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彷徨する自由帖

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言葉の寿命は人より長い / 魔法や知識を受け継ぐこと

 

 

 

 

女の人はそれは力のある魔女だったから、十五歳のとき、しきたりにのっとって傷を負わされた。村の長が魔女を村のために働かせようとして、右の腿の骨を砕いたのだった。魔女は長を決して許さなかった。
(中略)
でも、知識というものは、かならず誰かに伝えなければならない。だから魔女は、自分の魔法を伝えるのにふさわしい相手を求めて、何百年、何千年先まで探したのだ。

そして見つけたのが、私だった。

 

(徳間書店「花の魔法、白のドラゴン」(2004) D・W・ジョーンズ 訳:田中薫子 p.148)

 

 上の場面で語られているのは、語り手の少女・アリアンロード(ロディ)が大昔に廃墟と化した村を訪れ、かつてそこにいた古の魔女から、わけあって魔法の知識を継承した際に伝わってきたものの一部。

 力が強くとても賢かった古の魔女は、自らを虜囚とした村長や村人たちへの憎悪を忘れたことはなかったが、病を治癒したり、作物を実らせたりする役割だけはきちんと果たして逝去した。そのかわり、比類なき財産ともいえる己の魔法の知識は、決して彼らには渡すまい……と誓って。

 けれど、それには問題がある。上の世界では、魔法の知識は誰にも伝えずに死ぬと、主を失って暴走し害を及ぼすのだった。

 だから彼女は継承者を探していた。

 無論、誰でもいいというわけではない。ロディいわく「人柄よりも脳が似ている」者、波長の合う存在。全てを託せるその者を見つけるために、死期を悟った古の魔女はその意識の中で遥かな時間を彷徨い、ついに、ひとりの魔法使いの少女と出会った。

 

 ◇      ◇      ◇

 

 数十年、数百年、あるいは千年以上前に書かれたものの一部が、現代を生きる自分にも難なく読める形式で周囲に存在していることを考えると、本当に途方もない。

 書き手がいなくなり、やがてその声や、眼差しや姿が忘れられても、書物は焼き捨てらたり引き裂かれたりしれない限り、残る。石板に刻まれた文字は、砕かれるまで。電子の海に流された文字は、データが消えるまで。

 それらが破壊行為には弱く、ある点でかなり儚いものであるのは事実だが、いざ残るとなると人間ひとりの寿命をはるかに凌駕して、この世に存在し続ける。

 文字、そして言葉の命は、個人の肉体が持ち得る年月よりもずっと長いのだ。

 何かを読む。すると、内容は深く心に刻まれるにしろ、他愛もないとすぐに忘れ去られてしまうにしろ、一度は必ず自分の中で受け止められる。受け止めてからそれがどうなるのかは、ともかくとして。

 

 私達は、古の魔女のように時間にまつわる魔法を用いて、遠い未来にいる「継承者」を探し出し、知識を直接渡すような芸当は難しい。自分の頭の中にあるものを、相手の頭にそのまま注ぎ込むことは、できない。

 けれど、言葉を使える。文字を書き記すことができる。

 書かれたものは運が良ければ自分が世界を去っても残り、やがて、誰かの元に届くかもしれない。届いた先の誰かが、それに対して面白いとか興味深いとか、あるいはいけ好かないとか、何らかの感情を抱いた場合には、今度はその誰かが書くものの中で言及される可能性がある。すると自分の書いたものが、その誰か以外の人間の目にも留まり、また広がっていく。

 そうして受け継がれ、繋がる。

 知識や、思想や、記録の数々が。

 

 ロディは古の魔女と脳が似ていたから、つつがなく膨大な魔法の知識を譲渡された。私達の場合は、書物を手に取って内容を飲み込めたときこそ、もうここにはいない著者との「波長が合った」のだ、と表現してもあながち間違いにはならない気がする。

 記されたもの、書かれたことに触れて何かを感じた、という時点で、仰々しい言い方だがある意味では選ばれたようなもの。汝には適性があると。

 私は部屋に置かれたいくつもの本棚、その一面に無数の背表紙がずらりと並んでいるのを見て瞠目し、また途方もないと息を吐く。

 これは奇跡を目撃しているのと同じである。

 わざわざ手元に置いている本は、どれも自分に少なからず影響を及ぼしたものばかり。古今東西、かつて地球上に存在したあらゆる人間の著した書物が、今、ここに集っている。作品によって相当な紆余曲折を経て、私と出会い、心に多くの糧をもたらした。

 考えてみればとんでもないことだ。違う時代、遠い場所を生きた顔も知らない誰かの言葉が、相当な長さの時間と空間を超えて、この部屋に満ちている。表紙を開けば文字が洪水のように溢れ出てきて、閉じれば、視覚からの奔流はすっと収まる。

 不思議なことだ。本当に。

 

 自分よりも、自分の言葉の方が長く生きるのだという事実。

 これが奇跡でなくて何だろう。

 

魔女は私に知識をくれた。

大量の知識が頭になだれこんできて、私は圧倒されてしまった。魔女の知っているすべて、魔女のできることすべてばかりか、魔女の一生までまるごと受けとったようなものだ。
(中略)
私はまるでその人のことを何年も前から知っていて、何カ月もずっと話をしていたような気がした。そのくらい強烈な印象だった。


(徳間書店「花の魔法、白のドラゴン」(2004) D・W・ジョーンズ 訳:田中薫子 p.148-151)

 

 たくさんの本を読み続けていると、どこかで必ず、こういう経験をすることになる。

 いつもそれを、恐れながらも楽しみにしている。

 

 

 

 

 

「道ありき」を片手に作家ゆかりの地を訪ねて - 見本林の文学館と塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)|北海道一人旅・塩狩&旭川編

 

 

 

 

 

 

 

 4年前……2018年の8月末、札幌。

 豊平館を訪れたその日は頭上を仰げば曇天、たまに晴れ間が見えるが当時の外気温は低く、17℃しかなかったのを今でもはっきり覚えている。とても寒かった。いかに北海道といえど真夏の暑さからは逃れられまい、と上着を持たず、半袖で中島公園を出歩いていたのが完全な油断のあらわれ。そのままではきっと、風邪をひいてしまうと危惧した。

 寒い、と両腕をさすりながら、どこでもいいから暖を取りたくて、逃げるように駆け込んだ建物が奇しくも、北海道立文学館。

 

 そこの常設展で、初めて三浦綾子とその小説作品に出会った。

 彼女は北海道出身の代表的な作家。常設展示では作品の特徴、また著者の人となりが簡単に紹介され、著しく興味を惹かれた私はすぐに「氷点」「続氷点」を購入し、読んだ。陳腐な表現で申し訳ないが、その選択は大正解だった。次に「塩狩峠」、そして「道ありき」から始まる自伝の3部作を通読し、実感する。

 この人のことが、単純にとても好きだと思った。

 

わたしには、生きる目標というものが見つからなかったのである。

何のためにこの自分が生きなければならないか、何を目当てに生きて行かなければならないか、それがわからなければどうしても生きて行けない人間と、そんなこととは一切関わりなく生きて行ける人間があるように思う。
わたしはその前者であった。

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.29)

 

 今年、2022年は作家の生誕100周年。

 だから、会いに行こうと決めた。記念文学館のある出身地の旭川へ。そして、「氷点」が賞を受賞する以前、雑貨屋を営んでいた頃の旧宅が復元されている、和寒町の塩狩へと。

 会う……といっても作家は故人。すでにこの世にはいない人。けれど彼女によって紡がれ、記された言葉は、紙上や映像上に残っている。私は時代を超えてそれを辿り、いち読者として、身勝手に何かを感じ、考える。そういうことを指して「会う」と表現させてもらう。

 

 現地での移動中はずっと、文庫版の「道ありき」を手放さずにいた。

 

 

目次:

 

三浦綾子記念文学館  旭川市

 

 三浦綾子記念文学館は旭川、外国樹種見本林のあるところに建っていた。JR旭川駅南口から歩いて10分くらいで、途中で忠別川にかかる「氷点橋」を通り、その通りを突き当りまで歩き続けると到着する。美瑛川の手前にあって、地図で上から見るとまるで訪問者を受け止めるような形になっているのが面白い。

 この見本林は、三浦綾子が夫である光世氏との結婚2年目、6月に、光世氏の上司に薦められて訪れた場所。後に「氷点」の舞台にも採用された。明治時代、日本の寒冷地で外国種の木々がどう育つのか調査するために設けられた国有林であり、一般人の立ち入りも自由にできるため、市民の憩いの場になっている。

 私も今回の訪問時、そこにしばらくいて、作者が「この土の器をも」で述べた見本林の印象が真実であったのだと確かめていた。

 木漏れ日が美しく、しかし、どこか無気味。響いていたのは2匹のカラスの鳴き声だった。片方は少し高く、もう片方は少し低い声を出し、会話をするように交互に鳴いている。周囲があまりに静かなので聞き分けられるが、もしも往来の激しい市街地であったら、きっと気にも留めなかっただろう。

 

 

 歩道を1周して戻ってくるとまた文学館の建物が見える。木々の隙間から。ここでは三浦綾子の生涯……ひとりの人間として、また作家として歩んだ彼女の軌跡を、実際の写真や私物、原稿などを交えた展示物を通して窺い知ることができる。

 三浦綾子(旧姓:堀田)は、一体どのような人だったのか。

 その著書を読んで、またそこに記された、周囲の人々から見た印象を参考にして、頭に浮かべるのは魅力的な人物像だった。考え深く、しかし静的というよりはかなり激しいものを瞳や胸に抱いている、気の強い女性。はっきりとした物言いに、ややもすれば誤解を招きそうだと思うのだが、本人にもきちんとその自覚がある。

 それでも多くを惹きつけるのは、彼女の発する言葉は他人に対してだけでなく、彼女自身にも常に向けられていたからではなかっただろうか。

 

「たいていの人は、人と付き合う時に、なるべく長所を見せようとするものだけれど、綾ちゃんはその反対ですね。こんな自分でもよかったら、つき合ってみたらどう? という態度ですからね。損なタチですよ」

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.64)

 

 私はこう考えた。そして、あなたはどう考えるのか。

 私の考えは、きちんと的を射たものであるか、否か。

 常にそう尋ね、尋ねられ、槍の一閃のように透徹した意識は、安易なごまかしや無意味な慰めを突き崩す。だからこそ、と私は見本林の林の中で、ほとんど枝葉に覆われた頭上の空を見上げて思った。それだけ厳しいまなざしをまず自分自身の上に注いでいたからこそ、三浦綾子は苦悩したし、光を、信じられる何かを求め続けていたのだと。

 彼女が感じた初めの大きな虚無は、第二次世界大戦の終結に端を発するものだった。

 状況が変わればあまりにもあっさりと転換する価値観。特にかつての軍国主義的教育に、教師として自分が携わっていた事実に、迷いと罪悪感をおぼえる。何が正しく何が正しくないのかに確信を持てない、無責任な姿勢で教壇に立つなど不可能だと悟った三浦綾子氏は、24歳の頃に教職を辞した。

 その心境は空虚で、酷く荒れてもいた。

 

第一に、すべてがむなしいのであるから、生きることに情熱はさらさら感じない。それどころか、何もかも馬鹿らしくなってしまうのだ。すべての存在が、否定的に思われてくる。自分の存在すら、肯定できないのだ。

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.30)

 

 いっそ結婚でもしてしまおう……と、どこか不誠実なものを抱え、同時期に2人の人間と婚約をするほど投げやりになっていた彼女は、結納の当日に体調不良で、そして後に肺結核にも倒れる。本人はこれを示唆的で、何かに罰せられているようだとも感じたそうだ。やがて脊椎カリエスも併発し、長い闘病生活は続いた。

 人生の転機となったのは昭和23年。

 三浦綾子の病床を見舞った人物、幼馴染の前川正は、キリスト教徒だった。

 自暴自棄に生き、多くの人間と適当につき合い、療養中にもかかわらず酒瓶を手にするような姿を目の当たりにした彼は、彼女をたしなめる。それに対する返答は、以下のようなにべもないものだった。

 

(あなたは、わたしの恋人でも何でもないわ。何の関係もないのに、少しうるさいわね)
 そう思いながら、わたしは言った。
「正さん。だからわたし、クリスチャンって大きらいなのよ。何よ君子ぶって……。正さんにお説教される筋合はないわ」

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.59)

 

 しかし、かつての婚約者、西中一郎との別れと、彼に止められた自殺まがいの夜の入水を経て、彼女は少しずつ変わっていく。前川正の根気よい説得と、真に他人を思う彼の清澄な心の在り方に触れて。「だまされたと思ってこの人の進む方向について行ってみようか」と。

 キリスト教への懐疑心はいまだ抱きながらも、虚無に陥って終わるのではなく、そのどん底からでも再び何かを求めて生きたいと明確に思うようになった。一度は極限まで追い詰められたからこそ、見える光があるはず……。彼女は酒や煙草を断ち、前川氏の勧めで聖書を読み、短歌も作ることを始めた。

 どこまでも無気力な状態から、何かを受容する精神を持ち、さらに自分から作品を生み出す創作活動にも手を伸ばせるように。そこまで彼女を導いた前川氏の存在の大きさを思うとき、彼の死もまた、とうてい測り知れない悲しみをもたらしたに違いないと思って私は立ち止まった。

 

 そう。前川正は胸郭成形の手術のあと、しばらくして亡くなってしまったのだ。

 

 文学館の2階に展示してあった書簡。前川正氏は三浦綾子のことを「綾ちゃん」と呼んでいて、手紙の文章にもそれがあらわれている。他人が他人に宛てた手紙を読んで涙するなんて、と自分でも思ったが、私は耐えられなくてそこで泣いた。三浦綾子氏の著作を通じて彼の人格や行いの一端を知った今、作者に対して呼びかける愛称に、そこに込められた万感に、心を動かされないはずがなかった。

「道ありき」にも生前に綴られた書簡の一部が掲載されている。

 

「綾ちゃん、綾ちゃんは私が死んでも、生きることを止めることも、消極的になることもないと確かに約束して下さいましたよ。
 万一、この約束に対し不誠実であれば、私の綾ちゃんは私の見込み違いだったわけです。そんな綾ちゃんではありませんね!」

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.274-275)

 

 本物だと思った。

 必死に探してもまず見つけられないような、滅多にない、本物の人間の思いだと。

 

 前川正氏の没後、不思議な出来事が起こる。彼にそっくりで同じキリスト教徒の、三浦光世という人物が現れたのだった。知人のはからいで彼女を見舞った光世氏こそ、後に生涯の伴侶となり、三浦綾子が作家として小説を書き続けるにあたっても、なくてはならない存在であり続けた人物。

 最初はあまりにも前川氏に似ているので、三浦綾子は彼が人ではなく、悲しむ己に神が遣わした、何か別のものではないかと考えたくらいだとか。彼らはささやかな交流を続け、2人とも互いを大切に思うようになった。

 綾子は当然、悩む。

 

わたしの魂は飢えている。知的なもの、高度の情的なものに飢えている。

 

(新潮文庫「道ありき」(1980) 三浦綾子 p.317)

 

 自分は、もういない前川正の面影を、三浦光世の姿に投影しているだけではないのか?

 そう葛藤していた三浦綾子だったが、他ならぬ前川氏がもたらした信仰というものが両者を結び付けたことに意味を見出し、幸いにも彼女の病状が快方に向かってから、彼らは結婚式を挙げる。昭和24年、5月のことだった。

 

 記念文学館の分館には、彼らの家にあった三浦綾子の書斎が再現されており、手を痛めてから「口述筆記」で作品の執筆に取り組んでいた時代の雰囲気の一端に触れられる。

 旧宅から書斎の一部屋だけを部分的に移築したものなのに、本当の家がそこにあるようにも感じられ、足が畳の上を擦る音がどこからか聞こえてきそうだった。

 

 

 三浦綾子と三浦光世の2人がかつて暮らした家は、旭川市内から和寒町に移築復元され、記念館として公開されていた。

 私はそこにも行ってみた。

 

 

 

 

塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)へ

 

 今回の旅の拠点としていたのは、上の記念文学館がある旭川市内。

 そこから記念館のある塩狩へ行くのに利用できる公共交通機関は、鉄道かバスになる。私は往路でバス、復路では鉄道を利用した。どちらも1日の運行本数は多くない。事前に時刻表を調べておくのが必須なのと、補助として、乗換案内アプリが手元にあればとても助かる。

 旭川駅前のバス停から「名寄」行きの便に飛び乗って、整理券を取り、適当な席に座る。窓からの景色はみるみるうちに様相を変えていった。都市らしい姿から、ここら一帯が上川盆地と称される所以の地形が明らかになり……どこまでも直線状に伸びる道路の脇には、広がる水田と、家々が点在し、そして遠くの山々しか視界に入らなくなっていく。

 途中、比布(ぴっぷ)を通った。そうして蘭留(らんる)も通過した。私の中でピップといえばディケンズ「大いなる遺産」の登場人物か、ピップエレキバンの商品名だが、どちらも北海道のこの町には関係がない。閑話休題。

 食い入るように外を眺めているうちに、ぱらぱらと雨が降ったり止んだり。やがて塩狩の停留所に立った私は、雲の影響で輪郭線を曖昧にした、遠景の山をしばらく眺めていた。白が緑に映えているのか、反対なのか、あるいはどちらもか。

 

 

 ゆるやかな坂道を上りきると、いた。特徴的な、大きな亀の甲羅を連想させる形の屋根を冠した、小さな家が建っていた。これが現在の塩狩峠記念館であり、かつて三浦綾子と三浦光世が暮らした、旧宅の復元である。

 この塩狩は明治42年に、国鉄職員であり、キリスト教徒でもあった長野政雄という人物が殉職した地。列車の逆走事故による惨劇を、身を挺して防いだと伝えられている場所だった。後に三浦綾子が彼と彼の人生に着想を得て、小説「塩狩峠」を発表した由縁から、記念館も塩狩に建てられた。

 館内の撮影はできない。建物の外壁、窓ガラス以外の部分には琺瑯風看板がいくつもかかっていて、住居兼雑貨屋の「三浦商店」として機能していた家の往時の姿が偲ばれた。こぢんまりとして、ささやかな幸せに満ちていた空間。

 はじめ光世氏は妻が雑貨店を開業するのに反対していて、その点において彼らが相互に納得できる状態を探すのは難しいことだった。他の生活上の懸念も決してゼロではなく、全てがうまく行っていた生活ではなかったと「この土の器をも」でも述べられている。けれど、昼間に部屋で本を読むだけの生活ではなく、どこかで誰かの役に立ちたいと願う三浦綾子の意志は固かった。

 

そんな閉鎖的な生活からは、何も生れるわけはない。二人は結婚する時、少しでも人様の役に立ちたいと願っていたはずだった。
この田んぼの真ん中に店をひらいても、成り立つかどうか、それはわからない。だが、店をすることによって、少なくとも近所の人と馴染みにはなれる。そして、その中の一人にでも、キリスト教の伝道をすることができるなら、というのがわたしの願いだった。

 

(新潮文庫「この土の器をも」(1980) 三浦綾子 p.159)

 

 昭和38年、元旦の頃。

 自宅の近所に越してきていた両親に会いに行った綾子は、賞金一千万円で新聞小説を募集する懸賞の記事を、末の弟から教えられた母によって見せられる。既存の作家であっても応募できる賞で、過去に何度か執筆関係の依頼を受けてはきたものの、素人の自分には縁がない、と放念しようとしたが、やはり気になる。

 彼女は想像した。もしも長編小説を書くとしたら、どのような筋書きにするだろう。何よりも、それを通して最も描きたいことはなんだろう。

 思いを巡らせているうちにいつの間にか略筋ができ、綾子は夫の光世氏にも相談して、実際に執筆をはじめた。舞台は旭川の外国樹種見本林。昼間は雑貨屋の仕事に専念しながら夜にペンを取る生活で、徐々に難しくなっていったし、使命感がなければ書き通せなかっただろう……と彼女は語る。

 心の根幹にあったものは、社会がこれほどまでに人を幸福になりにくくしていることと、その問題の核にある罪の問題を、キリスト教徒として訴えなければならないと信じる思い。

 

 締切日の10日前に熱で倒れるなど、困難を経験しながらも応募にこぎつけた原稿用紙千枚の小説は、最終的に栄えある一位入選の座を手にした。

 それが「氷点」だった。

 私が4年前に札幌で出会い、一気に読んで以来、すっかり生涯の友人のようになった小説。

 

ただひたすら、石にかじりついてもひねくれまい、母のような女になるまいと思って、生きてきた。が、それは常に、自分を母よりも正しいとすることであった。相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。
自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないだろうか。

 

(角川文庫「続氷点」(2018) 三浦綾子 p.375)

 

「氷点」と「続氷点」で扱われている原罪というものの概念は、文学館でも記念館でも非常にわかりやすく解説されている。

 悪事に手を染めることの罪、それ自体を指すのではなく、自らの行いを顧みずに「私はこれまで品行方正に生きていて、悪いことなどしていない」「だから他の悪い人間とは違い、完全に潔白であるはずだ」と思うこと。これが、原罪の意識に繋がる。

 自分の罪深さから目を背けずにいること、その本質が何なのかを「氷点」は問う。

 

 ……考えていて、ふと思った。私は小説が好きだ。とりわけ、物語が好き。

 同時に、物語とはまた違った部分で小説に心を寄せる理由があるとすれば、それは何か。色々考えられるけれど、文章というもの自体への愛着もさることながら、ある主題に対して答えよりも「問い」を提示する機能に魅力を感じているのではないか。

 ある意見を強く主張する小説にも、面白いものはある。しかし根本的な性質として、紙上に記されて世に発表された小説は、否応なしに読者としての大衆へ問いを投げかけるものだ。内容が何であれ。

 読んだ人間の胸には疑問が生まれたり、それに対して自分なりの答えを出したり、時には出さないまま、長い時間を過ごしたりする……。

 だから、小説が好き。

 

 

 窓の外を見ると、雨が降ってきたようだった。

 記念館2階で流れている朗読テープの音声を背に、建物から出て階段を下り、傘を片手に長野政雄顕彰碑のあるところへ向かう。少し前でも述べた、小説「塩狩峠」のモデルとなった人物を追悼する石碑。

「塩狩峠」を執筆していた頃から、三浦綾子は手の痛みを感じるようになった。そこで、夫である光世氏の手を文字通りに借りる「口述筆記」の方法を採用し、彼女が口から発した言葉を彼が聞いて、書き留めるスタイルでその後のすべての作品は執筆された。

 塩狩峠記念館では録音音声を使い、実際に口述筆記がどんなものなのか体験することができる。

 本当に難しいのでぜひ試してみてほしい。相当に馬の合った人間とでないと、長時間こんなことはやっていられない、と実感できるはず。

 

 

 寂寥とした無人のプラットフォームに、宗谷本線の鉄道車両がたった1両でやってきた。

 稚内からはるばるレールの上を駆け、これから旭川方面へ向かうもの。長野氏が殉職した当時は急勾配で起伏が大きく、カーブもある難所だった塩狩峠の周辺(明治時代には駅がなかった)は現在、誰もが昔より安心して通過できる地点になった。

 さっきよりも雨足が強くなる。冷たい雨粒を避けるように、車内へ移るとほっとする。

 あ、これだな、と息を吐いた。

 私は生活の中で、たとえ屋根の下にいても不意の雨に打たれているように思うとき、三浦綾子作品を手に取る。本は全身が濡れるのを防いでくれるわけではないが、自分がその時、求めているのかどうかも分からなかった何かを差し出してくれる場合があって、それがたまに安心に似ている。実際は、まったく違うものなのだけれど。

 

 そういう本を持ち歩く気持ちは、怪しい天候を前にして、折り畳める小さな傘を鞄に忍ばせる際の意識と共通しているものがあった。

 今度は流氷を見に行きたい。

「続氷点」の最終章で陽子が、燃える流氷を眺めて、天から滴る血を連想した場面を頭に浮かべながら、海辺に立ちたかった。

 

この世は虚しさに満ちている。だから、この世に対して虚無を感ずるのはむしろ当然である。虚しいものを虚しいと感ずることに、恐れることはない。

恐るべきは、虚しいものに喜びや生甲斐を感じて、そこに浸ることである。

 

(新潮文庫「光あるうちに」(1982) 三浦綾子 p.105)

 

 私は著者のようにも、その作品の登場人物のようにも、もちろんなることができない。

 だから、と何度でも思う。だからこそ、小説が好き。

 

 

北海道ひとり旅の続き:

 

 

 

 

夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学

 

 

 

 

 

 国語、現代文の教科書によく掲載されている「こころ」は無論、良い。

 良いけれど、彼が最後に執筆していた未完の作品も、ぜひとも読んでもらいたいと思うわけなのです。

 

「奥さん、人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方が可いものなんですよ」
「そうですか」

 お延は急に口元を締めた。

「奥さんのような窮った事のない方にゃ、まだその意味が解らないでしょうがね」
「そうですか。私はまた生きてて人に笑われる位なら、一層死んでしまった方が好いと思います」


(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.256)

 

 ……その感覚を、知っている。と、言葉が思わず口をついて出る。

 他者から軽蔑され、見下され、侮られながら、なおも生きなければならないことを想像して感じる苦痛。もしも外から常にそのように扱われなければならない場合、一思いに死んでしまった方がよほど良いではないか、と思える瞬間。それは「ある」。ヒトとしてヒトの社会に生きていれば、どこかの地点で必ず訪れる。

 だから結果的に、人間の世界でいわゆる敗北者として存在するのが嫌なら、そうならないように尽力し続けなければならないと脅迫的に念じることになる。現在の、自分自身に対して。

 

 でも。

 それは一体誰との、また、何における勝負だというのか?

 

 夏目漱石の絶筆である「明暗」から上に引用した会話で「人から笑われたとしても生きている方がいい」と言っている方の人物は、名を小林といった。お延という女性との会話の中で、あの台詞を口にしている。

 しかし、どちらかというとそれは彼自身の本音というよりか、相手より優位に立つための「心理的な戦い」によって狡猾に選ばれ、導き出された言葉だといえよう。それが本文を読んでいるとだんだん分かってくる。

 自分が本心ではどう思っているか、よりも、目の前の相手にどんな作用を及ぼしたいか、で言葉を選び発した経験は、多くの人が持っているはず。小林がお延に対して(また、お延の側も小林に対して)仕掛けたのはそういう性質のもの。

 

 一方、お延の夫であり、自身の友人でもある津田の前で、小林はある時こんな風に零していた。

 涙を流しながら。

 

「君は僕が汚ない服装をすると、汚ないと云って軽蔑するだろう。又たまに綺麗な着物を着ると、今度は綺麗だと言って軽蔑するだろう。じゃ僕はどうすれば可いんだ。どうすれば君から尊敬されるんだ。
 後生だから教えて呉れ。僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.99-100)

 

 これは小林の、ある種の本心とも呼べる思いの発露。お延や、津田や……あるいは他の人間の前で、普段そう思ってはいても、決して口には出さない(出せない)内情の一端だった。

 問題はこの言葉が、そして相手の前で思わず晒した本音が、その後どのように受け取られたのかという部分。

 武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。

 

書籍:

明暗(著:夏目漱石 / 新潮文庫)

 

 

 

虎視眈々と相手の出方を伺う会話

 

 人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に侮られたり、立場が下だと認識されたり、あるいは取るに足らない存在だとして無視されたりするもの。たとえ気が付かなくても。

 だから誇りを失わないため、身を守るために、誰もが無意識に武装しているのが実に疲れることだなと思う。

 

 漱石の「明暗」で描かれているのも、人間同士の意思疎通におけるそういった側面。

 例えば知人に、最近そちらの調子はどうか、と尋ねられた時に「自分の本心や現状」ではなく、「目の前の相手に見下されない答え」を頭の中で練って返すようなこと。元気がなくても、元気だと答える。生活が全然うまくいっていなくても、うまくいっている、と答える。

 そうしなければ、下手に弱みを晒す羽目になるかもしれないから。

 

「ええ。其処だけはまあ仕合わせよ」

 他に向って自分の仕合わせと幸福を主張しなければ、わが弱味を外へ現わすようになって、不都合だとばかり考え付けてきたお延は、平生から持ち合せの挨拶をついこの場合にも使ってしまった。そうして又行き詰った。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.383)

 

 平生から持ち合わせの挨拶、とはよく表現したものだと思う。要するに、反射的に出てくる「定形文」のようなもの。無難に、かつ見下されずに場をやり過ごすための。

 この場面で、お延は自分の夫である津田の妹・お秀と会話をしている。ふたりとも、相手の一言や仕草のひとつひとつから何かしらの意味を読み取ろうとし、さながら盤上で交互に駒を動かしているかのような、腹の探り合いを展開しているのだ。

 まず、相手が気に入りそうな言葉を選ぶ。すると裏に潜んでいる誇張や虚偽に気付かれて、不信感を抱かれる。そこであえて二歩も三歩も引いてみると、向こうもわずかな疑いを顔に出してしまったことに思い至り、お世辞の返礼をしたり別の話題を持ち出したりする。

 この瞬間に話題は、単純にふたりの間で交わされる会話の題材、という意味を越えて、賢く利用すれば何らかの有益な効果をもたらす「材料」へと変貌するのだった。そこで、ただその場に存在し、相手と会話することを楽しみ、結果的にどう思われても全く平気でいられるほど人間は無神経になれない。

 ましてや作中の設定である大正の世。周囲の人間との関係を、そのまま社会と言い換えることもできたような時代なら、なおさらだった。個人が個人の意思で選べたものは今よりもずっと少ない。結婚相手も、それに半ば自動的に付随してくる、相手の家族も。

 

お延がどうしようかと迷っているうちに、お秀はまるで木に竹を接いだように、突然話題を変化した。行掛かり上全然今までと関係のないその話題は、三度目に又お延を驚ろかせるに十分な位突飛であった。
けれどもお延には自信があった。彼女はすぐそれを受けて立った。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.377-378)

 

 見下されたり、弱みを晒したりすると、人は周囲に構築する関係のなかで不利な立場に置かれる。そうならないように策略を巡らし、常に予防線を張って自分以外の他者と、外界と対峙する。勝負するように、挑戦としての会話を受けて立つ。

 小説として描かれているから殊更仰々しく思われる表現だが、実際、人間の世界のあちこちでは毎日、毎時間、毎分、毎秒ごとにこれが行われている。

 気を抜くと必ずどこかで穴に落とされ、知らずのうちに利用されたり、無意識下でも馬鹿にされたりする可能性がある……それほど難儀なのが、社会で生きるということだった。

 

 時には「家庭」もそのようになる。

 自己と他者の在る場所が社会なら、家も夫婦関係も親子関係も、例外なくそうなのだ。

 

ただ落ち着かないのは互の腹であった。お延はこの単純な説明を透して、その奥を覗き込もうとした。津田は飽くまでもそれを見せまいと覚悟した。極めて平和な暗闘が度胸比べと技巧比べで演出されなければならなかった。
(中略)
ただ二人の位地関係から見ると、お延は戦かわない先にもう優者であった。正味の曲線を標準にしても、競り合わない前に、彼女は既に勝っていた。津田にはそういう自覚があった。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.450)

 

 

 

私も周囲も思い通りにしたいという「我」の存在

 

「明暗」を読んで、改めて自我というものについて考えていた。

 私が思うに、とある場所でふたりの人間が対面している時、実は、そこには「4人(もしくはそれ以上になるかもしれない)」が存在しているのではないかと仮定する。

すなわち、

1. Aという人間
2. Aを形づくるAの自我
3. Bという人間
4. Bを形づくるBの自我

の、ような。

 Aが素直な感情の表出を試みる瞬間、Aの自我はBの顔色を素早く伺う。もしも不都合なことがあれば、Aの自我はさっと前面に出てきて、自分自身であるはずのAが本音を口にするのを邪魔する。

 この人に好かれていたい、この人に軽蔑されたくない……という自意識により、自分が口から発する言葉が、いとも簡単に偽られ捻じ曲げられる瞬間が作中でも描かれている。

 

 自分自身を斜め上から眺め、批評し、愛し、断罪し、定義し、時には意に沿うように行動に干渉する自我の存在は、性質としてもはや自分ではなく他者のようなもの。それが、実際の他者と対峙する自己に影響を及ぼすから、状況としては板ばさみだ。順番として、まず自我が言葉を扱う。自分はそれが命じるように、口から発する。

「私」と「私を見ている私」との関係。

「その人」と「その人の中にいる私」との関係。

 他人が抱く、自分に対する印象……これを完全に操ることはできないと誰もがどこかで理解しているのに、時に打算による演出(パフォーマンス)がかなりの成功を収めてしまい、ともすれば変な穴に陥ってゆく苦しさがある。

「私は自分の理想を実現するものでありたいし、他人からもそうして理想的に生きているのだと、できるだけ思われていたい」願望であり執着。自己への、また、その人生への。

 本当の意味で思い通りになるものなど世界には存在しないのに。いや、むしろ、どれほど理想を手に入れようと尽力し奔走したところで、結局全てはなるようにしかならない圧倒的な事実、そこに「則天去私」の四文字が浮かび上がってくるのはあまりに皮肉だと思う。受け入れるにはつらすぎる。

 

 津田、お延、お秀。

 登場人物それぞれの虚栄心と、我執と……。

 

津田ははっきり疑っていないと云わなければ、何だか夫として自分の品格に関わるような気がした。と云って、女から甘く見られるのも、彼に取って少なからざる苦痛であった。
二つの我が我を張り合って、彼の心のうちで闘う間、余所目に見える彼は、比較的冷静であった。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.124)

不幸にして彼女には持って生れた一種の気位があった。見方次第では痩我慢とも虚栄心とも解釈の出来るこの気位が、叔母に対する彼女を、この一点で強く牽制した。
(中略)
一旦世間に向ったが最後、何処までも夫の肩を持たなければ、体よく夫婦として結び付けられた二人の弱味を表へ晒すような気がして、恥ずかしくていられないというのがお延の意地であった。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.133)

お秀は)意地の方から行くと、余りに我が強すぎた。
平たく云えば、その我がつまり自分の本体であるのに、その本体に副ぐわないような理屈を、わざわざ自分の尊敬する書物の中から引張り出して来て、其処に書いてある言葉の力で、それを守護するのと同じ事に帰着した。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.379)

 

 本文中で直接的に語られるわけではないが、小林の言動も彼らとはまた違った我執に基づいている。自分はこうありたい、そして相手にもそう思われたい、という念が行動を決定し、それが空回って望んだ結果を結ばない。

 また、あの冒頭の本心の発露に戻る。

 

「じゃ僕はどうすれば可いんだ。どうすれば君から尊敬されるんだ。
 後生だから教えて呉れ。僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」

 

 さて、涙を流しながら、うっかり本当の思いの一部を吐露してしまった小林は、どうなったのか?

 目の前にいる津田という人間に、どのように思われたのか。

 

不幸にして津田の心臓には、相手に釣り込まれる程の酔いが廻っていなかった。同化の埒外からこの興奮状態を眺める彼の目は遂に批判的であった。
(中略)
彼は詰らなかった。又不安であった。感激家によって彼の前に振り落とされた涙の痕を、ただ迷惑そうに眺めた。

 

(新潮文庫「明暗」(2007) 夏目漱石 p.99)

 

 もちろん、そこから友人同士で腹を割った、本音での心温まる会話など始まるわけもなく。

 弱味を晒してしまった小林はこの場面における「勝負」に負け、津田に「取るに足らない何か」として受け止められ、いたく冷たい目でその様子を眺められてしまったのだった。

 

 

 パブリックドメイン作品なので、以下のリンクから全文が読めます。

明暗 - 夏目漱石|青空文庫

 紙の書籍はこちら:

 

 

 

「雪の女王」と「氷姫」- アンデルセンの持つ多面性の一端、冷たく美しい世界の描写|近代の創作童話

 

 

ハラルド・ソールベリの絵画「山の冬」

参考・引用元:

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 肺腑まで凍りつくような冷たさ。

 その温度に支配された世界の、美しさ。

 

 デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの手がけた物語の中で、とりわけ私の印象に残っているのが「雪の女王 (Snedronningen)」と「氷姫 (Iisjomfruen)」であり、同時にそのタイトルが示すふたりの登場人物でもあった。

 いいや、登場人物というか、あるいは何というべきか。ふたりともそれぞれ別の概念を体現する、いうなれば要素が擬人化された像として存在しているから、はっきり人物と言い切ってしまうのもいささか不自然(ヒトではないため)なのだけれど……ここでは便宜上、そうさせてもらう。

 そして、数々のモチーフや再解釈作品の元ネタとして採用されている「雪の女王」に比べ、「氷姫」の方は世間的な知名度がだいぶ低い。これは前者に比べた物語内容の複雑さと、あと単純に長さも影響しているのだろう。

 

 ふたつの作品には共通点と相違点がある。

 どちらも少年と少女、あるいはもう少し年嵩の男女ふたりの関係を絡めて、キリスト教的信仰という主題が物語に沿い展開されていくのだが、「雪の女王」の最後、カイはゲルダによって救われる。一方、「氷姫」において、バベッテはルーディをこの世に引き留めることができない。

 また、雪の女王は主に「知性の領域」を体現し、氷姫は「自然の領域」を体現している部分も、大きく異なる。確かに同じ冷たい世界の支配者ではあるが、その意味においては、むしろ本質が反対に近いともいえるのだった。

 

 キリスト教的な信仰、その信仰心にまつわる事柄。それらがふたつの物語にとどまらず、他のアンデルセン童話でも、著者本人の人生にとっても重要なテーマであったことは疑いがない。

 しかし、単純に人が信仰を志したり、神へと至る道を歩んだりする際の道筋を示すような語り口ではなく、もっと複雑で奥深く、なおかつ多面的な要素が彼の「おはなし」にはふんだんに盛り込まれている。時には皮肉交じりに、時には冷笑を交えて。そこが実に厄介であり、魅力的でもあるのだと、実際に作品を読んでみれば分かるだろう。

 そもそもアンデルセンの信仰自体、彼が生涯をかけて己の内側で築き上げていった独特なもので、要するにこういうことだ、と思い込みの型にはめて説明することはできない事実も忘れないようにしたい。

 

 昨日はこれまで何度も紐解いてきた2編を、改めて読んだ。

 物語はやっぱり面白かったし、登場する冷たい世界の支配者たちは、何より美しかった。

 

 

雪の女王 (Snedronningen)

 

 作中における雪の女王は、知性や合理性の象徴、みたいな存在。そういう意味での冷静で淡々とした世界を統べている。

 また最後の章を読めば、知性によって「永遠」という概念・境地に辿り着きたい人間の思い、そのものが人の形となって雪や冬のイメージと結びつき、生まれた存在と考えることもできるだろう。怜悧な思考と、まるで雪の結晶のように、見た目にも整った美しさを持つ……胸に悪魔の鏡の破片が刺さったカイ少年によれば、「これ以上かしこく、やさしい顔は考えられない」のだという。

 彼女が住まうのはスピッツベルゲン島にある城。夏にはラプランドにも臨時の住居を設けるが、本拠地はそっち。荘厳で冷たく虚ろな建物の中、雪の女王は普段「理知の鏡」をこの世で何よりすぐれた鏡だと言い、その真ん中に座っている。規則正しく出現するオーロラの下で。

 だから彼女はカイをとても気に入ったし、自分の城にさらって行って、あることを命じた。

 

カイはあちこちから、さきのとがった平たい氷のかけらを、いくつか、引きずってきて、それをいろいろに組み合わせて、何かをつくりだそうとしていました。
(中略)
それは「理知の氷遊び」というものでした。カイの目には、これらの形こそ、もっともすぐれた、そして、このうえなく意味深いものに思われたのです。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.211-212)

 

 雪の女王がカイに命じたのは、理知の鏡の破片で「永遠」という言葉を作り出すこと。

 それさえできれば、彼女は「この世界と新しいスケート靴」をお前にあげる、と彼に対して言ったのだった。

 カイは「永遠」を、どうしても作り出せない。幼馴染のゲルダが城まで迎えに来て、胸に刺さってしまった悪魔の鏡のかけらと氷の塊を、熱い涙ですっかり溶かしてしまうまでは。彼らが抱き合っているうちに、破片は勝手に踊り出し、その文字をあらわした。

「永遠」を完成させてふたりが城を去る前、ゲルダはイエス・キリストを讃える歌をうたい、その声に耳を傾けたカイは泣き出す。そうして家に帰った彼らはいつのまにか大人の身体になっており、幼い心を胸に抱いたままで、讃美歌の意味を悟る……物語はそうして締めくくられる。

 まるで永遠へと至る道筋は、理知や知性ではなく、信仰によってしか示されないのだと説くような幕引き。

 

 本編の冒頭で悪魔がこしらえた鏡……この、砕けてカイの胸に突き刺さった鏡とは、作中では「いいものや美しいものが映ると、たちまちちぢこまって、ほとんど何も見えなくなってしまう」性質のものだった。「悪いものや嫌なものがはっきりと見え、どんなものでも、粗(あら)ばかりが目に付くようになる」。

 さらには信心深い、よい考えが浮かんでくると、その鏡の中にはしかめっつらがあらわれるとか。実際に描写されたカイの様子からすると、これは知識と、批判的精神と、一種の観察眼、それらを複合的に人間にもたらす存在であるらしかった。

 悪魔の鏡の破片が胸に刺さった後の、彼の言動に目を向けてみよう。

 

(レンズを通して結晶を)見ると、雪のひとひら、ひとひらが、ずっと大きくなって、きれいな花のように、そうでなければ、六角形の星のように見えました。それはほんとうに美しいものでした。
「ねえ、ずいぶんじょうずにできているだろう!」と、カイは言いました。
「ほんとうの花なんかより、ずっと面白いよ。どれ一つだって、まちがったところはないんだからね。みな、きちんとしているんだ。ただ、溶けさえしなければいいんだがなあ!」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.170)

 

 そして、雪の女王にさらわれた時も、

 

もう、すこしも、こわくありません。
そこで女王に、算数の暗算が、それも、分数の暗算ができることや、国の平方マイルのことや、「人口はいくら?」のことなどを話しました。女王はしじゅう、にこにこしていました。けれども、カイは、自分の知っていることは、まだまだ、十分ではないような気がしました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.172)

 

 と、描写されている。

 彼は村の、他の同年代の子供たちよりも賢く振る舞うようになった。そして、さらに知識を得たいと願い、そう渇望する自分に誇りも感じている。

 問題は、「悪魔の鏡」によってカイが獲得した、周囲の事物を捉える批判的な(しかし時に的確な)まなざしが、ともすれば他人や世界に対する意地の悪い言動に繋がること。加えて、いつもカイの側にいてくれる愛情深いゲルダの言葉をも、軽んじ無下にしてしまう瞬間があることだった。

 月並みな言い方をすれば、彼は悪魔の鏡と雪の女王に魅入られて、人の心が持てる「温かさ」を失う。作中では一人で取り戻せなかったものを、信仰心と愛による、幼馴染の献身が、氷の城から奪還し繋ぎとめた。

 

 でも。私は、あの割れた理知の鏡がある雪の女王の城も、レンズで拡大した雪の結晶に完成された美しい何かを見出しているカイも、好き。無論、それしかない、それだけに支配された場所は虚ろで冷たい世界なのかもしれないが、どんなに抗っても惹かれる気持ちを理解できるし、実際確かに持っていたと思い出せる。

 アンデルセンもおそらくそうだった。彼は信心深かった母と、科学と空想が好きだった父から大いに影響を受けていて、どちらから受け取った要素も大切に自分の中で育みながら、己の物語と世界を追求していった。

 どちらか一方「だけ」が、彼にとって特別に重要だったというわけではない。それらは常に複合的な関係にあり、語りとおはなしの中で交互に提示される。

 

 

 

 

氷姫 (Iisjomfruen)

 

 知性が雪や冬の性質と結びつき生まれた「雪の女王」とは異なり、スイスの氷河に棲む「氷姫」は、まさに力強い自然そのもの。

 私達人間が文明を発展させる過程でそれを踏み越えたり、変容させたりして進もうとするとき、必ず目の前に立ちはだかる者として描かれる姿。容赦なく人の命を奪い、意志を打ち砕き、今までもこれからもそこに存在し続ける。

 半ば空気の子で、半ばは谷川のたくましい支配者……。

 険しい地形は旅人のゆく路を阻み、時に川は氾濫し、洪水を起こして住まいを彼方へ押し流す。人はそれに対抗するかのように再び町を作り、鉄道のレールを敷き、今度は自然を自分たちの支配下に置こうとするが、氷姫はそれをあざ笑うのだった。

 

「太陽の子たちに、精神力とよばれている、おまえたちよ!」と氷姫は言いました。
「おまえたちは虫けらにすぎないのだ。雪のかたまりがたった一つころがり落ちれば、おまえたちも、おまえたちの家も町も、押しつぶされ消されてしまうのだ。」
こう言って氷姫は頭をいっそう誇らしげに高くあげ、死をまき散らすまなざしを、はるかかなたに、また、はるか下のほうにむけました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.259)

 

 このお話に登場する「自然の力」の化身にはふたつの種類があるようで、氷姫以外の、たとえば作中で太陽の子と呼ばれている精たちは、どちらかというと人間の味方であるらしい。

 人間の思想を賛美する彼らは、幼いころ氷河に落ちた影響で氷姫に目をつけられ、生涯を通して狙われている青年・ルーディをその手から守ろうとときどきあらわれる。いつか、その氷の呪縛から、彼を解き放ってあげるために……。

 

 成長したルーディはある日、バベッテという、水車屋の美しい娘を見初めた。

 彼らは出会いから順当に絆を深めていく……はずであったのだが、少しばかり愛情を弄ぶ傾向のあるバベッテは、別の人間との淡い関係にうつつを抜かしたり、婚礼の直前に裏切りの夢を見たりもしていた。相対するルーディの方もそんなバベッテの真心を疑い、山中で人間の娘に化けて接触してきた、氷姫の術中にはまってしまう。

 作中ではこれらが信心の欠如であり、私達の中にいる悪い霊の作用なのだと語られた。

 

 最終的にルーディは氷姫のものになり、この世を去ることになる。結婚式の前夜、恍惚として冷たい水の底に沈んで。バベッテはそれを止めることができない。

「雪の女王」で城に近付きながら「主の祈り」や「夕べの祈り」を歌って、女王の軍隊である前哨部隊を退け、ついにカイを取り戻したゲルダとは対照的な結末を迎える……というわけ。

 そのあたりの根拠として神が示したのが、別の人間と結婚する未来を夢の中で見たバベッテが、目覚める直前に思わず叫んだ台詞であるのは興味深い。

 

「ああ、わたしのいちばん幸福な日だった、あの結婚の日に死んでしまったらよかったのに。神さま、そのほうがかえってお恵みでもあり、一生の幸福でもありましたのに。それが、わたしにもルーディにもいちばんよいことだったのです。」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.281)

 

 彼女は自分の軽率さを悔いる。

 そして、夜が明ければ夫になるはずだった人間が口にしていたとある言葉が、胸にこだまするのだった。

 

「この世にこれ以上のことは望めないな!」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.290)

 

 実は、上の台詞とそれにまつわる主題は、同じアンデルセンの著した「幸福の長靴」でも角度を変えて扱われているので、「氷姫」を読むならそれも一緒に紐解いてみるのがおすすめ。

 このあらすじだけだと分かりにくいところは、この2編を並べて考えるとかなり明瞭になる。

 

 おはなしの主なテーマの他にも注目すべき点が沢山ある。たとえば、凍てつく世界の支配者「氷姫」が自然の化身であり、ルーディがどんどん氷河の誘惑に抗えなくなっているように、作中において突出しているのが風景の描写。

 あまりにも美しく、それでいてうかつに近付けば人間は死を免れない、危険極まりない魅力が読者の心をも捉えて離さない。

 アンデルセンはデンマーク出身で、寒い北欧の気候を身近に知っていただけでなく、無類の旅行好きだったから、この物語でスイスの情景を描くにあたり、各地を放浪したその経験が大いに役立ったはず。

 

太陽はさんさんとあたたかく輝いて雪はまぶしく、まるで青白くきらめくダイヤモンドの光をふりまいたようでした。数えきれないほどの昆虫、ことにチョウとミツバチが雪の上にかたまって死んでいました。
(中略)
ウェッターホルンの峰に険悪な雲が、まるで細かに梳いた黒い羊毛のふさのようにかかっていました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.217)

 

 人間の娘に化けた氷姫の瞳、その中にあった景色も。

 

ルーディは高められたのか、それとも、死をもたらす深い氷の裂けめに、深くどこまでも深く沈んでいったのでしょうか。
目に見えるものは、ただ、青緑のガラスのような氷の壁。いくひろとも知れない深淵が、まわりに口をあけていました。したたり落ちる水は鈴を鳴らすような音をたて、真珠のように澄み、しかも青白い炎をあげて光りました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.273)

 

 名前ばかりが知られていて、実はあまりきちんと読まれていない、アンデルセンの物語。

 それらの世界が好きな人に届くことを、いつも願っている。

 

 

 

 

 

はてなブログ 今週のお題「冷やし◯◯」

石畳、みどりの水、ゲイエレット姫……「茶房 土蔵」にて - 馬籠宿の米蔵を改装したレトロ喫茶店|岐阜県・中津川市

 

 

 

「エメラルドの都へ行く道は、黄色いレンガの石畳になっていますから、迷うことはありません」
 魔女のおばあさんは言った。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.23)

 

 中山道六十九次の宿場のひとつ、馬籠宿は坂の上にあって、中心はきれいな石畳の道に貫かれている。けれど色は上で引用したような黄ではなく、陽を受けて明るく輝く灰白色だった。

 この石畳をどこまで辿ってもエメラルドの都には辿り着かない。でも、忍耐強く歩を進めて妻籠宿を越え、南木曽の方まで出れば、それこそ深い緑色をした宝石を思わせる水の流れや、自然に磨き上げられた岩石の群れを目にすることができると、実際に行った後だから知っている。

「オズの魔法使い」冒頭でカンザスから大竜巻で飛ばされ、マンチキンたちの住む東の国で銀の靴を手に入れたドロシー。都への旅を始めたばかりの彼女は、途中、長距離の移動に疲れて大きな館に身を寄せるのだった。いかに危険を退けてくれる魔女の加護があっても、疲労と空腹ばかりは如何ともしがたい。

 だから人間の使う街道の脇には、必ず旅籠屋や料理店、休憩所なんかが軒を連ねる場所が、一定の間隔をあけて点在している。ああ、それは物語の中ではなく、こちらの世界の話。

 

 

 坂の中腹にある喫茶店は土蔵といって、名前が示す通り、以前は米蔵だった建物を利用して昭和46年(1971)から営まれているとのことだった。もとの蔵は、20世紀初頭に建てられたものだと推定されている。

 どこにいても注文するのはだいたいクリームソーダ、あるいはメロンソーダと相場が決まっていて、その日に喫茶店を何件かはしごすると分かっているときだけ冒険して別のものも飲んでいるような気がした。鮮やかに色づいた水は眺めているだけで素晴らしいし、ソーダ水とシロップの割合や、バニラアイスの風味は店によってかなり変わるため、結局は同じものだとか言ってはいけない。全然違うから。

 土蔵で提供されているクリームソーダは軽やかな感じだった。明るめの色で、炭酸の泡は細かく、アイス部分は柔らかいよりもシャリシャリとしている。以前、名古屋のモックで賞味したかなり甘みの強いソーダとも大きく異なり、どちらもおいしい。

 みどり色をした水。

 住民と訪問者、双方が特別なメガネの着用を命じられているエメラルドの都では、家や人だけではなく、キャンディにポップコーンまでもがみな緑のレンズと同じ色に見える。だから都で飲む水は、たとえただの水であったとしても、ことごとくこんな風に自分の目には映るのだろう。

 

 

 気が付けば、食べる品物も緑色のものを選んでいる。抹茶クリームあんみつ。

 抹茶の液の部分が絶妙にあやしい沼地みたいで、なんだかたまらないな、絶対絶対これが良いな、とメニューの写真を見ただけで決めてしまった。考えてみれば色だけでなく、アイスの要素まで、見事にクリームソーダとかぶっている。けっして強欲なのではない。直感に忠実なだけ。

 はじめは抹茶の味が少し薄めなのかもしれないと感じたけれど、その本領はこっくりとしたバニラアイス(ソーダの上に載っているものとは違う種類)が溶けだしてきてこそ発揮される。ふたつが混ざってなめらかになった液は、甘い餡の味わいと口の中で重なって、この上ない充足をもたらす。

 おいしい「緑色の飲食物」を立て続けに摂取するのは、非常に心身の健康によかった。この時だけは私もエメラルドの都の住民気分を楽しめる。

 

街角では、男の人が緑のレモネードを売っていた。そしてそれを買いに来た子どもは、緑の硬貨を出していた。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.108)

 

 

 

 ところで。「オズの魔法使い」の中でも好きな、あるいはどこかが気に入っている登場人物について考えたとき、私の頭には真っ先にゲイエレット姫(Gayelette)の名前が浮かんでくる。作中世界の北方、ギリキンの国に住んでいた賢く美しい姫君で、それは強力な魔法の力を持っていた。

 彼女について言及している人をあまり見かけないのが意外なくらい、物語におけるその重要度は高い。直接的・間接的に幾度となくドロシーを助けた黄金の帽子、それはもともとゲイエレット姫の結婚相手……人間のクェララのために作られた帽子だったから。

 翼の生えたサル達が帽子の持ち主に3度従わなければならない理由も、作中で彼ら自身の口から詳しく語られている。かつてクェララに悪質ないたずらを仕掛けたことで、ゲイエレット姫の怒りを買った。それで帽子に存在を紐づけられてしまったのだと。

 

黄金の帽子の最初の持ち主となったクェララは、婚礼が終わると森に来てわれわれ全員を呼び出し、花嫁はもう翼の生えたサルを見るのもいやなので、二度と彼女の前に姿をあらわさないようにと命じました。サルたちも彼女のことはこわがるようになっていましたから、喜んでそうしました。
次に命令を受けたのは、黄金の帽子が西の悪い魔女の手にわたって、ウィンキーたちを魔女の奴隷にするようにと言われたときです。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.163)

 

 私は本文から伝わってくる、ゲイエレット姫の人柄が興味深くて好き。

 周囲の誰からも愛されていながら、彼女自身が心から愛せると思える者を見つけられず、悲しく思っている。そこである日、なかなか魅力的だと判断した人間クェララを自分のルビーの宮殿に召し上げて、ありったけの魔法を彼にかけた。おかげで国中の誰よりも知恵があり、温厚な人柄を持ち、容姿もすぐれた男性として完璧に成長した彼を、姫はたいそう深く愛する。

 クェララがサル達にからかわれたと知ったとき、彼女が露わにした怒り。それは身近な人間を貶められるという普遍的な不快さに基づいているのと同時に、他ならぬ自分が手塩にかけた、作品のような存在を汚された憤りも激しく感じていたのだと伺える。

 彼女は強力な魔法の力を人助けにしか使わない、といわれるほど善良な魔女だったが、己の誇りをみすみす傷つけるような真似は決して許さなかったとみえる。それって……いいよね。美しく怜悧でありながら苛烈、そんなところが魅力的なキャラクターだと私には思える。

 

 こうして色々考えているうち、グラスも器も空になった。みどり色の水はもう消えて、エメラルドの都は遠い。

 また、私は私の世界の石畳を歩きに、喫茶店の扉の外に出る。

 

 

 

 

そのライ麦畑にて、私も存在を惜しまれたかった(と嘘をついてみるのだった)|サリンジャーの小説

 

 

 

 

 

 ここでも外でも、再三言っている。私にはやはり、誰かの幸福を「祈る」というのが、世間で評されているほど美しいものだとはあまり思えないと。

 ただ幸せを願うだけで、実際に何もしないのはとても簡単だし、それゆえに楽だ。言葉だけ、口だけで形式は意外と成り立つ。しかも厄介なことに、願いや祈り……それらの言葉自体は非常に、ときどき怖いくらいに美しいから、発話者が抱く無自覚の欺瞞を隠すための優秀な蓑になってしまう。

 逃げではない「本物の祈り」は、血眼になって探しても、なかなか見つからないくらい珍しい。もちろん祈りのみに限った話ではない。

 例のホールデン・コールフィールドも、おそらく、そう感じた瞬間が相当に多くあったのではないだろうか。

 

きっと「幸運を祈るよ!」ってどなったんじゃないかと思うんだが、そうあってほしくないんだな、僕は。絶対にそうであってほしくない。
「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば。

 

(白泉Uブックス「ライ麦畑でつかまえて」(2013) J・D・サリンジャー 訳:野崎孝 p.28)

 

 彼は、心にもない言葉を無責任に発することの欺瞞、作中でいうところの「インチキ」を、ひどく嫌悪しているようだった。

 それは「幸運を祈る」に限らない。別れ際の「お目にかかれてうれしかった」も、提案に対する「ステキ」も、およそ本心からかけ離れている場合において、会話のなかで使われるのを厭っている。

 知りたいのは表面の話ではなく内実、本当のところは果たしてどうなのだ、と全世界に対して詰問するように、ホールデンは目を開いている。一人で街を歩きながら。

 

「自分がインチキでないとどうしてわかる?
 そこが困るんだけど、おそらくわからないぜ」

 

(白泉Uブックス「ライ麦畑でつかまえて」(2013) J・D・サリンジャー 訳:野崎孝 p.268)

 

 そんな彼が妹のフィービーに向かって口にした幻想が、他ならぬ「ライ麦畑のつかまえ役」になること。

 夜の部屋で言葉によって語られた、その、糸で織られた一幅の絵か、短い映像を思わせる風景は、私の心の中に一定の面積を占めて収まった。だから時折、ひとりでそこに行ってみて、短くはない時間を過ごしている。寝る前とか、旅行先で、どこか遠くの方を見ているときとかに……。

 実際には、ライ麦畑で捕手をつとめているのはホールデン本人だろう。けれどその幻想は私の中で少しずつ変容して、今では男の子なのだか、女の子なのだかもよくわからない一人の人物が、この世のものとは思えない変わった構造の衣を着てそこにいる。年端も行かぬ子供に見えるが、そうではないのかもしれない。

 ライ麦、という日本ではあまり身近でない穀物の畑の、黄金と表現するにはいささか灰色のかった大海で、その人物は何千という数の子供たちを見守る番をしている。遊びながら勢いよく駆けだして行った先で、彼らがうっかり崖の下に落ちてしまわないように。

 

僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。
そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。

 

(白泉Uブックス「ライ麦畑でつかまえて」(2013) J・D・サリンジャー 訳:野崎孝 p.269)

 

 ……私の胸中に収まっているライ麦畑といえば、平原から相当遠く、高さのある岬の上、ずいぶんと空に近い場所にある。

 突き出た地形の両側が崖になっていて、子供たちはしきりに足を踏み外しそうになり、そのたび例の不思議な人物に肩をつかまえられている。一方、反対側の崖に腰を下ろして緩慢に足をぶらぶらさせている私は、短い間に何度も背後を振り返って、その美しい光景を眺めるのだった。もちろん、心底彼らを羨みながら。

 あんな風に気にかけられ、存在を惜しまれることで、どれほどに満たされるだろうかと考える。ひょっとしたら初めて、生まれてきて良かったと思えるかもしれない。崖から落ちそうになっている自分を心配してくれる誰かがいる、甘美な場所だ、多分、そういう世界にこそ居たかった。

 

 このライ麦畑では、私が子供たちと同じように扱われることは、永劫ないらしい。

 どうやら人間を「子供」と「大人」のふたつに分けてみたとき、私は前者のくくりには所属できないらしかった。その基準は一体、何なのだろう。それこそ年齢なんていうものを持ち出すのは「インチキ」であり、反則だと思う。本質を説明する、一切の助けにならない要素だもの。

 何がどうであれば子供で、そこから何がどうなったら大人に変わるのか、説明なんてできない。こじつけ以外に納得できる理屈を、誰かから聞いたためしも、自分で見つけられたためしもなかった。

 

 説明はできないけれど、確かにひとつ、はっきり分かっている事柄はある。

 それは「仮にこの崖から落ちても、死んだりはしない」のだと、私は経験から知っている……という事実。

 なぜなのか。かつて一度、勢い余って足を踏み外し、地面まで落ちたことがあるからだ。相当な痛みと苦しみを味わったけれど、別に死なない、それでこうして上まで戻ってきて、今度は足をぶらぶらさせている。そうして神話のような風景を気まぐれに眺めているわけ。落ちたって死なないのに、あんな風に必死でつかまえてもらえて、いいな。そう思っている。

 私がライ麦畑の崖から落ちたときも、あの不思議な人物がそのへんにいて、すんでのところでつかまえてくれればよかったのに。そうしたら、存在を惜しまれている実感を持って、一個の価値あるものとして、不安を減らして歩いていられたかもしれないのに。

 

 でも、と、もう一度思う。私は知っている。

 相当な高さに見える、この崖から落ちても、別に死なない。死なずになんとかやっていけるのだと、すでに知ってしまっている。だから今更惜しまれたところで、日頃抱いている「どうにも空虚な感じ」というのが、いっそう深まるだけに違いない。なんというむなしさ。一握のかなしさ。

 無意味なことだ。経緯はともあれ孤独な人生と、そうして齢を重ねる意味のなさ。

 崖で足をぶらぶらさせながら、平気な顔をして、明日もまた新しい本を読むだろう。無論それは、私が大人だからそうするのだった。

 

 

 

 

 

 

「どのドアもがっしりした木の、ノブはカットグラスだった」田辺聖子《夜あけのさよなら》より|近代建築に恋する曲がり角

 

 

 

どのドアもがっしりした木の、ノブはカットグラスだった。
しずかにまわすと、どの部屋も、ドラキュラ城のように、荘重に、神秘的にギイ……と開いた。


(新潮文庫「夜あけのさよなら」(1977) 田辺聖子 p.142-143)

 

 思いがけない出来事やものに、まったく思いもかけない場所で邂逅するのは、大好きだ。それが心ときめくような、素敵なものであればなおさら。

 数日前に古本屋で買った小説のうち一冊に、田辺聖子の「夜あけのさよなら」があった。今から45年以上前に刊行し文庫化された本。そしてその途中、上の引用にあるような、カットグラスのドアノブが颯爽と登場したのである。まるでどこかの角を勢いよく曲がって衝突するみたいな、あまりに突然の出会いだった。開いたページを前にしばらく唖然としてしまったくらい。

 だって、これは建築の本じゃないし。裏表紙のあらすじに「バラ屋敷」と書いてはあったけど、特段、その描写を期待して読み進めていたわけでもない。

 なのに、常日頃から求めてやまない存在が、いきなり目の前にあらわれた。別のもののことが書いてあるのを勘違いしたんじゃないか、とも考え直したけれど、やっぱりそれは私が想像しているものと同じだった。

 

 カットグラスの美しいドアノブ。

 私は初めてそれを見た場所で「透明なクリスタルのドアノブ」と表記してあったのに影響され、クリスタルのドアノブと言ったり、あるいは単純に透明なドアノブ、と呼んだりしていることが多い。眺めているだけで、心までその核に閉じ込められてしまいそうな氷の塊。そっと、なめたりかじったりしたくなる。

 これまでに私が国内で、自力でそれらを発見した建物は今のところ6カ所。

 いずれも大正後期から昭和初期にかけて竣工したものであるのが共通点で、すべてが同じところで調達されているとはもちろん限らないが、当時のアメリカの店で取り扱われていた商品を輸入していた可能性はわりと高い。

 

①駒場公園の旧前田家本邸。

 

 

②成城みつ池緑地の旧山田家住宅。

 

 

③近江八幡の旧八幡郵便局。

 

 

④横浜の山手89-6番館、現えの木てい。

 

 

⑤池之端の岩田家住宅。

 

 

⑤函館市の北方民族資料館(旧日本銀行函館支店)。

 

 

 以上のどの建築にも、透明なドアノブがあるという事前知識なしに訪れ、現地で突然の邂逅をした。そのたび見事に恋に落ちている。

 そして田辺聖子の小説「夜あけのさよなら」作中に登場するお屋敷は、兵庫県・明石市の設定となっていた。淡路島の望める須磨公園の山手、青々とした蔦に覆われた、もの寂びた古い洋館なのだと本文中に記載してある。付近にある実在の洋館だと思い浮かぶのは旧西尾邸(今はレストラン神戸迎賓館)で、もしかしたらモデルはそこかもしれない。

 訪れてみたい近代建築がまた増えた。

 

 ちなみに小説は、物語の内容の方も興味深いものであった。

 描かれている時代背景はこの令和と大きく異なるけれど、若年層の人間が経験する普遍的な感情の変化、機微や、タイトルに象徴されるような切なさが、くどくない程度に丁寧に紡がれていて。

 

わたしは初めて、向うの男もイキモノで、勝手にうごくことができ、婚約しようと結婚しようと彼の都合しだいで、わたしは何の文句もいう権利もないのだと気付いて愕然とした。
(中略)
べつにどうでも笠井くんと結婚したい、なんて思っていないわたしなのに、この、ガックリきた気持はどう表現すればよかろう?

 

(新潮文庫「夜あけのさよなら」(1977) 田辺聖子 p.28)

 

 特に恋愛感情などは向けていないのに、ある人間が誰かと交際しているのを見て、なぜだかがっかりしたような気分になってしまう経験。意外と多くの人が、この感じを知っているのではないだろうか。

 例えば、好きな著名人の婚約発表などに揺れるファンの心理も根幹は同じだと思う。自分が本人と付き合いたいと思っているわけではない。けれど、特別に心を寄せている存在であることには疑いがなく、その誰かが別の誰かを一番に大切にしている、というのはやっぱり切ないことなのだ。

 ままならないし、切ない。だからといってどうすることもできないのだから仕方がなく、だからこそ、こんな風に小説に描かれた架空の事例を読むことで、人は時に慰められたように思うのかもしれない。

 

 

 

 

 

7月18日(海の日と、物語の話、貝と人間)

 

 

 

 

 仕事に行くのにカレンダーを見たら、海の日だった。

 以前は7月の20日に固定されていたこの祝日。2003年からは改めて第3月曜日と定められており、それ以来、こうして年ごとに異なる日付が海の日となっているようだった。だから2022年は、18日に。

 海の日はいわゆる「海開き」ともまた違うものなので、特に決まって催される行事などもなく、かなり抽象的な祝日だと思う。海、と言われて思い浮かべるものが、人によってまったく千差万別であるように。

 

 

 私の場合、港湾都市に生まれたので昔から海は身近にあった。

 けれどどちらかというと苦手な場所で、その理由は、海に対して感じるものの多くが「癒し」よりも「畏怖の念」に基づくからかもしれない。不用意に生身で近づきたくないのだ、どうしても、油断していると不意に侵食されるような気がしてしまう。特に波打ちぎわ、柔らかな砂浜では、足元から着々と。

 故郷の港町は、わりと早い段階から埋め立てを行い、特に19世紀から大きく発展した都市である。そういう場所で育ったので、地図上の暴力的な直線で構成された海岸の形を見ると、不思議と安心してしまうのだった。海は強く、恐ろしい。容赦なく地を削り呑み込むものだから。人工の地形の方が、私には馴染みがある。

 常よりこう考えているからか、海の方でもあまり私のことを許容してくれる気がないらしく、たまに訪れるとすっかり気力を吸い取られてしまう。要するに海の側から好かれていないので、あまり行かない。

 誰かに誘われたり、偶然にも、自分の見たい何かが海の近くに存在したりしていない限りは……。

 

 そんな私自身の抱いている感覚はさておき「海」が一般的には多くの人を惹きつける場所であり、印象的なモチーフとして、沢山の物語に登場していることには疑いがない。

 つい最近、ブログにもヘミングウェイの「老人と海」を読んだ記録を残した。

 

 

 他にも、海に関係する小説の中で気に入っているものは少なくなく、あの「十二国記」シリーズを構成する「月の影 影の海」もそのうちのひとつ。作中で描かれるのは、こちらの世界の海と、時には異なる世界の虚ろな海、そして何よりも「人が身の内に抱いている海」の姿であった。

 特に好きな箇所を以下に引用してみよう。

 

人は身内に海を抱いている。
それがいま、激しい勢いで逆巻いているのが分かる。表皮を突き破って、目の前の男にそれを叩きつけたい衝動。

 

(小野不由美 十二国記「月の影 影の海」(2012) 新潮文庫 p.187)

 

 これは怒りの描写だ。海として現れる、怒りの。

 

怒りは陽子の中に荒れた海の幻影を呼び起こす。そのたびに自分が何かの獣になり変わっていく気がした。
陽子は波に揺さぶられるまま吐き捨てた。

 

(小野不由美 十二国記「月の影 影の海」(2012) 新潮文庫 p.227)

 

 このとき激情が巡らすのは血潮。その潮の文字こそはまさに海の水を意味する語であり、その満ち引きは、空に浮かぶ天体に影響を受ける。そう、タイトルにも組み込まれている月に。

 私は上の描写がとても好きで、幾度となく読み返すし、事あるごとに引用する。

 

 海に関係する本の中でもうひとつ、数日前に手に取って面白いと思ったものが、アン・モロウ・リンドバーグの随筆「海からの贈物」だった。日本語訳は、吉田健一氏の手による。

 

 

 著者は作中で、普段暮らしている20世紀アメリカの都市部から、キャプティバ島に短期間だけ移り住み、そこでの生活から掬い上げた自らの内的な考えを述べている。

 章のタイトルに象徴的に使われているのが貝で、例えば「ほら貝」の螺旋は思考回路に見立てられ、ぐるぐると巻かれながらその中心、核心へ至る様子の比喩として用いられている。そもそも全編を通して重要視されているのが、自分の精神的な活動、すなわち外的な要素ではなく内側を、いかに充実させればよいのか、という問いでもあった。

 近現代に生きる私達の精神的活動は、社会や家庭など、外的要因によって時に大きく狭められてしまう。そこで、どうすれば活動(仕事・交渉・義務、その他……)をしている最中でも、魂の静寂を得られるか。どうすれば、自分の魂にその糧を与えられるのか、と彼女は思いを巡らせた。

 

(つめた貝は)私が私の核心、また島である性格を失わずにいるためには、一週間でも、二、三日でも、一年のうちに一度は、また一日のうちに一時間でも、五、六分でも、一度は自分一人でいるようにしなければならないことを絶えず注意してくれるだろう。

 

(アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈物」(2004) 訳:吉田健一 新潮文庫 p.54)

 

 理由がなくてもひとりの時間を設け、何をするのでもなく休み、短くてもよいから「精神的な静寂」を得ること。運よく自由な時間を獲得したときに、つい何かしなければならないと考えてしまうものだが、別にそうではなくても構わない。

 何もしない休日には、何もしなかった、というだけでも実に大きな意味がある。そもそもそういった空白こそが実は重要で、あらゆる事柄から解放される瞬間を生活の中に設けることができた時点で、それは次に活動する際の魂の糧になると著者は説く。

 心の泉を枯らさないために、あえて何もしないということ。

 興味のあるものでも、好きなものでも、絶えず追いかけていたら疲れる。虚無感を埋めるかのように何かに熱中する行為は、「もしもそれを取り去ってしまったら、自分には何も残らない」と言ってしまうことに等しいから。

 

私がコネティカットに帰ったならば、私はまた、遠心的な活動のみならず、求心的な活動も多過ぎて、また、気を紛らわせることだけでなしに、やり甲斐がある仕事が、そしてまた、つまらない人ばかりではなくて面白い人も多過ぎて、その下に埋まってしまうのだろうか。

 

(アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈物」(2004) 訳:吉田健一 新潮文庫 p.119)

 

 リンドバーグ女史は、物質や情報が余剰であることや、異様に氾濫していることに対して敏感だったのだと「海からの贈物」を読んでわかる。

 もちろん生き方に正解などなく、答えもないが、現代社会の中で大きな精神的疲労を感じたとき、私達は自分で自分を必要以上に追い回していないか考えてみても損ではないのだと言われているよう。

 私はごく個人的に、どうしても求めたいものや出会いたいもののために奔走しているから、むしろ休んでいるのが苦痛だと思える場面が多い。けれど、上のような思考に割く時間の余地だけは確保しておくべきなのだろうとぼんやり認める。おそらくは、虚無から逃れるように駆け抜けていった先にもきっと、虚無に似たものが待ち構えているのだから、なおさら。

 

 今日は海の日だから、こうして海にまつわる事柄をブログに書いた。

 

波音が私の後から聞えてくる。忍耐、——信念、——寛容、と海は私に教える。質素、——孤独、——断続性、……。しかし私が行ってみなければならない浜辺はまだ幾つもあり、貝殻もまだ数種類もある。
これは私にとって、そのほうへ一歩を踏み出したのに過ぎないのである。

 

(アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈物」(2004) 訳:吉田健一 新潮文庫 p.128)

 

 

 

 

E・ヘミングウェイ《老人と海》単なる比喩や象徴にとどまらない描写、その水面自体の広がりと深さ

 

 

 

参考・引用元:

老人と海(著:E・ヘミングウェイ / 訳:福田恆存 / 新潮文庫) 

 

 

 1953年にピューリッツァー賞、1954年にノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイ。彼がこの受賞に至る大きな足掛かりとなったのが、1952年に発表され、生前における唯一のベストセラーとなった小説「老人と海」だった。

 長い不漁にめげず、舟を出す老人。ある日ついに大物を捕らえて勝利を掴んだかと思えば、体長が大きすぎるが故に舟の側面にくくりつけた獲物は、陸までの帰路でみるみるうちにサメに喰われていく……。

 そう、はじめは、実に気の滅入るあらすじだと感じた。

 それゆえ家に昔からあった本なのに、個人的に余裕がなかったしばらくの間、ずっと本棚にしまったままで紐解くのはやめていた。しかし……最近ふと思い立って手に取ったところ、これがまあ相当に面白く、読んで良かったとしみじみ内心で頷いたのだった。

 

 いちど通して読んでから、具体的に何が面白かったのか、色々と考えていた。沢山ある。

 もちろん第一には描かれている事柄と、その描かれ方そのもの、というのが挙げられるのだけれど、そこで終わらせてしまうのも勿体ない。そういう全体的な感想とは別に、ごく個人的に印象に残った場面や台詞などが確かにあり、あらすじとして簡潔に筋書きを要約しただけではまず伝わらないだろう箇所のことを、語りたい。どうせなら。

 特にこの2人が良かったな。「老人」サンチャゴと、以前は彼から漁を習い、よく世話になっていた「少年」マノーリンの関係とやり取り。

 

「なにを食べるの?」少年はたずねた。
「魚のまぜ御飯がある。おまえも食べていくかい?」
「ううん、ぼくは家で食べる。火をおこしてあげようか?」
「いいよ、もう少ししたら自分でやるから。それに冷飯のままでもいいんだよ」
「じゃ、投網を持っていっていいかい?」
「そうしておくれ」

 

(新潮文庫「老人と海」E・ヘミングウェイ 訳:福田恆存 p.12)

 

 サンチャゴは漁に出ても魚を取れずに帰ってくる日が長く続き、マノーリンの両親はもう彼ではなく、別の人間の船に乗るように言い付けたが、老人を慕う少年は相変わらずその世話を焼いていた。

 そんな一幕が上の引用なのだけれど、実はその場にまぜ御飯などはないし、それどころか投網すらも存在してはいない。ではどうして彼らはあんな会話をしているのかというと、有り体に言えば「ごっこ遊び」をしていることになる。本文中の表記に則するなら「作りごと」……しかもそれを、毎日のように。

 本当にぐっとくるものがある。

 この2人の温かな絆は作中で必要以上に強調されることはなく、ただ淡々と彼らの状態、また心情が描写されているだけだが、それがむしろ顕著に読者の側へ何かを伝えてくるよう。そこにあるものをただ存在しているものとして、確固たる事実を描くことで。

 

もはや、老人の夢には、暴風雨も女も大事件も出てこない。大きな魚も、戦いも、力くらべも、そして死んだ妻のことも出てこない。夢はたださまざまな土地のことであり、砂浜のライオンのことであった。
ライオンは薄暮のなかで子猫のように戯れている。老人はその姿を愛した。いま、あの少年を愛しているように。しかし、少年は彼の夢に姿を現さない。

 

(新潮文庫「老人と海」E・ヘミングウェイ 訳:福田恆存 p.20-21)

 

 不漁の果てのある日、沖に出た老人は大物の気配を察知する。存在を認識したが、未だその全貌はつかめない。どんな魚なのか。どれほどの深さに、身を潜めているのか。

 その大魚との駆け引きを通して体力を消耗したり、怪我をしたり、あるいは自分の独白に返事をしてくれる者があったら気が紛れるだろう……と考えたりして、サンチャゴは作中で幾度となく「あの子がいてくれたら」と口に出すし、内心でも呟く。あの子というのは、もちろんマノーリン少年のことだ。

 この台詞が登場するたび、ページから一度目を離して天を仰ぎたくなる。涙が出そうになって。

 ただ一人で海原に浮かび、生きていくための漁に臨んで、倒すべき強敵に遭遇した彼。その孤独な雄姿。万感が込められているのだ、そこには。

 

かれは大声あげて叫んだ。
「あの子がついていてくれたらなあ」
なにをいうんだ、いま、おまえに少年はついていない、とかれは思いなおす。おまえにはただおまえだけしかついてはいない。つまらぬことを考えないで、さあ、いますぐ、暗かろうと明るかろうと、最後の網にとりかかるにこしたことはない。

 

(新潮文庫「老人と海」E・ヘミングウェイ 訳:福田恆存 p.45)

 

 老人と少年との関係のほかにも深く印象に残っているのが、我々が生きるのに自分以外の生物を殺し、食べなくてはならないことに、サンチャゴが巡らせた考えについて。

 殺し、食べることは、文字通りに生物の命を奪うこと。そこから逃れることはできない。生きること即ち殺すことだ。彼は自分が挑んでいる大魚を兄弟のように感じ、それを手にかけることにある種の葛藤を覚えながらも、憐憫の情を心の外に追いやる。

 回想するのは、過去に釣り上げた、夫婦連れのマカジキの片方の記憶。雌を殺してもなかなかその側を離れようとしなかった雄、その姿に可哀想なことをしたと感じ、老人は自分が遭遇した中でもいっとう悲しい出来事だったと当時を述懐した。

 現実に戻り、再び大魚と向き合う彼は思う。たとえば人間が食べるために、太陽や月や、星までも殺さなければならないとしたら、それはなんと難儀なことだろうと。こうしてまだ自分たちに近しい生き物を屠れば済むだけ、たぶん幸運な方なのだと言い聞かせる。

 

あれ一匹で、ずいぶん大勢の人間が腹を肥やせるものなあ、とかれはおもう。けれど、その人間たちにあいつを食う値うちがあるだろうか?
あるものか。もちろん、そんな値うちはありゃしない。あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値うちのある人間なんて、ひとりだっているものか。

そう考えると、おれはなんにもわからなくなる。

 

(新潮文庫「老人と海」E・ヘミングウェイ 訳:福田恆存 p.68)

 

 この箇所が滅茶苦茶に、良い。大好きだ。

 私達は、何はともあれ殺さなくてはならない。生存のためには。たとえ善であろうと、悪であろうと違いはなく、その事実だけは変わらないことがはっきりと描かれる。

 

 作中に登場するこれらの人物や動物、数々の要素に読者は色々なものを重ね、何かの比喩や象徴として読み解くことももちろんできるだろう。それは作品を受け取る側にゆだねられた自由のようなものだから。

 しかし作者のヘミングウェイが志したように、彼はただ、絵空事ではなく実際の経験も活かして「真に迫るもの」を描きたかったのだ。追求したのは小説としてのリアリティ。そのものがそのものである、ということ。まるですぐ目の前にあるような現実感で、紙の上に顕現させることを目指して。

 だから読者が「老人と海」の物語を通して、直接作中に描かれたもの以外の何か、を読み取るのであれば、それは必ず表面の描写の上に築かれているのだと思う。

 表面とは、けっして浅い、という意味ではない。

 何がどのように描かれているのか、それ自体がすでに広がりと深みを持っている、という意味で、表面や表層、外面などの言葉を用いることができる作品だと感じた。

 

書籍:

 

 

 

 

ほとんど肉体的な行為としての読書について、雑感交々

 

 

 

 

 食事みたいに、または運動みたいに、「直接身体に影響する」という意味において本を読むのは肉体的な行為である。一般によく考えられている風に頭の中だけでは終わらないし、完結もさせてくれない。その内容が(無論、時には不完全に)消化され、各要素が血管のすみずみにも巡り、果ては骨の髄へと至るまで。

 綴られた文字に紡がれた言葉は、人に満腹や空腹を、高揚や疲労を、そして恐ろしく強力な酩酊感ももたらす。

 だからこそ読書は危険な行為でもあるのだと、過去記事でも書いた。

 

 わざわざ今その実感に言及するのは、先日、本棚の奥から久しぶりに引っ張り出してきた小説のおかげで、なんと著しく体調が悪化し、生活に支障が出たのが理由だった。吐き気と眩暈と、全身の虚脱感、不自然な飢餓感。

 さいわい、こうして困った影響を与えられるのが本なら、都合のよい健康回復を期待できるのもまた本であるがゆえに、しばらく時間を置いてから再び目をかっ開いて別の作家の好きな随筆を読んだ。貪るように。

 すると無事、動けるようになった。

 単なる文字の集積を網膜から摂取しただけで、こんなにも身体の方に直接的な変化がもたらされるなんて、到底信じられない時がある。信じられなくても、実際に起こるのだから仕方がない。

 その困った効果を容赦なく私に発揮してきた本というのが、山田詠美の短編集「風味絶佳」。もう10年以上前に出版されたもので、特定分野の職業と恋愛にまつわる、6つの物語が収録されている。

 

 

 私はこの本を手に取り、内容に没頭し始めたら最後、必ずと言っていいほど具合が悪くなる。もう大丈夫になっただろうか、とこれまで何度決意して表紙を開いたかわからない、けれどそのたびに、あぁやっぱり今回も駄目だったと思わされる。

 くれぐれも誤解をしないでいただきたいのだが、私はこの短編集も、著者の他の作品も、毛嫌いしているわけでは決してない。

 むしろ定期的に摂取したいと思っている。着眼点、また文章表現の妙には舌を巻くし、筋金入りの作家気質でなければこういう話を紡ぐことは到底できないだろう、とも心底感じている。純粋に物語を読む喜びが確かにある。

 ただ、決定的に、自分の嗜好に合致しないのだ。内容も表現も。

 だから触れると、この上なく苦手な食べ物を容赦なく口に入れられたみたいな、名状しがたい苦痛が否応なしに始まる。世の中に存在する万物のあいだにはそういう相性の線みたいなものがあり、本来は繋がらないはずのものを繋げようとすると、得てしてそうなるらしかった。

 難儀なことだ。それなりに好き、なのに。

 

 ちなみに今回「風味絶佳」を再読していたのは、私が個人的に「必需品的な人間関係」と「嗜好品的な人間関係」の差異について思いを巡らせていたからで、この短編集に収録されている話のうち『間食』という1編がそのタイトルからしてぴったりだった。

 

「本当に死んでしまったら困る人。
 彼女の言葉に彼は頷く。それでも、時折、そういう人の死を誰もが願う。
 本当に死んじゃったら困る人。」

 

(文春文庫「風味絶佳」(2008) 山田詠美 p.9)

 

 本当になくなったら困るもの、本当にいなくなったら困る人……というのは必需品的な存在である。そして、なくなっても(生命維持の点で)実際には困らないはずなのに、その喪失によって、生きる意義すら失いそうになってしまうものが嗜好品的なものや人間関係。

 酸素は必要だ。でもそれは、必ずしも、酸素を好きであることを意味してはいない。

 だからか、と私はしみじみ思う。本当に必要なものって、ときどきあり得ないくらい疎ましく、驚くほどに憎たらしい。必要であればあるほどに。特段好きでもない、意思で選べないものを必要とさせられている、その事実自体が。なんだか否応なしに結ばれる不本意な関係みたいだ、そんなのは。

 上で一部引用した『間食』ではこの題材がとても優れた表現で描き出されている。それゆえ読み返したし、読み返して良かったと言えるものの、やっぱり著しく体調が悪くなった。なんと、肉体に直結する読書体験であることか。

 閑話休題。

 

 個人的に、誰かが読んだ本を私も読んでみたいと感じる場合、だいたいは友人に紹介されて面白そうだと思うのがきっかけだ。身近な親しい人間が心動かされた何かに、ちょっと、触れてみたくなる。

 そしてもうひとつ、その時ただならぬ情や思慕(これにも実に色々な種類がある)を寄せている人が読んでいる本は、無性に貪りたくなる……という現象がある。今すぐ、何を差し置いてもそれを読みたい、いや、読まなければ、と強く感じる瞬間。

 この場合の読書欲も、目からではなく、また頭の中だけに収まるものでもなく、「ほとんど肉体的な」としか言いようのない強烈な衝動なのだった。それこそ冒頭で挙げた例のように、食事に似ている。杯や皿を前にして長く我慢を強いられると、ひたすらに飢え、渇く。

 

 だって、他ならぬあの人が一頁ずつばりばりと咀嚼し、思考の舌でゆっくりと存分に味わい、飲み込んで身体に入れたものなのだから。

 だから私も、食べてみたい——。

 

 そう思って、同じ本を手に取ってみる。

 そんな動機で、好きな人や気になる人にすすめられた本を、手に取っている。

 

 ……こういった感覚があるために、ときどき書物を「貪る」だとか「喰らう」だとかいう表現が自己の内側から出てくるらしい。通常とは違い、どう足掻いても「読む」にはならない時の話。

 読む。拝読する。

 考えてみれば、どことなく敬虔な感じのする言葉だ。

 だから特定の場面においては使えなくなる。

 単純に、好きな人が食べているものと同じものを私も食べたいのだ、この肉体にどうしても、どうしても取り込みたいのだ……と獣じみた獰猛な衝動を訴える表現に、そんな綺麗な響きの単語は、あんまりふさわしくないから。

 

 

 

 

 

 

英国が舞台の児童文学《秘密の花園》より - 鍵が扉を開き、孤立していた心は庭園の再生と重なる|F・H・バーネットの小説

 

 

 

参考・引用元:

秘密の花園(著:バーネット / 訳:土屋 京子 / 光文社古典新訳文庫)

 

 

目次:

 

秘密の花園:フランシス・ホジソン・バーネット著

  • あらすじ・概要

 そこに入る扉を固く閉ざされ、錠の鍵は地中に埋められ、すっかり誰も立ち入らなくなってしまった庭園がある。

 周りを囲む垣根の上からは日毎に太陽の光が射し、雨も降り注いではいるのだろうが、閉鎖されているから当然風通しはすこぶる悪い。手入れのされない木や草花はどことなく灰色のかった茶色で、まだ、かろうじて息をしているのかどうかも判然としない。

 そんな顧みられなくなった庭園がひとつあり、同時にそれに似た、すっかり自分だけの世界で完結してしまっている「孤立した心」の持ち主が、ひとりのみならずいた。

 

 悲しみの淵で、これ以上精神が壊れてしまわないように感情を抑え、長らく停滞した時の中に沈んでいる男。

 また、誰にも気にかけられることなく、ほとんど放置されて育った傍若無人な子供がふたり。

 

 やがて開かれた秘密の花園の扉と、息を吹き返していく庭の草花と呼応するように、子供たちの心には変化が訪れる。時に厳しくも豊かな自然溢れる土地と、そこに住む人々と、かかわりながら。

 そうしているうち、遠く離れた場所でも思いがけない奇跡が訪れ、まるで天啓に導かれるみたいに、旅に出ていた男は自分の家である屋敷へと帰ってくる。

 

「もうすっかり枯れはてたものと思っていた」クレイヴン氏は言った。
「メアリも最初はそう思ったんだって」コリンが言った。「でも、生き返ったんだ」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.473)

 

 物語を読めば、上の台詞が単純に庭園のみを指しているのではないと、最後にはっきりわかる。

 バーネットの「秘密の花園」は、色彩を取り戻す庭園とともに、荒れた部分の多かった人間の心の状態が徐々に変化していくさま、その情景の推移も同時に描き出しているのだった。

 しかし、それだけではない。

 

 1911年に発表されたこの作品について、光文社古典新訳文庫版「秘密の花園」に解説を寄せている松本朗氏は、庭園を「コリンの母の死の記憶をつねによびおこす、悲しみを含んだアルカディア」でもあると表現している。

 また、これは同作者の「小公女」にも言えることだが、背景にある大英帝国の植民地支配という要素が作品と密接にかかわっていることも無視できない。庭園、という世界で様々な階級あるいは出身の人間たちを前に、将来の屋敷の当主コリンが「科学的発見」についての講義を行うさまは象徴的である……と氏が語るのにも頷けた。

 子供たちが秘密の花園……いわば切り取られた自然の中で養い、培っていった感覚は、必ずしも自然と寄り添うものというわけではなく、むしろ他の人間と社会の中へ踏み込んでいく際に必要となるもの(考えてみれば作中に登場する言葉「同情心」や「思いやり」なんてその最たるものだ)も多く含まれている。

 

「秘密の花園」は、そのタイトルから受ける幻想的でかわいらしい印象よりも、はるかに重層的な意味と構造を持っている物語といえよう。

 

  • 幽霊に似た、あるいはそんな風に扱われていた人たち

 お話のこういうところが好きだ。

 

 イギリスが舞台の物語にしばしば登場する、幽霊……ではなくて、幽霊を連想させる誰か、の存在が、いつでも私の興味を掻き立てる。

 ディケンズ「大いなる遺産」の悲嘆の亡霊ミス・ハヴィシャム然り、C・ブロンテ「ジェイン・エア」においてロチェスタ氏が『あの女』と呼んだ狂人然り。そして、そこにいるのにもかかわらず、親を含む周囲の人間から『いないもの』として看過されていた「秘密の花園」の子供たちにも同じことが言えた。

 コレラの病で人々が死に絶えたインドの片隅、廃墟か墓場のようにひっそりと静まりかえった屋敷の、蛇だけが無言で通り抜けていった部屋の真ん中には——今まで「誰も見たことがなかった」顔色の悪い少女が、眠りから覚めて立っている。

 メアリ・レノックス。

 

「どうして、忘れられてたのよ!」
メアリは足をドンと踏み鳴らした。
「どうして、だれも来ないの?」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.17)

 

 一方、ヨークシャーに建つとある奇妙なお屋敷。ミッスルスウェイトにあるのでそのままミッスルスウェイト屋敷、と呼ばれている場所にも、忘れられた誰かがいた。

 そこで勤務している女中が言うには、屋敷は気が滅入りそうなほどに大きなもので、竣工からすでに600年以上が経過し、部屋の数は百ほどもあるがほとんど開かずの間となっているそうだ。

 時折、泣き声が聞こえる。子供のもの。

 亡霊を彷彿とさせるその音を発した「だれかさん」……コリン・クレイヴンがいる部屋には、タペストリーの裏に隠された扉からしか行くことはできない。

 

男の子はひどくやせて繊細な顔だちをしており、肌は象牙のように白く、目が不つりあいなほど大きく見えた。
(中略)
「だれだ?」男の子が口を開いた。なかばおびえたような小さな声だった。「幽霊か?」
「ちがうわ」メアリのほうも、同じくおびえたような小声だ。「そっちこそ、幽霊じゃないの?」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.199-200)

 

 そしてもうひとり。

 若い頃から気難しかったが、最愛の妻リリアスを亡くしたせいでいっそう変わり者になってしまい、妻に似た顔だちの息子コリンを視界に入れるのすら恐れているミッスルスウェイト屋敷の当主、アーチボルド・クレイヴン。

 悲しみに侵され、生きているのに死んでいるような状態で、本来であれば務めのある屋敷を頻繁に留守にしては、抜け殻か幽霊のようにヨーロッパ各地を彷徨っていた。

 

幸せだった人生に途方もない悲劇が降りかかって以来、男の魂は暗闇に沈み、ひとすじの光さえ頑として受け入れようとしなかった。
(中略)
旅先にあっても男の周囲には底なしに暗い空気がたれこめ、その姿がそこにあるだけで周囲の空気が陰鬱に染まるように思われて、他人にまで害を及ぼすほどだった。

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.451)

 

 こんな風に、三者三様に閉ざされた心。

 

 ヨークシャーに広がるムーア(荒野)の風にさらされ、そこで健康な身体を育みながら閉ざされた庭園の再生に熱を上げる子供たちと、奇しくも同じ時期に、少しずつ自然の美しさを受け入れられるようになってきたクレイヴン氏。

 幽霊のようだった彼らが、血肉を得て、ふたたび息を吹き返す。ずっと塀に囲まれていて、ひょんなことからその鍵が開かれた、秘密の花園のように。

 

 そもそも身内に先立たれた少女が、田舎の大きなお屋敷に連れてこられて秘密の場所を発見し、謎の声を聞く……という要素からして色々なお約束を踏まえているのがたまらない。

 だって……

 百もの無人の部屋がある屋敷!

 先祖の肖像画が壁にかけられ、見たこともないような珍しいものがたくさん置いてある、謎めいた空間の数々!

 

 それらを提示されて、単純にわくわくしない理由がないではないか。

 

 

 

 

  • 主要な子供3人の魅力について

メアリ・レノックス

 つむじまがりのメアリ嬢。

 序盤でそうからかわれていた彼女の人物造形は、完全に「小公女」セーラをバーネットの描く典型的な主人公として捉えていた幼い私にとって、随分と衝撃的だった。どのくらい衝撃的だったかというと、物語の続きを読むのを躊躇するくらい、である。

 そもそも、まだ植民地の屋敷にいた頃のメアリの発言が、これ。

 

いつものアーヤが戻ってきたら、そういう言葉を投げつけてやるつもりだった。
「ブタ! ブタ! ブタの娘!」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.10-11)

 

 ちょっと泣きたくなるほど酷い台詞である。

 これほどまでにメアリが荒々しく、少しでも自分の機嫌を損ねるものに対して敏感なのには、多くの理由があった。その最たるものがいわゆるネグレクト。忙しい父親と、子供に興味がなく自分の社交を優先し、使用人に世話を任せきりにしている母親。

 必要なものは全て与えられる。

 同時に誰一人として、自分のことを本心から気にかけてはいない。

 何不自由なく育つ、という言葉の裏側には様々な要素が横たわっているものだが、メアリの場合、癇癪を起こさないよう意図的に全ての不自由を排除されて育った結果、明らかにそれこそが情緒発達の足かせとなっていた。

 

 けれど興味深いことに、本文中で「同情心のない」とか「思いやりの欠如」とか「気立ての良さや優しさを持ち合わせていない」などと表現される部分は、奇しくも似た境遇で育てられたコリンの激しさと容赦なくぶつかり、かなり面白い反応を引き起こす。

 成人してから読むとなおさら、彼らがずっと感じていた孤独や、寂しさが胸に迫ってくる。

 そして少しひねくれていて、激しく(これは育った環境のせいだけではなく生来の性格もあるはずだ)、けれど強く真っ直ぐな芯を持つメアリのことが、今ではとても好きである。

 

「みんなから死んじゃえばいいなんて思われたら、わたしだったら絶対に死んでやらない。だれが、あんたなんか死んじゃえばいいと思ってるわけ?」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.235)

 

コリン・クレイヴン

 メアリに若きラージャ(王様)と形容された、登場からしばらくはひどい癇癪持ちだとして、横柄な人柄に描かれる少年コリン。お屋敷の当主、アーチボルド・クレイヴン氏の実子である。

 亡くなった母に面影が似ていることで父から遠ざけられ、かつてのメアリと同じように使用人たちから扱われているのが本当に見ていて悲しい。そのような環境で、一体どうやって、自分や他人を信じられるようになるというのだろう?

 光も風もあまり届かない空気の淀んだ彼の部屋は、閉ざされた庭園よりも暗く寂寥としている場所だった。

 

「ぼくが生まれたときに母親が死んだものだから、ぼくを見ると悲しくて耐えられないんだ。父親はぼくが知らないと思っているらしいけど、ぼくは人が話すのを聞いて知っている。父親はぼくのことをほとんど憎んでいるんだと思う」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.203)

 

 周囲の人間は彼が幼い頃から陰口を叩くし、コリンだって愚かなだけの子供ではないから、きちんとその内容を理解して知っている。

 そう遠くないうちに死ぬかもしれない。身体が醜く変形し始めるかもしれない......

 誰からも、何からも遠ざけられていた彼がそんな脅迫的な妄想に囚われてしまったのには無理もないと頷けて、だからこそ荒療治のようなメアリとの諍いは、確かに褒められたものではなかったかもしれないが、一筋の活路を開いた。

 コリンに対する「聞こえてんの!?」というメアリの恫喝は、恐ろしいのに笑ってしまう。

 

「ぼく……ぼく、きみと一緒なら外へ行くよ。外で過ごすのも、いやじゃない。もし——」コリンは危ういところで気がついて、「秘密の花園を見つけられたら」という言葉を飲みこんだ。
そして、「もし、ディコンが来て車いすを押してくれるなら、一緒に外へ行くよ。ディコンや子ギツネやカラスに会いたいもの」と言った。

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.289)

 

 これからもずっと魔法を起こし続ける、そう庭園で皆を前に「演説」をする場面では、次期当主として育っていくのであろう彼の素質と、将来の姿を読者にうかがわせる。

 きっと今後もミッスルスウェイト屋敷では大人になったメアリと、コリンと、そしてディコンの姿が見られるのだろう。

 

ディコン・サワビー

 屋敷で働いているマーサの弟ディコンは、ムーアで生まれ育ち、動物と心を通わせることのできる、実に稀有な少年。

 この「動物」というくくりには実のところ人間も含まれているらしい、というのが物語を読み進めていくうちにわかる。あれだけ他人に対して敵愾心を持っていたメアリが、ディコンには初対面でも攻撃的になる素振りを全然見せなかったし、コリンの方もただうれしさと好奇心に圧倒されていた。

 そう、作中でも彼は特別な感じがする。

 正直なところディコンの初登場シーンで自分がおぼえる奇妙な胸の高鳴りの正体、突き詰めるとかなり「恋」に近いものになるから(嘘でしょ……)参ってしまう。土屋京子氏の訳、ヨークシャー訛りを意識した台詞もとても良い。

 

「もし、あんたがヤドリギツグミで、おれに巣のありかを教えてくれたとしたら、おれがだれかにしゃべると思うかい? おれは、しゃべらんよ。だから、ヤドリギツグミと同じに安心していいよ」


(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.289)

 

 少しも飾らない彼は初対面でもごく簡潔な表現を選び、自分が相手に嫌われるかどうかは全然気にもせず、小鳥に話しかけるように音を発して言葉を紡ぐ。

 その周りにはいつも結界を展開するがごとく動物たちが侍っている。キツネもリスもヒツジも、カラスも、コマドリも……。

 コリンとメアリに呼ばれ、クレイヴン家の屋敷に彼が入ってくるところなんて本当にすごい。普段からムーアを歩き回るのにゴツい革靴を履いているから、静かに歩こうとしてもその音がドスドスと床を伝って響き、やがてとびきりの笑顔を浮かべて部屋に到着する。堂々として、「腕の中に生まれたての子ヒツジを抱き、小さな赤いキツネを脇に従えている」太陽と草の匂いの少年。

 ああ、これには誰も勝てないな、と思うのだ。

 メアリも言っていた。もしもヨークシャーに天使がいたとしたら、それは草花や動物のことをほとんど何でも知っている、彼にそっくりな存在であるに違いない、と。

 

「あんた、おれのこと、変なやつだと思うだろ?
 だけど、おれに言わせりゃ、あんたこそ、めちゃくちゃ変なやつさ!」

 

(光文社古典新訳文庫「秘密の花園」(2007) バーネット / 訳:土屋京子 p.175)

 

書籍:

 

関連記事:

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

はてなブログ 今週のお題「本棚の中身」

 

 

 

 

 

夏目漱石の楽しい邸宅見学《カーライル博物館》日本の近代文学

 

 

 

参考サイト・書籍:

青空文庫(電子図書館)

倫敦塔・幻影の盾(著・夏目漱石 / 岩波文庫)

 

 夏目漱石が自らの留学体験をもとに著した、ほとんど随筆に近い短編小説。そのうちのひとつに「倫敦塔」があり、それと様々な点で対になるような位置づけの作品が、この「カーライル博物館」だった。

 わずかなページ数に彼独自の視点と文章表現の良さが凝縮されていて、さらに邸宅見学を好む読者としても、まるでお手本みたいだと感心する一編。ことあるごとに参考にしている。

 では、自分は具体的にどんな部分に惹かれているのか、順を追って考えた。

 

目次:

 

《カーライル博物館》夏目漱石

  • 作品の概要

 はじめに「カーライル博物館」が掲載されたのは、明治38(1905)年に丸善から発行された雑誌『学燈』の1月号。そして、明治39年(1906)年の5月には本文と挿画をそれぞれ担当したふたつの出版社の合同で『漾虚集(ようきょしゅう)』という本が制作されており、そこにも収録されるに至った。

 秀逸なタイトルである。

 虚構を漾(ただよ)う、と書いて漾虚としている。

 収められている「倫敦塔」「幻影の盾」「薤露行」など他の短編も含め、言葉通りすべての物語に幻想の香りが漂う1冊で、装丁もかなり凝ったものであったという。現在は国立国会図書館のサイト上でその本文が公開されており、誰でも当時の中身を確かめることができる。

 

 

 覗いてみるとわかるのだが、扉絵や目次のページに施されている装飾的な図柄は、アール・ヌーヴォーの工芸品を強く彷彿とさせる趣。それもそのはず、漱石がイギリスに留学していたのは、ウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を色濃く残す時代だったためだ。

 その流れを汲んだ作品に刺激され、自分でも文学と芸術とを融合させた新しい試みに着手してみたい……と考えたのは自然な成り行きだっただろう。

 同時代の作品だと「吾輩は猫である」など、『漾虚集』と同じく橋口五葉に依頼した本の装丁にも印象的な色彩と形態の工夫がみられる。

 

 上を踏まえたうえで今作品のあらすじを辿りながら、無意識と意識の境界に材をとった「夢十夜」とはまた雰囲気の異なる、異国で展開された漱石の幻想世界へと改めて漕ぎ出してみよう。

 

  • 楽しいポイント

邸宅見学へ赴き、感じる語り手

 夏目漱石本人を思わせる「余」が今作の語り手。

 彼は夕食の前にテムズ川沿いを散歩するのが日課で、いつも川辺のベンチに腰掛けては対岸——すなわちチェルシー地区の方を眺めるたび、スコットランド生まれの偉人であるトーマス・カーライルとひとりの演説者にまつわるエピソードを思い出していた。作品の冒頭部分はその空想の情景になっている。

 ロンドンの街に特有の濃く深い霧の中から、あたかも遠い場所、今ではない時間に存在する世界さえ浮かび上がりそうだと身構えた瞬間、ぽつぽつと点り始めるガス灯の明かりが意識を現在地に引き戻す。

 

カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.33)

 

 この短編で展開される幻想描写が「倫敦塔」と大きく趣向を異にする要素、それがすでに冒頭で片鱗を見せている。

 現実と幻想が曖昧に混じり合い、歩みを進める身体ごと過去という水流に飲み込まれるような様子とは違って、「カーライル博物館」はあくまでも実際のロンドンの街に立って過去を振り返るという体裁を崩さない。

 そう、まさに博物館の棚に保存された品々をガラス越しに眺めるかの如く、昔の面影を想起する。

 もういないカーライル、しかしいまだ残る彼の家とチェルシー地区、そして刻々と姿を変えていくロンドンの街に順々と視線を向けながら。......余談だが、私がかつて留学していたのもチェルシーにある大学だった。

 

 語り手は6ペンス(当時の値段)で公開されているカーライルの旧宅に赴き、その著作で述べられていた家の特徴を実際に見出そうとした。

 カーライル曰く、当時の彼の邸宅からは茂る葉の木株、みどりの野原、その合間に勾配の急な赤い屋根の家々が望めたという。西風の吹く眺めが晴れやかで、心地よかったのだと。しかし……

 

余は茂る葉を見ようと思い、青き野を眺めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二返ばかり出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左に家が見える。向こうにも家が見える。その上には鉛色の空が一面に胃病やみのように不精無精に垂れかかっているのみである。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.37)

 

 家は変わらずそこにあっても、周囲を取り巻く環境は大きく変わった。「ロンドン」と呼ばれる領域は拡大し続け、カーライルが生きた頃に存在していた自然の面影も、多くが残っていない。

 いまや数十万の人々が暮らし、数百万の物音で溢れた街——。

 

 非常に神経質な性格だったカーライルはこの家を4階建てとし、生活音、人間の声、動物の声などから逃れて思索と執筆に専念したがった。詳しくは後述するが、その性質が家の造りにも表れている。

 あらゆる雑音から身を遠ざけ、逃れようと試みた者。

 カーライルの感覚に、おそらくは少なからず共感していたであろう語り手が、最上階の部屋でかすかな喜びに似たものを感じ、やがて階段を下ってくる際の描写が印象的。

 

一層を下るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想の皮が剥げるごとく感ぜらるる。階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.41)

 

 保存邸宅は過去と、かつてそこに生きた者の幻想に、訪問者を浸らせる。再び街の喧騒の中へと出てゆけば、たちまち霧散してしまう儚い何かをもって。

 帰宅の途につき、ロンドンの塵と煤と、車馬の音と、テムズ川によって彼とカーライル博物館との距離は隔てられた。この最後の余韻も、カーライル本人の晩年の姿を想起してから描写されたものたちと重なり、味わい深い。

 そんな彼の邸宅が一体どのような様子だったのか、本文を読んでみた。

 

カーライルの庵(いおり)の様子

 チェイン・ロウという小路に面した24番地、そこにカーライル博物館は建っている。

 外観を端的に形容するならば「四角」の語に当てはめられるそうだ。一貫してその特徴が繰り返し、読者の側へすり込むように描写される。

 

カーライルの庵はそんな脂っこい華奢なものではない。往来から直ちに戸が敲けるほどの道傍に建てられた四階造りの真四角な家である。
出張った所も引き込んだ所もないのべつに真直に立っている。まるで大製造場の煙突の根本を切ってきてこれに天井を張って窓をつけたように見える。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.34)

眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切られてその形はやはり四角である。四角はどこまでもこの家の附属物かと思う。


(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.36-37)

 

 切り取った煙突のような、4階造りの真四角な家ときて、さらにカーライル自身の暮らしも「四角四面」なものであったと述べられるところが面白い。極めつけに庭も四角いのだと。

 この邸宅で何より特徴的なのは、前の項でも言及した最上階の部分。

 住民であるカーライル自身の設計で作られた彼の書斎で、天井に明かり取りのガラス窓が付き、頭上を仰げば何にも遮られることのない空が広がっている。しかし雨の多いロンドンの街だから、きっと太陽よりも曇天に睥睨される日の方が多かっただろう。

 彼は開け放った窓から忍び込んでくる数々の物音に思索を遮られ、気が散ることに悩まされていたためか、この書斎の壁を二重にした。一定の効果はあげられたものの、今度は下階に住んでいるとさほど気にならなかった鐘の音や汽笛に苛まれることになる……。

 

隅に大きな竈がある。婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.41)

 

 地下の台所に下りた語り手は、案内のお婆さんが語る上のエピソードから、カーライルが無音の静寂を愛したが故にそうしていたのだろうかと思いを馳せた。天窓のある書斎でも、台所のある地下でも変わらずに。

 邸宅には住民の暮らしが反映される。

 博物館として保存された家を見学する楽しみのひとつは、それらを読み取りながら、過去に束の間だけ意識を飛ばすこと。大都市の片隅に残る真四角の家を立ち去れば、現代の事物が自分とそこに流れていた時間とを隔て、ある種不思議な体験に幕を引く。

 

一時間の後倫敦の塵と煤と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方へと隔てた。

 

(夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(1990) 岩波文庫 収録「カーライル博物館」p.42)

 

 私もまた未訪問の公開邸宅に足を運びたい。

 

「カーライル博物館」はパブリックドメイン作品で、以下のリンクから全文が読めるので、興味をそそられた方はぜひ。

夏目漱石 - カーライル博物館 全文|青空文庫

 

紙の本の購入はこちら:

 

 同じ本『漾虚集』に収録されていた「倫敦塔」について:

 

 

用法、用量、際限のない読書による効果・無窮の酩酊とか

 

 

 

 

 

 あるときひどい眩暈を感じて視界が揺れて、開いた本に印刷された文字列を、再び頭から順番になぞった。今度はそれを構成する一文字一文字に、じっと意識を向けながら。

 殴られたのだと思った。あるいは、無理矢理に毒でも飲まされたのだと。

 けれど、何の変哲もない文字にそんな所業ができるわけもない。平たい紙面から浮かび上がり、生身の体を得て、私に直接影響を与えるなんて不可能なのだから。

 そのはずなのだけれど、実際には確かに異変がもたらされていたし、無意識に煽った傍らのお茶は、数分前とまったく違う味がしたのを憶えている。

 

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 どこかの世界には、不用意にページを開くと背筋も凍る叫び声を上げたり、あるいは読者に向かって物理的に噛みついてきたりする本、というのが存在するらしい。

 幸いにも(いや、むしろ不幸にして)そのような書物に触れる機会は今までなかったけれど、実はいわゆる普通の本を手に取る際も、要求される覚悟の程度はけっこう甚だしい。うっかり丸腰で挑むとかなり痛い目を見る。

 書物は時に無音でも叫ぶし、動かずとも噛みついてくるものだから。

 なにしろ内容に没頭している最中だけではない。

 たとえ読み終わり、本を閉じてから長い月日が経過したところで、読み手である私は彼らからの影響を完全には無視できない。良いものでも、悪いものでも。やがて、その区別が何ら意味を持たなくなったとしても。

 

 読書はそれなりに危険な行為である。

 たとえば、実際に猛獣の檻に放り込まれるよりは安全なのかもしれないが、分厚いガラス越しに泳ぐ巨大なサメを眺めるようには、悠然としていられない。油断していると思い切りやられてしまう。

 突き詰めてしまえば所詮、単なる文字や図である。紙に印刷されるか画面に表示されているかの違いはあれど。

 表されている内容も意味も関係ない、こんなものに価値観を左右されるなんてたまらない。己の軸を見失っては困るのだし、無様に右往左往したり、安易に足元を掬われたりするなんて、嫌! とどれほど強く念じていても、大抵は無駄な努力に終わる。

 いちど読んでしまえば、それ以降、生活の中のあらゆる場所で「そいつ」を見かけることになるし、たびたび声まで聞かされる。

 確かに文字は生きているかもしれないが、私をめがけて手を伸ばしたり飛び掛かったりはしてこないし、激しく揺さぶることも、危害を加えることもしてこない……もとよりできるはずがないのに。

 そんな願望にも似た思い込みは、いとも簡単に落城させられてしまうわけで。

 

 ある箇所に差し掛かり、これは少しまずいかもしれないと直感して、本を素早く閉じる。

 そうすれば視界から文字が消え、消えた以上はもう安全だと言いたいところだが、自分の心は確実に休まっていない。遮断したはずの危機は結局、頭の中にずっと残るのだ。

 それが危ないだけの行為ならば別にやめればよい。

 やめられないのは、読書は恐怖だけではなく、比類のない気分の高揚だって私にもたらしてくれるから。世界に存在する他の、文字通りに他の何よりも素晴らしい感覚を、苦しみも癒しも一緒にして与えてくれる存在でもあった。

 だって、想像するって面白い。

 新しい物事を知るって、ものすごく、楽しい。

 

 ページをめくれば心拍数が上がり、呼吸が乱れ、一瞬にして場面は移り変わる。

 あの故事で壺へと飛び込んだ老人と役人が、その中で限りなく広い空を見ていたように。雪原を飛び回り、駆け回る。かと思えば今度は身動きも取れないほど冷たく狭い牢で、神経をとがらせて脱出の機会を伺う。次はまばたきの間に豪奢に飾り立てられて、どこかの橋を渡る。

 幻覚や幻想を与える類の薬物よりも、酒類よりもずっと強力で確実で。

 それなのに必要なのは指と眼だけ、紙を手繰って読み進めるだけ。どこから始めてもいいし、既読の場面に戻ってもいい。何度でも好きなだけ。これは合法だ。

 

 読書には用法も用量も、使用期限も定められていない。だから、深みに嵌まれば一生やめられないという中毒症状が待っていて、少しでも空いた時間があれば文字を摂取したくなってしまう。

 周囲に何も読むものがないと落ち着きがなくなり、静かに震えはじめる。目を走らせて看板 標識 説明書 商品名 施設名 成分表 時刻表、そんなものたちをただ、読む。空腹に食べ物を次々収めていくみたいに。

 そこへ一冊の書物が差し出されてやっと震えが少し止まる。さっそく没頭を始める。

 するとそれ以外の現実のすべてが煩わしくなり、この手を止め、視界を遮ろうとする何もかもを遠ざけて、本だけに浸っていたいと心底願うのだった……。

 

 先日某所に足を運んで、自分の子どもを本好きにしたい、と思う人間の数はそれなりに多いらしいと気が付いた。

 幼少期からこの絵本でひたすら文字に触れさせ、何歳になったらこれを読ませ、さらに就学したらこれを順に読ませる……云々と書かれた商品ポップ。現代社会は随分と大変だ、大人も子どもも。

 だが、大人たちは本当の意味で、子どもをいわゆる「本好き」にしたいなどと望んでいるのだろうか。

 

 書物をこよなく愛するようになると、それなしでは生きていけなくなる。手元に本がないとどこか落ち着かず、無意識に読めるものを探し求める。

 中毒症状である。まさに依存症である。

 読書に没頭する悦楽を知ってしまったら戻れないし、ともすれば目の前に実体を持って存在しているものよりも、文字によって綴られた対象や情景、物語の方に心寄せるようになってしまうかもしれないのだ。

 

 個人的にはそういう状態、とても良いのではないかと思う。なんとも魅力的だ。私の目からすると。

 けれど教育熱心な世の親御様方の中に、子どもにそうなって欲しいと思っている者などはほとんどいないはずだ。むしろ嫌がることだろう。極端な読書中毒、読書依存はお呼びでない。

 大抵は大人にとって都合の良い、将来に役立つ本を都合よく読んでくれる、都合の良い読書好き、を求めているのだろうから。

 

 今日はなんとなく、本がくれる最高の酩酊感について考えを巡らせていた。

 もしも、本が読みたいのに色々な事情でできない子どもが隣の家に住んでいたら、譲渡することはできないけれど(生きている間は手放したくないものが多いので)、いつでも好きなときに部屋に来て、本棚から選んで読んでいいよ、と言うだろう。

 本を好きになれなんて馬鹿げたことを要求するのではなく、その子が本って面白い、と感じてくれたら嬉しいから。

 

 

 

 

 

 

サマセット・モーム《月と六ペンス》ストリックランドは何に「成り果てようとしていた」のか

 

 

 

生まれる場所をまちがえた人々がいる。
彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。生まれた土地にいながら異邦人なのだ。幼いころから知っている葉影の濃い路地も、遊び慣れたにぎやかな街路も、彼らにとっては仮の住まいでしかない。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.305)

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書籍:

月と六ペンス(著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 / 新潮文庫)

 

 

目次:

 

《月と六ペンス》サマセット・モーム

 

 ウィリアム・サマセット・モームの著した「月と六ペンス」は昔、まだ大学を辞める前に人に薦められて読んだ小説だった。

 作者はフランス生まれのイギリス人で、10歳の頃に両親を亡くし、パリからイングランドのケント州に渡って学校に通った。過去に医療助手として勤めていたことがあり、その経験を活かして書いた小説の発表から、本格的な作家活動を始めることに。

「月と六ペンス」の構想を練っていたのは肺病の療養期間中だといわれている。

 

 今日はこの作品の話をしたかった。


 ……私は小説が好きだから、よく読む。これは単純。

 けれど、では「なぜそれが小説でなければならないのか」と考え出すと、途端に難しい。世にある書物の数は無尽蔵だし、その種類も多いのに、どうしても小説と呼ばれるものを進んで摂取したいのだった。

 無意識から湧いてくる衝動に理由を与えるのは不可能に近い。それゆえ詳らかに説明はできないけれど、この「月と六ペンス」のような本に出合うと、そうそう……私はこういう物語に触れてみたいから小説を読んでいるのだった、と思う。


 現実のドキュメンタリーでないという点では虚構に分類され、さらに文中では登場人物のひとりが語り手となって他の登場人物について述べる、重層的な虚構。

 それなのにこの「小説」は随分と鮮烈だ。むしろ、だからこそ小説なのだと言い換えることもできる。

 最後のページを閉じて感じる圧倒的な虚脱感は、現実世界を生きていておぼえる類のものとは全く異なり、不思議と胸を満たすほどにとても心地が良いのだった。

 

  • あらすじ

 

 証券取引所の仲買人としてロンドンで勤務し、周囲からは正直で、退屈で、平々凡々と形容される中年の男。

 それがチャールズ・ストリックランドだった。

 文化人との交流が好きな妻とは、結婚してもう17年。

 息子と娘にも恵まれて穏やかな生活を送り、身の丈に合った成功と幸福な将来を約束された、何ら特筆すべき部分のない人間だと思われていた彼だが……40歳になってすべてを一変させてしまう。

 

 あるとき、ストリックランドは10行にも満たない短い手紙だけを残して、家を出た。

 

 もう自宅に戻るつもりはなく、その心は変わらない、と書かれてはいるが、肝心の理由の方には一言も言及されていない。行先はフランスの首都・パリ。

 一体全体、何をしにそんなところまで?

 結果的に捨てられた形となる夫人・エイミーは自分と子ども達の今後を思って嘆き、また、夫の心をそこまで動かしたものの正体に対する疑念を抱く。そして彼女の姉や、その夫であるマカンドルー大佐は、家族としてひどく憤った。当然だろう。

 

 ストリックランドの真意を探るため白羽の矢が立てられたのが、この物語の語り手であり、関係者と知己でもあった小説家の「わたし」だった。

 初秋にパリへ渡り、さっそく問いただしてはみたものの、どんな言葉をかけても彼の返事はにべもない。もう妻を愛してはいないし、家族がどうなろうと知ったことではない、と言い放つ口調も辛辣だ。

 すべてを捨ててパリまで来た理由にはこう答えた。

 

 絵を描きたくなったからだ、と。

 

 ロンドンに帰った「わたし」が彼の言葉を伝えても、ほとんどの人間は信じなかった。

 それもそのはず、あれほど安定した生活を送っていた人間が、40歳を過ぎてからあまりにも危険な人生の賭けに身を投じるなど、当時の常識からして普通ではない。みな、どうせ出来心からの行動で、すぐに逃げ帰ってくると言葉を交わす。

 だが、ストリックランド夫人の方は何かを悟ったようだった。例えば別の女性にそそのかされたのならば、夫はいつか戻ってきた。しかし別のものが彼の心を捉えたとあれば、本当に、二度と家に帰っては来ないのだろうと。

 最後には、むしろ帰ってきてほしくないと呟く。

 

 この騒動の一端を見届けてから5年後、ロンドンの生活に倦怠を感じた「わたし」は再びパリへと向かい、今度はしばらくそこで生活しようと決めた。

 そして、現地に到着して2週間後。

 彼は、ストリックランドに再会することになる……。

 

 

 

 

  • ストリックランドの面白さ

 

 この登場人物は本当に興味深い。

 気まぐれで、独特のそっけない口調で話をし、時に人を傷つけて楽しむふしがある。硬質な言葉の棍棒をもって、相手の最も触れられたくない精神的な弱点を、容赦なくつつき回す男。チャールズ・ストリックランド。

 ははぁ……ずいぶん自分好みの登場人物が出てきたな……と思って、中盤まではウキウキでお話を読んでいた。

 

 やがてその視点は、大きく変えられてしまったのだが。

 

欧州にいた彼が成り果てようとしていたもの

 

 ストリックランドは物語全編を通して、大きな変化を2度経験したのだと思う。

 ひとつ目は彼自身の変化。

 まず、以下が「わたし」の抱いたストリックランドの第一印象だったときちんと記憶しておきたい。

 

ストリックランドは、際立った部分がなにもない、善良で退屈で正直な、絵に描いたような凡人だった。悪い人間ではないが、友人になりたいとは思えない。つまり、どうでもいい存在なのだ。

(中略)

時間をかけて相手をするほどの価値はない。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.35-36)

 

 家を出たのを皮切りとして、ストリックランドは今まで持っていたものをすべて捨て、己の望む絵を眼前に顕現させるため、できることはなんでもする心持ちだった。とにかくそれを邪魔するこの世界の煩わしさ、社会的、あるいは人間的束縛のすべてから逃れようと躍起になっていた。

 そこに以前の「平凡な株式仲買人」の面影は、もはやない。

 しかし……だからといって彼が、単純に「型破りな鬼才の画家」になろうとしていたのだとも、私は思わない。

 

 ここから物語の後半にかけてストリックランドがなりかけていた存在とは、人間でも画家でもなく、例えるなら「天災」に近い何かだ。

 それは要するにどういうことなのか。

 考える鍵になるのは、何度も繰り返される「わたし」の問いかけである。

 本当に、本当の本当に人目を気にしないで済む人間など、存在するのか。そもそも存在することが可能なのだろうか、という問い。

 

「憎まれようが蔑まれようが、どうでもいいんですか?」
「ああ」

(中略)

「周囲の非難を知りながら、心穏やかに暮らせるものですか? 本当に気にならないんですか? だれだって多少の良心は持ち合わせているものです。遅かれ早かれ、心が痛みはじめます」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.73)

 

 周囲に何もなく誰もいない場所、地球上のどこかでなら、あるいはそうやって生きることも可能かもしれない。

 けれど反対に、ひとりでも自分以外の人間が存在しているところで、その存在自体を完全にないものとして振る舞えてしまうのであれば、彼はもはや人間ではない。正確には「人間というくくりには分類できないもの」になる。

 ましてやストリックランドがいたのは大都会のパリ。生きて行動していれば、必ず他人と関係する。否応なしに。

 それなのに徹底した無頓着と無関心をやってのけようとした。

 結果的に彼は人間というよりも、例えば暴風雨だとか大雪だとか、あるいは日照りのような自然現象、天災に性質を近づけていく。私達のことなど一顧だにしないし、不用意にこちらから接近すれば滅茶苦茶にされるのがわかる。

 

「人が人を完全に無視するなど、可能でしょうか」
わたしはどちらかというと、自分に問いかけていた。
「生きている以上、人はほかの人にあらゆることを願っている。(中略)あなたは不可能なことをしようとしている。遅かれ早かれ、あなたの中に潜む人間性が、人との絆を懐かしく思うはずだ」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.251-252)

 

 上に対するストリックランドの答えは「ばかばかしい。どうでもいいことだろう」だった。

 

 彼がしようとしている、いやまさに実行している存在の仕方は、いわゆる隠遁とも厭世とも全然本質から異なる、実の意味でこの世界から遠ざかり、残ったわずかな糸も煩わしくて自ら望んで断ち切る行為。

 社会や世間に存在していても、人間としては消え、最終的に別のモノになる……。

 

 ストリックランドはとにかく藻掻いていた。己の内から湧き上がる衝動をどうにかしようとして、絵画という手段を選択することになり、さらになりふり構わず邁進した。

 この様子を目の当たりにした「わたし」の疑問は的を射ていると思う。

 つまり、本当にこれは絵でなければならないのか。そういう性質のものなのか。読者としても、結果的にそうなっただけで、彼が「絵というものそれ自体」に終始拘泥していたようには見受けられないと感じる。

 だから私はこの頃のストリックランドを指して、鬼才の「画家」ではなく、「天災」と呼ぶ。

 

「表現の手段をまちがえているんじゃないですか」
「どういう意味だ」
「あなたはなにかをいおうとしている。それがなにかはよくわかりませんが、そのなにかを表現する最良の方法は、本当に絵なのですか」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.257)

 

 あまりに的確な問い。

 

 彼の筆跡は人間の画家の軌跡ではなくて、嵐や雷雨が大地を翻弄した痕跡の方に、とてもよく似ている。

 描画をするのに一応現実の対象を求めはするが、そのくせ、まったく周囲の表層に関心を払わない人間が生み出した絵の性質として。

 他者を顧みないことにはまだ理解が及ぶとしても、渦を巻く衝動を昇華するために、「自分自身ですらどうでもよくなる」というのが、ストリックランドの特異な点である。

 私達だって似た思いを抱くことはもちろんあるが、だからといって自分を本当にどうでもよいものとして扱うことなどできない。本能か何なのかはわからなくても、必ず、精神か肉体のどちらかが、最後の一線を越えるのに歯止めをかけるから。

 

ストリックランドはパリで暮らしながら、テーベの砂漠に住む隠者よりも孤独だった。周囲になにを求めるでもなく、望みはただ、放っておいてもらうことだけ。
ひたむきに努力し、理想を追い求めるあまり自分を犠牲にしたばかりか——これだけなら珍しくもない——他人まで犠牲にした。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.268)

 

 けれど容易に柵を飛び越え、そんな風に滅茶苦茶になりかけているストリックランドがパリの街中に居て、絵という作品と行為を通して誰かと接触してしまう。「わたし」然り、友人のストルーヴェ然り、その妻のブランチ然り。

 それ自体がもう災害であり、当然のように、目を覆うほどの大惨事を引き起こしてしまうのだった。

 

 もはや人間ではなく自然現象に成り果てかけていた男。

 ここで冒頭の「わたし」の評価を思い出してほしい。

 当初は周囲の側からどうでもいい存在だと捉えられていた彼だが、そのうち、他ならぬ彼にとって、むしろ全世界の側がどうでもいい存在になってしまう逆転の現象が起こっている。

 

ストリックランドは夢の中に生きていた。
現実に起こることは、どうでもよかったのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.130)

 

 

 

 

南の島・タヒチに渡った後の変化

 

 こうして40歳を境に「目覚めて」しまったストリックランドは、ロンドンの家庭を捨て、今まで社会の中で構築してきたすべてを捨てて、画家のような天災のような何かになろうとしていたのだった。

 これが一つ目の変化だとするならば、二つ目の変化は南の島、タヒチに腰を据えたことでもたらされたといえる。

 ひょんなことからタヒチに渡る機会を得た「わたし」の表現を借りるならば、こういうことだ。

 

それらの絵は、風変わりで斬新な想像力に満ちている。あたかも、居場所を探してさまよいつづけてきた魂が、はるか遠くの地でようやく肉体を得たかのようだ。
あえて陳腐な表現を使うなら、この地で、ストリックランドは彼自身を発見したのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.272)

 

 現地の民の女性・アタとの関わり方からしても、パリにいた頃から究極に自己中心的な姿勢を一切変えていないように見えて、らしくなく殊勝な言葉を零し、涙を流す場面もあった。ハンセン病に罹患していると宣告された箇所などだ。

 訪問した医師に対して絵を渡し、かけた言葉も感慨深い。あなたは本当にあのストリックランドですか?  と尋ねたくなるくらいに「人間らしい言語」を使っている。

 もちろん病の進行度と、そこから予期される自分の最後、残された時間は少ないと悟ったゆえの心境の変化はあったはず。

 だがそれ以上に、ようやく己が己の望む姿でいても煩わしい問題が起こらない、衝動を絵筆に乗せて動かし続けるのに最適な環境に出会ったことで、彼の魂は周囲にとっての災害ではなくなった。

 

イギリスやフランスにいたときのストリックランドはさしずめ丸い穴に打ちこまれた四角い釘だった。だがここでは、穴に形がない。だから合わない釘はない。
彼がこの島にきて多少なりとも優しくなったとは思えないし、利己的でなくなったとも、残忍でなくなったとも思えない。まわりの人間が好意的だったのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.330-331)

 

 小説中で、ストリックランドの作品が描写される部分のうち、やはり印象的なものは前半(パリ時代)と後半(タヒチでの絶筆)に分かれている。この二つの対比は重要だ。

「わたし」はパリにいた頃の彼の絵から、真実や自由を探して彷徨い、もがき続ける巡礼者の姿を見た。

 そしてクトラ医師の証言を受けて、ストリックランドの苦悩する魂についに安らぎが訪れたのだと感じ、例の静物画と対峙して「秘密を墓場まで持っていってしまった」彼の背中を見送った。

 実際にほとんどの視力を失い、それでも描き続けたことによって、もはや「盲目」という比喩を使って彼を表現することすら許さなかったとは、天災でなくなってからも本当に恐ろしいままでいた男であった。

 

「視力が衰えてくると、ストリックランドは、あの狭い家に何時間もこもって絵を描いていたそうです。みえぬ目で絵をみながら、おそらく、それまでみてきた以上に多くのものをみたのでしょう」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.357)

 

 ストリックランドは自分の死後に家ごと壁の絵を燃やせと命じ、そのまま旅立った。完成したひとつの世界とともに。

 

 この「月と六ペンス」が面白いのは、情熱に取りつかれた芸術家の軌跡を追う物語として展開しておきながら、もう一段階深い場所……人間の相互不理解と、個々が心に持てる世界の計り知れなさまでに踏み込んでいるところではないだろうか。

 それは完全に客観的な視点から描かれるのではなく、語り手の「わたし」という、個性的なひとりの小説家の目を通して叙述されるからこそ、良さが際立つ。

 

わたしたちはみな、たったひとりでこの世界に存在している。それぞれが真鍮の塔に閉じこもり、合図によってのみ仲間と意思を通わせることができる。すべての合図が固有の価値観を持っているので、他人の感覚は漠然として捉えどころがない。

(中略)

だからわたしたちはいつまでも孤独で、相手がすぐそばにいながらひとつになれず、相手を理解することも自分を理解してもらうこともできずにいる。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.257-258)

 

「わたし」は当然、他の登場人物の脳内を覗けるわけではないから、作中で出会った人間たちが考えていたのが本当はどんなことなのか、永劫にわからない。だが、自分はこのように思う、あるいはこんな風に解釈した、と言えるまで対象の一挙一動に注意を傾け、何かを読み取ろうとする。

 どこかから発された不可解な信号、その波形に、意味を汲めそうな法則がないかと細かく分析するように。

 その姿勢は時に痛々しく愛おしい。

 

 だからこの小説は発表されて以来、多くの読者を惹きつけてやまないのだろう。

 

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敬愛する夏目漱石先生のお誕生日を祝って

 

 

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参考サイト:

新宿区立漱石山房記念館

 

猫の命日には、妻がきっと一切の鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。

ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。

 

夏目漱石「永日小品(猫の墓)」より

 

 

 今日、新暦の2月9日は私の敬愛する小説家、夏目漱石のお誕生日です。

 

 中学時代の衝撃的な邂逅から十数年、今は彼のほとんどの著作に触れたとはいえ、まだすべての作品・講義録・手紙などを精査して自分の所感をまとめる地点までは到達できていません。

 ですから、あまり得意になって漱石先生について語れるような身分ではないのです。

 それでも2022年現在、ここに彼と彼の作品をこよなく愛していることを綴り、なかでも繰り返し頁をめくって参照している短編の好きな部分も併せて紹介したく、誕生日のお祝いとして当ブログに記事を投稿します。

 

目次:

 

漱石先生ってどんな人

 時は慶応3(1867)年、江戸の牛込馬場下横町(現・東京都新宿区喜久井町)にて、8人きょうだいの五男——末っ子として生まれた彼。

 本名を夏目金之助といい、漱石、の筆名は「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という中国の故事から借りたものでした。これは唐の時代の歴史書「晋書」に記載されている人物、孫楚についてのエピソードのひとつです。

 失敗や誤りを指摘されても屁理屈を並べて言い逃れること、また、非常に負け惜しみが強いさまをあらわす言葉で、漱石が自身の筆名に、そこから取った2字を採用した意図に思いを巡らすのも面白いですね。

 

 生前に最も親しくしていた人物のひとりとしては、正岡子規の名が挙げられます。

 漱石が文部省より命を受け、明治33(1900)年に官費での英国留学へ赴く際にも出立の直前、高浜虚子とともに送別の句を贈ってくれました。

 その際の子規の俳句が以下のふたつです。

 

萩すすき来年あはむさりながら

秋の雨荷物濡らすな風ひくな

 

 漱石が帰国した明治36(1903)年までに正岡子規は亡くなっており、残念ながら、出航後の再会はかないませんでした。

 

 ……と、こういった事実は各種年表や、記念館が公開して下さっている資料を調べれば誰でも同じように得られる情報でして、せっかく個人ブログに投稿する記事ですので自分自身の印象を述べたいと思います。

 

 漱石先生は、一体どのような人か。

 

 無数に存在する言葉の中からぴったりのものを選ぶのは難しいですが、考えた末、「本当にとても真面目な人だった」としか言えなくなりました。いや、もうそれ以上の表現はないのでは、という気すらしてきて……。

 時に軽妙で機知に富んだ、ユーモアに溢れた表現が作中にみられるのも、ひとえにその真面目さが根となり、結果的に枝葉が伸びて花が咲いた、そんな性質を持っていると思います。

 

 観察する対象の全体を眺め、それから徹底的に分解し、本質に近い部分を探り当てたら、今度はもう一度自分の言葉を使って組み立て直してみる。

 それが文章としてあらわされたとき、一般にいわれるところの「漱石のユーモア」が光って見えるのです。

 敢えておもしろおかしく書こうとするのではなく、真剣に対象と向き合ったからこそ生まれた表現が、読者におもしろく受け取られる。世の中に対して、単純に斜に構えていただけでは絶対に書けないもの。

 実際に作品を読んでいると、そういう箇所が非常に多いことに気が付かれるはず。

 

 彼は最期まで、決して「考える」ことを止めなかった作家でした。

 

 例えば、人としてどう歩むべきかの理想像が都度、生まれる。こうなれたらよい、という姿。

 けれどそんな風にはなれない。あるいは時に可能でも、常には実行できない。しかし、できない己に対して見て見ぬ振りをすれば、一瞬は楽かもしれないが後で必ず苦しくなる。なのに定期的にその事実から目を逸らさなければ、到底人の心は耐えられない……。

 こういう種類の問題が私たちには付きまとっています。

 永劫に続くかと思われるそれらの葛藤の中で、夏目漱石は懸命にもがきました。人間なんてそんなものだ、と安易に開き直って肯定しない、誠実さと苦しさ。

 とにかく「思考する」ことに対して誰より真面目な姿勢を貫いていましたから、またそれとは性質の異なる誠実さ、「信仰」の方に救いを求めるもかなわず、明治27(1894)年の末から翌年1月7日まで北鎌倉の円覚寺に参禅するも、望んだ効果は出なかったようです。

 けれど、その経験は確かに意味のあるものとして作品に反映されました。

 

 もちろん小説や随筆の好みに関しては分かれると思いますが、難しい、とか、内容に馴染みがない、自分とは関係が薄すぎる、という理由で夏目漱石作品を敬遠している方がもしいれば、そんなことはないんじゃないか……と伝えたい。

 慶応3年に生まれ、様々な要因で人間の暮らしも価値観も大きく揺さぶられた明治の時代を生き抜き、大正5年に享年50歳で亡くなった彼。

 当時の漱石や同時代の人々が直面していたものは、現代の私達にも無関係ではなく、むしろ同感したり、親近感をおぼえたりするような叙述や描写に、きっとどこかで出会うはず。

 

 彼が本格的に執筆活動を始めたのは38歳の頃と、以外にも人生の半ばを過ぎてから。

 それまでは教師として各地を転々とし、のちに英国留学、旧帝大の英文科講師の職(小泉八雲の後任)などを経て、最終的に朝日新聞社にて小説の連載を開始したのでした。

 正岡子規と彼の共通の友人であった高浜虚子も、漱石の執筆を後押しした人物のひとり。

 

 今、幸いにも漱石の作品の多くはパブリックドメインになっており、誰でも気軽に読めるようになっています。

作家別作品リスト:夏目 漱石|青空文庫

 

昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。
(中略)
今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。

 

夏目漱石述「現代日本の開化」より

 

 これを機に、彼の作品に触れてみませんか。

 

 

 

 

おすすめ作品・好きな描写

 心情描写、情景描写、その他……

 どれをとっても「この書かれ方、良い」と思わず感動してしまう箇所が各作品に散らばっていて、簡潔にこういうところが魅力だと言い切ってしまえないのが漱石の文章。

 

 そんな中でも私が好きなのは、目の前の現実がふと淡い霧に覆われて、そこに違う映像がぼんやり浮かんでくるような、幻想的描写。彼はこれの名手です。それがあらわれているのは、有名な「夢十夜」だけじゃない……!

 また、つい笑みを浮かべてしまうような独特の比喩表現。わかるわかる、と頷けるようなものも、それって本当にそんな感じだったのかな!? と何度も目でなぞってしまう表現もあります。

 

婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。

 

夏目漱石「カーライル博物館」より

 

 個人的には長編よりも短編や中編の作品が好み。

 もちろん前者にもおもしろいところは沢山ありますが、時に顕著になる冗長な部分が後者ではバッサリと削がれ、驚くほどキレキレになっているものが多いです。ということで、短めのものを執筆年代順に紹介してみます。

 

 好きな箇所を引用しますので、気になる作品があれば、ぜひとも実際に全文を読んでみてください。

 

  • 短編

倫敦塔(1905年)

 こちら、以前にも当ブログで紹介したことがあります。

 作者がイギリスの首都・ロンドンの観光名所「ロンドン塔(Tower of London)」を訪れた際の出来事が、臨場感とともに描写されているもので、普段から空想癖を持つ人なら特に没入できること請け合い。

 

あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化かされたような顔をして茫然と塔を出る。帰り道にまた鐘塔の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。

自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。

 

 歴史的建造物や史跡を見学していて、思わず思考が引っ張られ、当時の様子をはっきりと眼前に描き出してしまうことってありますよね。

 漱石が塔を出て、宿に戻った後の主人とのやり取りも含めて楽しめる作品。

 

 

薤露行(1905年)

 昔の美術雑誌(週刊朝日百科 世界の美術)を読んでいて、そこで「アール・ヌーヴォー的文体」の作品として言及されていたのがこの短編。

 正直、目から鱗でした。これだけ彼の作品に言及し、並行して同時代の芸術運動と流れを幾度となく参照しておいて、自分の中ではそれらが全然別の点として扱われていたので。頭が固すぎたようです。

 

ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。

紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる。

 

 トマス・マロリーの「アーサー王物語」とその題材に着想を得て、漱石はここで自身ならではの解釈と新しい筋書きを展開しています。

 上の引用部分は、塔に幽閉され、本来であれば鏡越しでしか世界を見ることのできなかったシャロットの女が、窓越しに直接ランスロットを垣間見た場面。美しいですね。読んでいて純粋に楽しいです。

 

 

草枕(1906年)

 序盤の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」であまりにも有名なのが「草枕」ですが、真におもしろいのはその内容です。

 絵描きの主人公は旅先で、後の長編「虞美人草」に登場する藤尾を彷彿とさせる、魅力的な女性・那美と出会います。賢く、美しいけれど、どこか情け深い心に欠けている感じの……。主人公と彼女の会話はいつまでも読んでいたくなる。

 

いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐と云う字のあるのを忘れていた。

憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。

 

 最後、主人公が那美にかけた台詞と、その声音の温度感(まるで意趣返しみたいな……)が最高なんですよ。

 

 

文鳥(1908年)

 こちら、以前にも当ブログで紹介したことがあります。

 知己のある三重吉という人物からすすめられ、文鳥を飼うことにした主人公。仕事に集中していたり、他のことに気を取られたりして世話はおろそかになりがちだが、それでも家の誰かが水や餌を換えてくれることもあって、文鳥との生活は続いていました。

 小さな生き物を眺めているうちに、彼は誰かの面影を想起します。

 

この一本をふかしてしまったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方を見つめていた。するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持眉を寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。

自分は床の上に起き直った。寝巻の上へ羽織を引掛ひっかけて、すぐ縁側へ出た。そうして箱の葢をはずして、文鳥を出した。

 

 繊細な描写が痛々しいほど胸に迫る、とても切ないお話。

 

 

  • 随筆

硝子戸の中(1915年)より

 今度は小説ではなく、晩年に執筆された随筆です。

 全部で39本の短い文章から構成されており、なかでもうちの33番目はこれから紹介する「行人」にも共通する主題を持つもの。まず、書き出しからしてじわじわと染み入ります。

 

世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。

自然他と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。

 

 漱石はこの短い項を通し、他人と何らかの接触を持つうえで、必ずしも「正解」を選ぶことのできない難しさについて述べています。現代でもコミュニケーションというものを語る際、必ず話題になる普遍的な要素。

 私達は時に、そんなつもりがなくても相手を馬鹿にしてしまうことがある。また時には、相手から何らかの言葉をかけられたとき、それが善意なのか悪意によるものなのか判断できずに、悩む。

 頼りになるのは自分が過去に経験した諸々の事柄と、そこから導き出される感覚しかない。

 一体どれが良くてどれが悪いのか?

 誰にも分からないし正解はない、その、怖さ。難儀さ。

 

もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪いて、私に毫髪の疑いを挟む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。

でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。

 

 ううん、本当にしんどいですね。人と人との関わりというものは。

 

 

 ……関連して、以下は短編ではなく長編になるのですが、どうしても読んでほしいという気持ちが抑えきれないので最後に紹介しておきます。

 過去記事もぜひ参照してください。

 

  • おまけ:長編

行人(1912年)

兄さんは鋭敏な人です。

美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。

 

「彼岸過迄」と「こころ」に並ぶ、後期三部作のうちのひとつ。

 初めて手に取ったとき、最後に本を閉じて、ああとんでもないものを読んでしまったと息を吐いたのを憶えています。もちろん、よい意味で。けれど同時に、作者と登場人物の苦しみを感じて、つらく悲しくて。

 とにかく切れ味が鋭いです。

 

兄さんの心を悉皆奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ない程なものを、兄さんに与えたいのです。
(中略)
神を信じない兄さんは、其処に至って始めて世の中に落ち着けるのでしょう。

 

 生きること、在ること、信心、愛。

 その、突き詰めてしまえば説明も解決もできない事柄に対して、登場人物の一郎は本文中の言葉を借りるなら「天賦の能力と教養の工夫とで」明敏な視点を持ち、物事を深く思考することが「できてしまう」から、この人間社会にただ存在しているだけでこんなにも苦しむ。

 思考よりも盲目的な崇拝の方が、いわゆる幸福な状態に近いから。

 けれど、考える、という行為を捨ててまで得る幸福は、本当にその人にとっての幸福といえるのか。

 

 

 思考も何もかもすべて放棄して楽になりたいけれど、そんな風になり果てた自分を想像すると、どこまでも嫌な気持ちになる。到底存在を認めることができない。

 同じように感じる人は少なくないのではないでしょうか?

 そんな方にもそうでない方にも、「行人」はおすすめのお話です。

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 上で紹介した小説以外の長編作品、あと随筆や講義録などに関しても、今後少しずつ取り上げて魅力を語りたいもの。ひとまずこの記事をもって、本日のお誕生日のお祝いとさせていただきます。

 漱石先生、ずっと大好きです。