はるか昔に人為的に造られたらしい、ということは判っているが、その目的が未だに不明な遺跡はこの地球上に無数に存在している。
例えばイースター島のモアイ像、古代エジプトのピラミッド、ジャームのミナレット等――そして、英国の平野にのこるストーンヘンジ(Stonehenge)もそれらのうちの一つだ。
謎に包まれたその円環の巨石群を一目見るために、昨年の春にイングランドの片隅へと足を運んだ。
当時はイースター休暇を利用して南部コッツウォルズの村に宿泊しており、ストーンヘンジに立ち寄ったのは以下の旅の帰り道。
村での滞在中はおおむね天候に恵まれていたのに対して、宿を出発した際は空に雲が立ち込め、灰色の空気と緑の芝生が呼応して寒々しい雰囲気を感じていたことを思い出せる。
春といえど、まるで初秋のような風の冷たさだった。
ストーンヘンジは1986年に一度ユネスコ世界文化遺産に登録されており、その後2008年には範囲を変更してもう一度登録しなおされた(正式な登録名称は《ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群》という)。
現地ではアイコニックな巨石の円環だけでなく、ヒール・ストーンと呼ばれる単体の石や、新石器時代周辺の英国で人々が暮らしていたとされる家のレプリカを見ることができる。
ビジターセンターに併設されている博物館を併せて覗いてみれば、よりこの遺跡に対する理解が深まるだろう。
参考サイト:
English Heritage Home Page(イングリッシュ・ヘリテージのサイト)
National Trust(ナショナル・トラストのサイト)
UNESCO World Heritage Centre(UNESCOのサイト)
ストーンヘンジを訪れる手段にはいろいろなものがあるが、ロンドンからのアクセスで最も手軽なのは、おそらくバスツアーを利用して直接現地まで赴く方法。
もしくは電車を利用して近郊の街ソールズベリーまで出て、そこからバスに乗って行く――というものもある。
時間がある人におすすめなのは、街のマーケットや大聖堂をついでに観光することができる後者の方法。
もしくはソールズベリー以外にも、ローマ時代の「風呂」の遺跡がのこる街バースへと足を運んだ後、そこからバスでストーンヘンジへ向かうこともできる。車で行く場合は駐車の際に£5の料金を払う必要があるが、これは入場チケット購入の際に返金してもらえるようになっているので安心してほしい。
そしてここが、この遺跡を訪れる人々がまず目にするビジターセンターになる。
ガラスと木でできた壁や、細く四角い柱がずらりと並んだ近代的な佇まいが印象的。設計はデントン・コーカー・マーシャル建築事務所。
ショップではマグカップやTシャツなどの各種お土産が取り扱われているので、何か記念に買っていきたいという方は覗いてみるといい。
博物館のコーナーでは、ストーンヘンジの形成に関係する年代周辺のイギリスやそこで暮らしていた人々が、果たしてどのような姿であったのか――という展示を見ることができる。
例えば所蔵品のうちのひとつには、紀元前4000年ほど前に造られたとされる石斧があった。これはかつて、森林を切り開いて農地を得るために使用されたものであると考えられており、製造(研磨など)の工程にはおよそ40時間以上が費やされたと推定される。
特にカンブリア州のラングデールで産出される石はとても質の良いもので、当時のイギリス中で取引の対象となっていた。
また、紀元前3000~2200年代のころ、人々は装飾の施された "Grooved Ware" と呼ばれる土器の壺で料理や食事をしていたらしい。
尖底のものと平底のものがあり、日本の縄文土器を連想させられた。他の国や地域で見られるものと同じように、無くなった人間を埋葬する際には武器や宝飾品とともに穴に入れられていたそうだ。
この土器はスコットランドのオークニー諸島で現存する最古のものが発掘されており、当時はその地域からブリテン島全体へと広まっていったのではないかと考えられている。
ちなみに、オークニーにあるウイスキー蒸留所のうちの一つである《ハイランドパーク》は、世界でも最も北に位置する蒸留所としてひろく知られている。
日本ではドラマ「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝が北海道の町・余市にニッカウヰスキーの蒸留所を建設しており、その製造には、寒冷な気候と豊かな水のある地が適しているのだと改めて気付かされる。
興味を持ってくださった方は以下もぜひどうぞ。
展示品を見た後は、ビジターセンター裏から出ている無料のシャトルバスに乗って巨石の円環がある場所へと赴くことになる。
所要時間は片道およそ10分ほどと、思ったよりも離れた場所にあった。
ストーンヘンジの調査によって明らかになっているのは、巨石群が建てられる以前にここに存在していた穴には遺体が埋められていた、ということだ。
遺跡自体の起源や用途はいまだ不明だが、一時期は墓地として利用されていたということがわかる。新石器時代のイギリスの島々の中では最も規模の大きい埋葬地であった。
形成にあたって様々な段階を経てきたストーンヘンジが、現在みられるような姿になったのは紀元前2500年ごろのこと。
円環を造るのに使用された石には大きく分けて二種類あり、ひとつはサルセン石と呼ばれる大きな砂岩の塊。もうひとつはブルーストーンと呼ばれる火山岩で、ここから遠く250キロ以上離れたウェールズの方からはるばる運ばれてきたと信じられている。
石の運搬はコロのようなものを利用して行われたのではないかと言われており、ビジターセンター付近に原寸大のレプリカが展示されていた。間近で見るとその大きさがよくわかる。
また一説によると、ブルーストーンは筏(いかだ)か簡易的な船に乗せられ、海や川などの水路を経由してこの平原にもたらされた可能性もあるそうだ。
基本的に、通常の入場券で足を踏み入れることができるのは円環の手前にある柵までで、それより内側に行ってみたければ事前に予約をするか夏至・冬至祭りに参加するなどの方法を取る必要がある。当日は晴れていれば、太陽の位置にうまく対応するように配置された石のあいだから、真っすぐに差し込む光を見ることができる。
そのような天文学的な計算を感じさせる要素も、この遺跡の解釈をより深淵で謎めいたものにしているのだ。
ひっきりなしに訪れるたくさんの観光客とともに通路を歩きながら、気の遠くなるほどの昔から変わらず、この場所に佇んでいる塊たちを眺める。少し遠くの方へ目を凝らすと、たくさんの羊たちが小雨にかすんで芝に寝転がっているのがわかった。
豆粒のように小さな彼らはまるで、ごはんの上に散らされたしらすのようにも見える。
羊たちよりも手前に視線を戻すと、円環から少し離れた位置にも大きなサルセン石の塊が立っているということに気付いた。
他の石とは少し様子が違うように思えるが、それは研磨などの加工がされておらず、掘削されたままの状態であるからだ。
これはヒール・ストーンと呼ばれている。
アーサー王に仕えた魔術師マーリンの伝説や他の神話に関連付けて語られることが多いが、詳しいことは殆どわかっていない。――これを読んでいる方の中に、T・A・バロンの《マーリン》シリーズを手に取ったことがある、という方はいるだろうか? 幼少期の私の心を彼方の島へと連れ出してくれた、この物語の主人公は若き日の魔術師だった。
そのことを思い出す。
遺跡が高台に残っていることから、かつての人々は遠くからでも見渡せる位置にストーンヘンジを建てることで、何らかの目印や祭祀のシンボルとしてそれを用いていたのではないかと言われることがある。
実際にその傍らに立ってみると、どこまでも続く緑の平原を前にして、昔も現在も同じように存在していたのだろう景色に思いを馳せずにはいられない。
私たちは当時を想像することしかできないが、数ある展示物の中のひとつ、新石器時代の家のレプリカはその手助けをしてくれる。野外にあるこれらは訪問客が自由に出入りすることによって、実際にそのスケール感や、入口からの光がどのように内部へ差し込むのかなどを目で見て体験することができるものだ。
白い外壁の家はおおよそ5メートル四方で、中央で火を焚いたときの光が十分に全体へと行きわたる程度の広さとなっている。内部で発生した煙は、ハシバミの木枠を覆う草の層を通り、まるでろ過されるようにして外へと抜けるのだという。
ちなみに特定の日と時間帯には、ここで何人かのボランティアが石臼を使った穀物引きのデモンストレーションを披露してくれる場合もある。
一通りのものを見て回るのにさほど時間はかからないので、週末などの1日を使って気軽に訪れることができるストーンヘンジは気分転換にもおすすめ。
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追記:最近ではこんな研究結果も出ているそうです。
ストーンヘンジ近くで19世紀に発見されたFolkton Drumsと呼ばれる円筒状の石、何に使ったのか不明だったがhttps://t.co/9tSmh2OOnh
— ゆきまさかずよし (@Kyukimasa) February 6, 2019
円周の倍数がストーンヘンジの同心円構造間隔に一致してて、ロープ巻き付けて基準スケールにしていたのではないかとhttps://t.co/kLMxyCEFsU pic.twitter.com/nzrYYTEyhs