって足りないくらいだわ。それに、私の持ってるのは十銭(四ペンス)銀貨だけど、でも、ないよりかましだわ」

 

 自分が酷く飢えている時に、それと同じかそれ以上に苦しんでいる人間のことを、わずかでも気にかけるという芸当ができるだろうか?

 少なくとも、私にはその自信がない。所有者の分からない拾った硬貨でパンを買い、それを一人だけで貪ったところで、誰もそれを咎めないからだ。

 ただ天だけがその行いを知っている。仮に目の前に転がる子供が自分よりも苦しんでいたとして、こちら側にも施しを与える余裕など全くない。この状況では恵んだパンの分だけ自分の食べるものを失い、飢えや病、死に近づく可能性を高めることになるが故に。

 けれど彼女は違った。この時、彼女は「つもり」などではなく、紛れもなく慈悲深い「王女さま」そのものの精神を持っていた。

 

 パン屋の女将さんがおまけをしてくれたので、セーラは四ペンス銀貨で合計6つの甘パンを手に入れる。

 そして、そのうちの半分とは言わず、5つを乞食の子供へと差し出した。これで自分が食べられる分は、たったの一つになってしまったのだ。彼女の手はぶるぶると戦慄き震えていた。きっと、飢えや寒さによるものだけではなかっただろう。けれど、彼女は自身が正しいと思ったことを実行し、静かにその場を去った。

 

 この記事に関係があるのはその場面までとなるが、セーラの行いに気づいたパン屋の女将と乞食の子供の間で交わされた会話や、セーラ達の行く末が気になるのならば、ぜひ物語の全貌をその目で確かめてほしい。

 私の言葉よりも作品の本文で。

 菊池寛による日本語訳がパブリックドメインなので、青空文庫で読める。特に子供向けに訳されたバージョンでは、細かい(しかも重要な)場面が容赦なくカットされていることも多いので、幼少期に手に取ったことがあるという方もまた読み返してみてほしい。

 

 

 

  • 飢餓に苛まれながら、他人にパンを与えることができるか

 ここまでのことを踏まえて、改めて自分自身に目を向けてみる。

 私は比較的恵まれた環境で育った。とはいっても、もう思い出したくないような苦しみや理不尽はたくさん感じてきたし、周囲の子供が気にしなくていいようなことを考えなければならない立場に頻繁に置かれていたが、少なくとも、明日食べるものに困ったことがない。

 セーラの暮らしていたような豪邸に住んだことも使用人を侍らせたこともなくたって、路上で夜を明かすような生活とは程遠い場所にずっといた。

 好きなことに熱中できるのも、こうして物事を考える余裕があるのも、理想を追いかけられるのも、全てはその基盤となった環境のおかげ。人生という名のくじ引きにおいて、努力が左右する要素は驚くほど小さい。だからこそ、英国に留学していたころはずっと負い目を感じていた。与えられたものをただ享受するだけの存在だった、情けない自分自身に。

 だから大学を辞めて働くことにした。自分の食い扶持を稼げない人間が何かを偉そうに説いたところで、それは愚かな世迷い事以上のものにはならないと思ったから。結局、その判断は正しかった。閑話休題。

 

 いま目の前に、セーラが甘パンを恵んだのと同じような、飢えに苦しんでいる子供が転がっていたとしよう。私はパン5つどころか、もっと良いものも望めば与えることができる。けれど、それは私が立派な人間だからというわけではない。単に少しばかりの余裕があるからだ。

 財布に入っているのは四ペンスよりも高額な硬貨や紙幣で、仮にそれを使い切ってしまっても、口座にはいくらかのお金がある。帰れば、家賃や生活費を払って手に入れた家がある。この場で誰か一人に簡単な食事を与えることなど容易い。

 けれど、もしもそれらが存在しなければ――同じように襤褸服を着て、物心ついたときから帰る場所も食べるものもなく飢えていたら、私は目の前の子供に何をしてやれるだろうか? 何をしようという気になれるだろうか?

 

 環境が変わることで、人はそれに応じて違った一面を覗かせる。どんな状況に置かれても同じように振る舞える人間は少ない。

 私が乞食の少女であったならば、拾った四ペンスでパンを買い、目の前で蹲る子供を無視して、その全てを自分の胃に収めてしまうかもしれない。それほど飢えというものが恐ろしいからだ。この手の中に何も無ければ、私はきっとそう振る舞っただろう。

 だが、それも紛れもない私自身の姿。今は恵まれた場所にいるから、たまたま誰かを慮る余裕があるというだけに過ぎない。それを無視して、自分がもともと慈悲深い人間であるかのように振る舞うことは、あまりに傲慢だと言える。

 

 セーラが尊いのは、かつてその行動や思考を支えていた多くのものを失ってなお、「一国を治める王女さまのような矜持を持ち、しかし決して驕らず、人民に惜しみなく施しを与える」という信念のもとに行動した部分にある。

 彼女はもはやプリンセスのような見た目をしてはいないし、周囲からそういった扱いも受けてはいない。自分も飢えて倒れそうな状況の中、本当は他人に食べ物を恵んでやる余裕などないのだ。けれど、その心だけは、確かに気高いものだった。

 セーラにとっての「プリンセス」という概念はそれぞれの人間が持つ「理想の姿」に置き換えることができる。

 ここで冒頭の問いに戻ろう。今この手の中にあるものや、自分を支え保障するものを一夜にして失くしても、自分は「自分の望む姿であろう」という意思を強く持って生き続けることができるのだろうか?

 それは飢餓に苛まれるなかで、同じように苦しんでいる目の前の人間に、手の中の僅かなパンを黙って差し出すのと同じくらい苦しく、忍耐を要する行為に違いない。けれど私は、どんな境遇に追い込まれたとしても、自分が理想を捨てないという可能性に賭けたいと願ってしまう。

 

書籍:

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 「小公女」の他にも「小公子」「秘密の花園」といった、数々の名作を世に送り出したフランシス・ホジソン・バーネット。

 それらの物語がイギリスを舞台にしていることや、彼女がマンチェスター生まれであるということから誤解をされやすいのですが、バーネットは16歳の頃にアメリカへ渡り、後に国籍も得て現地で没したため、アメリカ人の作家です。ややこしい。