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彷徨する自由帖

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平成橋を渡ったら「アンティック喫茶 ともしび」がある|高知県・高知市

 

 

 

 JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。

 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。

 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。

 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。

 

 

 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり、少し迷っていちばん奥の方に腰掛けた。落ち着くまで気が付かなかったけれど小型テレビの真下であった。とはいえ、それを見る人が他に誰もいないので気にならなくなった。

 メニューを眺めていたら、元気で明るい店主ママから「軽めので良ければモーニングあるで」「モーニングいっとく?」と言われてびっくり仰天してしまう。自分の腕時計が狂っていなければ、今は、14時半になるちょっと前であり……もはや、モーニングではなくアフタヌーンの時間帯であるはずで……。

 でも本当に良いらしい。

 わざわざ「ある」と示唆してくれるくらいなので、もしかしたらカレーとかうどんとか、他の料理を用意するよりもその方が楽なのかもしれない。「モーニングにします……ホットコーヒーで……」と視線をあちこちに彷徨わせながら告げて、カウンターで常連さんが何を話しているのか聞いていた。最近殊に寒いという話がされていた。

 高知市での喫茶店利用はここが最初の1件目だったので、私には知る由もなかったことだけれど、実際午後3時くらいまでモーニングサービスを実施している喫茶店は、近隣にわりと沢山あるのだった。

 

 

 やがて「はい! お姉ちゃんの!」の声とともにテーブルに置いていただいたのがこちら。お姉ちゃんです、こんにちは。

 コーヒー、ゆで卵、トースト、サラダ、スープが一緒になって、2024年1月時点で450円の破格値で提供された。本当にいいの? 1000円でお釣りがくるランチに匹敵する内容の充実度だが……。お安いだけではなくてどれもおいしかった。コクのあるバターがたっぷり染みてもヘナっとしない、サクサクのトーストにはやっぱり計りがたい価値がある。

 自分じゃなくて誰かが焼いて作ってくれるものだから尚更おいしい。家で、万が一焦げてしまいやしないかと心配になりトースターやオーブンにかじりついて待つのは嫌なのだ。だから外食が好き。

 無事にごはんを食べられたので、次はおやつを探しに出掛ける。

 

 噂のはりまや橋に行ってみよう。

 

 

 

 

 

何度でもまた、どこかへ

 

 

 

 

 

 昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。

 何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。

 結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。

 皆、どうしてこんなに親切に、私と仲良くしてくれるのだろう?

 いつものことながら、そう首を傾げるくらい沢山の方が気にかけてくださって、幸福だった。今後も幅広い人達と親交を重ねていきたいと思っているので、同じ空間にいて楽しいと感じてもらえるような人間の振る舞いができるよう、頑張るつもり。

 

 前述のとおり昨年は調子の悪かった時期が長く、あまり旅行記としてのブログを更新できなかったけれど、決して少なくはない土地に足を運んでいたと振り返る。やはりこういうことをずっと続けていたい。何らかの物語に触れて、その内容がきっかけで実際にやりたいことができて、体験した後は私の方が他人にその話をすることで生きていくような行為の連続を……。

 今後の更新順の指標にするのも兼ねて、2023年に旅行した場所の名を順に挙げ、2024年1月1日のご挨拶とします。

 読者の皆様、あけましておめでとうございます。私は今年も変わらず、本を読んで興味を持った場所へ積極的に出掛けていく予定でありますので、これからも何卒よろしくお願いいたします!!

 

2023年の旅行先一覧

 時間はかかりますが、未作成の分も順次ブログ記事を執筆していく予定なので、お気の向かれた際にまた覗きに来てください。

 どの土地でも、近代建築を中心とした何らかの建物に関心を抱いて散策をしました。

 

  • 愛知県(名古屋市)

 

  • 福岡県(筑豊地方、福岡市、門司港)

 

  • 千葉県(浦安)

 

  • 島根県(石見銀山、温泉津温泉、出雲大社)



  • 徳島県(穴吹、徳島市)

 

こちらはブログ記事作成済です:

 

  • 群馬県(富岡製糸場)

 

  • 新潟県(新潟市、糸魚川)

 

  • 香川県(坂出、高松市、小豆島)

 

こちらは一部、ブログ記事作成済です(未完):

 

  • 北海道(網走市)

 

  • 福島県(新白河)

 

 また、最近はX(旧Twitter)に投稿すると高確率で生身の人間ではないスパムアカウントに遭遇してしまうため、旅行記録を含めた雑多な日常的つぶやきの軸足をマストドン(Mastodon)のFedibirdに移しています。

 それからオタク趣味にご理解のある方々とはBlueskyで交流しています。

 ときどきやり取りしてくださると嬉しいので、どこでも利用しやすいプラットフォーム上でお気軽に構ってくださいませ。

 

 

 

 

 

海をグラスに1杯 - 金沢八景の喫茶店オリビエ|神奈川県・横浜市

 

 

 

 

 金沢八景の駅を出て、シーサイドラインの高架橋を辿るようにして進み始めると、少しして頭上を走る列車に追い越される。姿が見えなくても、音がするので分かる。

 右手側に住宅街、そして左手側には小型の船舶が横付けされた岸。陸地と海との境をなぞるような位置を通る高架橋の軌跡は、長く伸びて……やがて大きく海の側に逸れた。並ぶ太い柱は視界の外に続いてゆき、野島公園や八景島がその先にはある。

 横から風を受けて歩道を道なりに歩き続ける。

 しばらくしたらコーヒーと書かれた旗がはためいているのが見えてくるだろう。不思議な形にまるく切り抜かれた白い外壁から奥まった場所、水色の扉には営業中の札がかかっていて、取手を引くと想像以上に軽い感触でベルの音とともに開かれた。

 

 

でんわ☎でんわ

 

 楕円形の看板を一瞥して中に入る。

 日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。

 ソーダ水にしよう。

 店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれこそ炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。

 

 

 色の答えは、青。

 液体という形を持たないものが、透明な「器」に規定されることではじめて特定の形に収まる。この感動は上野の王城でも過去に感じた。グラスの曲線は宝石のカット。そして青い色をしたソーダ水は、物語の中にしか存在できない海の深いところと、浅いところの水を汲んできて、きっかり半分ずつ混ぜ合わせ作られたもの。

 砕かれた氷が浮かんでいるのはそのお話の舞台が冬だったからで、すべて溶けてしまうまでの短い時間、確かにこちらの世界と物語の世界とのあわいに漂い続ける。背後に映るソファの赤色がわずかに透けると、透けて見える部分だけ水の色は暗く、深い青となる。

 木製のトレーにコースターがぴったり収まり、余白のある別のくぼみにはナフキンと、サンタの絵が描かれたキャンディと、お菓子のエリーゼが添えられていた。エリーゼが今回のダンスの相手のようだ。

 

 

 ソーダ水の炭酸は中くらいか、もしかするともっと優しい舌触りだったかもしれない。強炭酸ではなかった。

 目をぱっちりと開かせるよりは、例えば休日の昼食後に流れる緩慢とした空気に寄り添うような、細やかな泡が作り出す味わい。はかない甘さ。反面、存外にしっかりと固有の「味」を感じられたけれど、色つきのシロップの常、具体的に何を模した味なのかを推察するのは難しい。リンゴのようなイチゴのような、他のもののような不思議な香りと風味。

 氷が徐々に溶けてくると当然その濃さが薄まってゆき、色も味も変化する様子を楽しめた。エリーゼを一口ずつかじり、さらにキャンディを転がすあいだに。

 本を開いておとなしくしていたら、ただ静かだと思っていた店内には、ずっと音楽が流れていたことに気が付いた。サックスの旋律、ピアノの声、BGMの音量がこれまた絶妙で、会話や思索の邪魔をしない程度に、けれどはっきりと耳に届く。あんまり居心地が良いので、驚いた。

 

 

 本を読みながら1時間くらいぼんやりしていたと思う。

 午後2時頃になってくると客足が伸びて、カウンター席が常連さんたちで埋まり、残りのボックス席も一杯になった。潮時だった。気が付くと、店主のおじいさんはおばあさんに変わっていた。秘められた力を使って変身したのでなければ、単に交代したのだろう。

 会計を済ませて出入り口の扉に手をかける。来たときと同じく、その軽さに驚く。強風が吹いたら飛んで行ってしまいそうな軽さだ。それがこの喫茶店への入りやすさを反映しているような気もし、はじめての来店にもかかわらず何度も足を運んだことがあったかのような錯覚に包まれて、午後のお茶の時間は終わった。

 

 金沢八景の喫茶店、オリビエ。

 

 

 

 

Odai「わたしの癒やし」

純喫茶 バウハウス - 窓と草木の隙間から零れる明かり|神奈川県・横浜市

 

 

 

 

 今年の晩春に訪れていたJR中山駅前の喫茶店、バウハウス。

 

 

 ふたたび足を運んだら、前はあったあれが無いな、と思っていた緑のカーテンが復活していて喜んだ。何とも言えない薄く軽やかな素材のカーテン。ワッフルのような格子状の網目によって生み出される奥行きと、深みのある色合い。

 それが店内の椅子に張られた布のなめらかな赤と呼応しているから、まるで、カーテンが自分の役割に自覚的であるようにも見える。赤い木の実や赤い靴を隠す、森の役割を担っているのだと。

 とりわけ、今は夜の森だ。時折凍えるような風が吹くと窓も扉もわずかに震えるのが感じられる。外を歩いている人影は本物であろうか。それともただ木立の影が、その形を観察している人間に似た姿を、自然と取るようになっただけなのか。

 18時を過ぎても開店している喫茶店があるのはこの周辺だと珍しく、暗くなってから近くを通りがかった際、お腹が空いて疲れていても軽食や珈琲、紅茶を摂取してから家に帰ることができて本当にありがたい。

 

 

 いったい何センチあるんだろう。

 視覚的にも強い印象を残す分厚い食パンの表面が焼かれ、3等分に切れ込みが入れられて、バスケットの中に横たわっている。騎士に何度も両断されて倒れたお布団のようなその佇まい。茶色い耳の部分は薄い層がいくつも重なったようになっていて、香ばしい香りがごくわずかな隙間にも蓄えられている気がする。

 たっぷりのチーズに散らされた青いねぎの風味は強すぎず、じっくり噛んでいてとても安心できた。味自体は重たくないのだがかなりボリュームはあって……忍耐強く咀嚼する。そうすると適度に満腹になってくるから、普通のバター&ジャムトーストではちょっぴり足りないかも、と危惧を抱いたのなら断然ねぎトーストはおすすめ。そして、今度はピザトーストが食べたい。この感じなら絶対おいしいに決まっている。

 セットのホットカフェオレは、癖がなく飲みやすい味。甘くない。甘さを足したければ自分で調節できるので、お好みでどうぞ。

 これらにさっぱりしたヨーグルトがついており、3点で1100円。

 

 

 扉を開けて外に出た瞬間、よかった、やっぱり来てよかった、といつも思える喫茶店。

 

 

 

 

 

 

 

Odai「わたしの癒やし」

喫茶店「珈琲 琵琶湖」梅の屋敷から広大な湖面を想像する11時|東京都・大田区

 

 

 

 

 滋賀から遠く離れた東京都にも「琵琶湖」があるらしい。

 それは喫茶店の姿をしていて、建物のように装っていながら、あの静かで広大な湖面に宿る心を内に秘めている。扉を開ければいつでも、あの場所の空気に包まれる……かもしれない。

 また近江八幡に行きたくなってきた。

 

 

 大田区、蒲田。

 このあたりの地域には何人か友達が住んでいるのに、その実これまであまり歩いてみる機会がなかったものだから、京急線の車両を降りてからずっと周囲を眺めてきょろきょろしていた。

 そうやってまわりの様子を観察するのに首や目がいくつもあったら便利そうだけれど、結局そこから得た情報を処理しているのは主に脳になるはずなので、たとえば眼球がふたつ増えたならその分だけ、脳を新たに外付けで追加しないといけなくなるような気がする。もしもそうなったら移動するのに不便そうだし、皆に怖がられてしまいそう。

 あ、いえ、あやしい物品じゃなくて臓器なんです、これ、ちょっと「目」が増えたから「脳」も必要で、……と身体に管で繋がった傍らの荷物を指し示してみても、きっと信じてもらえない。人々に忌避され逃げられてしまう。想像したら、にわかに寂しくなってきてしまった。

 梅屋敷駅は京急蒲田からひと駅分の距離にある。

 昔ここに存在した山本家の茶屋(今は、跡地の一部が梅屋敷公園になっている)がその駅名として残っており、何も知らなければ一体どこに何の屋敷があるのかと戸惑うところ、梅の要素に関しては大田区の「区の花」となっているのでピンと来る人も多いのではないかと思う。私にはなじみがなかったから、次は寒梅が見られる時期に散歩しに来るのも悪くないのではないか、などと考えている。

 少し北に歩けばしながわ水族館もある。そこも先日初めて訪れて、それなりに楽しんだ場所だった。雰囲気が好きだった。

 

 

 お目当ての喫茶店「珈琲 琵琶湖」を訪問したのは土曜日の11時ごろ。金に輝くドアの取っ手が曲線を描いているのが本当~に素晴らしいポイントだと思った。撫でまわしたい。

 窓越しに把握できる店内は賑わっていて、外には自転車も複数とめられていた。スタッフもかなり忙しそうだけれど対応は常に丁寧。私達は運よく席に座れ、キッチンの様子も観察しながら、メニューを眺めて注文をした。普段の仕事がシフト制なので曜日の感覚を忘れがちだが、土曜日のお昼、商店街の飲食店とくれば混むのは当たり前だろう。なんというか、久しぶりに一般の休日を感じた。文字通りの非日常体験で面白かった。

 あ……美味しそうな匂いがテーブルに近付いてくる。到着。

 ロースハムトーストは多分じゅわっと表面に染み込んでいるバターの風味なのか、とても軽やかな感じでおいしくて、癖になる。ハムを挟んだ食パン、というシンプルな食事からこんなに奥行きを感じられるなんて。嬉しいサラダ付き。

 そして飲み物、ミルクコーヒーにバニラアイスが浮かんだフロートは、液体部分に甘さがほとんど無いのが良かった。もしも甘さを足したければ別添えのシロップがあるため、調節できる。お好みに合わせて。私はそのまま少し飲んだあと、甘さを加えて味変を楽しんだ。

 

 

「琵琶湖」という滋賀にある湖の名を冠したこの喫茶店、果たして背景にはどんな由来があるんだろう……と検索してみたら、先代の方が滋賀県出身であるということらしかった。

 なんとも郷土への思いを感じる命名である。開業当時は乾物屋で、それが引き継がれて喫茶店に変身したのが、昭和54年の頃だとか。噂では100もあるらしい膨大な数のメニューも内容や材料が変化したり、時期によっては期間限定の品も登場したりして、変わらない良さと行くたびに変わる良さの両方があった。

 定休日は水曜日。営業時間は8:30~19:00で朝はモーニングセットがある。

 近い大森にある老舗「ルアン」とあわせて、大田区内の見逃せない魅力的な喫茶店だった。

 

 

 

 

 

鎌田共済会 郷土博物館 - 大正時代に建てられた旧図書館|香川県・坂出市の近代建築

 

 

 

公式サイト:

公益財団法人鎌田共済会郷土博物館|公益財団法人鎌田共済会郷土博物館|香川県の古文書・絵図・化石資料などを展示

 

 電車の窓からこの建物が見え、それで気になったのがきっかけで、わざわざ足を運ぶ人の数も多いのだと職員さんが言っていた。

 私達も岡山から快速マリンライナーに乗って来た。

 方角からすると、坂出駅に停車する直前で気が付く機会があったはずで、けれども白い外壁がまったく視界に入らなかったのは反対側の座席に座っていたからだ。土地全体から見たある場所、位置、という点では変わりがないのに、その一点が線路と車両によって分断されると、片側がすっかり見えなくなる瞬間というのが存在する。

 そして、時には進行方向の右側と左側とで、同じ場所とはとても思えないほど違いのある光景がガラス越しに映し出されるもの。山や海のそばを走っていると特にそうだし、でなくとも市街地などで、線路を挟むと建物の数が大きく異なったり、早朝や日没直前に利用すれば、太陽の光線がどう差し込むかの差異も生じたりする。

 坂出駅の南側にある出口を出て、西に少し向かったところにあるのが、鎌田共済会 郷土博物館だった。

 

 

 白い壁が常よりもいっそう白くまばゆく光っていた。7月上旬でこの日の陽射しも強かった。そのせいで当時、どれほどの日焼け止め(スプレータイプ)を手足や頭の露出部分に振りかけたか思い出せない。料理の下ごしらえで粉や液体をまぶされる食材はたぶん似た気持ちのはず。では日光で焼かれて、人間は一体何に変わるのだろう……。

 ジリジリ、という擬音語をはじめに用いた人だって、きっとそういう疑問を脳裏に浮かべていたに違いない。

 郷土博物館2階に整列する窓の上部はアーチ状。さらにその上、建物自体のふちのコーニスには、帯状の幾何学的なレリーフが並んでいる。丸と半円と波型の曲線。面積は限られるが奥に3階部分もあり、手前は2階だけのわりにずいぶん高さがある——と感じたのは間違いではなかったようで、例えば玄関ホールの高さは床から天井までが4.5メートル程度あるようだった。

 パンフレットの説明文を参考にするなら、郷土博物館2階の高さは一般的なマンションの3階よりも高い位置にあることになる。

 帰宅してから調べると、古い時代の写真にはかなり年季の入った茶色い外壁が見られたので、今の建物はきれいに塗り直された状態なのだと伺えた。内装の漆喰もかっちりとしている。ショートケーキの表面を覆う薄いクリーム。階段の石は磨かれて、以前から残るガラスも味わい深い歪みを残したまま、違う時代の陽の光を透かしている。

 

 

 踊り場から玄関を振り返っていた。これより先は通常勝手に立ち入ることのできないエリアで、けれど今回は職員さんが同伴と案内をしてくれたので、最終的に3階部分まで覗けたのだった。

 玄関ホールに吊るされた照明器具の金属部分は開館当時のもの。覆い(傘)のガラス部分は取り換えらえて形を保ち存続している。郷土博物館の竣工は戦前の大正11(1922)年……淡翁荘(現四谷シモン人形館)の持ち主、鎌田勝太郎が設立した鎌田共済会の図書館として、ここに鉄筋コンクリート造の施設が完成した。監修を務めたのは香川出身の技師、富士精一。

 平成4(1992)年に郷土博物館となり、やがて国の有形文化財に登録された。改修工事も行われている。

 第二次世界大戦の折には辛くも空襲被害を逃れ、建物は著しく損なわれずに残ったという。もしも3階、ペントハウスの方へ続く階段を上っていくときに機会があれば、いちど立ち止まってその側面を観察してみてほしい。昔はもっと急だった階段の勾配をゆるやかに調整した跡が確認できる。細長い、三角形の領域。そこから進むほどに、通路も階段の幅自体もだんだん細くなっていく。

 建物の内部に用いられた石というのは周辺の空気も冷やすようで、実際触ったわけでもないのに、その表面がひんやりしていると(視覚からではなく、実のところ)肌から分かるのは不思議。距離は離れている。なのに伝わる。

 

 

 このあたりは曰く、ふたつの半円の窓が笑った目に見えると評判らしい。ぽつんとひとつある壁の照明が可愛らしいのも見逃せなかった。おでこにつけた印だ、あれは。

 そして、地上階の展示室には久米通賢(名は「みちかた」もしくは「つうけん」とも読む)に関連する資料がある。展示ケース内に陳列された、気難しさと利発さを兼ね備えたぼやぼやの肖像画と、測量、また天体観測に関係する器具の数々。彼の自作と伝えられる天体望遠鏡が「星眼鏡」と称されているのに心惹かれた。ほし、めがね。語感が夢枕と少し似ている(?)

 展示ケース自体もまた大正時代のキャビネットとして、鑑賞に値する品物である。近代建築の中に収容された古いキャビネット、さらにその内部に収められた古い道具、書物……。

 平賀源内や伊能忠敬の名前は全国でよく耳にするが、同様に彼らと道の交わる分野で多くの功績を残した久米通賢は、まだあまり広く知られてはいないようだ。でも、ここで覚えたからもう大丈夫。

 展示室にも旧図書館時代の意匠が残っているので、壁や天井にも目を配ると、外観のレリーフと同じように廻り縁がリズムを刻む。箱のような部屋に装飾の凹凸が見られるとゼリーやクッキーの型を思わせる。まっさらにした部屋の中に、液体や生地を流し込んで固めたいと思う想像で。

 退館する際にはカードをもらった。スタンプラリーのカード、どうやら「鎌田ミュージアム」の3館を巡ると最後に何かがもらえるらしい。せっかくなのできっちりいただいてから高松へと向かうことにして、それから所在地がすぐ近くなので、秋に休館が予定されている郷土資料館の方にも赴こうと決めた。洋風の木造建築がある。

 外を歩いていたら、博物館の外壁とおなじくらい明るい白色に毛を輝かせた1匹の猫がいた。

 

 

 

 

 

喫茶店 サザンクロス - 南十字星の山盛りクリームソーダ|香川県・坂出市

 

 

 

「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」

 ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。

 

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」青空文庫より

 

 この北半球にいて、南十字星(Southern Cross)を拝める場所というのはさほど多くない。

 首都圏から南西の方角に下った四国も例外ではなく、けれどそこには、実際見えるはずのないサザンクロスが存在して人間を招いているのだった。道路際で、きちんと光を放つ。暗くなると赤く発行する看板の文字に、ガラスケースの中の食品サンプル、レンガ風の細めの階段……ダートコーヒーのマーク。屋根付きの商店街にあってその店舗部分は2階になる。

 通りに面した壁は透明なガラス張り。丈夫だったり脆かったりするその性質は非晶質と呼ばれて、たとえば鉱石に見られる結晶のような構造を持たない。だから、ガラスは固体でも、なんとなく液体に似て感じられる。

 夏に扉を開けると、冷房の効いた店内に満ちた空気がひんやり、流れてきて背後に去った。かすかに煙草の匂いがする。ランチタイムを少し過ぎたのか、ぽつぽつと食事をしていた人々が会計を済ませて去っていった。昼間でも軒の影になって、店内の照明が明るく点っている空間は、猛暑から隔絶されていてまるでシェルターみたい。

 奥行きがあり、広い。

 

 

 何とも言えない可愛いフォルムの椅子には印象に残る趣がある。海や畑や宇宙から疲れて帰って来た人を、そっと受け入れてくれるような形。ほとんど黒に近い深緑色も目を癒してくれる。優しく。椅子は硬そうな感じもあるけれど、座ってみると硬くない。

 机に運ばれてきたクリームソーダは山盛りだった。

 控えめな装いですました顔の店外の食品サンプルとは異なり、少しでも動かす前にストローで液体を吸ってしまわないと、溢れる。グラスが大きく、ソーダ水がなみなみと注がれ、さらに惜しみない分量のアイスが上に浮かべられていて壮観だ。炭酸の泡の細かさは中程度、かつ風味は爽やか寄り。

 コースターも透明なガラスでとても綺麗なのだが、なめらかに湾曲しているのでうっかり倒してしまわないように触る。それにしてもグラスは持って帰りたくなる形をしていること……。最後に撫でまわした。

 食事がおいしそうなので次回は何か食べに来たいもの。

 

 ……岡山から、あるいは高松から、マリンライナーを下車して南十字星を見に行こう。

 コーヒーラウンジサザンクロスは夕方4時まで輝いている。

 

 

 

 

四谷シモン人形館 淡翁荘 - 昭和初期の洋館、旧鎌田勝太郎邸が内包する幻想世界|香川県・坂出市の近代建築

 

 

 

公式サイト:

四谷シモン人形館 淡翁荘 | 鎌田ミュージアム KAMADA MUSEUM

 

 現在「四谷シモン人形館」として門戸を開いている建物は、かつて鎌田醤油の4代目、勝太郎が坂出に建設した居宅。彼の号にちなんで「淡翁荘」と呼ばれていた。

 戦前の昭和11年に竣工した洋館で、現在は広い駐車場となっている横の土地から見ると実に四角く簡素な趣、道路の側に面した窓の数も少ないからまるで箱……のようにも思え、果たして本当にこれは家だったのだろうかとはじめは訝しむ。人形館として開館するにあたり、管理に必要な棟として増築された部分も一部ある。

 アーケード商店街から入場するときは、讃岐醤油画資料館の建物を通って、ようやく玄関へと至れた。

 なるほど実際、玄関の前に立ってみるとそこは確かに洋風の邸宅だった。入口がある。扉の前、訪問者の頭上に張り出したポーチの屋根はまた四角い。上を仰ぎ見ると、やはりこちら側の2階にも窓はなく、北側の正面や庭の方に回らないとない。そのまっさらな壁の、適度に閉ざされた感じは不思議と安心を誘う。

 

 

 靴を脱いで上がり込んだら、すぐそこに〈ルネ・マグリットの男〉がいた。彼は人形で玄関ホールと和室の境に立つ、大きな1体。上背があるのと、真っ直ぐに前を見据えているのもあって、訪問客とは基本的に目が合わないようだ。これは1970年大阪万博、繊維館で展示されたものが今ここに移されている。

 彼のようなものには独特の存在感があって、異質な印象を受けるはずが、ここでは雰囲気に溶け込んでいる。靴を履いたフロックコートの大男が玄関前にいても不自然ではないのが淡翁荘で、私はもう誰も人間が住んでいないのに管理されている家の魅力をまた、目の当たりにする。

 きらきらした透明のガラスが魅力的なシャンデリア、その円形の照明がある、脇の小さな洋室にもまた人形が2体。〈クウァジ・ウルティマ〉が右手に、それから〈機械仕掛の少年1〉は奥の隅でケースに入れられていた。箱のような邸宅、の中に設置されている箱、の中に収められた人形。

 

 

 家が箱なら部屋も箱で、だんだん京極夏彦「魍魎の匣」に登場した『美馬坂近代醫學研究所』のことで頭が占められてくる頃に、館内の扉を自分の手で開けてみればこういった人形たちが姿を現す。〈男〉は開ける前からそこにいるはずなのに、開けたその瞬間、出現した存在のように思えてならない。

 では開ける前はどこにいるのか。多分、懐かしの「ローゼンメイデン」におけるnのフィールドのようなところを彷徨っているのではないだろうか。ちなみに私の部屋では旧版(バーズ)のコミックスが最終巻の8巻まで本棚に眠っている……。

 登録有形文化財に指定された「黒門」へ至る方の玄関では、スリッパを履くところで頭上の欄間が見られ、透かしの部分に家紋があるのが分かった。背後を振り返って中和室を通り抜けると縁側、それから日本庭園の方へと出られる。和室の領域には人形はいないようだ。

 そのかわりに階段の下、引き戸の裏側に〈機械仕掛の人形1〉がいた。ガラッと開けると明かりが点く。機械仕掛と名にあるとおり、皮膚やところどころうすい肉付きの下には機械的な機構が覗いて、ひげや毛髪は栗色に光っていた。何を考えているのだろう。

 

 

〈天使―澁澤龍彦に捧ぐ〉の脇を通って階段を上る。細い階段。その先は、大広間に繋がっている。実業家・議員の邸宅なので応接間として使われることもあっただろう。時が経ち、見学者や管理者以外はうろつかなくなった館内に、人形が佇む。殊更に特殊ではない場所に、人形がただ(でも確かに)いる。ここはそういう場所らしい。

 白い天井に施された文様は漆喰の繰型(くりがた)で、床が寄木細工で彩られていたり、暖炉のマントルピース上部は鏡を擁した棚のように立派なつくりになっていたりと、決して広大ではない面積にこだわりが凝縮されていた。むしろこぢんまりとした居宅だからこそ密度が高くなり、より「詰まった」感じが演出されるのかもしれないと思う。

 ところで、人形というのは本当に年を取らないものだろうか。

 彼らは不老長寿の者と似ている部分が確かにあり、私達が変化するのと同じようには変化しないものだが、例えば何億年もかけ徐々に姿を変えるなどして持続する岩石や元素自体などとはまた違う。発生する過程も、朽ち方も。人形と人間、異質ではあっても隣人のような、また半ば同類のような、近くて遠い不思議な在り方……。

 

 

 

 

 

 この暖炉、色合いや質感もさることながらとても好きだったのが、想像上の生き物がモチーフになっているところ。ワシを思わせる鳥のようなもの、またヤギとドラゴンの羽を組み合わせたようなもの、それらが長方形のタイルのフレームに収まっているのはまるでカードみたいだった。魔獣が封じ込められている。その封じ込められて四角い板になった魔獣たちが積まれ、火が入れられるたびに暖炉の熱を感じている。

 暖炉の横、壁に掛けられた〈目前の愛2〉も美しく、透明な箱に封印されていた。背中には翼。箱の内側に色々なものが貼られていて、そこに人形の視線が注がれている。ゆるく握られた両手の形には何らかの、人ではないものの余裕を感じさせられる。

 1階に設置されていた〈男〉と並んで、2階の旧お手洗いに展示されていた〈機械仕掛の人形2〉からも稀有な良さが滲み出ていて気になった。つややかな薄桃色のタイルの細長い小部屋、その一番奥にそっと佇むひとがたの機械。やはりところどころから内部の機構が露出している。

 しばらく黙って見ていると、思わずこちらから「あのう」と話しかけてしまいたくなるのは何の効果によるものか。

 

 

 まるで押し入れから「こぼれてきた」ような姿で〈少女の人形〉というものが床に横たわっている。床にマットが敷かれているのは幸いなのか。何を見、どのようなことを考えているのかは、こちらから伺い知れない。

 この部屋は廊下の突き当たりにあって、中には机と椅子のセットが置かれていた。大正時代の家具デザイナー、森谷延雄という人物の手による設計で、椅子の方は現物ではなく古写真を元に復元されたものらしかった。台の上の、本などを置けそうな場所の背中側に施された細工がおしゃれ。さりげなく人形の〈頭部〉も鎮座している。

 1階に戻ってから大金庫の扉を開けた。そこにも2体の人形がいて、やっぱり扉を開けたその瞬間に顕現したような佇まいで静かな時を過ごしており、やはりこちらとは微妙な加減で視線が絡まない印象を受けた。異なる世界の層に存在しているものたち。

 

 

 靴だけがポンと地面に置かれているのは楽しい。今まさに誰かが脱いで家の中に入っていったかのような、あるいは靴を脱ぎ捨てて外へと出て行き、もう2度と帰らなかったかのような印象を抱かせる。

 そう、置かれた靴は忽然と消えた者の存在を思い起こさせる。

 訪問者が四谷シモン人形館の入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて背後の玄関を振り返ったとき、一対の靴やサンダルや下駄が点在しているのを見ると、そこに「不在」がある。脱いだ本人がまた戻ってきて、もう一度足をそこに収めるまでは。なんとなく靴に強い思い入れがあった作家アンデルセンを思い出す。

 例えば魂が靴に宿るものならば、それを置いて館内を徘徊する私達はいわば抜け殻で、そこかしこに展示されて息づいている人形よりもはるかに人形らしい存在と言えなくもない。

 

 

引き続き「鎌田ミュージアム」の訪問記録は次回の記事へ

 

 

 

 

 

ホテルニューグランド「ラ・テラス」の緑色・黄色・酸味が爽やかなサマーアフタヌーンティー|神奈川県・横浜市

 

 

 

 2023年夏は地元のおすすめホテル、そのロビーでサマーアフタヌーンティーを楽しんできた。8月31日㈭まで。

 ちなみに17時以降に予約をすると「スイカのカクテル」が無料で付いてくるため、都合が合うなら断然夕方に行くのがおすすめだった。陽が傾いてからの方が少しだけ涼しいし、それから徐々に薄暗くなっていく中庭を窓から眺めるのもわりと好き。

 今回のサマーアフタヌーンティーで提供されたセイボリーやお菓子はけっこう酸味の強いものが多くて、爽やかさを前面に押し出しているのだと感じた。夏らしく、暑くても食欲をそそる……。

 

 これがスイカのカクテル。

 シャーベット状で、グラスのふちに塩がまぶされたソルティドッグのスタイルは、本物のスイカの果肉に塩をかけて食べているかのような錯覚をおぼえる楽しさがあった。底の方に溜まった残りはストローで吸う。

 ほんのりと淡いピンク色をじっと眺めてしまう。好きな作家のエッセイに「スイカのシェイク」が何度か登場していたのを思い出して、それもこんな色をしているのだろうか、と想像した。スイカの果汁はそこで書かれているように、何ともはかない味がする。けれど確かにスイカだとわかる。

 

 

 また、このサマーアフタヌーンティー期間中は、限定でオリジナルブレンド紅茶の「アイスティー」が提供される。おそらく最初にウェルカムドリンクとして出されるのがそれ。

 席に座って、一息ついたところで机に届く冷たい紅茶は至福の一杯だった。爽快感とスモーキーな感じが合わさった印象のブレンド。氷とともにグラスにたっぷり注がれており、これを最もおいしく味わえるのは夏という季節の特権な気がした。夏が苦手でもそう思う。

 通常の紅茶類もスタンダードからフレーバード、ハーブ系に至るまですべておかわり自由なので、冷房の効いた室内にいてだんだん涼しくなってきたら、今度は温かい紅茶で身体を温められる。良い時間。

 

 

 私達はどうせならスタンダード&フレーバーを制覇しよう、ということで

・ダージリン
・アッサム
・ディンブラ
・ウバ
・アップルクイーン
・アールグレイ
・オリジナルブレンド

 ……をどんどんおかわりしていった。〈強欲〉とはまさにこのこと。

 特にウバ紅茶のおいしさは新たな発見で、これが噂のメントール風味かぁ、と感銘を受けていた。ミルクを入れても損なわれない不思議な爽快感。淹れたてをお店で飲むのがおいしいものの筆頭だと思う。アップルクイーンも香りが強くておすすめ。すごく……林檎。すごく林檎の香り。

 スコーンはパイナップルスコーンで、濃厚なクロテッドクリームの横に付随するのもパイナップルジャム。これがクリームと何とも言えない相性の良さで、新感覚だった。

 

 

 最下段のお皿、セイボリーのラインナップはグリーンガスパチョ、焼きとうもろこしのキッシュ、そしてパン・バーニャ。パン・バーニャはプチサンドイッチのような感じでバンズ部分は柔らかめ。

 私はしょっぱいものが大好きな人間なので、正直なところこの部分がもっともっと沢山あってもいい!! と毎回考えている気がする。それでも紅茶とスコーンと一緒にお菓子が食べられるアフタヌーンティーが好きなんだよなぁ。

 焼きとうもろこしのキッシュは甘みと香ばしさのバランスが絶妙で、スイーツ類の甘さとはまた異なる味わいがたまらなかった。そしてグリーンガスパチョの酸っぱさとまた合う。かなり酸味が強く、舌にのせると色々なものが洗い流されていく印象があった。これで味をリセットしてお菓子類の方に進める。

 中段は優しい桃味のムース(でも結構甘い)で構成されたアイランドタルト、チョコが刺さったレモンケーキ、そしてミントの貝殻クッキー。

 

 

 最上段のメロンソーダゼリーはその名の通りメロンソーダ仕様で可愛らしく、素朴な味をしていた。昨今のクリームソーダブームをさりげなく反映した見た目なのかな。そうかもしれない。

 そしてメロンショートケーキ、レモンマカロン、マリングラスの中で、最も驚いたのがマリングラスの酸っぱさとわずかな苦み。柔らかめのゼリーっぽいもの。これは中段のお皿から移ってきた際の箸休めに口に運ぶと多分、なお良い。ここに至るまでかなり甘味成分を摂取してきたので助かった。

 すべての品を味わったあと、再びおかわりした紅茶をゆっくり楽しんでお開きに。ディンブラにレモンを投入して胃を落ち着かせた。また違う季節のアフタヌーンティー期間中も行くつもり。

 楽しい時間だった。

 

◇期間    2023年7月1日(土)~8月31日(木)

◇時間    12:00~20:00(L.O.19:30)

◇金額    ¥6,072

◇場所    本館1階 ロビーラウンジ ラ・テラス

 

 

シングルルーム宿泊記はこちら:

 

 

 

 

なだらかな眉山の曲線や、旧百十四銀行徳島支店が持つ直線|四国・徳島県ひとり旅(6)

 

 

 

 

前回:

 

 美馬市脇町から、ふたたび徳島市内へ。

 

 

眉山公園

 

 まゆのやま……。

 その「形状」から眉山と名付けられた山だと聞き、新町橋の側に立って、泰然とした姿を見上げた。手前にあるビルの「探偵社」や「カメラ高価買取」などという文字列につい気を取られてしまうが、違う違うそっちじゃないよと自分に言い聞かせる。道路はほとんど真っ直ぐに、麓の阿波おどり会館まで伸びている。

 四国は瀬戸内海に面したひとつの陸地で、名前を挙げられれば真っ先に浮かぶのは海原なのに、実際に地図で地形を表示してみると「山地」の印象がより強くなる。日本列島のほとんどの地域と同じだ。ここも山地の面積がかなり大きくて、わずかに、比較的平らかな部分を中心に街ができている。海の香りと山の香りが同時にしてくる贅沢なところ。

 徳島県には吉野川があるから、それがまるで東西を貫く杭のように、谷を切り開いているのも目に留まった。杭の先端は三好市方面で、頭部分は徳島市方面。頭の方からは道路が伸びて鳴門、淡路に繋がっており、さらに港から出る船は和歌山、北九州、さらに東京の有明までを結んでいる。

 ロープウェイに乗って眉山公園の方まで上がれば街を一望できるらしい。標高、約290メートル。

 

 

 名前が「あわぎん眉山ロープウェイ」で、阿波銀行のキャラクター・ロダン君(白い犬……?)が車体にプリントされていた。阿波踊りに興じている場面のイラストらしい。

 それにしてもロープウェイのゴンドラ、普通に存在するからごく普通に乗ることができる「普通の乗り物」なのにもかかわらず、改めて考えてみればみるほど興味深いと思う。形も、仕組みも。そもそもロープ状のもので吊るされている丸みを帯びた箱が斜面をゆっくり移動する、この絵面にはかなりどきどきするし、いっそ幻想的ですらあった。

 大きな空気の泡に包まれて移動するようなものだと思う。だから不思議。夢想の中に出てくる乗り物のようだと感じる。しかも四面に透明な窓がついていて、周囲の風景を眺められるなんて、魔法そのもの。そして、ゴンドラ車内ではなにやら眉山ゆかりの歌が流れ始めた。

 降車して公園の方に出てみると「マムシ注意」の看板を発見。蝮、こわいねえ!

 危険なヘビさん退散~。魅力的な生き物だけれども仮に鋭い牙で噛まれてしまったら人間はひとたまりもないのだった。痛みと苦悶で叫びながら街中を走り回ることになってしまう。うるさくて、徳島の街を追い出される。

 

 

 空気の澄んだ日にはここから淡路島や紀伊半島までもを見渡せる程度の高さ、この日は少し遠くが霞んで見えて、それもまた綺麗であった。暮れの春に訪れたので、もしかしたら花粉飛散の影響もあったのかもしれない。恐ろしや花粉。あとは季節柄、元気に虫が飛んでいた。

 崖下を見下ろすとそのあたり一帯に赤みのかった花が咲いている。時期的に4月下旬だったので、きっとサツキではなくて、ツツジ。彼らはとてもよく似ていた。過去、祖母に連れられて行った散歩でよく花の蜜を吸っていた頃のことを思い出す。あとは周辺を見回してみると、おそらくは桜の樹から落ちてきたのであろう「実」が、そこかしこに散らばっていた……小指の爪くらいの大きさの、コロンとした紅い玉。

 ……ここに来たのはちょっとやりたいことがあったからで、早速目的を果たすためにそそくさと公園の隅の方に向かい、長財布からアクリルスタンドを出した。500年以上前の瀬戸内海にゆかりのある人達だよ。

 案内板の上に乗せて記念写真を撮る。

 うん良い表情! もちろん印刷された絵だから、いつもと全く変わらない表情!

 

 

 満足したので麓に下りて、今度は阿波おどり会館にお邪魔した。

 ここでとても面白いと思ったのは、実際に「いつでも楽しめる阿波おどり」が施設の特徴として挙げられているとおり、本当の本当に毎日阿波踊りの実演が行われているところ。毎日。旅行者にとってはたいへんありがたい存在である。

 公式サイトに記載されている基本のタイムテーブルは

 

おどらなそんそん阿波おどり(昼公演)
11:00・14:00・15:00・16:00

毎日おどる阿波おどり(夜公演)
20:00

 

 ……で、徳島滞在中の大体いつ頃に行っても公演を見ることができる。

 実際に解説を聞きながらパフォーマンスに触れる利点は、使われている楽器や基本的な動きについての知識を与えられることで、ぼんやり眺めているよりも数段面白く感じられることだと思う。現地を訪れたらとりあえず覗いておいて損はない。

 

旧百十四銀行徳島支店

 

 阿波おどり会館から少し歩いたところ、商店街の一角にもう使われていない建物がある。

 もともとこの東新町には百十四銀行徳島支店があった。それが現在は阿波富田の「かちどき橋」方面へと移転になったため、使われなくなった建物だけがそのまま残されている。石積み風のかっちりとした佇まいで、入口両脇の照明器具も気になって……何より、剥がされた文字の「影」がいまだ壁に張りついているところなんて相当に魅力的で足が止まる。かつてあったものの不在を感じさせられる痕跡は大抵、好きだ。

 もう移転から10年以上たっているこの銀行の建築は、昭和29(1954)年竣工とのこと。戦後のものとはいえかなり古いものであることには疑いがない。近代建築の仲間として捉えてしまってもよいかな。

 このまま商店街に残しておくのであれば、地域のために活用されないだろうか、と希望するけれどどうだろう。また行く時までに残っているか、近くを通る際には様子を見てみるつもり。

 

 徳島市内には古くて素敵な喫茶店が沢山あるので、そちらもおすすめ。

 

 

徳島ひとり旅の記録を(1)から読む:

 

 

 

 

 

 

【閉店】構築された目眩く世界、カド - 季節の生ジュースとくるみパンの店|東京都・墨田区

 

 

 

 

墨田区を散歩するようになったきっかけ:

 

 言問団子の店舗から桜橋方面に向かって3分くらい歩くと、交差点に面した位置に、文字通り「カド」という飲食店があった。

 季節の生ジュースとくるみパンの店。この、盾のような看板には思わず足を止めてしまう。お店の公式Instagramを参照すると制作者の方々について詳しく書かれている。木枠の意匠を考案したのが志賀直三さん(小説家・志賀直哉の異母弟)で、実際に形作ったのが彫刻家の小畠廣志さんとのこと。

 店主氏の先代(お父様)が創業してから2023年で65年目、当時から外壁を飾る看板は生物ではないけれど時代の証人のようで、口が利けるものならその声に耳を傾けてみたいと思わされた。

 

 

 ここは老朽化した建物の外壁が崩落し、今年7月30日に閉店を余儀なくされてから、今度は茨城県の久慈浜に移転して新しいお店を始めることになったと聞く。

 調理も接客も店主のおじさまがひとりで行っていて、一見の客でも常連でもまったく関係なく、手が空いていれば四方山話を聞かせてくれる。無論忙しそうな時は対応できないので、その場合はあまり話しかけず、内心で応援しながら温かく見守るのが吉。

 着られている服が手作りであったり、天井や机の「薔薇」はご自身でひとつひとつ描かれていたりと、こだわりの数々が伺える絢爛な空間は本当に貴重で面白かった。

 

 

 おそらく生ジュースのうち最も代表的なのは、うす緑をした「活性生ジュース」というもの。

 セロリやらアロエやら、とにかく色々なものが入っていて爽やかで、私はかなり好きだった。毎日飲みたい味がする。季節によって旬や仕入れの状況が変わり、その配合が変化する関係で味もまた移り変わるようで……移転先の店舗でも提供されるのであればぜひとも確かめたい。

 そして、生ジュースはトマトクリームチーズサンドと共に。

 焼かれたパンのパリパリした食感に、くるみの歯ごたえと風味の奥深さが加わる。結構硬めなのがおいしさのポイントかもしれない。まあまあ量があるかと思いきやあっという間に食べられて、しかもふたつ目にも手が伸びてしまいそうになる、魔性のサンドイッチ。

 

 

 

 

かなり緑茶がおいしい向島「言問団子」の都鳥 - お皿に可愛い絵柄|東京都・墨田区

 

 

 

 

墨田区を散歩するようになったきっかけ:

 

 向島の和菓子の店「言問団子」は店内に椅子と机が置かれていて、団子か最中(もなか)を注文したら座ってすぐ食べることができる。

 峠の茶屋みたいな趣、壁の2面が硝子戸で明るく、春先に訪れた際は吹き込む風も心地よかった。でも季節柄なのか相当に強い風で、うっかり伝票が飛んで行ってしまわないようにしっかり皿で押さえておかなければならなかったけれど。

 席に座るとすぐ「お団子?」と聞かれるので、それでよければそのまま。あるいは最中の方が欲しければ、最中、と言えば持ってきてもらえるはず。次に行ったら食べてみましょう。

 

 この団子は串に刺していないのが特徴らしい。

 味は白餡と、小豆餡と、味噌餡。団子がそれらの餡で包まれている。甘く、弾力があり、見た目よりもぎゅっと詰まった感じがしてお腹が膨れた。よく噛む。味噌餡は唯一わずかに塩気があるのがポイントか。長旅で疲労困憊しているときなど、行李の奥から出てきたら嬉しくなること請け合いだと想像する。

 在原業平「伊勢物語」、その『東下り』の箇所に組み込まれている和歌で言及された、都鳥(みやこどり)モチーフの鳥が描かれた小皿に、身を寄せ合うお団子が3つ。

 3つとも目を凝らすと小刻みに震えているようで、もしかしたら人間を怖がっているのかな、と推測する。みんな一緒に食べるから胃袋におさまっても寂しくないよ。

 小さな鳥の絵は、湯呑みやお皿だけではなく、爪楊枝の入った紙にも印刷されていて。その佇まいというか、フォルムが何とも言えず可愛らしいのだった。胸のところの曲線が丸くふっくらしており、さらに筆の先で描画したような、尾羽の先が黒い。

 小さな点のみで表現されたつぶらな瞳。

 

 言問団子の店舗はお菓子自体もさることながら、個人的に最も印象的だったのが、実は「お茶のおいしさ」で……。

 湯呑みを空にするたび延々と注いでくれるのは静岡産の川根茶というものらしく、これが滅茶苦茶にうまい。きちんとこのお団子に合うものをと考えられて提供されているようだが、もはや緑茶を飲むために団子を食べに行ってもいいくらい。濁らず澄んでいて、香り高く、例えるなら山の中腹の空気でも吸っている気分になる。

 隅田川沿いを散策するならふらりと立ち寄りたい場所のひとつになった。

 

 

 

 

 

月の印(しるし)の喫茶店 - café & antiques, 店内での写真撮影禁止|神奈川県・横須賀市

 

 

 

関連:

 

 人に呼ばれて海の方まで行っていた。

 久里浜からバスで砂浜に出て、その帰りに今度は浦賀へ移動し、京急線を横須賀中央で降りる。このあたりには久しぶりに来た。気温30度越えで浜遊びなど無謀なのではないか、と家を出るまでは思っていたけれど、いざ街に足を踏み入れてみると、陽光を遮るものなど何もない海の方が涼しかったのには驚く。

 風があったからかもしれないし、それだけ都市部のアスファルトが熱を溜めこむから街は暑いのかもしれない。日陰を求めるように友達と連れ立ってしばらく歩いた。土曜日なのに、人通りは多くない。

 

 

 つめたいカフェ・アマレットは、炎天下の砂浜に3時間もかがみ込んで、無心でガラスの欠片を拾っていた身体によく沁みた。

 爽やかでほんのりと甘い。表面のクリームを落としてかき混ぜると、よりまろやかになる。その大きなグラスに浮かぶ砕氷が奇しくもシーグラスの形によく似ていた。

 お酒の入ったコーヒーといえば、冬場に飲んだカフェ・コアントローが身体を温めてくれて美味しかったのを思い出す。先日はこうして夏場に摂取するアマレットの良さを知ったので、次は寒い時期にでも、ホットコーヒーへ投入して楽しんでみたいもの。

 

 お酒が入っているからお水も沢山飲んで、と机に置かれた大きな水差しのガラスが、通りに面した窓から注ぐ光にきらめいた。決してうるさすぎない丁寧な接客は心地よい。

 

 横須賀で出会った喫茶店「月印」は店内での写真撮影禁止で、20歳未満の入店もできない。

 そんな、昔のパーマ店(白菊、と店内に看板が残っていた)を改装したアンティークショップ兼カフェ。奥まった路地にある。散歩していて偶然見つけたので入ってみたら、とても居心地が良くて落ち着いた時間を過ごせたのだった。

 年齢制限があるのはメニューのラインナップにアルコールの入った品が多いからなのか、あるいは喫煙ができるからなのか、雰囲気作りのためか。分からないけれどもその制限はお店の感じに合っている。

 

 内装は何ともレトロで、カウンターが昔よく見かけた「たばこ販売コーナー」のガラスケースを改造したみたいな趣だったのも個人的にそそった……土台の方に、赤い正方形の豆タイルが光っている。

 飲み物のおまけ(グラスのコースターに使われている銀のトレーに添えられているのが実に素敵なのだ)のクッキーとは別に、スコーンを注文してみた。下に添えられていたうすい紙を使って、手でじかに持ってかじりつくスタイル。焼き立てなのか温め直しているのか、猫舌には熱く感じられるくらいの温度でほくほくしていて、氷の浮かんだアイスコーヒーにとてもよく合った。

 そんなスコーンが乗っていた皿の模様は、少し前の時期に各所で咲いていた、蓮の花をモチーフにした絵柄。

 

 お昼にはランチメニューも提供してるみたいだったので、また異なる時間帯にも来たい。

 

 

 

 

【乗車記録】寝台列車〈サンライズ瀬戸〉で瀬戸大橋を渡った夜のこと|半夏生の四国・香川県散策(1)

 

 

 

 太陽が地平線の向こうに消えてから活動を始める、夜に乗じて蠢くものたち(Night Walker)の多くは、昔から危険であったり、たくらみを胸に秘めていたりするものだと一般に言い表されてきた。

 なぜだろう。でも、確かになんとなく想像は及ぶ。岩壁の洞穴や木を組んで造った住居、その周囲を跋扈する獣たちを警戒しながら眠りについた、古代の人々から受け継いできた感覚だろうか。これは。

 ……夜。

 どこか妖しくても、いや、むしろそれゆえに興味を惹かれて、かつては光と暗闇によってはっきりと隔たれていた時間の境界を越え、双方を行き来してみたいと思う瞬間は人生の中で頻繁に訪れる。現代にいると危険を冒さなくても、祈祷師のように特別な資質を持っていなくても、比較的容易にそれができるのだ。目を開けたままで。

 だからこそ、移動遊園地の電飾が鮮やかな色彩を帯びて公園を照らすような存在——安全を志向するのではなくて、人間を魅了するのに特化した灯り――に近付き、そこで一体何が起こるのかを、じっと息を殺して見届けてみたいと願ってしまう。

 

 

 明治に登場した交通機関のひとつ、鉄道の車両にも、夜と昼の境をまたいで走行するものがある。日付が変わる前に出発し、朝に終点へ辿り着くような種類の。

 地上に張りついたレールを基盤として、暁を待つのではなく、そこへ向かってひたむきに走るのが夜行列車だ。そう、真面目かつ「ひたむき」に、自らに与えられた職務に忠実に、両脇から迫る闇を振り切っていく。それは夜に属し揺蕩うものというよりかは、夜を通過していくものだと感じ、それゆえにサンライズ(Sunrise/日の出)の呼称は尚更ふさわしいもののように思われた。

 2023年7月現在、日本国内で毎日定期運行する寝台特急というものは、サンライズ出雲とサンライズ瀬戸の2種類にまで減少している。

 そんな「最後の寝台列車」に乗るため、早朝の対極に位置する宵の口をだいぶ過ぎて鉄道駅へ向かった関係で、何とも言えず新鮮な気分に……。行動の様式がいつもと全然違うから、果たして出発するのだか帰郷するのだか、判然としなくなる。心身ともにこんがらかる。そう、多分そのせいで、こうして旅行記を最終日の回想から始めているのかもしれない。

 

 

 サンライズ瀬戸に乗車したのは復路。これは旅行最終日の話だ。

 客室の種類は、B寝台のシングルツインだった。希望日の予約がなかなか取れないことで有名なサンライズの切符、夜中にe5489のサイトを適当に弄くり回していたらその便が取れたため、結果的に帰りの利用になったという経緯で。特にその日を希望して選んだわけではない。予約は、運次第。

 シングルツインは狭い2段ベッドの部屋で、これの名目としては「基本1人部屋だが2人でも乗れる」というもの。1段目の寝台はシーツを剥がして折りたたむことで、上の写真のように「座席」の形にすることもできる。濃緑が車両外観の紅色と呼応していて楽しくなった。いい色だ。車掌さんが巡回してくるので、寝台券(改札に通さなかった方の細長い切符)を提示して、あとは自由に過ごすだけ。

 個人的に、初めての寝台列車の利用を復路にするのは結構おすすめかもしれない。

 慣れている人はいいが、音や揺れのパターンに慣れたり、立ったまま素早くシャワーを浴びる必要があるなどしてわりと体力を使うので、それを経て朝から旅行を開始するとなるとまあまあ疲れるのではないだろうか。出張や各種公演のための遠征など、早い時間に合わせた用事がない(どちらかと言うと寝台列車に乗るのが目的)なら、全てを終えた帰りに乗車してみるのも良いと思う。

 

 

 始発駅からの乗車で、さらにA寝台シングルデラックス(シャワーカード付)以外の部屋を利用する場合、きっとシャワーカード購入の「列」に並ぶことになる。あるいは、下車してから現地の銭湯に行く? もちろん、それも選択肢のひとつ。

 2023年7月現在330円のシャワーカードが買えるのは、高松駅始発・東京駅行きの上りだと、10号車。反対に下りならば3号車。プラットフォームでその表示がある場所に並ぶ。両替機も車内にあるけれど、あらかじめ自販機などを利用して小銭を作っておくのが吉だった。特に私は何かに手間取ってしまうとすぐに頭がおかしくなってくるので(!?)

 シャワールームの脱衣所ではカードを機械に挿入し、さらに戻ってきたものを引き抜いて回収すると、無事シャワーが使用可になる。ブース内を覗いてきちんと残り使用時間が「6分」と表示されているか確認してみよう。緑のボタンを押してお湯が出ているあいだ時計は進み、赤いボタンを押せばお湯もカウントダウンも止まる。そんなに難しいことはない。ただ、シャワー使用後は「洗浄ボタン」を押してから去るのを忘れずに。

 しかしドライヤー送風の弱々しさには閉口させられた。本当に「そよ風」を具現化したみたいにお上品な風しか出てこなくて、こんなんで髪の毛を乾かせるはずがあるまい! セミロングヘアをなめているのか? と憤慨しながら、部屋に帰ってタオルを駆使したのが印象的な思い出。ちなみにパジャマ(浴衣)は客室に置いてある。帯付き。

 

 

 シングルツインの部屋、私は上段のベッドをもらった。入口上に荷物置き場があるので、そこにリュックサックやお土産などを収納してしまうと寝台上の空間が広々と使えて快適だった。操作盤にあるボタンを押す、すると窓を覆っていたカーテンがウィンウィンと自動で開いて、たくさんの街の灯りが進行方向とは反対側に流れ去っていった。

 高松駅のホームを発進した車両は結構なスピードで進む。外の暗さに月の光が映えていた。この日のちょうど数日前が満月であり、晴れた夜空の闇を背景に、角度によっては徐々に欠け始めた満足そうな衛星の顔が見える。坂出駅を過ぎれば瀬戸大橋、車両は続く児島へ向かって海上をひた走る。

 月と夜行列車……といえば思い出されるのは、19世紀イギリスで、世界で初めて狭義の旅行代理店を開業したと言われるトマス・クックが企画した「月光旅行(月光の旅)」のこと。これも夜に出発する列車旅の呼称で、昼間は労働に従事している忙しい人々のために考案された旅行プランだった。

 私はその、皓々とした月の光を受けて線路上を走る、列車の姿が連想される名前も好きだ。乗車した日の出(サンライズ)の名称と並べてみれば殊更に。

 

 

 

 

 電灯の光で満たされた廊下はまさしく過去と未来の両方に繋がっている。

 新橋—神戸間に、日本初の夜行列車が東海道線を走行し始めたのが明治22(1889)年のこと。その2年後、今度は日本鉄道が上野—青森間を約26時間半で結んだ。やがて「寝台」そのものが列車に組み込まれるまでにはさらに9年ほどを要し、明治33(1900)年4月に、山陽鉄道が食堂車と寝台車を連結した便の運行を始めた。同年の10月に官設鉄道も英・米から輸入した寝台車の活用を開始したそうだ。

 

参考:【企画展 The Sleeper Train~寝台列車の軌跡~|京都鉄道博物館】

https://www.kyotorailwaymuseum.jp/museum-report/the-sleeper-train/

 

 1等と2等車しかなかった時代の寝台列車は今よりずっと高級路線だったようだけれど、単純な乗り心地でいえば、比較的手軽な値段で乗れる現代のサンライズの方が遥かに勝っただろうと想像する。

 もちろん、19世紀初頭のヨーロッパで「拷問箱」だとか「肋骨折り機」などの禍々しい名前で呼ばれていた悪名高き駅逓馬車(参考:W・レシュブルク「旅行の進化論」 林龍代・林健生訳)と比べてしまえば、明治時代の寝台列車も天国だと表現してしまって差し支えない。

 

 

 前回の四国旅で長距離フェリーを利用した経験からも感じたのは、私はこの手の乗り物に乗るのがわりと好きで、比較的よく眠れる性質らしいということだった。揺れも、音も、客室に鍵をかけられる時点であまり気にならなくなる。毛布にくるまれる、安全な空間が確保されていることの方が睡眠には重要な要素らしい。

 ちなみに部屋の外に出るときは暗証番号をドア横のキーで設定し、戻ってきたらそれを打ち込む、という形で施錠と開錠を行える。

 上りの便は日の出の時刻になるとちょうど富士山が窓の外に姿を現すから、このタイミングでお弁当などを持って、ラウンジのスペースに移動するのもおすすめ。サンライズに乗ってサンライズを見る……もちろん、瀬戸内海に面する土地で手に入れた駅弁を存分に楽しみながら。車内には飲料の自動販売機があるが、食べ物を買える設備は無いことに注意されたし。

 

 

 高速で横に移動している。まるで、地面の上に設けられた普通の宿泊施設のような寝台列車の車両が。

 建築物好きとしてはこれも広義の建物として捉えたい。壁があり、屋根もあり、さらに扉があって、窓もある……そういう構造物のひとつ。それがしかも毎日、決まった時間に線路上を走るとは、想像以上に面白いことだ。しかも客室のひとつひとつに乗客を、その前後の予定と人生ごと積載して動いている。

 それについて考える空隙を与えてくれるという一点だけでも、時間を費やして寝台列車を利用する価値は大いにある。何より、楽しい。

 東京駅のプラットフォームに到着して行先が「回送」に変わるサンライズ瀬戸、その車体の紅色ではない方の部分は、牛乳を多めに投入したミルクティーによく似ていた。帰宅する前に喫茶店に寄って、紅茶が飲みたくなった。

 

香川旅行記は(2)へ続く……

 

 

 

 

はてなブログ お題「夜行列車の思い出」

【宿泊記録】ビジネスホテルマツカ - JR穴吹駅周辺の宿泊施設、朝食付き|四国・徳島県ひとり旅(5)

 

 

 

前回:

 

 脇町の重伝建保存地区を見学するにあたり、宿泊したのはビジネスホテルマツカ。

 JR穴吹駅から徒歩で約15分、オデオン座までは約20分といった立地で、このあたりは特に路線バスなども通っていないため、散策気分でぶらぶら歩いてみるのが吉。面白いものが沢山ある。歩くのがあまり好きではない人には面倒かもしれないけれど……。個人的に嬉しかったのは、ホテルのすぐ近くにスーパーマーケット「マルナカ」が存在していたこと。

 旅行先ではできるだけ、現地ならではのスーパーに寄りたいもの。マルナカは関東地方にはないので、覗いてみるのが面白かった。晩ご飯として購入したものは後で紹介する。

 ビジネスホテルマツカは2010年頃にリニューアルしたらしく、外観も館内設備もかなり新しい感じ。コインランドリーやコピー機、プリンターもあるみたいだった。到着当日は街を見て回った後で、だいたい夕方4時半くらいにチェックインしたような気がする。かなりお腹が空いていた記憶がある。

 

 

 利用したのはフローリングシングルという部屋。

 写真の左手に見える扉がユニットバス・お手洗いへの入り口。名前に「フローリング」とついている通り、玄関部分で靴を脱ぎ、それから板場の上にあがる形式で、個人的にとても好きだった。この旅行以来、ビジネスホテルで似たスタイルの部屋がある場合はそれを選んでいる。こんなに過ごしやすいとは知らなかった……。

 なんというか、全面カーペットの部屋の場合でも確かにスリッパには履き替えるのだけれど、境界線が曖昧なのが気にかかる。こっちは靴で、こっちは素足の領域、と区分のはっきりしていた方がくつろげるのだった。理由はよく分からない。

 こぢんまりとした部屋、その壁の一部には間接照明を兼ねた装飾が施されていて、そのスペースに物を置くことができたため、スーパーマーケットで購入したものを並べてみた。なんだか、ステージみたい。何の?

 

 

・チェリオの「やまももサイダー」

 

 徳島県産のヤマモモ果汁を使用したジュース。ちなみに日本国内におけるヤマモモは、生産量、全国シェア共に徳島県が第1位となっている。このサイダー自体も甘酸っぱくて独特の深みがあり、桃と各種ベリーの中間のような風味が味わえた。けっこう味は濃いめではっきりとしている。

 実際のヤマモモ果実の見た目はラズベリーに似ていて、表面がぷつぷつしている。おいしく食べられる時期が非常に短いので、見かけたら幸運。旬は6~7月の一時期とのこと。

 

 

・JA全農とくしま「ザ・すだち」

 

 カートカンという紙の容器に入ったジュースで、これは燃えるゴミに捨てられる。旅行先などで歩きながら飲んでいても、潰して袋に入れるなどできるので処理しやすい。

 レモンやオレンジとまた違った独特の酸味と爽やかさが味わえるすだちは、上のヤマモモと同じく、徳島県が生産量全国1位。その割合は95%にも上るというからまさに覇権を握っていると言える。料理に使ってもおいしいし、このザ・すだちはどちらかというとまろやかな感じに作ってあって飲みやすかった。

 

 

 この日は4月下旬なのにまあまあ暑くて、夕飯に何を買って食べようか迷った末に、お蕎麦を選んだ結果。普通においしく食べた。

 ビジネスホテルの部屋でひたすら黙々とご飯を口にする時間がわりと好きで、それは多分プライベートの確保されている、鍵のかかる空間が一番安らげるからだと思うのだけれど、それゆえに部屋に到着するとどうしても再び外に出る気力が減退してしまう。とはいえ友達と遊びに来た際などは元気に出掛けて行けるので、これはひとり旅の味な気がした。

 一応、マツカのウェブサイトに「徒歩で行ける飲食店」という親切なリストが存在しており、お店で食べたい人は覗いてみるのがおすすめ。インド料理・お寿司・居酒屋・ラーメン屋その他が揃っている。

 

 

 

 これは次の日の朝起きて、1階で食べた朝食。提供時間はAM7:00~9:30まで。

 和食と洋食が選べるので洋食にした。

 写真から受ける印象よりもかなりボリュームがあるため(宿泊プランにも「ボリューム満点朝食」と書いてある)これでお昼過ぎまで全然もつ。食べやすい細切れ野菜のサラダが嬉しい。食パンの横に添えられていたのは炒めたじゃが芋と、フライドポテト、ソーセージにほうれん草。チェックイン時に渡される食券を提示して席に着き、待っていると席まで運んできてもらえる形式なので、全部できたてだった。

 ホテルのウェブサイトによれば朝食の内容は日替わりらしく、この写真と同じものが出るとは限らない。量がどのくらいなのかという点は品目と違ってそこまで変わらないと思うので、朝食をつけようか迷っている人は参考にしてみて下さい。

 

 

記録は(6)に続く……

 

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