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彷徨する自由帖

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イギリス風景式庭園の代表格《ストウ》その発展と景観

 

 バッキンガム――と聞いて多くの人が脳裏へ浮かべる場所は、ロンドンの中心部、グリーンパークとセント・ジェームズ・パークの間に位置する、きらびやかな「バッキンガム宮殿」のことであるに違いない。かつてジョン・シェフィールド公が建てたバッキンガム宮殿は、彼の爵位(Duke of Buckingham)にちなんでその名を冠しているのだが、実は他にもイングランドのにバッキンガムという所がある。

 その北部の隅には、広大な敷地と美しい景観を誇る「ストウ庭園 (Stowe Landscape Gardens)」が存在していた。英国ナショナル・トラストにも指定されている。ここは、ロンドンから公共の交通機関を使って訪れるのは結構困難な場所にあるので、個人で足を運ぶなら車を借りたり、タクシーを利用したりするのが良いだろう。

 ちなみに名前の似たストウヘッド庭園というものがあるが、それはこのストウとは別のものだ。

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 イギリス風景式庭園と呼ばれる様式のなかでも、ジョージアン時代の傑作であるストウ庭園を探索するのは楽しい。思えば私はイギリスに来てからというもの、晴れた日に公園を訪れることがすっかり好きになってしまった(正確には、数少ない晴れの日に外へ出ておかないと、生きていくうえで必要最低限の量の日光すら浴びることが難しくなる、という切実な理由からである)。

 後日にはもう一つの高名な風景式庭園を持つ、世界遺産にも登録されているブレナム宮殿を訪れた。そちらについての情報はこちら。

 上の風景式庭園も、このストウ庭園を手掛けたある庭師によって設計されている。

参考サイト・書籍:

National Trust(ナショナルトラストのサイト)

Gardenvisit.com(庭園情報サイト)

廃墟論(著・クリストファー・ウッドワード / 訳・森夏樹)

  • イギリス風景式庭園とは

 17世紀末の時点で初期バロックのパルテール(平面幾何学)式を採用していたストウ庭園だが、18世紀の前半にチャールズ・ブリッジマンやジョン・ヴァンブラをはじめとした、30名を超える造園家や建築家がコブハム卿によって雇われた。彼らは敷地内で新しい様式の研究や実験を行い、その集積が現在見られるようなストウ庭園の姿の基盤を形作ったのである。

 この時代に大きく発展し、周辺の国々も次々に魅了していったイギリスの風景式庭園は、従来のフランスやイタリアで多く見られた造園形式とどのような点で異なっていたのだろうか。

 当時、庭の所有者やデザイナーたちを風景式庭園へと駆り立てたもののひとつは、「ピクチャレスク(Picturesque)」という概念だった。日本語でも何かを見て「これは絵になるね」という場面があるが、英語のこの言葉もそういった意味合いで使われることがある。絵になる庭。まるで絵画の中に描かれているような庭。

 そもそもこれは、英国の著作家ウィリアム・ギルピン(1724 – 1804)がそのエッセイの中で初めて、風景の美しさやありかた(例として彼自身がスケッチをした、イングランドとウェールズの国境をまたぐワイ・バレーなど)を説明する文脈で用いられたと考えられている。

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ストウのイレブン・エイカー湖

 ちなみに、ギルピンの出身であるカウンティはイングランド北端にあるカンバーランドで、私が以前に訪れた湖水地方のバターミア湖は昔そこに所属していた。現在その範囲はもう一つのカウンティ、カンブリアのものになっている。風景画で名高い画家ウィリアム・ターナーもその姿を描いたことがあった。

 彼の影響に加えて、当時のヨーロッパで主流だった厳格で形式主義的な整形庭園――左右対称の幾何学的な造形や計算された生やし方の植物――に対する反発もあり、イギリス風景式庭園は瞬く間に人気となっていった。それが体現しているのは、まるで散策の途中でカメラのファインダーを覗いたときに「見たい」と人々が望むような、理想化された自然の姿だ。この考え方が面白いのは、庭に手を加えることによって、まるで誰も手を加えていないかのような風景を作り上げるという部分にある。

 木の配置、湖の位置や大きさ、それらは人間の手によって計算され、庭園の景観が十分にピクチャレスクなものとなるように注意深く、丁寧に整えられる。対照的に、実際にそこに存在していた建物をそのまま風景の一部として取り入れる場合もあるが、加工の痕跡を巧みに隠すその意匠は「庭が風景に擬態している」とでもいえる状態を私達の視界の前に作り出す。

 人工と自然の境目にあるパラドックスは、虚偽の機能や歴史を強く連想させる建築物「フォリー」が庭園の敷地内に配置されることによって、さらにその存在感を増す。庭園を一望できる場所から眺める彼らの姿は、まるで盤上に配置された駒か子供が遊んだ後の積み木のように見えるが、その性質をよく表していると思う。

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ゴシック・テンプル風のフォリー

 コブハム卿の時代に働いた庭園デザイナーのひとり、チャールズ・ブリッジマンが最初に付加したといわれる特徴的な設備として、ハハー(ha-ha)がある。決してふざけているわけではなく、これが正式な名称だ。

 風景式庭園において、庭園の敷地と周囲の土地をどのように区切るか、というのはひとつの課題だった。なぜなら壁や柵を設けて境界線を示すようにすると、本来の目的である、人間の加工の痕跡を消すことが難しくなる。かといって目印以外のものを設置しなければ、人間や野生動物にやすやすと侵入されてしまう。

 そのために考案されたハハーは、地面から上に塀を設けるのではなく下を掘って傾斜をつくり、実際の地面よりも低い位置に壁を設けることで、遠方から眺めると庭が地平線の彼方まで広がっているように見える仕組みのものだ。

 このアイデア自体は古今東西の至る所で似た存在を確認することができる。だが、イギリス風景式庭園と、ハハーの持つ性質を組み合わせるという機転を利かせた部分で、特にブリッジマンに焦点があてられることが多い。彼は20年以上もの年月を、このストウ庭園で働くことに費やした。

 それに加えて、当時の貴族に依頼され、ブレナム宮殿をはじめとした数々の庭園の設計を手掛けたランスロット・"ケイパビリティ"・ブラウンを抜きにしてこのストウ庭園を語ることはできない。彼は一体どのような人物だったのだろうか?

イギリス風景式庭園の発展:How has the English landscape garden developed?

 

  • ランスロット・ブラウン(Lancelot Brown)の活躍

 "ケイパビリティ" の二つ名を持つブラウンであるが、それは「あなたの土地にはより素晴らしい庭となる素質・将来性(capability)が十分に備わっている」という口癖から来たものだとされている。そして、彼の庭師としてのキャリアは、ほとんどこのストウを通して形成されたといっても過言ではない。

 ノーザンバランドにある小さな村に生まれ育ち、そこにあった屋敷でしばらく仕えた後、1741年に件のコブハム卿によって雇用されることとなった。しばらくの間は下っ端としてウィリアム・ケントに師事していたのだという。

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グレイシアン・ヴァリー

 彼がブリジット・ワイアットと結婚式を挙げたのもストウ庭園の内部にある教会で、9人もの子供に恵まれた。

 「ハハー」のような、視覚的なトリックを応用するアイデアの考案に加えて、ストウ庭園における最も顕著な働きは、庭園の北に位置するグレイシアン・ヴァリーであるといえる。これはその名の通りに、本来は自然の中で氷河によってつくり出される大きな谷を模して造られた、人口の地形だ。施工に多大な労力を必要としたのが伺える。

 私がそこを訪れたのは初夏の頃だったが、上の写真を見ても分かるように、草木や花の生い茂る谷底はまるで薄緑色の海のようにも思える。この日は晴れていて、歩いている間は暑いとすら感じていたが、時折そよぐ風はとても心地がよかった。

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 付近の丘の上に建っているのは「調和と勝利の神殿」であり、これもブラウンの設計によるものだ。

 これはもともとグレイシアン神殿と呼ばれていたが、かつてシュレジエンを巡る争いを発端とした7年戦争(1756-1763)が終結した折に、英国の勝利と戦果を祝っ改名された。ストウの持つ興味深い要素は、この神殿に限らず、当時の世界情勢のなかでの英国の立場や、庭園の所有者であったコブハム卿の政治観を反映している部分にもある。

 ブラウンはパトロンに恵まれ、名声も高まっていく中で、当時は万人に受け入れられているわけではなかった風景式庭園の考え方を批判されつつも推し進めた。最終的に英国内で170を超える庭を設計した彼は、今もなおイギリスの庭園史の根幹にその存在を刻み付けている。

ランスロット・ブラウンについて:Why was Lancelot 'Capability' Brown so important?

 

  • 私立学校と庭園の景観

 上に記載したもの以外にも、ストウ庭園の中には様々なフォリーがこの「人工的な自然」のなかに佇んでいる。そして、それらを含む全ての建造物の中で、ひときわ輝いて見えるのがストウ・ハウスだ。庭園の入り口からでも湖を挟み、後景の丘の上にその堂々とした姿を望むことができた。

 これは飾りの建物であるフォリーとは違い、実際に私立学校の校舎として現在も使用されているもので、一般の訪問者も入場料(建物の保存に使われる)を払って中を見学できる。歴代の庭の所有者の多くもかつてはここに住んでいた。建物自体は英国の歴史的建造物のなかでも特に重要な、グレードⅠというカテゴリーに分類されている。

 ちなみに、ストウ庭園と同じバッキンガムシャーに一部を横たえるシルバーストーン・サーキットのコース内にはStoweと呼ばれるコーナーが存在しているが、それはこのストウ・スクールにちなんで命名されたものである。

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ストウ・ハウス

 庭園の一部はゴルフ場としても使用されており、校舎の手前にある芝がそのために整えられている。この場所を校庭として使用することができるというのは非常に素晴らしく、実にうらやましい。

 下世話な話だが、そっと学費を調べてみると、日本人正規留学生が1年間で英国の大学(学部:バチェラーズ・ディグリー)のために支払っている金額の平均と比べて約3倍ほどした。3倍……。

 それでは上記の校舎をはじめとして、ストウの中で自分たちが見つけることのできた興味深いものを幾つか選んで、順に掲載してみる。まずはこの《ロトンド》と呼ばれる円形の神殿から。これはジョン・ヴァンブラによってデザインされたものであり、中央に設置されているのはヴィーナスの彫像だ。近くの看板には「ゴルフの球が飛んでくる場合があります」との注意書きがある。

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ロトンド

 下の写真は《パラディアン・ブリッジ》で、付近には生まれたばかりの鳥とその親が草を食んでおり和んだ。

 この橋はソールズベリーのウィルトン・ハウスにあるものの複製で、馬車が通れるような意匠に設計が変更されている。ここから望む、白鳥と睡蓮の浮かぶ大きな湖《オクタゴン・レイク》は圧巻だ。通行する際は、ぜひ天井にあしらわれた美しい花々のレリーフにも目を向けてみて欲しい。

 そこから真っ直ぐに伸びる道を辿った先、丘の上には味わい深いゴシック神殿のフォリーがある。休暇中などには一般に貸し出される場合もあるそうだが、そこの窓から見下ろす風景はさぞかし素晴らしいものだろうことが伺える。

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 ずらりと彫像が並ぶのは、偉大なる英国への歴代の貢献者を祀った神殿。

 アイザック・ニュートン、ジョン・ロック、そしてウィリアム・シェイクスピアとそうそうたる顔ぶれのなか、16人のうちたった一人だけ紛れ込んでいる女性が英国の元女王・エリザベス1世である。これは水辺に設置されていて、付近で昼食をとっている家族もいた。木陰にあるおかげで周辺は気持ちのよい空気に包まれている。

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 この時は地図を見ながら敷地内を散策したが、それでも出逢うことのなかったフォリーや庭園内の地形がまだある。間違いなく、何度も訪れることでその奥深さを徐々に感じられるようになる場所だった。

  • ビジターセンター周辺

  晴れた日にテラス席でお茶を飲むのは最高の贅沢だ。

 庭園の入り口では軽食やおみやげを売っていたり、何らかの展示をしたりしているので、ストウでの体験に小さな花を添えることができる。建物の内部にも席があるので、雨の日や寒い日でも安心して楽しむことができそう。

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 ショートブレッドとお茶とサンドイッチは無難で落ち着く組み合わせ。

 余談だが、このビジターセンターから実際の庭園の入り口に至るまでには、5~10分ほどかかる距離を黙々と歩かなければならない。道は羊が草を食む広大な草原に挟まれている。特に散策の帰り道など、ぐったりと疲弊してしまった際は小さな車で出口まで運んでもらうこともできるようだ。お年を召した方々が多く利用しているのを見た。

 私もいつかはそのお世話になるのかもしれない。

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