旅行
岐阜の大垣しかり、この佐原もしかり。自分が歩いていて楽しいと思うのは、やっぱり水のある町なのだ。水路や運河はもう一つの通り道。飛脚、馬、自動車が行き交う地上の路から直角に逸れて、雁木を下りると細い曳舟が待っている。たとえ道路に沿い、全く同…
JR熱海駅から徒歩25分程度、ちょうど糸川と初川の間あたりに、広い敷地を持つ立派な元別荘がある。周囲をぐるりと塀に囲まれているため、高台から見下ろすか、実際に中に入ってみないとその容貌は伺えない。現在の名前を「起雲閣」というそうだ。ここは実業…
長崎の出島。そこは200年以上もの長きにわたり機能した、鎖国中の日本において唯一公的な港だった。特にオランダ東インド会社との貿易の重要な拠点として。またその少し前、島原・天草一揆の勃発する直前には、ポルトガル人を収容していたこともある。人や物…
近代建築を愛する人間として、一度は絶対に訪れておきたかったのが野外博物館・明治村。入鹿池の西側に面し、岐阜との県境にもほど近い愛知県犬山市にある。アニメ《Fate/Zero》や漫画《ゴールデンカムイ》、ゲーム《明治東亰恋伽》、そしてドラマ《坂の上の…
外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名…
目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた…
特に斎藤道三と織田信長にゆかりあるこの山と城は、名を変えたり焼失したりしながらも、戦国の時代から続くこの岐阜の地を俯瞰し続けてきた。しかし、美濃を制す者が天下を制す――とまで言われた難攻不落の城といえど、決して不滅ではない。現在の天守は昭和…
日本三大河川の一つに数えられる美しい長良川は、毎年5月から10月頃にかけて、伝統的な鵜飼(うかい)の行事が行われる舞台でもある。その静かな流れと深い青緑色には用が無くても足を止めざるを得ない。豪雨が降れば水位は増し、古来から災害を恐れてきた人…
町へ近付くにつれて、車を降りる前から独特の匂いが鼻についた。白根火山の恩恵を受け、毎分3万2千リットル以上の豊かな湯が湧き出る土地・草津。いま記事を書きながら開いている本《ふしぎ地名巡り》にはこう記載されている。一説によると草津の地名は、硫…
長崎を歩き回る際、電気軌道という乗り物にはとてもお世話になった。私はこの呼称が好きだ。単に路面電車やトラム、と表現するよりもずっと。街に張り巡らされた線路を辿る車両、その軌道が100年以上変わらずにあることに、どこまでも深い感慨を抱く。時間を…
サマルカンドとシャフリサーブスを観光した後、タシケント(タシュケントとも。古くはチャーチュ、石国などと呼ばれていた)を訪れた。一番初めに降り立った都市でありながら、実際に色々と見て回ったのは最後。ここはソビエト統治時代から現在に至るまで、…
平成から令和へと、年号が変遷した2019年が過ぎ去った。数年前に一人で旅行し始めてから引き続き、今年も決して多くはないけれど、色々な場所を訪れることができた……と思う。特に国内で重点的に巡ったのは明治・大正・昭和初期に建てられた邸宅や史跡。その…
サマルカンドから直接シャフリサーブスまで行くには山を超える必要があった。これから対峙するのは、最も高い地点で標高2000メートル近くなる、それなりに険しい道。位置としては、国境を隔てたタジキスタンに大部分が存在している、ザラフシャン山脈の「西…
ここは、前回の記事で少しだけ言及したアフラシャブの丘だ。今は見渡すかぎり何も残っていないが、昔はサマルカンド(旧名:マラカンダ)の中心地として長く栄えていた、美しい場所だったという。宗教や民族の隔てなく、多くの人々が集まり賑わっていたと伝…
港町・長崎は洋館の宝庫だ。訪問時は肌寒い空気を感じつつ街歩きを楽しんだのに加えて、グラバー園で3つの重要文化財指定建造物を中心に、各所から移築された貴重な洋館群を記憶と写真に収めた。なかでも旧グラバー住宅は明治日本の産業革命遺産を構成するう…
オアシス。砂漠の国で、ザラフシャン川のほとりに築かれた美しいサマルカンドの街は、時にそう呼ばれることがある。グーリ・アミール廟から北東へと進み、大通りを渡った先で目にしたレギスタン広場は、その中で「水辺にないオアシス」と称されても良いので…
目的地を頭に思い浮かべ、はぁ行きたいな......と念じ続けていると、いつのまにか航空券の予約が確定されている。口座からはその分のお金がしっかり減っている。つまり、どこかへ旅行するのを決めるというよりか、もう既に「決まっていた」と言う方が私にと…
1980年、その全体がユネスコ世界遺産に登録された町、マルタ共和国の首都ヴァレッタ。マルタ語での表記はイル・ベルト(Il-Belt)になる。宿泊していたスリーマ地区の岬に立つと、海を挟んだ向かいにカーマライト教会の象徴的な丸いドームを望むことができた…
かつてマルタ共和国の首都として栄えた古都、イムディーナ。21世紀の今は政治と文化の中枢を担う役割を終えて「静寂の町(Silent City)」の異名を冠し、多くの旅人を飲み込んでは吐き出しながら、歴史の一端を語り続けている。その平穏を守る強固な壁の内側…
マルタ本島からフェリーで渡ったゴゾ島。総面積がおよそ67平方キロメートルと、かなり小さい島だ。これは日本・神奈川県内に位置する平塚市の面積とほぼ同じ......なのだが、近辺に住んでいない人には絶対に実感として伝わらないので、全く役に立たない例え…
一般には、マルタを訪れる人々の大半は遺跡ではなく、美しい海に囲まれたリゾートを目的にして来ている。彼らにとって古代文明要素はおまけだ。そのせいか一人で現地に降り立ち過ごしていて、正直なところ疎外感しか感じなかった。遊歩道に沿って歩き、何故…
上の写真は夏・真っ盛りのマルタ。私は一体どうして、そんな時期にこの国へと足を運ぶことにしたのだろうか。理由は自分自身にも皆目分からないが、多分、何でもよかったのだ。本当になんでも。海の綺麗なリゾート地に滞在しながら一度も水遊びはしなかった…
電気軌道を降り、グラバー園に向かって大浦海岸通を歩いていると、左手の側に灰色をした重厚な、金庫じみた風采の建物があるのに気がついた。入口のある正面は長崎湾に向いていて、他に目立つものは少ない。その横に立つ、ガス灯を模した街灯のある一角だけ…
初めて写真を目にしたとき、何とも言えぬ美しい外観に衝撃を受けた四本の塔。正確には四本の煙突――これは今から160年以上前に造られた韮山(にらやま)反射炉のもので、2015年に「明治日本の産業革命遺産」を構成する一つとしてユネスコに登録された、貴重な…
1953年に日本の国宝へと再指定、そして2018年には世界文化遺産に登録された、長崎の大浦天主堂。今年の春に私が訪れた際には、修繕完了後の真っ白な外壁が小高い丘の上で陽の光を受け、輝いていたのを思い出す。ポルトガル人の宣教師フランシスコ・ザビエル…
カイロからおよそ20キロ、ナイル川を挟んで西側に位置するネクロポリスが、今回の旅行で最後に訪れた都市ギザ(ギーザ)だ。古代エジプトの王族や神官たちが多く眠るこの場所は、今ではエジプトの代表的な観光地。遺跡の残る位置から少し離れた市街地に立っ…
多くの謎に包まれた、古代エジプトのピラミッド郡。なかでも有名なのはクフ王の大ピラミッドだと思うが、それが聳え立つギザの平原を背にして不思議な生き物・スフィンクスがじっと前を見据えている光景は、今も昔も変わらずエジプトを象徴するものとなって…
砂漠の国の、雰囲気ある市場に憧れたことのある子供はきっと多い。幼い頃の私もそうだった。不思議な幾何学模様が描かれた布、きらめく装身具、布袋から覗く果物がひしめく通り。人々が行き交う活気ある場所で、自分の国では見たこともないような品物を眺め…
私達の心をいつの時代も惹きつけてやまない、古代文明の遺産。エジプト、という言葉の響きから多くの人々が反射的に連想するのは、ピラミッドの丘や王家の谷の葬祭殿、墓荒らしの手を逃れて生き残った副葬品をはじめとする、数多くの史跡・宝物だろう。現地…
古代文明のロマンと中世以降のイスラーム文化が交差する国、エジプト――。先月末、私は現地の都市カイロとギザを訪れる機会を得て、嬉々として成田空港から飛行機に乗り込み旅立ったのだった。そもそもイギリスから帰ってきて以来、半年以上の間を開けた国外…